限界を超えたギリギリのレース! 果たして間に合うのか? 今、デッドヒートが始まる!
※ドラ探を読んでいなくても単体で楽しめます。
ミレールは隣国のワールドン王国へ外遊で訪れていた。訪れた王都で日本の知識で作られた車を見かけ、乗ってみたいと希望を出したらドライブをすることに。
だが、思わぬことからレースが始まってしまう。
───登場人物。
◆ミレール:メイジー王国の女王。ワールドン王国とは同盟関係。
◆ワールドン:ワールドン王国の君主。あだ名はワド。絶世の美女の姿を模しているが中身はドラゴンで、実は神様。
◆カルカン:空気が読めず、お酒にもだらしないが有能な猫魔族。今回は護衛任務として登場。
◆ガトー:ワールドンの親友で悪友。猫魔族の姿をしているお調子者。
※猫魔族……二足歩行の喋る猫。
「ワールドン様、車というものに乗ってみたいのだが……」
ミレールは思い切ってそう切り出した。
先日からこの国へと訪問していたミレールは、車という存在が気になり希望を出す。
提案に目を輝かせたワールドンは、勢いよく手を叩いた。
「お、いいね! 僕も運転できるようになったから送るよ!」
ワールドンは、ペーパードライバーという初心者らしく、車はレンタカーで済ませると言う。
ミレールにとって聞きなれない単語の数々だが、何故か一抹の不安を感じていた。
「ワールドン様、本当に大丈夫なのだな?」
「勿論だよ! 僕、事故は4回しか起こしてないから!」
車という存在に馴染みが無いため、申告の是非を判断しようがない。ワールドンの自信たっぷりな顔を、ミレールはひとまず信用することにした。
レンタカーを借りに向かう道すがら、朝食の話題になっていく。
「ミレール。朝食のヨーグルトをかなり残していたけど苦手だったの?」
「いや、苦手というほどでは無いが、少し味が変に思えて控えたのだ」
話題が一段落する頃にはレンタカー貸出手続きも終わり、銀色のフォルムが美しい軽自動車を手に入れる。
ミレールは恍惚の表情で車体に手を這わせ、その冷たい感触を確かめていく。
「何というか、良いな。車というものは」
「フフフ。でしょ。テンションあがるよね。あ、これを貼るからちょっとそこを退いてくれる?」
美しい金髪とスカートを靡かせたワールドンは、黄色と緑色のマークを持ってきてボンネットのド真ん中へと張り付けた。
初めて見るマークに戸惑うミレール。
「これは?」
「若葉マークだよ! 僕、貼らなきゃいけない人なんだ。どう? ちょうどピッタリ縦横の真ん中に貼れたよ! 完璧じゃない?」
せっかくカッコよかった車体に、センス悪く貼られてしまう。なのに、ワールドンは褒めてと言わんばかりのドヤ顔である。
共感できないミレールは拳を口元に当てて暫し考え込んだ。
「ま、まぁ、センスは人それぞれだからな。でも、もう少し端の方でも良かったのではないか?」
「ここが一番目立つんだよ!」
頑張るぞいポーズで主張を繰り返すワールドン。ミレールはそれを直視出来ず、そっと視線を反らした。
改めて車へ乗り込むよう促され、助手席のドアを開けるミレール。
腰を下ろしたシートは柔らかい弾力があり、馬車とは比べ物にならない乗り心地だった。
「この椅子は素晴らしいな。痔持ちにとても優しい」
「あ、ミレール。シートベルトを忘れてるよ」
締め方を教えてもらい、シートベルトを締める。ミレールが安全面の配慮に感嘆の息を漏らす中、ワールドンの指差し確認が続く。
「タイヤの空気圧よし! ワイパーよし! オイル残量よし! バックミラーよし! ミレールも忘れ物ない?」
「あぁ、私にはない。それだけ念入りに確認しているのなら、ワールドン様も忘れ物は無さそうだな」
確認を終え、車のエンジンに火が入る。
重低音と小刻みな振動が心地よく、ミレールには極上の乗り物に思えた。
「本当に素晴らしいな。是非、我が国にも導入したいものだ」
「マナの燃費は悪いけど、必要なら輸出するよ。ではでは、出発進行ー!」
