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ナナシと呼ばれた魔法使いが、神に拾われ魔王と恐れられるまで  作者: こいち


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第38話: 少女は、差し出されなかった手を覚えている

レインは、あの日。

少女の手を握れなかったことを、今も後悔していた。

別れた直後、踵を返し、路地裏へと戻った。

少女の姿を探して、影を辿り、息をひそめて歩いた。

けれど、面影も、香りも、そこには何ひとつ残っていなかった。


――救いたい。


それは嘘ではない。

胸の奥から湧き上がるこの衝動は、

きっと、少女への好意と呼ばれるものだった。

だが現実は、願うほど単純ではない。

あれから一週間。

レインは一度も、少女に会えていなかった。


「おい、落ちこぼれ」


夕方。学校帰り。

いつものように、わざと路地裏を選んで歩いていた時だった。

西日が建物の隙間に沈み、長い影が地面を這う。


「……僕のこと?」


振り返ると、そこには自分よりも背丈のある、屈強な同級生が立っていた。

レインの通う学校は、貴族のための名門だ。

右を向いても、左を向いても、選ばれた家柄の人間ばかり。

不自由のない世界で、彼らは競うように学び続けている。


「お前以外にいねぇだろ。迷惑なんだよ。俺の邪魔ばっかしやがって」


「……邪魔なんて、していないよ」


レインは微笑んだ。

それは挑発ではなく、どこか哀れみを含んだ表情だった。


「三男のくせに……!どれだけ出来が良くたって、家は継げねぇだろ!さっさと日陰で生きてろよ!」


レインは、ただ自分に与えられたことを、当たり前にこなしていただけだ。

だがその「当たり前」は、他者の劣等感を刺激する。

誰も、レインには勝てない。


「僕は忙しいんだ。君の相手をしている暇はない」


少女に向ける柔らかな顔とは違う、冷えた声音。


「うるせぇ!!」


鈍い音が響いた。

――脳が揺れる。

言葉でも、立場でも敵わないなら、

残るのは暴力だけだった。

頬は赤く腫れ、じわじわと熱を帯びる。


「……なに、してるの?」


壁に背を打ちつけた、その瞬間だった。

聞き覚えのある声が、路地に落ちる。


「……!」


「人、呼ぶ?」


感情の起伏を感じさせない、淡々とした声。

出会った頃と、何ひとつ変わらない。


「くそ……消えろ!女!」


顔を見られることを恐れ、男は逃げるように去っていった。

路地裏には、レインと少女だけが残された。

少女は、汚れた地面にためらいなく腰を下ろす。


「痛い?」


「……いた、くないよ」


「うそ」


少女はそう言って、レインの頬に触れた。


「いたっ」


「ほら。痛いじゃん」


指先が触れた場所は、ひりひりと疼いていた。

熱を持ち、主張するように。

少女は立ち上がり、離れようとする。


「冷やすもの、持ってくる」


「……いや」


レインは、思わず少女の腕を掴んでいた。

折れてしまいそうなほど、細い腕。


「行かないでほしい」


この手を離したら、

もう二度と、彼女を見失ってしまう気がした。

少女は呆れたように立ち止まり、代わりにレインを立ち上がらせる。


「お互い、大変だね」


ふわりと、身体が浮いた。

足元が定まらず、気づけば少女の肩口に額を預けていた。


「……そう、だね」


囁くような声が、すぐそばで揺れる。

甘い香りが、息をするたびに胸の奥へ落ちてくる。

離れなければならないと分かっているのに、この距離を失う想像だけで、心がざわついた。

香りも、温度も、触れている感覚も。

今はすべてが、過剰なほど鮮明だ。

気づけば、指先が少女の腰に触れていた。

抱き寄せるほど強くはない。

けれど、確かに――触れている。


「……ん」


かすかな吐息が、耳元で零れる。

その声に、胸の奥がきゅっと締めつけられた。

はっとして、レインは身を離す。


「ご、ごめん!」


少女は何も言わない。

ただ、紫の瞳でじっとこちらを見つめていた。

逃げるでも、拒むでもなく、揺れる光だけを湛えて。


「……い、いの?」


喉が鳴る音が、やけに大きく響いた。

少女は、答える代わりに、静かに目を閉じる。

引き寄せられるように、唇が触れる。


一瞬だけ。

けれど離れがたく、もう一度、そっと重ねた。


角度を変えると、吐息が混じり合う。

熱を帯びた息が、頬の痛みさえ曖昧にしていく。

時間が、溶けていく。

言葉も、理性も、境界線も――

すべてが曖昧になるほど、静かな一瞬だった。

少女の腕が、レインの首に回った、その時。


「……ごめん」


レインは、ぽつりと呟いた。

少女は目を開け、何も言わずにこちらを見る。

紫の瞳は、問いも責めも含まないまま、ただ静かだった。


「なんで謝るの?」


沈黙が、路地裏に落ちる。

さっきまでの熱は、嘘のように引いていた。

それでも、消えないものがある。

胸の奥に残った、鈍い痛みと、後悔と、名づけられない想い。


「君を守るって言っておいて……僕は、君のことを……ごめん」


「謝らなくていいよ」


「違う。僕は君とそういう関係になりたいわけじゃない。もっと…もっと深くで繋がりたい」


「………買いたいの?」


「そうじゃなくって…いや、もし、そうだとしても…」


レインは、もう一度だけ少女を見た。

触れない距離で、踏み込まない場所から。


「君の触れる手に、愛はない……でしょ?」


答えは、なかった。


「僕が弱っていたから。慰めるための行為……そうだよね?」


少女は少し考えるように瞬きをしてから、

小さく、気配だけで頷いた。


「……だめだった?」


伝わらない。

この気持ちは。

それが、少女の生きてきた日常なのだろう。

求められれば、身体を差し出す。

それが当たり前の世界。


「君は……それでいいの?」


「……」


「“あの男”からも、強要されてるんでしょ?」


「違う……」


以前、別れ際に聞こえた声。

少女は、その記憶に顔色を失っていた。


「違う。違うから」


何度も、首を振る。


「聞いて。お願いだ。こんなことをした僕に、君を諭す資格はない。でも……辛いなら、話してほしい。僕は、君を助けたい」


「やめて」


拒絶の響き。


「だって、僕は、君のことが――」


「……言わないで」


踏み込むな、と。

その瞳が訴えていた。

レインは、言葉を飲み込む。


「……君が辛くない場所を、僕は作る。作るから……どうか、僕を嫌いにならないでほしい」


そっと、手を伸ばす。

一瞬、少女の身体が強張る。

けれど、悪意がないと分かると、ゆっくりと力が抜けた。

レインは、固く閉じられた少女の手を、両手で包む。


「……また、話しに来てもいい?」


「……いいよ」


その返事は、消え入りそうなほど小さかった。

だいぶ話数がたまってきてしまったので、毎日投稿はじめます

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