第52話: 少女は、正義の外側に立たされたまま
今年のワイバーン襲来は、脅威ではなかった。
――新聞の一面は、そう断じていた。
大きな被害はなし。
怪我人も、わずか。
作物も畜産物も無事。
あぶれたワイバーンが東西のエリアに出現した、という小さな記事が添えられているだけで、街並みに深い爪痕は残らなかった。
自分たちの手で修復できる程度の、軽微な損傷。
川の流れが元に戻るように、すべては平穏のうちに終わった――
そう書かれていた。
「……で、みんなハッピー。おしまい。それが今回の結末」
淡々としたデネラの声が、紙面の言葉をなぞる。
「だから俺たちの方に流れてこなかったってわけか。例年より稼ぎが少ない理由は分かったけどよ……納得できるかって言われたら別だな!!」
「納得するしかないよ。実際、起きちゃったことだもん」
一拍置いて、デネラは慎重に言葉を選んだ。
「その場にいた冒険者たちは、もうナナシちゃんのことを“人間”として見てなかった。魔物を率いる王――魔王、って認識してたよ」
「……あいつは、人間だ」
「知ってる。でも……もう無理だよ」
「テイマーって職業があんだろ?なんで、あいつらには何も言われないでナナシだけが…」
「でも、あの子の場合は…一匹だけじゃないから。異例でしょ…」
リブとデネラの間に、重たい沈黙が落ちる。
「数日もすればギルドに報告が入る。複数の魔物を操り、人類の暮らしを脅かそうとした存在がいる、って。そんなの、ギルドが黙って置いておくと思う?」
「……」
「除名だろうね。冒険者の証も、消える」
「……唯一の……あいつが、あいつである証拠が……」
「消えるってこと」
ひどい話だよね、とデネラは小さく呟いた。
それは感情であると同時に、冷たい事実だった。
「一般人のあたしらが何を言っても変わらない。権限がなさすぎるんだよ」
「けど、おかしいだろ……!ナナシがいなきゃ、被害はひどかったはずじゃねーか……!」
「守りたいのは、秩序と正義」
「そんなもん、守りたくもねえな」
少女は南部で、ほとんどのワイバーンを排除した。
マンドラゴラを操って。
それから、彼女の安否を示す確かな情報はない。
だが、噂すら流れてこないということは――
高ランク冒険者たちの手から、逃げ切ったのだろう。
あの数のマンドラゴラを操れるのだ。
身体的な無事は、疑うまでもない。
けれど。
心に残った傷は、決して軽くはない。
「正義って、人それぞれだからさ」
ぽつりと、デネラが言う。
「同じ正しさなんて存在しない。だから人は前例を欲しがる。なにがダメで、なにが許されるのか……それで線を引く」
「……ナナシは、悪に分類されるのか?」
「自分を守ろうとしない限り、そうなるだろうね」
「……あいつ、自分のこと、うまく説明できないだろ」
「居づらくなるね……」
二人は同時に、深く息を吐いた。
「で……あいつ、今どこだ?」
「それが分かれば、いいんだけど。たぶん……」
―――
少女は、南部に留まるしかなかった。
帰りの馬車は、すでに出てしまっていたからだ。
これも全部、高ランク者たちのせいだ。
胸の奥で、黒く澱んだ感情が静かに渦を巻く。
「……最悪」
攻撃は、すべてマンドラゴラが制御してくれた。
これ以上の面倒事はごめんだ。
人は傷つけない――
その意思を汲み取り、相手を戦闘不能にするだけで、静かに役目を終えた。
「………」
閉ざされた門の前で、少女は立ち尽くす。
街には、入れない。
門兵もいる。
行き先も、食いぶちもない。
片道切符だけを渡されたような感覚。
「……最初から、来なければよかった……」
後悔が、重たく胸に沈む。
「来たくなかったのに……」
そのとき、門の向こうから声がした。
――まずい。
人に会いたくない。
これ以上、視線や言葉を浴びたくない。
少女は、森の中へと身を滑らせた。
「やーっと規制解除だな! 朝から粘った甲斐あったわー」
「うちらが一番乗りじゃね?」
「ほら、やっぱり。まだワイバーンの死体、残ってんじゃん。回収♪回収♪」
「いくらになるか楽しみすぎー」
茂みの隙間から、二人の女騎士が見えた。
ワイバーンの死体を、小型ナイフで切り刻んでいる。
「……あいつら……」
見覚えがある。
忘れられるはずがない。
あのとき――
自分に馬乗りになり、笑いながら殴ってきた女たち。
「………」
少女は、しばらく黙って考えた。
そして、ひとつの考えが浮かぶ。
ふっと、口角が上がった。
――怯える必要なんて、ない。
少女は、あえて茂みを揺らした。
「……久しぶり。覚えてないわけ、ないよね?」
「なっ……!! お、お前……!」
「ひっ……!!」
彼女たちの顔に、はっきりと恐怖が浮かぶ。
記憶は、確かに残っているようだった。
ちょうどいい。
少女は、静かな悪意を滲ませた笑みを浮かべ、
一歩、また一歩と近づいていく。
正義の外側で。
少女は――
自分の足で立つことを、選び始めていた。




