メラ
専用踏み台に乗った欹が教壇から生徒を見下ろす。
「冒険者たるもの、多様な状況下での依頼処理は基本中の基本。というわけで今回の特別訓練では──」
校舎の窓ガラスが陽光できらめく中、彼女は羊皮紙をばんと広げた。
「自由組隊でギルドへ赴き、一週間で最低三件の依頼を達成せよ。全員理解したか?」
教室中から声が揃う。「了解しました、先生!」
「むむ、よろしい。ギルドには難易度調整を依頼済みだが、安全には十二分に注意するように」
チャイムが鳴り、欹が踏み台からぴょんと降りる。
「質問あれば職員室まで。以上!」
職員室で私は湯呑みを滑らせる。「あの四人が受けた依頼は?」
「げほっ! 苦……遺跡の装備探索よ。今回は万全の準備を整えたのだ。必ずや退学に追い込んでみせる」
「また何か起きそうな予感がするが」
「偶然が続くはずないでしょ? 今回は追跡魔法まで仕込んだんだから。今回こそ魔王としての威信を見せつけてやるわ」
欹が自信満々に胸を張る。私は光る巨大な指輪を手に取る。
「巨人の指輪のレプリカか?」
「むむ、本物の巨人なんて現存しないんだから……っていつ盗んだのよ!?」
指輪と欹の背丈を見比べながら呟く。「それにしても、君の身長より大きいな」
欹は慣れた様子でため息。「どうぞご自由に。どうせ私の背が伸びないのは、あなた神様のせいなんだから!」
「用事ができた。少し外出する」
「魔力濃厚なここで監視続けても? 四人の動向、水晶球でチェック中なの」
欹が小さく欠伸を噛み殺す。「どうぞご勝手に。私はこれで」
水晶球が床に転がり、カランと澄んだ音を立てる。
「……これまた、どこの異空間かしら?」
欹の姿が残光と共に室内から消え去る。
舗装路を町外れへと進む四人組。先頭で蝶を追いかけるイナ、大剣を担ぎ鼻歌まじりのリカ、呪文を唱えつつ占術を行うメラ、警戒しながら後衛を固めるセリーヌ。
遺跡の廃墟は苔むした煉瓦が天を衝く塔を形成し、かつての栄華を仄かに伝えていた。塔内の闇からは不気味な蠢く影がのぞき、蜘蛛の足音のような細かい響きが四周に蔓延する。
遺跡前で農夫風の男が棒立ちしていた。リカがその虚ろな瞳の前で手を振る。
「おじさん、何してるの?」
棒読みの声が反響する。
「此処は巨人族の遺構。蜘蛛型魔物が棲息。解毒剤必須」
イナが元気に頷く。「ありがとね!」
「此処は巨人族の……」
「ねえねえ、どうして返事くれないの?」
「蜘蛛型魔物が……」
セリーヌがリカの袖を引く。「仕事中かも。邪魔しちゃだめよ」
振り返れば、男は相変わらず道路を虚視したまま。
「……解毒剤必須」
メラの杖先にオレンジ色の火球が形成される。炎が蜘蛛の巣を焼き払い、空中の毒霧を浄化していく。
薄暗い室内でセリーヌが松明を掲げる。
「メラがいなかったら解毒剤何本持参しても足りなかったわ」
イナが腕に絡んだ蜘蛛の糸をぷるんと振り払う。
「毒も解毒剤も嫌! どっちも苦くて美味しくない!」
「こんな状況も占いで予測済みよ。対応術式も完璧に準備してたんだから!」
メラが顎を撫でながら得意げな笑顔。「褒めてほしいオーラ」全開で三人を見回す。
リカが勇者の剣でベトベトした蜘蛛の巣を剣先でかき分ける。
「みんな見て! 壁に変な模様が刻まれてるよ!」
セリーヌが松明を掲げて壁面を照らす。「確かに……私も見たことのない紋様ね。こっちは雲のように見えて、向こうは塔みたい」
メラが突然解説モードに入る。「これは巨人族の壁画よ」
三人が驚いた視線を向けると、彼女は涼しい顔で手の甲を撫でた。
「魔法以外には興味ない私だけど、巨人族は魔道の開祖の一角。各々が固有の巨人の指輪を持ち、そこに禁忌の術式を封印してたの。私も欲しいわね……」
咳払いして続ける。「でね、あまりに巨大すぎて周囲を破壊しちゃうから、巨人族は雲上に天空都市を築いたとか。この壁画はその創世神話かしら」
リカが腰をかがめて暗がりを指差す。「あそこに何かある!」
メラの目がランタンのように輝く。「まさか失伝したあの伝説の魔法!?」
「うさぎの巣穴みたいだけど、人間が入れるくらい大きいよ」
メラが興奮して杖を震わせる。「周りに樹根が絡まってない?」
「え? なんで分かるの?」
「昨日の占い夢に出たの! きっと伝説の宝箱が隠されてるはず!」
イナが飛び跳ねる。「宝箱! 美味しいもの!」
リカが蜘蛛の巣を薙ぎ払い「入ってみよう!」と叫んだ瞬間――
セリーヌの制止が届かぬまま、三人がズボッと穴へ消えた。
「待って! 塔の中に巣穴なんておかしいでしょ!?」
漆黒の穴を見つめ、セリーヌが覚悟を決めたように目を瞑り飛び込む。
メラが真っ先に飛び込んだ。杖を一振りし、綿雲のような緩衝材が落下速度を和らげる。
上を見上げても、後に続いたはずのリカとイナの姿はない。疑問が頭をよぎった瞬間、眩い白光が視界を支配し、思わず目を閉じざるを得なかった。
