第42話: 少女は、夜の余熱を背に置いた
性交渉のにおわせありです。
苦手な人はご遠慮ください。
ヴルの生活拠点は、二階にあった。
一階は商いの場で、奥に倉庫。
そしてその上に、私的な時間だけが滞留する居住空間がある。
夜明け前に目を覚ましたヴルは、鼻歌まじりにベランダへ出た。
薄く衣を羽織り、慣れた仕草で煙草に火を点ける。
「……はぁ」
胸の奥から息を吐き出す。
欲しいと願ったものを、手に入れた――その事実だけが、静かに満ちていた。
感謝するように、甘美な朝を味わう。
昨夜の熱は、まだ身体のどこかに残っている。
吸いつくような白さ。
伏せられた紫の瞳。
声にならない吐息。
思い返すたび、記憶が温度を伴って蘇る。
「……最高の朝やな」
吐き出した煙が、冬の空に溶けていく。
そのとき、下から無遠慮な声が響いた。
「おーい! ヴルさーーーん!!」
現実に引き戻されるように、ヴルは舌打ちをする。
「あんの坊主……」
朝の静けさを壊す来訪者に悪態をつきながら、声を張り上げた。
「静かにせぇや!まだ寝とる時間やろが!」
慌てて身なりを整え、一階へ降りる。
物音を立てすぎないよう、足取りは自然と忍びやかになる。
――まだ、少女は眠っているのだから。
裏口から出ると、勝手知った様子でリブとデネラが倉庫に荷を運び込んでいた。
「朝っぱらから元気やな」
「納品は毒消し十本だろ?あとは――」
ヴルは確認もせず、小袋をじゃらりと鳴らして差し出す。
「これ、持ってき」
「……多くね?っつーか、商品の確認もまだだし…」
「しばらく留守にする用事ができてな。先払い、や」
「いや、でも――」
「えぇから!ほな、またな!親父さんによろしゅう!」
それだけ告げて、ヴルは一方的に扉を閉めた。
「……機嫌、悪かったか?」
「はぁ……リブ。察しなよ。大人には、大人の事情ってもんがあるの」
デネラは、ヴルの身にまとわりつく、いつもとは違う甘い匂いを見逃さなかった。
***
二階の寝室へ戻ると、毛布を肩に掛けた少女が立っていた。
無造作に束ねられた紫の髪は、昨夜とは違う静けさを帯びている。
――妙に、目を引く。
「あ、起きたん?」
「シャワー、貸して。……べたつく」
伏せた視線の奥、首筋に残る淡い痕がちらりと覗いた。
それを見て、ヴルは声にならない息を喉に押し込める。
「えぇで。使い方分からんやろ。――一緒に入るか?」
「いらない。急いでるって言ったでしょ」
「時短になるやん。わいも、ちょうど入りたかったんやし」
「……絶対に、いや」
拒絶の色を含んだ声。
それでも、ヴルの腕は少女の腰に回っていた。
抗う力は弱く、やがて二人の影はシャワー室の奥へと消えていく。
短く終わるはずだった時間は、思いのほか長く流れた。
*
「やめてって、言ったじゃん」
「その割に、ノリノリやったやん」
返事はない。
少女は手早く身支度を整え、視線を合わせようともしなかった。
その背を見つめながら、ヴルは名残惜しさを覚える。
逃げるように階下へ向かおうとする細い腕を、思わず掴んだ。
「どこ行くん?」
「離して。大事なものを取りに行くの。東に行く理由は、それ」
「……わいも行ってえぇ?」
「だめ。それだけは、だめ。絶対に――怒られるから」
「誰に?」
一線を越えると分かっていながら、問いは零れた。
「……この世界の、神様」
意味が掴めない。
問い返す前に、少女はするりと腕を抜け、店の入口へ向かう。
「あ、この鉢植え。ちょうだい」
売れ残りの小さな鉢を手に取る。
「えぇけど。……いつ戻るん?」
「すぐ」
それだけ残し、少女は朝の街へと消えていった。
「……はぁ」
ヴルは深く息を吐く。
掴んだと思ったものほど、容易くすり抜ける。
それでも――
この手から離したくない、という欲だけが、確かに疼いていた。
「捕まえとくんも、一苦労やな……」
謎を孕んだ少女を思い、
ヴルの悪癖は、静かに目を覚まし始めていた。




