第48話: 少女は、星に帰り、毒を選んだ
また、この場所に辿り着いてしまった。
少女は重たい足を引きずりながら、こみ上げる不快感を唾と一緒に飲み下す。
喉の奥がひりつき、胃の底がひっくり返りそうになる。
それでも、立ち止まることはできなかった。
一歩、踏み込んだ瞬間。
夜空でもなく、地上でもないその場所で、星々が一斉に瞬いた。
逃げ場のない光。
祝福の形をした、過剰な歓迎。
――どう足掻いても、こっそり、は無理らしい。
「おかえり」
背中から、懐かしい声が落ちてくる。
振り返ろうとした、その刹那。
背後から伸びた手が、少女の動きを制した。
柔らかく、けれど温度のない手。
抱くには優しすぎて、拒むには遅すぎる感触。
「……ただ、いま」
声が、少しだけ震えた。
自覚した途端、呼吸が浅くなる。
心臓の音が、やけに大きく耳に響いた。
「珍しいね。そんな風に動揺するなんて」
アストレイルの声は、いつもと変わらない。
穏やかで、慈しむようで、残酷なほど優しい。
「別に」
短く返し、少女は視線を落とす。
何事もなかったかのように、その場にうずくまり、胸に抱いていた鉢植えを地面へ置いた。
土の匂いが、微かに立ち上る。
「ああ、その子……元気になったんだね」
「……うん」
「旅行は、楽しかったかな?」
「そこそこ」
嘘ではなかった。
ただ、真実でもなかった。
最後に見た顔を、思い出せない。
正確には――思い出すのが、怖かった。
「この子を、セルのように連れ出せるようにしたい。……そう思って、戻ってきたんだろう?」
図星だった。
なのに、少女はまだ振り返れない。
見られないのではない。
見る勇気が、ない。
隠す必要なんて、どこにもない。
恥じることでもない。
他の誰かと肌を重ねることなど、かつての自分にとっては日常だった。
――それでも。
この男が向ける感情だけは、違った。
甘く、深く、逃げ道を塞ぐような愛情。
気づかぬうちに、少女の思考を侵食していた。
「……できるの?」
掠れた声で問う。
「できるよ」
星々の光を映す地面に、少女の影が落ちる。
背後から、アストレイルが覆いかぶさる。
まるで星を抱くように、逃がさない距離で。
「君が、私のものでいる限り」
その言葉が、胸の奥に沈んだ。
音もなく、確実に。
カチリと針が動く音がした。
――ああ、と少女は思う。
変わる。
じゅくじゅくと広がる感覚。
毒のようで、救いのような、醜い感情。
――この子が、もっと強ければ。
――弱いから、自分が巻き込まれた。
――自分を犠牲にしてまで、守る価値はあるのだろうか。
淡く、少女の瞳が光る。
「……もっと、強くできる?」
振り返る。
そこには、出会った頃と何一つ変わらない光があった。
すべてを許し、すべてを奪うような、完全な輝き。
「もちろん」
アストレイルは、マンドラゴラへ手を伸ばす。
小さな命は、それを拒むように、拙いツルを振り回した。
「どうする?」
「……やって」
食い気味に、冷たく言い放つ。
その声音に、迷いはなかった。
アストレイルは満足そうに頷き、言葉もなく光の渦を展開する。
マンドラゴラを中心に、星々が回転を始めた。
「君も、今日からこの子の守護者だ」
光が、収束する。
凄まじい雄叫びが響き渡る。
アストレイルの手が、少女の耳を塞いだ。
逃げ場を与えない、確かな動作。
少女は、反射的にその首へ腕を絡めた。
逃げ道を探すようでいて、確かに縋る仕草。
「……して」
吐息に溶けるほど小さな声。
けれど、迷いのない意思だけが、はっきりとそこにあった。
「いいよ」
塞がれていた耳の奥で、鼓動が鳴る。
次の瞬間、唇が触れ合った。
一度、確かめるように。
離れて、また重ねる。
長く、切なく、呼吸を奪うほどに。
熱を含んだ吐息が混じり合い、
星々の光が滲む。
何度も、何度も。
時間の輪郭が溶けるまで。
それは、星の輝きがようやく静まるまで、
終わりを知らないまま、繰り返された。
少女は、その光の中で――
自分が何を差し出したのかを、まだ正しく理解できていなかった。




