第62話 少女は、信じることを選びかける
ベガ。
西の荒野で出会った、常軌を逸した腕を持つ冒険者。
言葉を重ねるうちに、少しずつ、その輪郭が浮かび上がってくる。
無害そうで、気安く、優秀な魔法使い。
けれど、その奥にある本当の目的は――まだ掴めない。
「ここ西の街…ノクスウェルは、治安が悪くてさ。いつの間にか人が寄り付かなくなった、ちょっと可哀想な場所なんだ」
ベガは淡々と語る。
「見かねたギルドが、オレみたいな強い冒険者を派遣することにした。オレは、ここにいるだけで報酬がもらえる」
ベガは“冒険者ハンターのハンター”――
冒険者を狩り、殺しを楽しむ者たちを狩る側の人間らしい。
秩序を重んじるギルドが、彼を選んだ理由も理解できなくはなかった。
「最初はごめんね。大きな魔力を感じたから、てっきりレディが“そっち側”だと思った。ひっかけのつもりで、同じ名を名乗ってみただけなんだ」
「……分かった上で、わたしを攻撃したの?」
「それもごめん。昔の血が騒いでさ。珍しく面白い子を見つけたと思って、つい」
少女は深く息を吐いた。
「……ねえ。それより、出てってくれない?」
シャワーの音が、絶え間なく室内を満たしている。
ここはベガの家のシャワー室だった。
汚れを落とすために案内されたはずなのに、彼は当然のように少女に付き添い、ここまで来た。
カーテンで遮っても、わざわざ隙間から顔を出し、視線を外そうとしない。
「全く動じないから嫌じゃないかと思ってた。だめだった?」
その顔で見つめられると、拒む理由を忘れてしまいそうになる。
「アウト。人として終わってる」
「減るもんじゃないしさ。お詫びに背中くらい流させてよ。それとも、ワンナイトしとくかい?」
「いや。出てって。今すぐ」
ぶつぶつと不満を漏らしながらも、ようやくベガはシャワー室を出ていった。
「………」
ギルド所属のベガが少女を知らない。
それはつまり、まだ指名手配はされていないということだ。
西の門を難なく通れたのも、門兵が彼を深く信頼していたからだろう。
街は南や北とはまるで違い、静まり返っていた。
店には檻が設けられ、檻越しに品物を受け取る。
人々は目を合わせようともしない。
「……はあ……」
何日ぶりか分からない熱い湯を浴び終え、少女はシャワー室を出た。
湯気が肌から離れていくのを、ぼんやりと見送る。
「あれ……?」
タオルを巻いたまま、気づく。
そこにあるはずの服が、どこにもない。
胸の奥で、小さな警鐘が鳴った。
嫌な予感が、遅れて広がる。
「……ねえ。わたしの服、ないんだけど」
ドアを少しだけ開け、声を落として抗議する。
返ってきたのは、軽すぎる調子だった。
「汚れてたから、洗ってあげてるよ」
「勝手なことしないで。着るものがないじゃん」
自分の声が、思ったより硬い。
それは怒りよりも、恐怖に近かった。
「大丈夫。なにもしないから、出ておいで」
「意味分かんない。絶対にいかない」
後悔が、じわりと胸に滲む。
――どうして、こんな人に捕まってしまったのか。
どうして、油断した。
「警戒しすぎだよ」
ドアノブが、がちゃりと鳴る。
少女は反射的に、両手で押さえた。
「信用ゼロ」
短く、切り捨てる。
それ以上、心を近づけたら、何かを奪われる気がした。
「じゃあ、返す代わりにレディのことを教えてくれるかい?」
「は?」
「オレはレディに、オレ自身のことを説明して、信用を獲得しようと試みている。でも、レディは?本当に冒険者ハンターじゃない証明ができる?」
理屈は、筋が通っている。
だからこそ、苛立ちが募る。
ドアノブにかかっていた力が、わずかに弱まる。
「………タグがない……よ」
声が、小さくなる。
「ちぎって捨てたかもしれない」
「………」
少女は、思わず舌打ちした。
自分の浅はかさに。
「わたしは……南からきた。サレインという街から……。アルヴェンに戻りたい……」
少し考え、必要最低限だけを切り取る。
これ以上は、踏み込ませない。
「なるほど。サレインからアルヴェンへ……。じゃあ、ノクスウェルに来た理由は?」
南から北へ。
直線で行けばいいものを、わざわざ遠回りしている。
その不自然さを、彼は見逃さない。
「人には………言いたくないことの一つや二つはある。さっきも言ったけど……あんたへの信用ゼロ。説明をすることはない」
「なかなかお堅いね。それじゃあ、オレもレディを警戒しよう」
「それでいい」
一線を引く。
それだけが、今の自分を守る術だった。
「だけど」
次の瞬間、ドアノブに強い力がかかり、
いきなりドアが開かれる。
バスタオル一枚のまま、少女は勢いを失い、ベガの胸に飛び込む形になってしまった。
近い。
近すぎる。
「魔力の使い方を教えてあげたいな」
「……はあ?……」
「目の前の原石を、光らせないまま終わらせるのはオレの流儀に反する。……気づいてるだろ?魔力の流れ。レディは、自分が思ってるよりずっと強い。引き出し方を、オレが教えてあげる」
胸の奥が、わずかにざわめく。
否定したい。
けれど、彼の言葉は、痛いほど核心を突いていた。
「……いらない……なくても、困らない……」
「オレみたいなのは、まだまだいる。北に戻るまで、身を守れる力くらいは必要だと思わない?」
沈黙。
答えは、すぐには出ない。
「手助けするよ。オレに、少しだけ身をゆだねてみなよ」
少女は、迷いの末、ベガを押しのけた。
「……変なことは……絶対に、しないで」
願いに近い言葉だった。
「もちろん。大船に乗ったつもりで」
ベガは、楽しそうに笑った。
その笑顔が、なぜか――少しだけ、怖かった。




