第58話 少女は、背後に立つ影を選んだ
汝の敵は、どこにいる。
山か、森か、川か。
——いや、違う。
それはいつだって、背後にいる。
「人類は魔物に慣れすぎた。そして今、人の面を借りて化ける魔王が紛れ込んでいる!それを成敗するのが俺の仕事だ!俺を止めるというならば、お前らも魔王の眷属として成敗してやろう!!」
雨の中で、ケイドの声だけが異様に乾いて響いた。
「はあ?!意味わかんねぇ!うちらは生まれも育ちも人間界だっつーの。お前らの方が、よっぽど魔物に近ぇわ!」
「ケイド……前はそんな人間じゃなかったろ」
アルデバの声は、怒りよりも戸惑いを孕んでいた。
「面倒見が良くて、正義感が強くてさ。お前らもだ、なんちゃら団の皆さんよぉ。おかしいと思わねえのか?一人の人間を寄ってたかって。ガキかよ。自分の頭で考えろや」
「考えた結果が、この部隊だ」
ケイドは一歩も引かない。
「あれは魔王だ。力をつける前に……始末しなければならない」
——聞く耳を持たない。
彼の瞳には、もはや“討つべき存在”しか映っていなかった。
「俺らに歯向かうなら、お前らも敵と見なす!!……いいよな、ギルドの嬢ちゃん」
その言葉で、彼の背後に控えていた女性が姿を現す。
ギルドから派遣された監査員——否、見慣れた受付嬢だった。
「…………」
その沈黙に、カペラとアルデバは息を呑む。
毎日、荒くれ者の冒険者を相手にしてきた人間の眼だ。
穏やかな笑顔の奥に、確かな威圧があった。
「……黙認します」
「は?」
ありえない。
秩序を守るはずのギルドが、人同士の争いを認めるなど。
「おい、嬢ちゃん!正気か?!何を根拠に——」
「それがギルドの決定だ」
ケイドは言葉を遮り、声を張り上げた。
「ならば遠慮はいらんな!!行くぞ、お前ら!目の前の眷属を根絶やしにしろ!!」
「「「おおおおお!!」」」
武器が一斉に振り上げられ、雨粒を切り裂く。
「……嘘だろ。あいつら、狂ってやがる」
「飛んで火に入る夏の虫、ってのは……うちらのことかよ」
数も、質も、勝ち目はない。
このままなら——死ぬ。
それでも。
それでもいいと、二人は思ってしまった。
——あいつが、生き延びられるなら。
「ポルックス……せっかくいい相方に出会えたってのに、運が悪いな」
カペラは剣を抜き、
アルデバは背の長槍を握る。
「できるだけ食い止めるぞ。あいつのことだ。この隙に逃げるだろ」
「うちらの死、無駄にすんじゃねーぞ……蛇使い」
再び、鬨の声。
怒号と殺気が、雨の中を走る。
——その瞬間。
二人の前に、壁のような蔦が立ち上がった。
「…………人の就寝の邪魔、しないでくれる? ……迷惑」
低く、苛立ちを孕んだ声。
だめだ。
出てきちゃ、だめだったのに。
仲間なんてどうでもいいと切り捨てるつもりだったくせに。
矛盾してるだろ、馬鹿野郎。
カペラは唇を噛む。
「で、出たぞ!!魔王だ!!」
隊がざわめく。
「ねえ、聞いていい?」
少女は淡々と問いかける。
「あんたらの目的って、なに?」
「……魔王の討伐だ!」
「ふうん……で、その魔王が……わたし、なんだ」
蔦の最上から、少女が降り立つ。
不機嫌そうに眉を寄せて。
「そうだ!お前と、その眷属を討伐に来た!!」
「ふーん……じゃあ、もう一個聞きたいんだけど。 “眷属”って、誰?」
「お、お前が庇った二人に決まっているだろう!!」
「……誰、って聞いてるんだけど」
「後ろにいるだろう!カペラとアルデバだ!!」
「…………カペラ?アルデバ?……っていうか、こいつら、誰?」
——ああ。
悟ってしまった。
こいつは、独りで行く気だ。
全部背負って、置いていくつもりだ。
「というわけで——『さようなら』」
「……さようなら、って……」
嵐のような衝撃。
二人の体は、容赦なく弾き飛ばされた。
——お前は、魔王なんかじゃねえよ。
魔王は、こんなに優しくない。
薄れていく意識の中で、カペラは思った。
最後に見えた少女の背中が、ひどく悲しそうだった……気がした。
………
「……っ」
朝日が、鋭く目を刺す。
カペラたちは、同時に目を覚ました。
周囲では、ケイドの部隊も装備を鳴らしながら起き上がっている。
何が起きたのか、誰にも分からない。
ただ呆然と、雨上がりの森を見回していた。
「カペラ……アルデバ……」
背後から、ケイドの声。
二人は即座に身構える。
——捕らえられる。
だが。
「……すまなかった!!」
ケイドは地面に額を擦りつけた。
「あ?」
「自分でも分からない……なぜ、あそこまで敵意を剥き出しにしていたのか。まるで、別人だった……だが、やったことの記憶はある。だから、謝らせてくれ。本当に、すまなかった」
沈黙。
「この部隊は解散する。俺は冒険者を辞める……それが、俺なりのケジメだ」
「辞める必要はねーよ」
カペラは吐き捨てるように言った。
「続けろ。続けて、善に導け。……もし、あいつが困ってたら、助けてやれ」
「生き様で償え。自己満足で逃げんな」
「……しかし……」
いかにもケイドらしい迷いだった。
「話の途中、すみません」
割って入ったのは、ギルド嬢だった。
彼女の手には、小さな金属片。
「カペラさんたちは、あの方とお知り合い……で?」
「……どうとでも取れ。つるんでたのは事実だが、仲良しじゃねーよ」
「庇う気もねえ」
「それで構いません」
彼女は静かに言う。
「もしお会いできるなら、これを返していただきたいのです」
少女の冒険者タグ。
千切られた跡が、生々しい。
「『しがらみは嫌いだ』と、置いていってしまいました」
——あいつらしい。カペラは、心の中でだけ呟いた。
「会える保証はねーよ。移動手段もなくなっちまったしな」
ポルックスの姿は、もうなかった。
「まあいい。馬盗まれたってことで、あいつに会いに行く理由ができたわ」
「盗難ですか?それでは、ギルドとして、対応は——」
「大事にすんな。被害届も出さねー」
「安い馬だったしな」
徹底して、繋がりを伏せる。
再び“討伐”などと言い出されては、たまらない。
タグを受け取り、二人は門へ向かう。
「じゃあな。追いつけるかは知らねーけど、会えたら渡すわ」
「お気をつけて!あの方は、西へ向かいました!」
「おー、助かる!」
雨上がりの地面を蹴り、カペラとアルデバは走り出した。
——追う理由は、もう十分だった。