涙を拭いながら瞼を開くと――
「ここは……!」
メラの声が震える。無数の書架が混沌と立ち並ぶ空間。高矮入り乱れ、本の背表紙が不揃いな角度で光る様は、却って深淵な秩序を感じさせる。大海原の如く、一滴として同じ形のない波が、壮大な調和を奏でているかのようだ。
魔法書の森に佇むメラの瞳が爛々と輝く。
「ケル・ウェイズ! 四百年前の大魔導師! ヘラ・リミン! 第三十二代勇者隊の……! メルリン・ヘルメス! 『奇跡師』の異名を持つ! 天国かしら!?」
彼女の指先が痙攣するように本を掴む。
「神の国より素敵……!」
貪欲に頁をめくる音が空間に響く。初めの数冊は未知の術式で埋まっていたが、15532冊目を超える頃から内容が陳腐化し始める。
メラがふと手を止めた。
「……何か見過ごしてる?」
脳裏を駆け巡る知識の奔流。眉を寄せたメラが座禅を組み、瞑想に入る。やがて閃光が瞳を射る。
「そうか……ここへ至る経緯を……!」
自らの頬をピンとつねる。
「予想通り、激痛が走るわ」
手のひらで熱を帯びた肌を撫でながら呟く。
「でも……この痛覚、私の魔力耐性を超えてる。これは……!」
迷いなく杖を自分に向け、解除術式を発動。
「はぁ……はぁ……!」
現実の冷気が頬を撫でる。メラが紅潮した顔を両手で覆う。
欹がリカの頬をパチパチと叩きながら叫ぶ。
「感動してる場合じゃないわ! 早く三人を起こす方法を考えなさい!」
メラが立ち上がり杖先を水色に輝かせる。「今、術式を――」
大地が轟音と共に割れ、巨大な瞼を開くように地割れが広がる。メラがよろめく中、欹は風船のように吹き飛ばされた。
裂け目から巨大な豆の芽が蠢きだし、夢幻に囚われた三人を乗せて雲海へ伸びていく。メラがテレポートで欹をキャッチする。
「先生! ここはどこ? 何が起こってるの!?」
欹が空中で小刻みに羽ばたきながら説明する。
「巨人族滅亡と共に墜落した天空都市が、夢の集合体として存続していたのよ。あの子達は都市維持のエネルギー源にされかかってるわ!」
怪物の蠢く豆蔓を見上げるメラが杖を握り締める。
「厄介な戦いになりそうね」
風に翻るスカートを押さえつつ帽子を被り直すメラ。欹が彼女の肩にしがみつき、蝶々のような羽根を必死に震わせている。
「そのデカブツの杖しまえないの? 墜落したら責任取れる?」
「杖は魔道士の魂よ」
メラが言いながら、欹の背丈の倍ある杖を掌サイズに縮める。
「状況に応じて信念の形を変えるのも魔道士の心得なの」
雲海の上に、かつて楼閣が連なり、黄金の輝きを放ち、精緻な彫刻が施された梁が連なっていた――全ては七千年前の姿。今や地上の廃墟と変わらぬ残骸が、雲の絨毯の上に無惨に横たわっている。
広大な雲原に残るのは、苔むした廃塔ただ一つ。その傍らで、二体の巨躯が石像のように佇む。塔の根元では三人が深い眠りに落ちていた。
メラが息を呑む。
「まさか……生き残りの巨人族が!?」
欹が冷ややかに否定する。
「亡霊よ。栄華を極めた巨人族がこの末路とは皮肉なもの」
メラが振り向きざま尋ねる。
「巨人族滅亡の真相をご存じですか?」
欹が首を傾げつつ答える。
「ここを見るまで知らなかったが……推測はつくわ」
「天空都市は他種族への配慮などではなく、ただ彼等が地上を蔑んだ証。求道者でありながら投機家でもあった彼等は、滅亡を予見しながらも魔法探究に身を捧げた。魔族以上の狂気よ」
メラが巨大な杖を構える。
「それでも魔道の先駆者には違いない。最後の別れを捧げましょう」
欹が頷き、宝珠を掲げる。
巨人族は元素感知のため肉体を改造していた。物理攻撃を無効化する不死の肉体は、魂を失っても「巨人の指輪」によって戦闘機械と化す。
メラが脳内で高速演算する。
『禁呪は距離不足……通常魔法では逆に狂暴化させるリスク……となると――』
鏘と甲高い金属音が背後で響く。欹とメラが振り返ると、岩卓に寄りかかる私の姿があった。
紅茶の香りが雲間に漂う中、私は湯呑みを傾けながら問う。
「メラよ、魔道に執着する理由は? 力のため? 真理のため? それとも巨人族のように全てを捧げる狂気か?」
メラが首を横に振る。夕陽が私の輪郭を金縁取り、空に注いだ茶葉が翠雲となり、星屑を纏った雨簾となる。
「真の魔法はここに」と胸に触れる指先。指を鳴らせば夜空が瞬時に星座模様に変わり、摘んだ星を湯呑みに落とすと琥珀色の茶が輝く。
欹が呆然とする横で、メラが覚悟を決めて立ち上がる。
「私が求めるのは仲間と歩む道。どうかこの未熟な魔法をお見届けください」
メラがスカートの裾を提げてお辞儀をすると、碧眼に無数の魔法陣が浮かび上がった。
「『万象は奇跡となり、万法は心より生ず。我が名はメラ・セシルヴィス! 此れこそが我が魂の極致――【ウィッチクラフト】!」」
空間が砂糖細工のように溶解し始める中、メラが囁く。
「夢は、覚める時よ」