リカ
涼風が手紙をヒラヒラさせても、夏の暑さは微塵も和らがない。
欹がソファにだらしなく横たわり、短い足をバタバタさせている。
「何かあったの?」
苦渋に満ちた茶を啜りながら答える。
「リカが勇者の剣に認められた件、王都で大騒ぎらしい」
「当たり前じゃない。今の王様だって曾々々祖父が勇者だったんでしょ?」
欹が大きく欠伸をする。
指先で弾いた手紙が彼女の鼻先にぴたりと着弾する。
「真偽を確かめるため、王女インファン殿下が直々に来訪なさる。この文面によれば……そろそろ到着の時刻か」
欹がフゥーと息を吹きかけ、舞い落ちる羊皮紙を無造作に見る。
「で、それが私にどう関係あるのよ?」
「表向きは質素にとのご意向だが、公務員として最低限の出迎えは必要だろう。生徒を整列させて――」
「魔王が敵国の王女を棒キャンディ一本で出迎えるわけないでしょ」
小銭袋を床に転がすと、欹の頬が微妙に痙攣した。
「報酬があるなら……話は別だけど……」
追加の袋が落ちる音と同時に、欹が弾丸のように跳び起きる。
「了解です!完璧な歓迎式典お見せしますとも!」
古びた校門の脇で、欹が地平線を睨んでいる。セリーヌがそっと彼女の袖を引く。
「先生……リカさんが……」
「まさか熱でも? 今日の主役がいないなんて……」
セリーヌの銀髪が風に揺れる。「休暇後ずっと……冒険者ギルドの盗賊討伐依頼を受けたまま……」
欹がため息混じりにポニーテールをかき上げる。「相変わらずの天然ぶりね。まあ、式典後に探しに行くわ」
※ ※ ※
雲を貫く巨樹の上、ピートがドンとテーブルを叩く。「あのピンクの小娘、どこから湧いてきたんだ! また拠点を潰されたぞ」
ジャックが煙草を咥えながら地図を広げる。「ギルドの新顔らしい。マイルの魔法陣がなきゃ、とっくに捕まってたぜ」
望遠鏡を覗くマイルが身を乗り出す。「お頭、紋章のない豪華馬車が峠を登ってる」
ジャックが歯茎を見せて笑う。「迷子の貴族か。運の尽きだな」 煙草を切り裂く刀閃と共に木の枝へ飛び降りた。「今夜はごちそうだ!」
※ ※ ※
私は木の椅子に腰かけ、スイカの種の殻をぽいっと放る。「可哀想に……本物の勇者と未来の女王を同時に敵に回すとはね」
透明魔法で浮かぶ水晶玉に、三悪党が崖伝いへ忍び寄る影が映る。思わず笑みが漏れる。「三分持てば御の字かしら」
※ ※ ※
ジャックの彎刀が薮の仕掛け綱を断つ。バキンという鈍音と共に、岩塊がゴロゴロと転がり落ちて馬車の進路を塞いだ。マイルの杖先から隆起する土壁が退路を断つ。
インファン殿下の声が馬車内から響く。
「フィリップ、何事です?」
手綱を握る騎士が馬を鎮めながら答える。
「暫しお待ちを。些細な障害でございます」
「ウィリアム、ジョージ! 状況を確認しなさい!」
甲冑に身を包んだフィリップが仲間の騎士たちに指示を飛ばす。
ジャックが岩塊の上から飛び降りる。
「無駄な真似はよせ!」
(三人組の盗賊団としての生存戦略:略奪は五割まで・流血回避・情報操作)
「金貨二百枚で命は取らねえ! 誓って約束する!」
合図と共にピートが放った矢がウィリアムの鎧の隙間を狙う。
が、騎士は小指一本で矢柄を弾き返した。
「殿下、如何いたしましょう」
フィリップが甲冑越しに問う。
インファンが簾の影で唇を結ぶ。
「勇者様の手を汚させるわけには参りません。ですが一刻も早くお会いしたい……」
「承知いたしました」
フィリップが鞭を鳴らす。
「ウィリアム、殿下を学院へ。ジョージと私はここで」
マイルが杖を構えるも、ジョージの盾に火の玉が跳ね返される。
(盗賊団の誤算:相手が「通常の貴族」でなかった事実)
ウィリアムが馬から降りて直立不動になる。
「了解しました、隊長!」
ジャックが彎刀をブンブン振り回す。
「グダグダ言ってんじゃねえ! 早く金――」
フィリップが鎧を鳴らしつつ前進する。
「ではお受け取りください」
日光を反射する銀甲が忽然と輝いた。次の瞬間、フィリップはジャックの真横に立ち、手甲でその腹へ軽く触れた。
ピートの目には銀色の残光しか捉えられなかった。気がつくとジャックが10メートル先の地面にめり込んでいた。
「逃……げろ…」
粉々になった彎刀を握ったまま、ジャックは泡を吹いて気絶する。
ピートが藪へ飛び込む姿を、フィリップは冷静に見送る。
一方マイルは杖を放り投げ、狂ったように走り出す。
「うわあああ! 殺される! 絶対殺される!」
ジョージが重甲冑ながら鹿のように跳躍し追跡を開始。
※ ※ ※
ウィリアムが特殊な縄でジャックをぐるぐる巻きにする。
「少々揺れますがご辛抱を」
馬車ごと担ぎ上げ峠を飛び越える騎士団の雄姿を、木陰から眺める私は胡桃をポリポリ齧りながら笑う。
「さて、本編の始まりだ」
※ ※ ※
マイルが喘ぎながら林道を駆ける。突然視界に桃色が飛び込んできた。
「お、おい! 助けてくれ!」
追手の気配に焦ったマイルは、偶然現れたリカにすがりつくように叫ぶ。
「あの騎士が無実の俺を――」
背後から響く金属音がマイルの嘘を遮る。
「犯罪者め! その少女から離れろ!」
リカの聖剣がゆっくり鞘から抜かれていく。
「どっちが本当か……剣が教えてくれるわ」
マイルの額に冷たい汗が伝う。聖剣の輝きが悪意を暴き出そうとしていた。
フィリップが空中で体勢を崩し、後頭部めがけて鉄拳を振り下ろす。その瞬間、桃色の剣閃が岩をも断つ衝撃を遮った。
「ゴン!」
マイルが地面に転がりながら目を丸くする。(生きてる……!)
