第45話: 少女は、星の眠る場所に立っていた
「……なんやの、これ」
森へ足を踏み入れた瞬間、ヴルの口から漏れた一言だった。
彼にとっても、この森に夜入るのは初めてだ。
夜になるとこんなに印象が違うのか…。
恐怖さえ覚えるその森。
ただ暗いだけの夜空だったはずが――違う。
異様なほど、星が多い。
「星が……増えとる。こんなことって、あるんか?」
呆然と空を見上げるヴルを横目に、少女は答えない。
ただ、迷いのない足取りで奥へと進んでいく。
「ま、待ってや!どこに行くねん!」
「……配置が、変わってる」
「は?」
背後から、ぞわりと這い寄る感覚。
「なに言うてんねん」
森そのものが、星に覆われていくような錯覚。
――見られている。
……観測者が、きた。
「あ?」
ヴルは、確かに何かを聞いた気がした。
「今、なんか言ったか?」
「……なにも」
少女がぽつりと答えた、その瞬間。
空の星々が、ぎゅるりと回転を始める。
線を描き、結び合い、輝きを増していく。
まぶしいほどの、生命の光。
「な、なんやねん……!!」
ヴルの背筋を、恐怖が駆け抜ける。
危険な橋なら、これまでいくつも渡ってきた。
だがこれは――
死を連想させる異常だった。
冷や汗が滝のように流れ、思考が鈍くなる。
それでも。
少女だけは、静かだった。
周囲を見渡し、
そこに立ち尽くし、
ただ星を受け止めている。
ぽつり、ぽつりと。
星々の光が、地上へと降り積もる。
空に刻まれる、星図。
地上に映し出される、星図。
少女は動かない。
見上げるだけだ。
柔らかな紫の髪は夜に溶け、
星を宿す瞳は、宝石箱のように深く澄んでいる。
ひとつ、呼吸をする。
その呼吸に合わせるように、
地上の星々が、空の星の動きとゆっくり同期し始めた。
触れず、
操らず、
命じもしない。
星々はただ、時計の針のように巡り、止まる。
「ここは……星々が眠る場所。わたしは、一度ここに来たことがある」
空の星が、一瞬、静止した。
鍵が、正しい穴にはまったように。
風が止む。
森の音が、消える。
「……きた」
ひとつの星が、落ちるように瞬いた。
森の根が、脈打つ。
そして――
そこに、今までなかったはずの大樹が現れる。
「……星樹」
少女は、眠るマンドラゴラをそっと地面に置いた。
『久しいな』
木の割れ目から、初老の声。
口のような木目が歪み、葉がざわめく。
「ここにも、いたんだ」
『星は違えど……』
「へえ……」
少女は、感心したように息を漏らす。
「わたしのこと、分かる?」
『星々が、覚えている』
「相変わらず、分かんない言い方だね……まあいいや」
少女は小さく笑い、続ける。
「ねえ。あんたの力で、この子を元気にして。できるでしょ?」
葉が、ぶるりと震えた。
『いかにも』
大樹は、星の光のような淡い輝きを葉に宿す。
風が吹く。
命を分け与えるように。
優しく、頬を撫でる風。
「……ぷ?」
マンドラゴラが反応する。
その身体は、みるみる力を取り戻し、
出会った頃の、きらきらした瞳を宿した。
『姿形は変われど……魂の形は変わらぬ』
「……なに、それ」
『はるか昔の話だ』
少女は、問い返さない。
ただ、マンドラゴラを再び腕に抱き上げる。
マンドラゴラは微笑み、葉を揺らした。
「……よかった」
星が、再び動き出す。
何事もなかったかのように、
静かに、元の軌道へ。
気づけば、大樹の姿は消えていた。
最初から、何もなかったかのように。
森は、ただの森に戻る。
「……なにが起きたんや?」
沈黙していたヴルが、ようやく声を出す。
少女は振り返る。
「起きた。……それだけ」
「はあ?」
人の理で説明できないこと。
だから少女は、簡潔に言った。
そう――
ただ、起きた。
それだけだった。




