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エチュード

解凍の日

 花の命は短いなんて、私は本気にしませんけれど、祖母は昔の女ですから老醜こそを女の最も憎むべき敵とみなし、たいそう恐れていたそうでございます。祖母の生まれ年は西暦2075年、そんな前々世紀に誕生した地上の古参がいまだ二十代の瑞々しい姿であどけなく眠っているなんて、正真正銘の生きた化石、私はそんな風に思うのです。


 冷凍保存されている祖母は、母の死を──実の娘の死を知らず、昏々と眠り、きっと舞踏会の華やかな夢でも見ていることでしょう。冷凍保存された人間が夢を見ないことなんて重々承知でありますけれど、祖母はやはり幸せな夢を見ているのだと、科学を妄信したくない私は宗教者じみた考えを貫きたいのでございます。


 祖母は、いつか解凍される日を望んでいるのかしら。


 彼女の意志を私は知らされておりません。眠っている人間と対話できるならただしく意に添えるのですが、できない以上、彼女の運命は血縁である私の判断にすべて委ねられています。子がなく、夫に先立たれた私には、祖母の他に家族なんてもう残っておりません。私が死ねば、祖母を任せられる当てもない。若いばかりで世俗を忘れた女が一人きり、未来永劫暗い部屋に閉じ籠っているのはみじめなだけだと、想像するだに口惜しいばかりでございます。


 決して悩まなかったわけではありません。けれど他に取るべき選択肢はないように思われ、ついに祖母の解凍を決断しました。

 人間の解凍はじっくり一年近く時間をかけて行われます。でも一年なんて今の私にとってはあっという間に過ぎ去る時間で、祖母と初めて対面するこの日も、もう来てしまったかと、たいした心の準備もできずにいるのです。


 ひんやりした空気のほうへ、私はぎこちなく歩を進めました。

 老境の悠々たる足取りに、祖母の目には映ったかもしれません。


「あら、おはよう。どちらさま?」


「あなたの孫娘です」


「ずいぶん老けているわね。でも、かわいいわ」


 愛着あるあざけり。祖母の品位ある笑みの奥底には、人間の浅ましさが淀んでいる。自らの美貌に執着して家族を捨てた人が相手ですから、私の感情は凪いだままいささかも揺らぎませんでした。それよりもっと、彼女は残酷な仕打ちを受けなければならない。こんな可憐な花を目覚めさせて、本当によかったのかしら。


「ご覧の通り、私は年寄りです」


「そうね」


「みんなみんな、年を取ってしまいました。いや、後悔はないのですよ。悔いるべき人生じゃない。私は私が納得できる生き方をして年を取っていきました。年老いてからも健気に、自分の力で、生きてきた。子供がいないのでね、天涯孤独の身の上です。子供なんて産めやしなかった。欲しかった。とても欲しかった。でもね、子供を産まないのが私なりの勇気だった。希望がないんです。時代は進んだ。人の生き方は目まぐるしく多様化した。あらゆる分野に最新のロボットが投入された。資源が底をついた。人間なんてやりたい放題。それでも、戦争のない時代を生きてこられたことは幸せでした。女性の人権もずっと守られてきました。守られるよう、闘ってきました。まったく悔いのない生き方です。でもね、現状からは目を背けられない。私はもう、自分一人では生きていけない。介護ロボットは数が少ない。若者はもっともっと少ない。一人で百人。若者が背負うべきものは重たいです。おちおち眠ってなんていられませんよ?」


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