第5話: 少女は、初めて街に繰り出す
街へ入ったらしい。
けれどリブは、あえて人の気配の薄い道へ足を向けた。
路地の隙間から覗く一本先の通りでは、人影が絶えず揺れている。
「……」
祭りでもあるのだろうか。
陽気な音楽が遠くで弾けている。
あちらでは浮き立つような騒ぎが続いているのに、自分たちは荷車を引いて静かな裏道へ。
「なにその顔。どこ行くのか気になってるでしょ?教えたげる。商人に会いにいくのよ」
少女の眉の動きを読み取ったのか、デネラが振り向きざまに笑った。
すぐにリブも口を開く。
「俺がギルドで受けた依頼の帰りに薬草を拾ってくんだ。親父がそれを薬にしてな。売り先の商人は、まぁ……胡散臭ぇけど、長い付き合いで融通利かせてくれる」
街のざわめきから少し逸れた場所。
枯れた噴水が置き去りになった広場 —— 行き止まり。
まるで別の世界のように、音だけが遠い。
「胡散臭いは余計やで」
雑多な骨董品が店先にあふれる、その前で台車が止まる。
「ヴルさん!」
「声でかいわ。ここ、よう響くねん」
真紅の外壁に切られた窓から、ひょいと男が顔を出した。
笑い皺ごと表情が固まったような、ひどく癖のある笑みを浮かべている。
「いらっしゃーい。今日もぞろぞろ。相変わらずやな」
黒髪を短く刈り、前髪だけ器用にそろえた奇妙な髪型。
細めた目の奥が何を考えているのかは、誰にも読めない。
「ん?見ん顔がおるやんけ」
訛りまじりの軽い声。
笑みは変わらないまま、ヴルの視線だけがじわりと熱を帯び、少女の足先から首元までをゆっくりとなぞる。
その長い視線に、少女の肩がわずかに強張った。
「……」
「俺ん家で保護してるだけだ。わけありだ。詮索はすんな」
リブが割って入ると、ヴルは扇子の陰で喉をくつくつ震わせるように笑った。
「そら残念やなぁ。ええ子やのに。ほれ、その……手放すときは声かけてくれたらえぇ。うち、買い手……いや、引き取り先には困らんで?」
冗談めかしたその言葉は、軽いようでどこか湿気を含んでいる。
笑みの奥の瞳だけが、ひどく冷たく、そしていやらしいほどにねっとりと少女の輪郭を追っていた。
少女は耐えきれず、そっとリブの背に隠れる。
ヴルはそれを見ると、楽しげに目を細める。
「かいらし子やなぁ。……大事にしぃや?」
その言い方は「物」を扱う時の声音だった。
柔らかいのに、底がざらついている。
「行こ。荷物おろすよ」
デネラに腕を引かれ、少女が裏手へ歩き出す。
その細い後ろ姿を、ヴルは扇子を口元に当てたまま、ゆっくりと舐めるように目で追った。
口角が、わずかに濁った笑みの形に歪む。
「……ええなぁ。ああいうの、久しぶりやわ」
聞こえたのか聞こえなかったのか。
その“独り言”は、人を品定めするときの匂いがしていた。
「中、入るぞ」
「ああ、ええで。散らかっとるけど」
「いつもだろ」
軋む扉を押し開けると、薄暗い店内には積み重ねた骨董品と歪な魔道具が無秩序に並んでいる。
乾いた革と錆の匂いが混ざり合い、どこかしら崩れ落ちそうな危うさが漂っていた。
リブは埃を巻き上げる足音と鈴の音を響かせ、店の奥へ進む。
最奥の机に、ヴルが陣取っていた。
「これ、今週分」
どさりと机に置かれた袋は、思ったより重さがあった。
「傷薬30、頭痛薬20、風邪薬15、腹痛薬5……いや〜売りがいあるわ」
台帳を確かめ、伝票を切り取る。
「ほい、いつもの金額。それとおまけな」
袋に入った金と、赤い光を宿した魔石。
それを見た瞬間、リブの目が少年のように輝く。
「……え?これ、いいのか?!」
「お湯でぇへん言うて困っとったやろ。炎魔法の魔石や。繋ぎとしては十分やで。たまたま手に入ってな」
「やべぇ……助かる」
「風邪ひかれて倒れられたら商売できひんしな。あったか〜くして使い」
「ありがとう」
「親父さんによろしく。それと、後ろの女の子にもな」
魔石をポケットにねじ込み、リブは裏口へ向かった。
「親父には言うけど……あれは知らねぇ」
倉庫に台車を押し込み、空になった荷台を見届けたリブは、湿気交じりの空気の奥に漂う気配に背を冷やしつつ、言葉を続ける。
「このままギルド行くぞ」
「ナナシちゃんの身元、聞くの?」
「ああ。依頼が上がってるかもしれねぇし」
「ギルドなら情報あるもんね。きっと何か分かるよ」
勝手に流れていく空気が気に入らないのだろう。
少女はようやく唇を開いた。
「……別にいい」
「お、喋った!」
「わたしが誰であっても、関係ない」
「お前の意見は聞いてねぇ。俺の気持ちが悪いんだよ」
「……」
「お前が犯罪者だったら、俺らが迷惑かぶるんだぞ」
「じゃあ出てく」
「そうじゃねぇって……くそ。俺が納得したいだけだ」
熱が上がりかけた声を自覚して、リブは息を整える。
「……あんたがそれで満足なら」
興味は薄い。
けれど争いはもっと面倒だ。
少女の紫の瞳に影が揺れ、すぐに引いた。
「良かったじゃん、ナナシちゃん!これで帰る場所が分かるかも!」
二人が先へ進む背を、少女は細く睨んだ。
その声は、ほとんど吐息のように低かった。
「……どいつもこいつも……勝手だよ」




