第29話: 少女は、白い街を歩く
家が半壊したあの夜、リブとデネラはデネラの家に避難した。
熱を出して倒れ込んだリブを看病してくれたのは、デネラだった。
湿った布の感触、額に落ちた彼女の指先――それらが胸の奥にまだ残っている。
翌朝、リブは嘘みたいに復活していた。
「リブ。まだ寝てなって。昨日の今日だよ」
「元々、風邪なんてひかねぇ体だろ。じっとしてたら身体が腐る」
「腐らないよ。人間はそんなすぐ腐らない」
デネラは呆れたように笑ったが、その目は心配で揺れていた。
「布団あったかいよ?」
「もう病人じゃないから。平気だ」
袖を掴まれたまま起き上がると、デネラは少しだけ眉を寄せた。
怒っているというより、置いて行かれたくない子どものように。
「……無茶しないでって言ってんの」
「しねぇよ」
「どこに行くの?」
「ギルド」
壊れた家の修理費。床、扉、テーブル、椅子――考えるだけで胃が重い。
「あー最悪だ。金を稼がねぇと修理もできねぇしな」
「……じゃあ、あたしも行く」
「お前は俺の母ちゃんか?ついてくんな。農家やれよ」
「冬は暇なの。ほら、稼ぎは全部あんたにやるから」
「正気か?お前、俺の風邪うつった?」
「ひど。何年の付き合いだと思ってんの?」
「フェアじゃねーよ……」
「じゃあ、何かあったらあたしがあんたを頼るから。それでチャラ」
その声が妙にあたたかくて、リブは反論のタイミングを逃した。
「それにギルドには、あの顔にタトゥーの入った男の件で訴えに行かなきゃ」
「……結局、俺のことじゃねぇか」
「証人は必要でしょ?」
「……勝手にしろよ」
「ふふ。ありがと」
デネラは胸を張り、どこか誇らしげだった。
「ついでにナナシも探す。巻き込まれたんだし、一言言う権利あるだろ」
「ひゃ~。元病人とは思えない強気」
父のユウゴに何度聞いても、あの男の正体は分からなかった。
朝早くに家へ戻った彼は、きっと修理の費用計算をしているだろう。
数字はリブの苦手分野だった。
* * *
ギルドに入った瞬間、空気が変わる。
ざわついているのに、どこか“急に静まる”ような、耳鳴りみたいな重たい空気。
「……なにこれ」
「依頼の数、やべぇな」
掲示板には紙が隙間なく貼られている。
床にも散乱し、踏まれてくしゃくしゃになった依頼書が何十枚も転がっていた。
受付の奥からは誰かの叫び声。
治癒魔法の光と、何か焦げたような匂い。
「ねぇ……なんか、変じゃない?」
「変だな。普通じゃねぇ」
「稼げるのは嬉しいけど、異常すぎるよ」
リブが床の紙を拾い上げ、読み上げる。
「マジカル・マッシュルーム討伐、十体。幻覚見せて襲うキノコ。傘三十センチ以上で報酬……どうする?」
「俺ら向きだろ」
「推奨ランク的には、いける……けど」
デネラは隣で、リブの袖をつまんで離さない。
「……嫌な感じ、する」
そのとき、背後から低い声。
「……やめとけ」
振り返ると、Bランク冒険者の男がいた。
片腕が紫に腐り、包帯から黒い液が滲み落ちていた。
近づくだけで、土と血を混ぜたような臭いがした。
「なんだよ、その傷…」
「今朝やられた。治癒待ちだが、怪我人が多すぎて呼ばれねぇ」
「何が……あった?」
「森でいつも通りトレントを狩ってたんだがな――ヘドロの中から植物モンスターが湧いた」
「…うそだろ?だって、ヘドロからなんて…太陽なしで?」
植物系モンスターの出現条件は、太陽の光。
太陽の光が届かないヘドロから出現するなんて聞いたことがなかった。
「ああ。無限湧きだ」
各地で同様の現象が起きているという。
災害レベル――男はそう言った。
受付の奥から、また叫び声。
治癒師たちの声が震えている。
「怪我人が増えすぎて、もう回せねぇんだとよ。俺も三時間待ちだ」
「そんなことって……」
「前例ねぇよ。各国で起きてるらしい。災害級の異常だ。稼ぎ時ではあるが、命を落とす危険性も高い」
案内人に呼ばれ、彼は去る。
肩越しに、小さな声を残して。
「若ぇの。外に出るなら、死ぬ覚悟しとけ」
「おう…。忠告、ありがとな」
胸の奥が冷たくなる。
「…この状況じゃあ…あの男の件、今は無理そうね」
「だな」
受付嬢たちは書類に埋もれ、悲鳴のような忙しさ。
「……どうする?」
「……稼げる時に稼が――」
「それだけはダメ!」
「だけど、金が」
「命より大事なものある?もし……あんたが死んだら――」
デネラは言葉を飲み込むようにして続けた。
「……あたし、多分、生きてけない」
その声音は、隠しきれないほど真剣だった。
リブの胸が、刺されたように熱くなる。
「……デネラ」
「帰って来た人の手当てくらいならできるよ。あんたのお父さんの薬も売れるし。ほら、うちらだって……役に立てる」
デネラが袖を引く。
手の震えは、さっきより強い。
「頼むよ……無茶だけはしないで」
「……わかったよ」
その返事に、デネラはほっと息を落とした。
「じゃあ、薬もらいに戻ろ?」
昼間なのに空は暗く、雪の匂いがする。
風が止まり、音も風景もやけに静かだ。
「……寒いな」
「手。冷たいね」
差し出されたデネラの手に、リブは戸惑いながらも触れた。
あたたかさがじんわりと広がる。
白い息が、二人の間で重なり合って消えた。




