第2話: 少女は意識を取り戻し、自分の状況を把握する
街に戻ってきたのは、それから三十分ほどあとだった。
薄暗い空が、黒へ沈みこむ直前の色をしていた。
風は冷たく、街路の影は長く伸びている。
「親父、帰ったぜ」
リブは、肩に担いだ少女をそっと下ろすようにして、古い家の前に立った。
築六十年はとうに越えた家は、取っ手も鍵もない押し扉式で、
壁も屋根もところどころ疲れたように欠けている。
裕福とは言えない生活が、そのまま形になったような家だ。
ギィ、と軋む音とともに扉を押すと、
暖炉の温かい光が、夜の冷えと入れ替わるように頬へ触れた。
同時に、鼻をくすぐる夕餉の匂い。
リブの腹が、ぐう、と控えめに鳴る。
「おかえり。……ん?その子はなんだ」
暖炉のそばでエプロンを外していた父・ユウゴが、
気配に気づき振り向いた。
「落ちてた」
「落ちてたって……」
「知らねーよ。勝手に倒れて、勝手に死にそうになってた。最近流行りの冒険者自殺かもしれねぇ。あれの方がギルドから保証金が出る」
リブは少女の腕を掴み、あざを示す。
ユウゴは息をひとつつき、小さく笑った。
「……お前が、まともに育ってくれてよかったよ」
「言っとけ。――親父、ちょっと預かっといてくれ」
言いながら、リブはためらいなく少女を抱え直した。
服が汚れるのも気にしない。
「構わんが……夕飯は?」
「こいつのせいで、まだギルドに報告行ってねぇ。報酬もらってくる。……夕飯は家で食う!」
「そうか。じゃあ、待ってるよ」
「腹減ってんなら先に食ってもいいぞ」
「いや。二人で食べたほうが美味しいだろう」
「……そっかよ。じゃ、すぐ戻る。その間、そいつ頼む!」
言い終えると同時に、リブは勢いよく外へ駆けていった。
◆◇◆
どれほど眠っていたのか。
少女は、ゆっくりと瞼を開いた。
「……?」
ぼやけた視界。
見覚えのない天井。藁の匂い。
薄い布の下で、身体は重い。
納屋のような簡素な部屋の奥、暖炉の光が揺れている。
その方へ歩くと、途中で足がふらつき、壁に手をついた。
「起きたか?」
暖炉の前に座っていた男――ユウゴが、穏やかな声で言った。
少女は驚き、後ずさろうとしたが、体がついていかない。
背中を壁にぶつけてしまい、小さく息を呑む。
「すまん、驚かせた。……ほら、座れ。スープくらいなら飲めるだろう」
支えられ、歪んだ食卓の椅子に座らされる。
温かい湯気が目の前に置かれた。
透明なスープに、小さなジャガイモが沈んでいた。
少女はその皿をじっと見つめるだけだった。
「……食べたくないか。悪いな、こんなものしか出せなくて。けれど、少しでも口にすれば力は戻る。……好きなときでいい」
そのとき。
「親父!やっぱつめてーよ!!」
リブが髪を濡らしたまま、半裸で戻ってきた。
暖炉に手をかざし、ほぅ、と息を吐いている。
「魔石がまだ調達できなくてな……」
「安いやつ買うなよ。すぐ壊れんだろ。もう少し仕事増やすから、ちゃんとしたの買おうぜ」
「そうだな……。――っと、リブ。女性の前だ、服を着ろ」
リブは少女と目が合い、「あ、しまった」という顔をして服を羽織った。
「放置して悪かったな。……いや、恥ずかしい話、聞かれたかもな!」
ユウゴは豪快に笑う。
「俺はユウゴ。リブの父だ。……君の名前は?」
「………」
「出身は?」
「………」
少女は俯き、何も答えなかった。
「名前も言えねぇのか?なんか事情――」
「リブ。黙れ」
「……分かったよ」
ユウゴは言い方を変えた。
「じゃあ……なぜ、一人で森に?」
長い沈黙のあと、少女はか細く呟いた。
「……知らない。……なぜ、は……嫌。わたしも……わからない」
ユウゴは悲しそうに目を細める。
「ここがどこかは?」
少女は首を振る。
「ここは、北の大地――アルヴェンという小さな街だ。聞いたことは?」
「……ない」
「そうか。結界内は安全だが、外は魔物だらけだ。リブに拾われたのは、運がよかったんだよ」
「………」
ユウゴは暖炉のそばから少女の杖を取ってきた。
「これは君のだろう。返すよ。売ったりしない」
少女は目を見開く。
杖の紫の魔石が、炎に反射して淡く光った。
「めずらしい色だな」とリブが覗き込む。
「ひよっこ冒険者が持ってていい代物か?つーか、お前……なんなんだ?」
「リブ、難しい話は後だ。……ギルドに行けば何か分かるかもしれん」
「分かってるよ」
少女は二人のやりとりを静かに聞きながら、
杖をぎゅっと握る。
「……知ってることは?」
「……知ってたら……ここにいない……」
「そうか」
リブがぽつりと呟く。
「記憶喪失ってやつか?」
少女は、ほんの少しだけ横に首を振った。
ユウゴは柔らかく笑う。
「話したくなれば言えばいい。助けになる。それまでは……こんな家だが、ゆっくりするといい」
「はぁ!?嫌だね!なんでこんな根暗な――」
「気にしないでくれ。根はいい子なんだ。ちょっと多感な時期でな。すぐ仲良くなる」
「なるわけねーだろ!」
騒ぐリブをいなすように、ユウゴは立ち上がった。
「……風呂に入ってくる」
暖炉の炎がゆらりと揺れ、
三人の影が重なっては離れていった。




