第28話: 少女は、顔にタトゥーの入った男に狙われる
「で……」
まだ続くのか、とヴルは眉をひそめた。
さっき和らいだ空気が、再びきゅうと締め上げられる。
「この情報を売った人間はいるか?」
「『この情報』って……何のことや?」
「とぼけるな。少女を“求めてきた”やつだ」
「おらん!!いるわけないやろ!」
ヴルは全身で首を振った。
「こんな情報が他所に流れたら、あの子に100%わいってバレるやろ!ほな、あれや……あの蛇の魔物が、わいをぱっくり食うてまうやろが!」
「……本当だな?本当に誰にも流していない、と?」
「せやで」
まだ、取り返しはつく――
ユウゴはそう踏んでいた。
少女のことをユウゴが気にかけているのは知っている。
だが、“あの少女”に関する取引が想像以上の額で動いていることまでは、ユウゴには知られていない。
だからこそ、ヴルは必死に隠していた。
だが――
ユウゴはふと振り返る。
いつもと同じ静かな目で。
「俺が店に来て早々、お前は取り乱していた。すぐ平常を装ったようだが……誤魔化せると思うな」
どくん、とヴルの心臓が跳ねた。
見抜かれていたのか。舌打ちが零れ、観念が胸に落ちる。
「……一人、だけ……売った」
「誰にだ?」
ヴルは息を呑み、あの顔を思い出した。
――顔にタトゥーが入った、怪しげな男や。
「ごほっ……なんすか?親父に用なら、一時間後に出直してくれ……」
強く叩く音に、リブは眠りの底から引きずり上げられた。
風邪で熱がこもっている。薄い毛布に身を包んだまま、扉の隙間から目だけを覗かせる。
「……ここには、お前だけか?」
黒いローブ。長い黒髪。
左頬から首にのびる濃いタトゥーが、淡い光に沈んでいた。
低く乾いた声が、温もりを奪っていく。
「あ?……ごほっ……親父に用があるんじゃねーのかよ。ここには俺と親父しか――」
つい先日までいた“死にたがりの少女”の存在は、ひとまず胸にしまった。
男は間を置かず続ける。
「ここに少女はいなかったか」
「……しょうじょ?」
「紫の髪と、紫の目を持つ少女だ」
「それ知って、どうすんだ?」
「出せ」
言葉と同時に、男は扉を蹴り砕いた。
木片と風が爆ぜ、リブの体は床ごと落ちる。
暖炉の火が一瞬で掻き消え、家全体が軋んだ。
「っ……初対面の人間に、それはねーだろ!!」
「お前に興味はない」
リブはふらつきながら立つ。
「ごほっ……嫌なやつだな。そっちがそう来るなら、俺もそれ相応の態度でいくぜ。帰れよ」
「目上の者に敬語を使えと、教わらなかったか?」
「お前が目上かどうかは俺が決める。尊敬できるやつなら、いくらでも使ってやらぁ!!」
「……埒が明かないな」
男の体に、風がまとわりつく。
魔力のざらついた気配が室内を満たす。
「何者だ?」
「少女に話がある。今すぐ出せ」
「知らん!!」
「隠すな」
「隠してねぇ!!本当に知らねぇ!」
壊れたテーブルに手をつきながら、リブは必死に呼吸を整える。
「なら、場所を言え。どこにいる?」
「知らん!」
「答えろ」
次の瞬間、視界が跳ねた。
背中が床に叩きつけられ、胸が焼けるように痛む。
男は風の勢いで距離を詰め、リブに馬乗りになった。
冷たい手が首元に置かれ、じわりと力がこもる。
「言え」
「んなこと……言われたって……」
「答えるまで苦しんでもらう」
ギリ、と頸が鳴る。
空気が入らない。指先の感覚が溶けていく。
意識が霞みかけた、その時――
「おーい、リブー!邪魔するよー!風邪だって聞いたから、ご飯持って――え、なにこれ!!?リブ!!?……あ、あんた誰よ!!」
ガシャンと食器が割れる音。
デネラの声が、闇に亀裂を入れた。
「……デネラ、か……?」
「ちっ……邪魔が入った」
男はすぐにリブから離れた。
伸ばしたリブの手を、無造作に蹴り払う。
そして入口に立つデネラを押しのけ、風とともに消えた。
「な、なによ今の……っ」
デネラは呆然と立ち尽くす。
「リブ、大丈夫?」
「……ああ。今回ばっかりは……助かった」
「今回ばかりはって何よ。いつも助けてるでしょ?で、あいつ誰なの?」
「俺が聞きてぇ……。急に来て、急に襲ってきやがった」
「ユウゴさんは?」
「出かけてる」
「もうっ、こういう時に限って!!」
デネラはリブを抱き起こし、無傷の床へ移す。
自分の上着をそっと肩にかけ、冷えを防ごうとした。
「……どうすんだこれ……」
散らばる破片を拾いながら、デネラのため息が零れる。
「リブ、帰ったぞ――」
「ちょっと!!遅い!!」
「……!!やはり……お前たち、大丈夫か!?」
ユウゴの声に、リブは安堵の息を落とした。
「リブが大変な目に遭ったみたいだよ」
「リブ……!」
ユウゴは赤く残った指の跡を見て、顔色を変えた。
「ごほっ……やめろよ。こんなんトレントに比べりゃマシだって」
「だが――!」
「それよりギルドに報告だ。顔にタトゥーの男が襲ってきた。家はボロボロ。机も椅子も作り直さねぇと」
「そんなことより怪我は――」
「ちょっと打撲しただけだって」
「見せろ」
「だーかーら……」
珍しく取り乱すユウゴ。
冷静な男のその顔に、リブは思わず瞬きをする。
「湿布ってこれでいい?」
「助かる、デネラ」
「どうってことないよ」
「湿布いらねぇ!!冷てぇんだよ!」
「いいから。跡が残る」
バシッと無理やり背中に貼られ、リブは変な声を出した。
「親父……あいつ、危ねぇやつだ。ナナシを探してた。答えなかったから襲われた。なあ……これ、ナナシも――」
「え、それってつまり……あたしたち、巻き込まれてるってこと?」
「……」
ユウゴは言葉を失い、深く考え込む。
「親父、なんか言えよ」
「……」
沈黙の壁。
デネラは小さく肩をすくめ、提案する。
「リブ、今日ここにいちゃだめ。風邪も悪化する。あたしがお母さんに言ってくるから、今日はうちに泊まって。狭いけど、二人くらい大丈夫!」
「……悪い」
「寒いけど、ちょっとだけ待ってて!」
デネラが駆けていく背を見送りながら、リブの意識は徐々に沈んでいく。
もう考える余裕はなかった。
体の痛みよりも、眠気のほうが勝った。
ユウゴの腕の中で、そっと目を閉じる。
――静かな夜が、深く揺れた。




