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ナナシと呼ばれた魔法使いが、神に拾われ魔王と恐れられるまで  作者: こいち


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第31話: 少女は、マンドラゴラの救済に向かう

星空と夜空が溶け合うような部屋だった。

壁も床も天井も境目がなく、ただ深い宇宙の色だけが広がり、瞬きする光が黒い石床に反射して揺れている。

中心には、白い光を帯びたベッドが浮かんでいた。

音はない。

けれど、星々のかすかな鼓動が、心臓の奥を静かに叩いている。

アストレイルはその傍らに腰掛け、膝に手を置いた姿勢のまま、ベッドの端に視線を落としていた。


「行くのかい?」


返事の代わりに、薄い布がふわりと揺れた。

光の揺らめきに混じって、少女の白い足先が床に降りる。


「……どうせ分かってるんでしょ」


アストレイルは笑うでもなく、ただ目を細めた。

彼の指先が、少女の腰へそっと伸びる。

触れようとして――寸前で止めた。


「戻ってきてくれる?」


「気分が……向いたらね」


そっけなく言う割に、少女はアストレイルの手を避けるのではなく、わざと布越しに指をかすめて通り過ぎた。

そのわずかな触れ合いが、これまでに交わした関係を淡く思い起こさせる。


「もう少し甘えてくれると思っていたよ」


「知らないし………」


少女が顔を上げると、アストレイルの視線が深く絡んだ。

片方の肩を親指で押し上げる仕草は、まるで昨夜の続きを求めるようで――少しだけ危うい。

少女はため息とも笑いともつかない息を吐き、指先でアストレイルの顎を軽く押した。


「……そんな顔しても、行くよ。今日は」


「今日は、か」


名残惜しげに落ちた彼の声が、光の部屋に溶ける。


「あーあ」


少女が歩き出す前に、アストレイルが静かに言った。


「――少し力を与えすぎてしまったかな」


少女の足が止まった。

振り返らないまま、布の裾だけが揺れている。

少女の姿は星空の向こうへ溶けるように消えた。

部屋には、途切れた温度と、淡い光だけが残った。


***


少女は、身を切るような寒さに身をすくめていた。

凍える風が首筋を掠めるたび、歯は小さく震え、湿り気を含んだ髪は凍りつき、指先の感覚さえ薄れていく。

それでも——彼女には、どうしてもやらなければならないことがあった。


「君は絶対に出てきちゃダメだからね。食べちゃうでしょ。心配しなくてもわたしは平気。誰もわたしに攻撃できないのは知ってるでしょ?」


森へ入る前、少女は蛇——セルに、ただひとつだけ頼みごとをした。


「よし…良い子」


セルは小さくうなずき、闇に溶けるように姿を消した。


「…あの子を救いに行かなきゃ…」


各地で異常発生しているマンドラゴラ——。

あの日、少女はその子が無事であることを確かに見た。

だが翌日には姿がなく、気づいたときには、もう各地を脅かす存在となっていた。


「もう増えなくていいから。君が強いのは十分わかった。だから、落ち着いて…。このままじゃ、君も君の仲間も全員いなくなっちゃう…」


地面から湧き上がる黒いヘドロの前で、少女は触手を振り回す巨大なマンドラゴラへ静かに語りかけた。

かつての愛らしい姿は跡形もない。

花弁は深い紫に染まり、黒い斑点がまだらに走り、背丈は少女の倍ほど。

小さかった口は裂けるように広がり、鋭い歯がぬらりと牙を見せた。


「落ち着いてよ。大丈夫だから。誰ももう君のことを傷つけたり、襲ったりしないから。言うことを聞いて…お願い…だから…」


森に張り巡らされた根も茎も蔦も、すべてマンドラゴラたちへとつながっている。

それらは動くものを無差別に襲い、幾重にも重なった蔦でドリルを作り出し、数多の人と魔物を襲った。

殺意は、もはや止まらなかった。


「前みたいに鳴いてよ…」


少女の声は届かない。

マンドラゴラは別々の角度からドリルを突き立てようとし、しかし少女を守る見えない膜に阻まれて火花を散らせた。


「——あんたここで何やってんのよ?」


その時、最悪のタイミングで、粗野な女冒険者三人組が姿を現した。

剣士、槍使い、そして魔術師。

長いリーチの武器を構え、少女を見下ろす。


「ここが誰の場所か分かってん?」


「………」


「ここ、私たちの狩場。わかる?うろうろされちゃ困るんだよ」


