第18話 少女は、西日を避けて路地裏を歩く
家に戻るなり、父・ユウゴの視線は、リブの手にある金袋へまっすぐ落ちた。
「……これは一体なんだ」
「金」
「そういう意味じゃない。どこで手に入れたのかを聞いている。……まさか、悪事じゃないだろうな」
低い声は荒れないのに、空気だけが静かに圧を帯びていく。
リブはひとつ息を逃し、冗談めかして肩をすくめた。
「今日はな、臨時収入があったんだよ。突然、でかいサラマンダーが現れて、それをデネラと倒した……っていう報酬」
「本当は?」
落ちた指先が机に軽く触れた。その瞬間、言い逃れの道が静かに塞がれる。
「……ナナシが、置いてった」
観念した声で、リブは起きたことを最初から話した。
少女の蛇のこと。言い争いのこと。デネラの怪我。依頼の内容。
ユウゴは途中で言葉を挟まない。ただ、小さく頷くだけで、すべてを吸い込む。
責められるだろうと思っていた。
けれど、父は何も責めず、何も否定しない。
そのただの沈黙に、リブはふっと胸の奥が軽くなるのを感じた。
それなら、と心に溜めていた衝動をこぼしてみた。
「親父。悪いけど……俺、無理だ。あいつ、性格悪すぎる。思い出しただけでムカムカすんだ。……自分でも呆れるくらい」
ユウゴは短く問い返す。
「それで、いいのか」
「いい。あいつの顔、見なくて済むなら天国だよ」
「……そうか」
浅い音を立てて皿が置かれる。
湯気のない、いつも通りの茹でたじゃがいも。
「夕飯にしよう」
食卓に並んだ質素さに、変わらぬ日常の匂いが混じる。
「怒らないのかよ」
「どうしてそう思う?」
「俺が途中で投げ出すの、親父は嫌いだと思ってた」
「俺は息子の意見を尊重したい父親だ。……そうありたいと思っている」
リブは、不意に胸の奥が照れくさくなる。
「……そ、そうか」
「うまいか?」
「美味しいよ」
机の上で、金貨がひときわ明るい光を放つ。
こんなにも重いはずのものが、今は少しだけ、日常を柔らかく照らしている気がした。
――
夕暮れどき。
西日が町の隙間を斜めに貫き、世界を赤く染めていた。
少女は荷台の上に腰を下ろし、刺すような光線を避けるように路地裏へ身を寄せていた。
冷たい木の感触が、皮膚の奥にじわりと染みる。
陽が落ちるまでの避難場所――ただそれだけだ。
ふと、小道の入口に影が落ちた。
「あ、あの……」
「…………」
黙ったままの少女が返事をしなければ、この少年はずっと立っているのだろう。
気配だけが、やけに真面目で温かい。
「……なに」
「その……大丈夫かなと思って」
たいした理由でもなく、たいした言葉でもない。
けれど、少女は初めて少年の顔をはっきり見た。
光をすくうような金髪。
静かな湖面のように澄んだ青の瞳。
幼さを残しながらも、衣の丁寧な縫い取りが、上品な家で育ったことをさりげなく語っている。
「えっと……顔、痛い?」
「……別に」
「薬、持ってるんだけど……いる?」
誰も痛いと言っていないのに。
誰も優しくしてほしいなんて頼んでいないのに。
少女は、その無償のあたたかさを鬱陶しいと感じた。
「……あんた、なに? しつこい」
「急に話しかけてごめん。でも、気になって……」
「わたしの何を知ってるの。会ったこともないのに」
「僕、何度か見かけたことがあるよ。いつも一人だなって……」
「……わたしのこと、買いたいの?」
紫の瞳がわずかに細まる。
「ち、違う!!僕はそんな……っ。困ってるなら助けたくて……」
顔を赤くしてぶんぶんと手を振る少年。
少女は、もう一度ため息をつく。
太陽から逃げたかっただけなのに、面倒な人間につかまった。
「あんたにできることはなにもない」
「でも……」
「しつこい」
「……ごめん……」
立ち上がると、荷台がガタンと音を立てた。
まだ光は剥き出しの刃のようで、肌が焼ける。
「わたしに関わるな」
それだけ残し、少女は少年に背を向けた。
歩き抜けた先は、酒場の明かりがこぼれるにぎやかな通りだった。
陽は沈み、空気が夜の形に変わっていく。
「うわ、あいつだ……近寄るなよ」「殺されるぞ」「蛇のテイマーだってよ」
ひそひそと笑い混じりに交わされる言葉。
身に覚えのない噂話。
酔いの勢いに乗せて、自分という形のない影が勝手に大きくされていく。
本来なら嫌悪して立ち去るところだ。
けれど今日は――なぜか胸に波が立たなかった。
まるで自分を外から眺めているような、どこか遠い感覚。
「……ここは、どこ」
少女はぽつりと呟いた。
世界から、ひとつ分だけずれてしまったように。




