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インファンがゆったりと馬車の階段を降りた。


金色の巻き髪に輝く銀のヘアピンがその高貴な身分を物語り、幾重にも重なる純白のドレスは高空に浮かぶ一片の雲のよう。真白のグローブを嵌めた両手は腰元で優雅に重なり、まるで肖像画から抜け出したモデルの如く。肩にかかる金髪は胸元のローズゴールドのネックレスと溶け合い、しかし薔薇色の瞳が放つ輝きの前では、王家の秘宝を飾った首飾りさえ霞んで見えた。


欹が隊列の先頭に立つ。


「か、歓迎いたします!冒険者学校へ、尊き王女殿下!」


私は左手を胸に当て、軽く会釈した。


「本校にご光臨賜り、まことに光栄に存じます」


インファンの目尻が優しく緩んだ。


「皆様は勇者様の師弟であらせられます。どうぞインファンとお呼びください。あるいは単に『王女』と。畏まったお呼び方はお控え願えますか」


魔王である私にへりくだる言葉をかけるのは慣れているが、逆の立場となるといささか不慣れだ。


インファンの言葉に欹はほっと息をつき、内心で評価を少し上げた。この年齢でこれほど老練かつ謙虚とは、さすがはエスランドの至宝。これまで表舞台に出てこなかった王女の器量に刮目する。


インファンは自然な動作で欹の頭を撫でた。


「坊や、町から来たの?ご両親はどこかしら?」


欹の顔が瞬時に曇る。…今の好評価は撤回だ。


仮にゲームのように好感度を数値化するなら、当初50(無関心)→60(若干好印象)だったものが、今や30(不快)あたりか。


インファンはさりげなくポケットから棒付きキャンディを取り出した。


「ほら、早くお母様のもとへ。いつかきっとここで学ぶ時が来るわよ」


欹の拳が軋む音がした。


「そちらが勇者様の担任教師で?お若いのに立派なご身分で。ところで校長先生は?」


インファンは私と握手を交わし、貴族らしい洗練された身のこなしを見せた。


私は社交的な微笑みを浮かべた。


「私が校長でございます。あちらが担任の欹先生ですよ」

「えっ?…げほっ、失礼いたしました」

「申し訳ありません、不快な思いをさせたなら。どうかこれでお許しを」


インファンが欹の小さな手を両手で包み込み、ゆさゆさと振っていた。高貴な王女とは思えぬほど砕けた態度だ。


欹が暗い表情でウィリアムが差し出す小箱を見下ろす。

宝石の煌めきが欹の顔を照らすやいなや、たちまち笑みが花開いた。


「いえいえ、わたくしが身分のご説明を怠った不手際ですよ」


インファンが身を乗り出す。

「勇者様はどこに?もう待ちきれませんわ」


ウィリアムがきびきびと答える。「犯人三名の引渡しに団長閣下とご同行中です。少々お待ちを」


インファンはむしろ嬉しそうに手を打ち鳴らした。

「六百三十五代目勇者様も正義のためなら身分を顧みないのですね!さすがですわ!」


しかし実際には、リカは学校へ向かいながら獲得した金貨をガチャガチャ数えてにんまりしている最中だった。


私は右手で通路を指示した。

「それでは、拙いながらも校長室でお待ちいただけますでしょうか」


「お言葉に甘えます」


先頭を歩く私の背後で、王女が勇者の日常を覗うように校舎を見回す。二人の騎士が馬車を放置してまで厳格に随行し、生徒たちがわいわい言いながら教室へ散ってゆく。


人通りが途絶えた馬車の傍らで、セリーヌが寄りかかる欹を心配そうに見上げた。

「先生、大丈夫ですか?」


欹の体内で炎が血管を這うような灼熱感があったが、手のひらをひらひらさせた。

「むぅ……何でもない……私が……何かあるわけないだろう。授業に戻りなさい」


踏み出した足が地に着く前に、ぐらりとよろめいて地面に倒れ込んだ。

セリーヌが慌てて体を支え、助けを求める声が跳んだ。


瞼が鉛のように重い。この大陸最強の魔王が、みっともなく崩れ落ちるなんて……欹は必死に瞼を開け、痙攣する指で地面を掴む。


私がそっと欹の瞼を覆った。

「無理すんなって言ったのに。自業自得だな」


耳元の声が遠のく中、欹の意識が霧散した。


……


欹が瞼を開け、じたばたと体を起こそうとする。

リカが欹を抱きかかえる。

「大丈夫、すぐ医者が来るから」


欹が苦しげに瞼を開く。「リカなぜここに……構わなくていい……」


セリーヌが欹の額に手を当てた。

「少し休んで。イナとメラが校長に休暇届け出てくれたわ」


ドアを押し開けた医師の太い手から黄色い光が弾けた。

「高熱。暫定診断は『魔王炎』ですね」


手帳に謎の文字を走り書きする医師の横で、欹がむせ返る。

(魔王炎……まさか魔王限定の病?正体がバレたのか?油断させて急襲する気か……)


かすれた声で問う。「魔王炎って……何?」


リカが不思議そうに目を丸くする。

「欹知らないの?みんな子供の頃かかる伝染病よ。でも私ぜんぜん病気したことないんだよね」


セリーヌが呆れたようにため息。「バカは風邪ひかないのよ」


欹の背筋が凍る。(これは罠の匂いがする……油断した隙に魔王的要素を見破られたか)


医師が欹の手首から光を収める。「栄養失調キャンディばかりに過労が重なった多臓器炎症。静養と栄養補給で自然治癒します」


リカが欹をおぶり上げる。「ありがとう先生。行こうか」


欹の瞼が鉛色に沈む。(人気のない場所で始末する気か……死ぬわけには……)