銀甲の騎士がゆっくり拳を引く。鎧の隙間から漏れる視線がリカを貫く。
「はあ……はあ……ちょっと……休ませて……」
リカが膝をつきながら必死に息を整える。
マイルの脳裏に王国刑法第12章が浮かぶ。(暴行罪+公務執行妨害で懲役5年……!)
「黙れ」
二人の声が重なり、マイルが蟻のように縮こまる。
フィリップの甲冑がキーンと鳴る。「貴様は戦う価値がある」
聖剣が鞘から抜かれる音が森を震わせる。「私……誰とも争いたくないんです!」
次の瞬間――
轟音と共に巨木がなぎ倒された。跳躍して難を逃れた私の足元に、斬撃の余波が十字に刻まれる。
「侮りすぎだ!」
フィリップの剣が流星のように連なる。リカは逆に跳ね、剣先で衝撃を水面のように散らす。
「ガン!」「キィン!」
金属音の洪水の中、二人の軌跡が桜吹雪と鋼鉄の渦を描く。フィリップの三段突きがリカの着地点を封じた刹那――
「やめてくださいっ!」
聖剣の護りが突然虹色に輝き、騎士の刃を優しく包み込んだ。
リカが剣を捻じり、刃先から迸った斬撃がフィリップの胸鎧を撫でる。騎士が後ずさりする間、二人は無傷で着地した。
マイルがこっそり逃げ出そうとした瞬間、リカの足が彼の襟首を押さえつける。
(この剣術……複数の流派が混在している?)
フィリップの額に冷汗が浮かぶ。(だが全て私の攻撃を完璧に封じるとは)
甲靴で地面を蹴る。蜘蛛の巣状に広がる亀裂の中心で、銀と桃色の閃光が再び激突する。
「ガガーン!」
森全体が震動するほどの衝撃波が木々をなぎ倒す。小川の水しぶきが虹を作り、草むらを駆ける残像が無数の軌跡を描く。
リスが樫の実を落とす。その刹那、交錯する剣気が頭上をかすめた。
「……っ!」
リカの無鋒剣が間一髪で小さな命を守る。(この輝き……まさか勇者の剣が!?)
キンッという高音と共に、フィリップが自身の奥義を弾き返される。(まさか……たった一度見ただけで)
「勇者剣は戦い終える度に姿を消す」
鎧の奥で喉が鳴る。(まさかこの少女が……)
リカの瞳を覗き込むフィリップの目に、十年前の記憶が重なる。あの日、砂塵に消えゆく勇者の背中と同じ光が――
「敗北を認めよう」
銀甲の騎士が恭しく剣を納めた。無数の斬撃痕が刻まれた森に、突然の静寂が訪れる。
リカが倒れたフィリップを見回し、剣を鞘に収めてマイルを縛り上げる。
フィリップが左膝をつき、兜を脱ぐ。
「王庭騎士団長フィリップ、勇者様に敬礼を」
立ち上がると、リカの姿が消えていた。
「あの……少し手を……」
転んだ勇者を扶ける騎士団長。
「ありがと! えっと……フィリップさん?」
「なぜあの男をかばわれたのです?」
リカが野苺を摘みながら答える。
「どんな悪人にもやり直す権利はあるでしょ。それよりどうして私が勇者だと?」
フィリップが涙ぐみながら手帳を開く。
「『勇者の剣は殺さぬために』……名言です!」
※ ※ ※
雑木林の奥で、ピートが必死に逃げ惑う。
(あの集団だ!)
腰刀を振りかざし、苺摘みの少女を人質に取る。
「動くな! 殺すぞ!」
群衆が奇妙な沈黙で見守る中、人質がのんびり訊く。
「動いたらどうなるの?」
次の瞬間――
イナがピートの手首を掴み、背負い投げで空中を舞わせた。
「ごめんね、イナを殺されちゃ困るんだ。まだ苺が摘み終わってないから」
ピートがぐるぐる目を回しながらナイフを振り上げた。
「動くな! このガリガリの小僧を刺すぞ!」
(背が低い・子供・性別誤認……地雷原でダンスしてるみたい)
私が眉をひそめると、欹の周囲に魔気がメラメラと渦巻き始めた。
「誰が小僧だーっ!」
欹がピートの足首を掴み、人形のようにブンブン振り回して放り投げる。
ドサッ!
ピートが芝生に顔面着陸する音と共に、駆けつけたリカの聖剣が旋回して――
「ドン!」
鈍器直撃でピートがガクッと倒れる。
セリーヌが私の方を見る視線に、はっきりと読めた。(聖剣が投擲武器だと!?)
のそのそと到着した王女の馬車を背に、校門にもたれかかる私。
「全く……騒がしい一日だった」
欹が怪訝な顔で振り返る。
「今なんか言った?」
「盗賊の不運を嘆いてただけさ」
「本当?」
「早く王女の挨拶にでも付き合えよ」