第59話 少女は、渇きの中で名を失う
カペラたちが、少女と同じ経路を辿ったところで追いつけるはずがなかった。
馬の脚力も、判断も、少女のほうが一枚上だ。
どうせ街には寄らない。
人目を避け、遠回りを選び、北へ向かっている——その読みは外れていない。
ゴールは北。
ならば、北へ行けばいい。
北のギルドに辿り着けば、いずれ少女と再会できる。
「……けどな」
カペラは、馬を走らせながら小さく呟いた。
「その前に、会わなきゃいけねー理由がある」
「ギルド嬢が言った通り、本当に西に向かってるなら……」
アルデバが、言葉を濁す。
「ああ。あの噂が本当なら……かなり、まずいな」
二人の脳裏に、嫌な噂が浮かび上がる。
—…
一方、北では。
リブとデネラが、少女の帰りを待ち続けていた。
あまりにも遅い。
胸の奥に溜まった不安が、限界に達していた。
「……親父。話、聞いてくれ」
「ん?」
「デネラと一緒に……あいつを……ナナシを迎えに行きたい」
ユウゴは、黙って息子の言葉を待つ。
「南で、悪い噂を聞いた。変な団体ができて、ナナシを討伐しようとしてるって……。真実かは分からねぇ。でも、あいつ……絶対、南で困ってる」
言葉が、震える。
「だから……行きたい」
「俺の家に金がないのは知ってる。移動費は、自分たちで稼いだ。時間はかかったけど……正直、今すぐにでも行きたい」
「あ、あたしからもお願いします!!変な場所には、絶対に行きません!!」
未成年の二人が、遠出を願い出る。
簡単に許される話ではない。
ユウゴは、頭をがしがしと掻いた。
「……うーーん、そうか…お前たちも……いや」
沈黙のあと、彼はふっと笑った。
「情けないな……。そこまで、あの子のことを気にしてたとは思わなかった。相談してくれれば、少しくらい金も用意できたのに…」
「じゃ、じゃあ……!」
「行ってきなさい」
即答だった。
「俺は止めない。迎えに行きたいなら、探しに行けばいい」
「親父……!」
「気をつけろよ」
こうして、デネラとリブは、北から南へ——少女を探す旅に出た。
—…
そして、さらに南西。
少女と一匹の馬は、荒野の只中。
「……ほら。動いて……」
最初こそ快調だった馬も、限界が近づいていた。
首を横に振り、これ以上は無理だと訴える。
南方領・サレイン、西側の荒野。
硬く、乾き、逃げ場のない土地。
岩が無秩序に転がり、足元は常に危うい。
太陽は容赦なく照りつけ、地面から水の概念を奪っていた。
幸い、影だけはあった。
赤く焼けた岩と地面が作る、わずかな陰。
「……ここで、休もう」
何歩進んだのか。
さっきも休んだ気がする。
少女は岩陰に腰を下ろし、馬と肩を並べた。
喉が焼けつく。
十数分、日向を歩くだけで限界だった。
——まるで、吸血鬼にでもなったみたいだ。
馬もまた、疲労を隠さず唸っている。
「……はあ……」
夜になっても、昼の熱は消えない。
一日中、暑い。
加えて、魔物の影。
逃げ場のない地獄。
「……水……」
水さえあれば。
それだけで、前に進める。
少女は、膝に力を失わせた。
「……魔法……か……」
魔法使いなら、水を生み出せる。
少女の知っている世界ではない”ここ”が、どういう原理で魔法を作り出しているのかは分からない。
けれど、仕組みは同じはず。
「水……」
頭の中で、何度も思い描く。
「湧き出る……感じ……」
魔力の流れ。
体の奥を、ふわふわと漂うもの。
今まで、興味もなく。
鬱陶しい羽虫のように、無視してきた存在。
「……これを……」
そっと、触れる。
「あ——」
嫌な予感。
触れた瞬間、魔力が少女へと雪崩れ込む。
制御できないほどの量で。
次の瞬間、
地面から水柱が噴き上がった。
天へ向かって、真っ直ぐに。
水飛沫が舞い、少女と馬を一瞬で濡らす。
「え……なに……どうすれば……」
混乱する少女をよそに、
馬は嬉しそうに水の中を跳ね回る。
止まらない。
両手では抑えきれない。
魔力が、水と同じように溢れ出す。
視界が揺れる。
——魔力不足。
「……っ……」
そのとき。
「何事かと思って来てみれば……ずいぶんと迷惑なことをしてくれるじゃないか」
「……え?」
振り向いた瞬間。
水柱の上に、巨大な岩が落ちてきた。
穴を塞ぎ、水は力を失って細く流れ落ちる。
静寂。
「……よかった……」
少女は、息をついた。
「西地区の生態を崩そうってわけじゃ、ないよな?」
声の主を見る。
「……考えたことも。ない、よ」
落陽色の髪は乾いた光を帯び、高い位置で無造作に束ねられている。風に煽られ、束ねきれない毛先が頬をかすめた。
「お嬢さん…名前は?」
深い緑の瞳は、遠くを見ることに慣れた静けさを宿し、相手との距離を自然に保っている。感情を映すことは少なく、ただ状況を測るために在る眼差しだ。
「………名乗らない」
茶色のつば広の帽子は使い込まれ、縁は歪み、革は乾いている。首には赤いスカーフ。飾りではなく、砂塵から呼吸を守るためのものだった。
「そうか。じゃあ、『レディ』とお呼びしていいかい?」
彼は風景の一部のように立っている。
荒れた土地とともに過ごしてきた時間が、その佇まいに静かに滲んでいた。
男は太もものベルトから、細い杖を抜いた。
「……なんとでも」
少女は、即座に判断する。
——敵だ。
荒野で出会う人間に、
無害な者などいない。
少女の瞳が、静かに細くなった。




