第10話: 少女は、噂の的になる
朝の食卓は、湯気と静けさに包まれていた。
質素だが温かな匂いの漂う台所で、ユウゴがぽつりと言った。
「もう10日も経つな」
「だな」
椅子の脚が軋む音までやけに大きく響く。
十日。
リブはその数字が、胸の奥のどこか硬い場所をそっと撫でるのを感じていた。
「ギルドは何か言ってたか?」
ユウゴの問いは、もう何度目か分からない。
十日分の繰り返しに、リブは深く息を吐く。
「…リブ…」
「……わかってるよ。ちゃんと探してる……。俺が責任持って……絶対見つけるから……」
強く言いすぎて、熱くなった声が喉につかえる。
茹でたジャガイモが引っかかり、リブは咳き込みながら水を飲んだ。
「……見つからなかったら?」
ふいに静かに落とされた父の言葉。
「………そ、れは…」
ユウゴは、少し寂しげに微笑んだ。
「あの子には、帰る場所がない。お前のように、最初から ‘待ってくれる誰か’ がいたわけじゃないんだ」
リブは手を止めた。
ユウゴの視線が、優しくも厳しく胸に刺さる。
「だから、俺たちが作らなきゃいけない。ここが帰る場所だって、安心していいって。そう思えるようにしてやらないとな」
「……もしかして俺、恵まれてんのか?」
「少なくとも、お前が帰ってくる場所はある。貧乏でも笑える。そこで十分だ」
リブは、曖昧に笑う。
「……当たり前の幸せ、ってやつ?」
「その当たり前がない子もいる。
だから――作ってやろうって話だ。
心当たりがあるだろ?」
胸奥に沈めた後悔が、静かに波紋を描く。
「……わかったよ」
「見つけられそうか?」
「ああ……」
その返事は、どこか祈りにも似ていた。
「いってきます」
「いってらっしゃい」
リブは立ち上がり、扉を閉めた。
その瞬間、胸の奥がひどく静かになった。
* * *
街は小さいくせに、探す者にとっては果てしなく広かった。
危険な路地裏は覗くのが精一杯で、足はすぐに限界を告げる。
「金さえあればな」
弱く漏れた愚痴は、風に溶けて消えた。
やがて、いつもの畑に辿り着いた。
「デネラ!」
「なーにー?」
振り返ったデネラは、陽の光を受けて眩しく笑った。
その笑みを見ると、リブはなぜか少し安心する。
彼女の背後には、瑞々しい土の匂いと、働く人間の息づかいがあった。
この街でいちばん “生活の温度” がある場所だ。
「あいつの噂、何かあったか?」
「んー……ないねぇ。でも、面白い噂はあるけど、聞く?」
「噂話に興味ねぇよ。俺が探してるのは――」
「なにイライラしてんの?溜まってんの?」
「本当にデリカシーのねぇ女だな……腕の一本曲げても――」
「はいはい、怖い怖い」
ふわり、とデネラが笑い、畑で採れたばかりのリンゴを差し出す。
その仕草が妙にやさしくて、リブは受け取ると、しばらく見つめてからポケットにしまった。
「で?」
「結局聞くんかーい」
「悪いかよ」
「悪くないよ。ただちょっと言ってみただけ。……でね?」
彼女が語る噂は、どこか荒唐無稽で、けれど妙に現実味があった。
魔法使い。
ソロ。
テイマー。
二つ同時にこなすなんて、常人には無理だ。
デネラが肩を竦めて続ける。
「…魔法使い…ソロ…」
なにか引っかかる。
リブは少し考え込む。
「あたしも必死で頑張ってるけど、魔法を憶えんのって、めちゃくちゃムズイの。魔力の制御に集中力がめちゃくちゃ必要なわけ。それなのに、そいつは魔力を操作しながら、自分の魔獣と意思疎通してるらしい。普通は脳が2個ないと無理よ」
だから、リブは剣士になった。
魔法が使えれば遠距離攻撃も出来るし、戦い方が楽になる。それに身体強化も出来る。
だが、一朝一夕で出来る事でもない。
リブは諦めて、一番手っ取り早く稼げる剣士になった。
