第56話: 少女は、名を持たないまま進むために
さすがに、ギルドに顔を出しすぎた。
覚えられてしまったのだ――顔も、癖も、立ち振る舞いも。
素行の悪さで知られていたカペラとアルデバは、いつの間にか 「優秀な冒険者」と呼ばれる存在になっていた。
功績は、彼女たちのものではない。
それでも、評価だけが一人歩きする。
「本日もご苦労様でした。最近のお二人のご活躍、本当に素晴らしいですね。もう少し腕が上がれば、ランクアップも夢じゃありませんよ」
ギルド嬢は、今日も変わらず柔らかな笑みを向けてくる。
「別に、上を目指してるわけじゃねーし。余計なお世話」
「言えてるー。放っとけっつーの」
このまま勝手にランクを上げられては困る。
いずれ、あいつがいなくなった時――
重くなるのは、首元の縄だ。
そこまで、二人は愚かではなかった。
だが、世間は放ってはくれない。
「凄まじい死闘を繰り広げたって話か?さすがだな。その力、ぜひ俺のために使ってもらいたい」
強引に距離を詰めてくる男。
自称・少女討伐団隊長、ケイド。
ランクA。
木を握り潰すほどの腕力を誇るという噂の男だ。
「心配するな。お前らみたいな素行の悪さでも目を瞑ってやる。だから――魔王討伐団に入れ」
「またそれかよ……人間狩りは趣味じゃねー」
「しつけーんだよ、おっさん。対人戦するために冒険者やってねーんだわ」
「何度も言わせるな!あいつは人間じゃない!魔物……いや、魔王だ!」
ケイドは声を荒げる。
「俺はこの目で見たんだ。あの目つき……今にも人を殺しそうな殺気!あれは間違いねえ、魔王だ!なあ、ギルドの嬢ちゃん!」
必死さの裏にあるのは、恐怖だ。
それを正義の名で包み込もうとしている。
「まだ確証がありませんので……こちらからは、なんとも……」
「なんだと!この俺が見たと言ってるんだぞ!それに、あいつが北の街での報告もーーー」
「勝手にやってろよ」
苦笑いを浮かべるギルド嬢。
一番下の窓口がどうにかできる話ではない。
カペラはアルデバに視線を投げ、「行こうぜ」と短く言った。
ギルドを出ると、街の空気が妙に重たい。
「……武装した連中、増えたな」
「あのケイドってやつ、手当たり次第声かけてんだろ。やっぱランクAって看板は効くんだな」
「見てもねー事実を信じるとか、まじ愚かすぎ」
「蛇使いみたいなこと言ってんじゃねーよ。毒されてんじゃね?」
「ねーわ」
二人は、頼まれている“おつかい”へ向かう。
移動手段の調達だ。
数日前、手頃な価格で馬と荷車を譲ると言ってきた商人がいた。
変な訛りに、過剰な愛想。
北から南へ商いに来たのだと、聞いてもいない話をやたらと並べていた男だ。
「いらっしゃーい。待ってたで」
「うぃーっす。約束通り、買いに来たわ」
「馬と荷台やな。これでえぇか?屈強で体力もある。どこぞの馬の骨より、ずっと役に立つで」
連れてこられた馬は、がっしりとした体躯をしていた。
筋肉も脂もほどよく、毛並みも良い。
速さはいらない。
長く、重い旅になる。
「足、折れたりしねーよな」
「労ってくれりゃ平気や。人間かて休むやろ?重い荷物運ばせるなら、尚更や。虐待になってまう」
「了解。心得た」
アルデバが金貨を一枚、男に渡す。
「毎度ありー。で、この馬でどこ行く予定なんや?」
「出歯亀かよ」
「ええやん、ええやん。縁っちゅうもんや」
詮索が多い。
カペラは苛立ちを隠さない。
「北に行くだけだよ」
「へぇー。わざわざ戻るんか」
「……てめえ、うちらのこと知ってんのか?」
「え!?いやいや、知らへん知らへん。そういう方言や、方言」
信用ならない。
「商売させてもろた手前やけど、北程度なら、こんな強い馬いらんで」
「寄り道すんだよ。………二人だけじゃねーしな」
「さよか」
いらない情報を話しすぎるな、と、アルデバに小突かれ、カペラは口を噤む。
「じゃあ、二人に特典や。地図も付けとくで。役に立つやろ」
「サービスいいじゃん」
「ずーーーっとながーーーいこと付き合っていきたいと思ぅとる…大事なお客さんやからな」
一瞬、男の目が柔らいだ。
誰かを思い浮かべるような、奇妙な優しさ。
「てめえと商いなんか、二度とするかよ」
「残念やな~、怖いわ~」
「何が『怖いわ〜』だ。ふざけやがって」
カペラは鼻をふん、と鳴らし、不満を露わにした。
それは彼女だけではない。アルデバも同じように気に食わなかったらしく、親指の爪を歯で噛んでいる。
苛立ちが募ったときに無意識に出る、彼女の癖だった。
「気ぃつけて帰ってなー。今日はこれから天気が悪ぅなるらしいからのぉ…」
「はっ!関係ねーよ」
「ほなな。また何かご縁があったら商売しよや。それと……3人目の子によろしゅう……な」
最後の一言に、二人は答えなかった。
視線すら向けず、男を背にしたまま、馬の手綱を引く。
ぶるる……と、わずかに反抗的な鼻鳴らし。
それが気に入ったのか、カペラとアルデバは顔を見合わせ、何も言わずに馬の背を軽く叩いた。
「いい馬じゃねーか。度胸もある」
「最高だな、お前」
賢い馬は、人を選ぶという。
優しい声と、労いを向けられるかどうか――
それを見ている。
「あーっと、そうだ。もう一人、会わせたい奴がいるんだ。明日、会わしてやるよ」
「長旅になるぜー。これから、よろしくな!えーっと………名前、どうする?」
「じゃあ、”ポルックス”な」
「それって……」
「いいだろ。新しい仲間に、旧友の名前つけても」
「……そうだな」
「よろしくな、ポルックス」
その直後、空が陰った。
商人の言葉通り、天気が崩れ始める。
「降るな」
冷たい風が頬を撫でる。
「急ぐぞ、ポルックス」
カペラは馬の手綱を強く引いた。
空気はまだ乾いているはずなのに、どこか湿った気配がまとわりつく。
雨が降る前に——そう思っているのは、きっと天気のことだけじゃない。
背後で、雲が低く唸った。
その音を合図にするように、彼女たちは言葉を交わさず、下宿先へと急ぐ。
降り出すのが雨だけで済めばいい、などとは、誰も口にしなかった。