護衛含め四台の車が走りだす。
後方から横並びでついてくる護衛車のタイヤ音が、まるで早く進むように急き立てるようだ。
レンタカーの店員が手を振る光景、王都の街並み、竹林のアーチを経て、あっという間に荒野へ。
町の喧噪は遠のき、エンジン音とタイヤが地面を蹴る音がより響く。
木々や農作地が風のように過ぎゆく光景に、ミレールは心を奪われた。
「早い! 早いな!」
「もっとスピード出せるけど、安全運転だからね」
そう言っていた矢先。護衛としてついてきていた車に追い越され、前方に位置取られる。
ミレールの口から小さく舌打ちが漏れた。
「なんだあの車は? 私たちの前を走るとは不敬ではないか!」
「あれはカルカンの車かな? 護衛のつもりだろうから前に出たんじゃない?」
ミレールは猫魔族のカルカンを思い返す。
数々の戦果を持つ優秀な猫魔族とは認識しているが、素晴らしい前方の景観が塞がれてしまうことへミレールは強い苛立ちを感じていた。
「カルカン殿を追い越せ!」
負けず嫌いな面のあるミレールは、やたらとヒートアップして追い抜いた車に暴言を吐き始める。
「分かったから。そんな汚い言葉を使わないで」
軽く肩を竦めたワールドンはアクセルを踏み込む。
徐々に先導する車へと追い付き、暫くの並走の後、引き離していく。
やっと溜飲が下がったかと思いきや、緑色の乱入車が暴走スピードで前方へと躍り出た。
「ふふん! ワドの運転は遅すぎるぞにゃん!」
「危ないでしょ、ガトー!」
周囲へ土煙を浴びせ、追い越していく緑色の車。
ワールドンの親友であるガトーの車だった。
しかし、いかに格上の相手と言えど、女王の体面を傷つけられてしまったミレールは、般若の形相へと変わる。
「抜け!」
「ど、どしたん? ミレール?」
「いいから抜け!」
アクセルを全力で踏み込むワールドン。スピードを上げつつ「ミレールは車の運転で変わるタイプだ」と、目尻が潤む。後悔と振動で心と涙は揺れていた。
「お? なんだやるのか? おい、ワドがレースを所望だぞにゃん! お前らも参加しろにゃん!」
ガトーが一位の報酬を語り、周囲の護衛車まで炊きつけ出す。さっそくカルカンが報酬に釣られた。
「勝って最高級のお酒を手に入れるにゃ!」
「面白い! 絶対に負けるなワールドン様!」
「僕、安全運転がいいんだけど?」
周囲もすっかりのせられて、集団のスピードはドンドン増していく。
ちょっとした小石でも車体は大きく揺れ、激しく突き上げられる座席。
慣れていないワールドンのハンドル捌きは、少しずつ遅れ始める。
「ううう……どうしてこんなことに」
「ワールドン様! 遅れてるぞ! もっとスピードをあげろ!」
「ヒィィィ!」
横からハンドルを操作され、ワールドンは悲鳴を上げた。
執拗に煽り運転をしてくるガトーに対し、ミレールは異常なまでにヒートアップ。
あわや崖への転落かと思えるコーナーを、左右に体を振られながら必死にハンドルを切っていく。
「よし、いいぞ! ん? どうしたワールドン様?」
明らかに顔色を悪くして、急に黙ったワールドンへ声をかけるミレール。
「ぼ、僕、重大な忘れ物をしていたよ……」
「忘れもの? それよりも今はレースに注力すべきでは無いのか?」
諭すミレールに対し、ワールドンは必死に首を振り続ける。
「一体何を忘れたのだ?」
問い直すと、青ざめた顔のワールドンが告げる。
「今朝のヨーグルト食べて、お腹の調子が悪かったのを今、思い出したよ!」
致命的な忘れ物は便意だと語るワールドン。
ミレールは理解が追い付かず、一瞬キョトンとしてしまう。だが、大量の汗をかき、真剣そのもののワールドンの表情に嘘は全くなかった。
そうしている間にも次のコーナーがやってくる。
同時に直腸にも訪れる豪快なコーナーリング。
「ぐぉぉぉ、ぎゅるぎゅる言ってるよ!」
ワールドンのお腹の音は助手席まで聞こえていた。
断続的に続く音が焦る心臓を何度もノックし、ミレールの口の中も乾いていく。