「………」


「黙ってないでなんか言ったらどう!?」


「…荒らされたくないなら、名前でも書いとけば?」


「はあ?」


「調子に乗ってんじゃねーよ!!」


魔術師が杖を振るい、炎の奔流が森を照らす。


「や、やめてよ!!」


少女は慌てて魔術師の前へ立ち塞がった。


「どけ!こいつらの討伐がうちらの仕事なんだから邪魔すんじゃねー!!」


剣士が蔦を切り払い、槍使いは横からなぎ払う。

マンドラゴラは必死に蔦を伸ばして応戦しようとするが、火の粉が次々と落ち、先端から燃え落ちていく。


「やめて、やめてってば!!この子はそんなんじゃないの…信じてよ!!」


槍使いは伸びてきた茎を切り裂き、その瞬間、地面が鈍く鳴った。

栄養を断たれたマンドラゴラは力を失い、花弁が静かに舞い落ちる。


「あ…ああ…」


灰色に崩れていく姿を前に、少女は声を失った。


「頭がおかしくなっちまったの?こいつに食われた仲間は何人もいんだよ。魔物を守ろうなんて…マジで人間?」


「違う…この子は…この子は誰も傷つけてなんか…」


「あ、こいつ。よく見たら最近話題の蛇使いじゃん」


「はっ!マジかよ。一人二人殺すのは平気なくせに魔物は守るとか。ウケるんだけど」


「ちがう…わたしは…」


「お前の戯言とか知らねーし」


「うっ…!!」


魔術師の杖が少女の鳩尾に深くめり込む。


「ついでにギルドにこいつのこと提出しちゃおっか。魔物擁護犯とかでしょっぴいてくれるっしょ。お礼としてうちらにもいくらか入るかもー」


「良いじゃん。骨の一本折っておきゃいい?」


「動けなくなればそれでいいよ。死なない程度にね」


「オッケー」


女性剣士が少女の髪を乱暴に掴み、後ろへ投げつけ、そのまま馬乗りになった。


「やめ…っ…」


一瞬、視界が暗転する。

脳がゆらゆらと揺れ、世界がかすむ。

続けざまにもう一撃が入る。


「あ…ぐっ…!」


「お得意の蛇ちゃんはどうしたんだよ? 使えねーの?」


「ウケるー」


「っ…!!」


セルは——少女との約束を守っている。

助けにこないのは当然だ。自分が言ったことだから。

敵は魔物だけじゃない。

人間もまた、少女に牙を剥く。



その瞬間、視界にざらついたノイズが走った。

白黒の映像——。

酔った男が叫び、痩せた腕を掴む。

ベッドに押し倒され、視界が震える。

否定しているのか、泣いているのか。

そうしている内に、ゆっくりと男の顔が覆い被さる。


「最後に何か言うことある?」


景色は再び、気味の悪い赤と紫の空へ戻った。

少女の口いっぱいに鉄の味が広がる。


「…やめ………て……」


涙がひとすじ、頬を伝う。


「ぶふっ…! 最後の最後がそれかよ!!」


笑い声が森を汚す。

下品で、残酷で、救いがない。


「ギャハハハハ!! ハッ…!!」


——一人の笑い声がふっと途切れた。


「!!」


魔術師が、消えていた。

取り残された二人は恐怖に怯え、きょろきょろと周囲を見回す。

次の瞬間、頭上から“ぼとり”と落ちる音。

魔術師の生首だった。


「きゃあああ!!」


同時に、槍使いの足が蔦に絡め取られ、空へ引き上げられる。


「何が起きてんだよ!!!」


少女の上に馬乗りになっていた剣士は跳ね上がり、蔦を両断した。


ざわざわ……


森がざわめき始める。


「な、ンなんだよ…一体」


その声は、降り積もる雪に吸い込まれるほどか細かった。


「そっか…。そうだったんだ。わたしはやっぱり…間違っていなかったんだ」


「お、お前…なにぶつぶつ言ってんだよ!!」


少女はふらつきながら立ち上がり、小さくつぶやいた。


「最初から…正しいのはいつだって…」


彼女の背後で、ゆっくりと巨大な影が立ち上がる。

空を覆い尽くすほどの大きさ。

二人の冒険者は後ずさりし、互いの手を握り締めた。

見上げた先——そこにいたのは、常識では測れないほど巨大なマンドラゴラ。

世界の頂点に立つ、女王種。


「クイーン…ありゃ絶対マンドラゴラの親玉だぜ」


「嘘だろ。絵本の話だけじゃじゃねーのかよ!!」


森全体が息を潜めた。


「魔王ーーー…こいつは、人間なんかじゃねえ。化け物を操る魔王だ!!」


少女は静かに、その影を見上げる。

ほんのわずか、微笑んだようにも見えた。

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