第32話: 少女は、君臨されし花の女王を配下に置く
昔、むかし。
あるところに、ひどく大きな力を抱え込んだ「花の女王」がいました。
女王の命は、世界の風よりも強く、季節の移ろいさえ従わせるほどでした。
けれど、その胸の奥には、ぽっかりと穴があいていました。
埋めたくて、埋めたくて。
女王は、命令を繰り返しました。たくさん、たくさん。
命じれば命じるほど、魔物は怯え、人間は離れていきました。
最後に残ったのは、広い世界の中央にたった一人、彼女だけ。
そんな女王に、ひっそり近づいていく影がありました。
幼い少女でした。
「大丈夫、大丈夫。痛いことなんて、しないよ」
少女の声は、古い土の匂いみたいに静かで、温かかった。
「わたしが守るから。だから、君もみんなを傷つけないで。そうしたら……きっと、みんな君を好きになるよ」
女王は、その言葉だけを信じることにしました。
そして――
自らの力をゆっくりと分け与え、小さな、小さな花の姿へと変えていったのです。
かつての威光とは程遠い、手のひらにおさまるほどの花。
人も魔物も傷つけられないよう、そう姿を変えたのでした。
それ以降、人々はその花を「マンドラゴラ」と呼ぶようになりました。
いまも、この土地のどこかで、そっと根を張り続けています。
* * *
「今日の分の薬は……これで足りるか?」
ユウゴの部屋をノックしながら、リブは木箱を腕に抱え直した。
「ヴルのところへ行くのか?俺が行こう」
「いや、一人で十分だ。重いもんでもねぇし」
ユウゴは静かに眉をひそめた。
「病み上がりに無理をさせる気はない。……それに、ヴルに少し用事があってね」
「めずらしいこと言うじゃん」
リブが箱を持ち上げようとした、その時だった。
――ズン、と地の底を殴るような衝撃が家全体を揺らした。
「「……っ!?」」
揺れに足をとられかけながらも、リブはなんとか薬箱を死守した。
稼ぎが散らばるところだった。
「大丈夫か」
「ああ。親父は?」
「本が崩れただけだ。怪我はない」
ユウゴの部屋では、本の塔が雪崩を起こしていた。
「修理したばかりなんだがな……もう勘弁してほしいよ」
天井から木片がぱらぱらと落ちる。
家はまだわずかに揺れていた。
「倒れたらしゃれになんねぇな、これ」
「この寒さで野宿は命取りだ」
その時だった。
外から誰かの叫ぶ声が飛び込んでくる。
「火事だ!北の森が燃えてるぞ!!」
「はぁ……?」
リブとユウゴは顔を見合わせ、急いで外へ出た。
灰の匂いが、胸にざらつく。
北の空には、灰色の煙がまっすぐ立ち上り、夕焼けのような深紅が森の奥を染めていた。
「マンドラゴラ退治用の大型魔法か……?」
「それにしては規模が大きすぎるな。しかも意図的には見えない」
そこへ――
「リブー!ユウゴさん!!」
デネラが駆けてきた。
肩で息をしながら、二人の無事を確かめるように目を見開く。
「大丈夫?」
「ああ。大丈夫だ。そっちは?」
「だいじょ……ぶ、はぁ……家も無事みたいだね。よかった……」
まだ肩が震えていた。
「何が起きてる?」
「急にマンドラゴラが燃えたんだって。自然消滅……みたいに」
デネラの声は震えていたが、確信のある響きだった。
「ギルド嬢たちが連絡してた。別の町でも同じ現象が起きてるみたい。原因不明」
ユウゴは森の方を見て、そっと鼻を鳴らした。
「……甘い匂いが消えている」
デネラはさらに続けた。
「それと……森に入った冒険者四人のうち、三人が連絡取れないって。一人だけ戻ってきたけど、門番の問いに首振るばかりで、何も答えないって……」
リブが息を飲む。
「なあ、それって……」
「紫の瞳をした少女がいた、って」
空気が一瞬、深く沈んだ。
「……あの子か……」
ユウゴが低く呟いた。
「真相は、闇の中だな」
「親父!俺、探しに行く!!」
リブが走り出す前に、デネラが腕をつかんだ。
「やめなって! 街が混乱してる時に無闇に動くのは危ない!」
「デネラの言う通りだ。戻ってきたということは、無事だったということだろう」
ユウゴの声は静かで、しかし強かった。
「次に会えた時に聞けばいい」
「でも、それがナナシって限らねぇだろ……顔見るまで安心できねぇ!」
デネラは大きく息を吐き、乱雑に頭をかいた。
「あーもう……わかった!ナナシちゃん、あたしが探す。あんたは家で待っときな!」
力任せにリブを家へ押し戻し、ドアを閉めると、鍵の代わりにユウゴを立たせる。
「ユウゴさんは番人ね!」
「任せてくれ」
デネラは走り去り――
一時間後。
帰ってきた彼女は、ただ黙って、首を横に振った。
肩が、静かに落ちていた。




