第16話 少女は、トレントと対峙する
森を震わせるざわめきの中、リブは震える声で呟いた。
自分に言い聞かせるように、ゆっくりと。
「……状況を、把握しようぜ。前方にアンシェントワームが十体。周囲には……トレントが十五体」
あまりの数に、デネラは顔を青くし、乾いた笑いを漏らす。
「じゃあ、一人八匹ずつ……最後の一匹は、みんなで一緒に……なんて、ね」
冗談のつもりだったのかもしれない。だが声は震え、すでに視線はどこか遠くを見ていた。
まるで人生の続きを諦めてしまった人間のように。
「魔法使いになりたかったんだよ、あたし……」
「やめろって!」
「あと、ほら……死ぬ前にイケメンと付き合ってみたかったし……」
乾いた冗談を言い切るより早く、ワームの唾液が風を裂いて飛んできた。
リブはデネラの襟首を掴み、紙一重で躱す。
「──ボケっとすんな!」
「……ごめん……でも、もう……」
「粘るぞ。隙を見て逃げる、それしかねぇ」
二人は走り回り、襲いくる唾液を避けながら剣を振るう。
ワーム自体は強敵ではない。だが数が多すぎた。
倒しても倒しても、地の底から湧いてくるように増えていく。
「……はぁ、はぁ……きりがねぇ……」
汗が顎から落ちる。肩はすでに上がり、息は荒い。
そんなときだった。
「──ねえ、それ、楽しい?」
真上から、すっと涼やかな声が降ってきた。
「ナナシ……!?」
見上げれば、少女が木の枝に腰を下ろしていた。
足を組んで、まるで舞台の観客のようにこちらを眺めている。
その木は、よりにもよってトレントの腕──いや、枝。
「見える?誰もわたしに触れないんだよ。ほら……みんな、わたしの前で震えてる」
少女は枝から葉を一枚ちぎる。
トレントは悲鳴のような軋みをもらしたが、少女を攻撃しようとはしない。
明らかに恐れていた。
「ズルなんてしてないよ」と少女は小さく笑う。
そして立ち上がる。
その細い影が揺れた瞬間、空気が一変した。
「──上から目線の説教して楽しかった?遊びはもうお終い」
少女が足先で枝を軽く蹴った。
途端、トレントが震え、地面を深々と抉るように拳を叩きつける。
「母なる大地を傷つけるなんて……」
少女はくすりと笑い、目を細めた。
「かわいそうに。あなたたち、わたしの前じゃ逆らえないんだね」
その笑い声は、楽しげでいて、どこか底なしだった。
やがて少女はふと視線を外し、ふわりと蛇の頭上へと移る。
「……じゃあ、あとのことは好きにして。わたしは行く」
「ナナシ!」
「汗を流すの、好きなんでしょ? 続きはご自由に」
少女の歩みは軽く、振り返る気配すらない。
少女が離れた瞬間、トレントたちの拘束が解かれた。
森全体が一斉に息を吹き返し、殺気を帯びる。
標的は、リブとデネラ。
「……やば」
「退路が……ねぇ……」
デネラは一歩前へ飛び出した。
「やるしか──」
「馬鹿!突っ走んな!」
トレントの影が横から伸び、デネラを貫く。
凶暴な音。
肉が裂ける気配。
「デネラ……!!」
リブの手の中で、温かい血が溢れて止まらない。
地面に滴り落ちて赤い水たまりを作る。
「死ぬな……死ぬなよ……!」
泣いても、時間は止まらない。
トレントたちは一定のリズムで迫ってくる。
リブは剣を振り回しながら叫んだ。
「やめろ……来るな……!」
望みはなく、背中には死だけが迫る。
そんな絶望の縁で──
リブの視線が、遠く離れたあの少女を捉えた。
「ナナシ……!!」
少女は静かにこちらを見ていた。
感情の読めない、まっすぐな瞳で。
そして、ゆっくり問う。
「……助けてって、言うの?」
氷のように冷たい声だった。
「達成感、味わえなくなるけど」
理不尽が喉につかえる。
だが、デネラは死にかけている。
父の顔が浮かぶ。
リブは拳を握りしめ、かすれる声で叫んだ。
「……俺を……助けろ……!!」
少女は瞳を細め、ふっと息を吐いた。
「いいよ。そのかわり──金輪際、わたしに構わないで」
風が走った。
嵐そのものだった。
森を覆っていた魔物たちは、悲鳴を上げる間もなく、根こそぎ吹き飛ばされていく。
そして、静寂。
まばゆい陽光が降り注いだ。
周囲の木々はすべて消え去り、そこには広い空き地のような空白だけが残されていた。
ただ、一輪の、小さな花だけを残して。