「蛇みたいな魔物が、Bランクのリザード丸飲みしちゃったんだって」
リブは、胸の奥でいやな予感が形になるのを感じた。
「…そいつは、どんなやつだった?」
「辛気臭くって、近寄るなオーラ出してたとか、言ってたっけな…」
「十中八九ナナシだな」
「え?ナナシちゃん!?そんなすごかったっけ?」
リブは小さく首を振った。
けれど、胸の奥は熱くなる。
十日前の後悔が、また姿を見せる。
「じゃあ、ナナシちゃんに会えたら、あの時のことちゃんと謝れるといいねー」
「うるせーよ」
「あと、すぐ怒る癖、ほんとやめなね」
デネラはリブの眉間に指を押し当てた。
触れ方が、妙に優しい。
「わーってるよ」
「やけに素直じゃない?パパに何か言われた?」
「………」
図星をつかれた。
にやにやするデネラを軽くどつく。
「…あいつは性格悪いけどよ、意地っ張りだしな。こっちが大人になってやらねーとだめなんだよ」
「あれ?リブっていつから大人の仲間入りしたの?え、まさか………ナナシちゃんと一つ屋根の下で大人の階段登っちゃった?!」
「んなわけねーだろ!あんなガリガリに興味ねーわ」
「オッケー。豊満がタイプっと」
「メモすんな!!」
調子を狂わされ、リブは頭をがりがりと無造作にかいた。
「でもわかるよ。あたし。ナナシちゃんの気持ち。きっと内面ボロボロだよ」
ー原因の9割はリブのせいだろうけど…
口にすれば殴られそうなので、デネラは心の中に留めておくことにした。
「大事だと思うな。貧しくったって、明るく笑えるあたしらがいるように、あの子も心の底から笑わなきゃ人生楽しくないよ。それには、居場所が必要なの。あの子が心の底から思いっきり笑える、場所」
リブは赤く染まったリンゴに映る自分の姿を確認する。
「そうだろうけど…会ったら絶対口論になる自信しかねーわ。あいつを目の前にすると、なんか知らねーけどイライラしてくんだよ」
「大丈夫!その辺はあたしがフォローしてやるから」
「気持ち悪い優しさだな」
「はぁ?!いつも通りじゃん!!」
デネラは口を尖らせて、抗議する。
「あんただって居場所…なかったでしょ。それを作ってくれたのは…ユウゴさんじゃない?」
そう。
リブだって最初は自分の居場所がなかった。
リブは幼少期に実の母に捨てられ、ギルドの前でずっと帰りを待っていた。
心配した親切なギルド連中は、リブになんとか説得を試みた。
しかし、親切にしようと接する他人に噛みつき、周りを困惑させた。
俺に近づくな。構うな。放っておけ。
『母さんは戻ってくる!なんで、なんで諦めろみたいな顔するんだよ!!』
そんな態度で相手と接していれば、段々と人が離れていく。
一人、二人…最後は誰も相手をしなくなっていた…。
「そんなあんたを拾って、育てて、居場所にしてくれたのはユウゴさんだよ。誰も続けられなかったのに、あの人だけは引かなかった。あんたを放さなかった」
ユウゴは根気強くリブに接し、自分の子供のように可愛がってくれた。
今、こうしてリブが二本足で立って歩いていられるのは、彼のおかげだ。
繋がりを作れたのも、ユウゴのおかげだ。
「……わかってる。親父がいなきゃ、今の俺はいねぇ」
リブは指先を見つめた。
リンゴの赤色が、やけに鮮やかだった。
「なら、あの子にも同じことしてあげればいい。あの子、きっと……どこか痛いよ」
「悪かったと思ってるよ」
「成長してるね」
二人の声は、畑の上でやわらかく弾む。
いつものやり取り。
けれど、その裏にある情は、互いに気づいていないふりをしているだけだった。
「じゃあ、行かないとね!」
デネラはタオルを外し、麦わら帽を彼に押し付けた。
「どこに?」
「決まってるでしょ。ギルド」
明るく笑ったその顔に、リブはふと胸が軽くなるのを感じた。