「や、やばいのか? ワールドン様?」
息も絶え絶えに「かなり」と呟くワールドンの様子を見てミレールは停戦を申し込んだ。
「ガトー様、レースを一時中断しよう!」
「ワハハ! 負けそうだから下りるのかにゃん? このチキン女王がにゃん!」
「今さら報酬無しはあり得ないのにゃ!」
そう言うや否や、ガトーやカルカンは強引な幅寄せで煽り運転をしてくる。
「そんなクリーンな走り方をしていたら、オフロードでは通用しないぞにゃん!」
「僕は! レンタカーの運転席のクリーンさを守らなければならないんだ!」
ワールドンの声は切実そのもの。
それなのに事情を知らないガトーの幅寄せは悪辣で、あわやクラッシュという至近距離が続く。
「車間距離守ってよ! 今の凄く危なかったから!」
「このぐらいの距離で何をいってるにゃん?」
声が裏返り始めているワールドンへ、ミレールは眉を顰めてチラ見する。
「どのぐらい危なかったのだ?」
「ギリもギリ! 門が決壊する寸でのところで押しとどめたけどね!」
ウインクをして強がりを見せるワールドン。
決壊した姿を想像し、ミレールはゴクリと唾を飲み込んだ。
そこへカルカンが亀の甲羅で攻撃を仕掛けてきた。
麦畑の隣を並走する中、高速逆走してくる甲羅を道幅スレスレで回避。
「外したのにゃ!」
「こ、こら! それは色んな意味で危ないでしょ!」
口先だけで叱るワールドンに、余裕がないことはミレールにもハッキリと分かる。
慌てて内緒話を始めた。
「お、おい、ワールドン様。危険走行はやめておけ。なんなら今すぐ車から飛び降りろ」
「大丈夫。死ぬときは一緒だよ!」
「凛々しい顔して何カッコいいこと言ったつもりになっているのか!」
自分で炊きつけてしまったとは言え、あまりの事態にミレールは焦る。
その合間にもガトーやカルカンのレースは激しさを増していく。
ワールドンの額の脂汗が凄い。
「今飛び降りたら、僕、色んな意味で死んじゃうよ? 旅は道連れって言うじゃない。ね? ミレール!」
ミレールは「背に腹は変えられない」と飛び降りることを決意し、シートベルトを外そうとした。
「何故だ! シートベルトが外れない!」
「ん? 一人だけ逃げようなんてずるいよね?」
走行中は外れない仕様になっていると語るワールドン。
「クソッ、そんな安全面の配慮があるとは! で、どうだ? まだ持ちそうか?」
「最終ラップに突入してるよ!」
「よっし、あい分かった。限界間近だな!」
寄り返す波も最終局面を迎えているようだ。
体内のジェットコースター具合を再現しているのか、ワールドンの表情は寄せ書きの如く多種多様となる。
その瞬間、砂利で車体が大きく跳ねた。
ワールドンの口は音もなくパクパクと開閉を繰り返す。
「まだ実は出ていないよな?」
「僕は僕の活躍する筋肉を信じているよ!」
「私も信じているぞ!」
強く握り拳を見せるミレールと二人、「筋肉は裏切らない!」と励まし合う。
ミレールが周囲へレースを止めるように訴えるも、誰もやめようとしないし、後ろからは猛スピードで煽られ続け、スピードを緩めることすら叶わない。
「さっきから戯言がうるさいぞにゃん。んなもん聞き流すに決まってるぞにゃん!」
「流すのはペーパーだけにしろ!」
「ペーパードライバーには負けないのにゃ!お酒は絶対に譲れないのにゃ!」
ガトーたちと舌戦を続ける最中、前方でドリフトを決められ、土煙へ突っ込むのと同時にワールドンから小さく声が漏れる。
その声の響きはどことなく達成感や満足感、悟りの境地を開いたかのよう。
「ど、どうした? ワールドン様?」
するとワールドンは気恥ずかしそうな笑みを浮かべた。
「えへへへ……」
「おいーーー!」
その日は、ドライバーシートと心に消えない汚点を残した日となった。
実際にこの忘れ物は大変ですよね。
連休にレンタカーで出かけて、渋滞にハマった際にこの忘れ物があると地獄。
いや、本当に……。