溶岩に浸かるような温もりが全身を包む。(まあ……いいか)


意識が再び闇に落ちる直前、五人の影が狭い部屋の扉に重なった。


リカが欹をベッドに寝かせる。

「これが欹の家かぁ……」

メラが雲の上にふんわりと乗っている。

「先生もセリーヌ同様ね」


十畳の寝室には雑物が散らかり放題。埃に覆われた家具の輪郭が、まるでゴミ捨て場に迷い込んだ錯覚を起こさせる。


イナの声が猫の額ほどの台所から響く。

「欹のキッチン何もないじゃん!イナのお腹より空っぽ」


「じゃあ最後まで面倒見るか。掃除と食事準備よ」

メラが指を鳴らすと宙に消えた。「食材調達」


イナが蛇口をひねり錆びた鍋を磨き始める。

「料理はイナにおまかせ!」


リカが異空間からほうきを取り出し。

「欹ちゃんの部屋ピカピカにしてあげる」


瞬移で戻ったメラが野菜を渡す。慌ただしい仲間たちを横目に、セリーヌが雑誌の山を抱え上げる。「わ、私も……」


三人が揃って振り向いた。「セリーヌは見てて!」


……


欹が目を覚ます。

埃まみれだった壁が白さを取り戻し、床に転がっていた品々が整理箱に収まり、曇り窓が宝石のように透き通っている。


リカがモップを握りしめ微笑む。

「起きた?ご飯まであと少し」


セリーヌが膝を抱えてベッド端に座る。

「どうしてこうなったのかしら……」


欹が満足げに頷く。(勇者パーティの女子力予想外だ)


浮遊する雑巾が突然静止。メラが魔法の手を止める。

「……この戸棚、鍵がかかってる?」


メラが引き戸に手をかけた瞬間、欹が瞬間移動で遮る。

「そ、その戸棚は開けちゃダメ!」


(過去の日記と計画書が……バレたら終わりだ)

汗が首筋を伝う。


リカが欹を抱き上げる。

「はーい、開けないから。お熱いんでしょ?」


欹が手足をバタつかせる。「教師が生徒に世話される立場か!」


イナが湯気立つ粥を運んできた。

「完成!イナ特製おかゆだぞー!」

メラが台所を覗き込んで戻ってくると、粥の椀を疑わしげに睨んだ。

「おかしいわ。五人前買った食材がこの量?」


イナが唇をぬぐい咳払い。「えへへ……エキス全部絞り出したから」


「先生に食べさせてあげる」

セリーヌが椀を抱え、スプーンをふーふー吹く。


欹が口を開け、ちゅるりと音を立てて飲み下す。

「ん……この世にこんな美味があるとは……って自分で食べられるっつーの!」


「だって私だけ何もできなくて……」セリーヌの頬がベッドサイドのリンゴより赤く染まる。


「まあいい。病人特権で甘えさせてもらうか」

欹が大きく口を開ける様子に、メラが呆れ顔で天井を見上げた。


空になった椀を下げながらセリーヌが布団を整え、リカが雨戸を閉める。


ドアの閉まる音と共に、欹が舌鼓を打つ。(これも悪くない……いや!恩着せがましい真似は許さん。いずれ返礼を)


あくびが零れた瞬間、背筋に悪寒が走る。瞼を開けると、黒衣の影が鼻先に迫っていた。


「ぎゃあ!?いつからいたの!?」ベッドから転げ落ちそうになる欹。


アポロがべったりと腰を下ろし、欹の頬をつまむ。「校長の代理でお見舞いよ。登場回数減ってるのに(咳)、薄情者ね」


椀の底を覗き込んだアポロが妖しい笑みを浮かべる。

「いい教え子たちだこと」


「ああ、本当に素晴らしい子たちだ……」

次の夕暮れ時、欹が玄関を開ける。

リカがぴょんぴょん跳ねながら入り込む。

「先生がご馳走するなんて夢みたい!」


イナがテーブルへ直滑降。「食べたい食べたい!」

「教師たる者、何においても生徒を凌駕せねばな」

マンションのゴミ置き場に山積みの黒焦げ物体が全てを物語っていた。


セリーヌが欹の額に手を当てる。

「体調は大丈夫ですか?」

「お前たちのお陰だ。ところで昨日の粥の素材は?」


メラが優雅に椅子を引きつつ列挙。「海鼠、鮑、松茸……」

「ストップ!察した」


イナがよだれを拭いながら皿を覗き込む。

「匂いだけでお腹ぐうぐうだよ」

「舌が溶けるほどの絶品を味わうがいい!」


「イナいただきまーす!」

四人のフォークが宙を舞う。


五分鐘後……

イナが床で泡を吹き、リカは謎の呪文を唱えながら痙攣。セリーヌは椅子からぶら下がり、メラだけが震える指でグラスを握る。

「……神経は明晰なのに……筋肉が……これが……死の……前兆……?」


欹が不機嫌に頬杖をつく。「ここまでひどいか?自分で食べてやる!」


ドスンという音に下の住人が怒鳴り上げる。


私がドアを開け、惨状に眉をひそめる。

「これでは名探偵でも犯人不明だ」


欹の鼻息を確認し絶句。「瞬殺料理とは……まさに魔王の所業」

「こんな幕引きは許されん」


時計の針を一時間戻し、五人をベッドに放り込む。スープを口に含んだ瞬間、背筋が凍りつく。

「これは……言語道断だ」


欹が目を覚まし伸びをする。「何してるの?」

「二度と……いや、三度と厨房に近づくな」


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