第4話: 少女は、荷車を押して街を見る
朝一の仕事に取りかかろうと、リブはユウゴの仕事部屋をがさごそと漁っていた。
「親父、今日はこれでいいか?」
「……ああ、構わない」
戻ってきたリブの腕には、少し大きめの箱が二つ。
その重みをものともせず、少女へ目だけで合図を送る。
「ナナシ。暇なら手伝え」
「『名無し』はないだろう。もう少し優しい呼び方はないのか」
「名前を言わないならナナシだろ?本当の名前を言えばすむ話だ」
少女は沈黙のまま。
肯定も否定もしないその態度に、リブは「だろ」と淡々と肩をすくめた。
家の中を右往左往しながら、リブは「あれ、どこだよ」とかすかに苛立ちを漏らし、
今にも取れそうな玄関のドアを何度も開け閉めする。
「それより親父、荷車はどこだ?見当たらねーけど」
「ああ……今日だったな」
ユウゴは申し訳なさそうに、玄関とは反対側の小さな扉から外に回っていく。
「なんで毎回、同じ場所に置かねーんだよ!」
怒声が狭い家に響いた。
家そのものが薄い壁でできているせいで、声はすぐに空気を震わせる。
「顔を洗え。しゃんとしろ!」
リブは手近のタオルを少女へ投げた。
水気をたっぷり含んだ布は、ぱしゃり、と少女の頬にそのまま貼りつく。
少女は、瞬きもせずじっとしている。
「……マジかよ」
渋々、リブはタオルを受け取り、少女の頬を乱暴に拭った。
「子供かよ」
ぶつぶつ言いながら、濡れタオルをユウゴへ投げ返す。
「おいおい、荒いな」
タオルはユウゴの胸に吸い付くように当たり、そのまま床へ落ちて土埃をまとった。
「これじゃ使えんぞ」
「親父がキャッチできねーからだろ」
「……俺のせいか」
肩を落とすユウゴを、リブは呆れたように睨む。
「その辛気臭い顔でも、人の役には立て。……ただし、昨日のの手段は使うな」
そのまま少女の腕を取って引き上げる。
「荷車、前に出した。これ全部、上に乗せろ。落とすなよ」
外はもう光が強かった。
少女は眩しさに目を細め、淡く顔をしかめる。
「突っ立ってねーで、早く」
少女は無表情のまま、箱に手をかける。
小柄な身体には重いらしく、持ち上げるまでの動きが、ほんの少しだけ鈍かった。
「おはよーさん。今日も元気だねぇ。あんたの声、うちまで聞こえてたよ。ほい、朝採り野菜の直配」
「おはよう。ありがとな、デネラ」
「困ったときはお互い様だよ!」
籠には朝露の光る野菜が色とりどりに詰まっていた。
陽の光を浴びた緑と赤と黄が、宝石のように見える。
藁帽子に泥の跳ねた服、汗ばむ首元――
デネラと呼ばれた少女は、働き者の気配を全身にまとっていた。
「デネラ。俺の幼なじみだ。農家なのに、ずっと魔法に憧れてる。いつか魔法使いになるって、本気で思ってる、変わったやつだ」
リブは籠を少女へ預ける。
「玄関脇に置いとけ」
少女は言われた通り歩き出す。
その背を見て、デネラが眉をひそめた。
「全部聞こえてるからね!」
「いって!」
つねられた腕を押さえ、リブは小声で「こえー」と嘆く。
「で、その子は?」
戻ってきた無名の少女と目が合い、デネラはにかっと笑った。
少女は反射的に視線を逸らす。
「昨日転がり込んだ、死にたがりだ。名前も言わねぇから『ナナシ』」
「ネーミング、ひど」
「可哀想なら、お前がつけてやれ」
「冷たいね、ほんと」
デネラは呆れながらも、ふっと優しい目になった。
「まあ、ちょうどいいや。今日はあたしも手伝うよ。その子、見てらんない」
「は?仕事は?」
「お母さん達には、なんとでも言えるよん」
デネラは少女の前に立ち、重たい箱をひょいと持ち上げた。
「雑にすんなよ!」
「女の子に重労働押し付ける男、見てるとムカついちゃってねぇ」
言い返せないリブは、荷車の後ろにまわる。
「よし、行くよ!」
先頭はデネラ、後ろにはリブ。
荷車はガタンと揺れ、石畳をきしませながら進んでいく。
「これ、もう少しで壊れるよ」
「しょうがねーだろ。今月も厳しいし、新調はまだ先だ。壊れるまでは……まあ我慢だな」
木製のタイヤは、砂と石に削られ、いつ折れてもおかしくない。
それでも彼らは、当たり前のようにその上に暮らしを積んでいく。
強い陽光の下、三人の影がゆっくりと伸びた。




