第53話: 少女は、取引という名の鎖を差し出す
今日は、最悪な日だ。
一年を振り返っても、これほどまでに過去を悔やんだことはない。
――いや、そもそも悪事なんて、手を染めた覚えはない。
ただ、ほんの少し。ほんの少しだけ、やんちゃをして回っていただけだ。
あれは悪事には入らない。きっと、入らない。
それでも。
これは、何かのツケなのだろう。
剣を携えた女騎士、カペラはそう思った。
「……取引、しない?」
目の前に立つ少女は、数日前に――
ほんの、ほんの少しだけ、悪いことを“させてもらった”相手だ。
元々は、こいつが悪い。
うちらの狩場を奪おうとしたからだ。
そう言い聞かせ、開き直ろうとした、その瞬間。
――ポーン。
魔術師仲間の首が、音を立てて宙を舞った光景が、脳裏に蘇る。
何も言えず、カペラは視線を落とした。
「……何が望みだ?」
言葉に詰まる空気を切り裂くように、槍使いのアルデバが強気に口を開く。
だが、少女はアルデバの質問には答えない。
「街の中って、どんな感じ?」
その代わり、強者の視線を送った。
「っ………。魔王が出たって大騒ぎだよ。高ランク者たちはまだ家に帰らず、この辺をうろついてる。明け方まで交渉して、ようやく外に出られるようになっただけ」
「ふーん……」
会話の主導権は、最初から少女の手の内にあった。
取引の目的も、条件も、少女は語らない。
「……街に、戻りたいのか?」
慎重に投げた言葉だった。
今なら、踏み込んでも大丈夫だと思った。
――思った、だけだった。
「は?」
少女の視線が、鋭く突き刺さる。
殴られた記憶は、まだ生々しいらしい。
睨みつけられるだけで、身体の芯が冷える。
男だったら萎み上がる、という表現がふさわしいだろう。
萎むものを持たないカペラは、喉を鳴らし、息を呑み込んだ。
「あ、あの時は悪かった……本当に反省してる!!だ、だから命だけは……どうか……!!」
「心配しないで………」
少女の声は、驚くほど静かだった。
「命なんか取らないよ。あんたたちの命に、価値なんて考えたことないし」
冷え切った声。
凍りつく視線。
有無を言わせぬ態度。
「あんたたちのこと、嫌いだからさ。利用してあげようと思って。だから――取引」
「……取引、って……」
「わたしは北に戻りたい。あんたたちがどうにかして、わたしを北に連れて行って」
その言葉のどこにも、こちら側の得は見えなかった。
「それは………けど…」
「もしかして、メリットとか、求めちゃってる?」
「い、いや!!そんなことは!!」
「そっか」
一拍。
「じゃあ、一個だけ提示してあげる。あんたたちが倒してほしい魔物、わたしが倒してきてあげる」
「……!」
「その代わり、収入の七割は、わたし」
「「え!?」」
「二人だから、1.5割ずつね。仲良く分けて」
「……それじゃ、私たちが食っていけないだろ……」
例えばここに金貨が3枚あるとする。
三人で分ければ、数日は暮らせる。
そこから七割引かれ、さらに分けて――
考えるだけで、頭が痛くなる。
「大変だね」
少女は、すべて分かっていた。
「毎日、わたしと一緒じゃないと生きていけなくなる」
分かっていて、この条件を突きつけている。
「でも、良かったじゃん。わたしなら、どんな依頼でもこなしてあげられる。真面目で立派な冒険者に戻れるよ。評価も、評判も、うなぎ上り。昇格だって、夢じゃない」
「……ま、まじか……」
乗るな、と言いたかった。
だが、うまい話しか並んでいない。
デメリットはただ一つ。
少女と共に生きること。
「……どうする?」
「考える必要、ある?」
選択肢は二つしかなかった。
少女に従い、生活を保障される代わりに、自由を差し出すか。
高ランク者たちに少女を売り、その場限りの金を受け取るか。
だが――
後者に、未来はない。
なぜならば、少女は指名手配されていない。
ギルドは沈黙を貫いている。騒いでいるのは高ランク者のみ。
少女を裏切っても…守ってくれるものは何もない。
「……裏切った時のデメリットの方がでけーわ」
「あの高ランク者たちが束になっても、勝てねーだろうしな」
「あいつが敵側になりゃ、全滅だろ」
少女と別れた後、二人は夕暮れの中で言葉を交わした。
「……一択だな」
「一択」
善も悪も、どうでもいい。
生き残るための選択だった。
「……犯罪者だな、うちら」
「今更だろ」
「ウケる」
「ウケねーわ」
結論は、一致していた。
少女の下で生きること。
収入を差し出し、代わりに明日をもらうこと。
肩を落とし、二人は夕日に目を細めた。
子悪党のような台詞を吐く日が来るとは、思ってもみなかった。
少女は、取引という名の鎖を、静かに差し出していた。




