キスとマーキング
いちゃいちゃバカップルがメインです。キスばかりしてますのでご注意ください。
「サーラ。サーラッ」
私を呼ぶ声はもう何度目だろう。
無視して歩いていると、後ろからスルリと腰に腕を回された。
「シキ!私まだ怒ってるんだからねっ?」
そんな私の態度にクスクス笑う彼の顔を見上げる。
濡れたような黒い瞳はひどく甘く私だけを見つめていた。
「お前がそこまで怒ることはないのに」
「だって、あんな言い方……悔しいよっ」
私はシキの胸に顔を埋めた。どこか官能的なシキの香りは私をいつも安心させてくれる。
シキがゆっくり撫でてくれる手の重みが心地よい。
「言いたい奴には言わせておけよ」
そう言うシキはとても大人だ。私の頭の上にチュッと小さなぬくもりを落としながら、よしよしと私を甘やかしてくれる。
余裕のあるシキの態度に私は自分がまだ未熟な子供なんだと再確認させられてしまう。
俯いたまま額をシキの胸に擦りつける。誰より何より大切な私のシキ。そのシキが軽んじられることが私には辛い。
「ごめんねシキ。私にもう少し力があったなら……」
「俺がこうであることはサーラの責任じゃないだろ?」
「だけど――」
「形にこだわることはないと2人で話しただろ?」
私の指の間を労わるように撫でながら自分の指を絡めてくるシキ。
その手を口元まで持ってくると私の指の先に唇を落とす。
「俺はサーラのモノでサーラは俺のモノ。それだけわかってれば俺は他に何も要らないけど?」
シキは私の瞳の奥を覗き込んでくる。一片の揺らぎも許さないというように。
わかってるのかな?シキにそうされると私の心臓は雁字搦めに捕らわれてしまう事。
キュッと縮んだ心臓が苦しいのにそんな自分を嬉しいと思うなんて。
「大好きよ、シキ」
「俺は愛してる」
片頬を緩め愛しい顔が段々と近づいてくる。私の唇は喜んでシキを迎え入れた。
私の息が上がるまで舌を差し入れられ、私もまた彼のザラリとした舌と尖った牙をそっと舌先でなぞればシキがクスッと笑うのがわかった。
私とシキ。人間と獣人が共に在る世界で私と彼は『契約者」と『使役獣』と呼ばれる存在だった。
*************
もう数え切れないほどの昔、世界が軋む出来事があった。
人間の世界にいつしか人間と獣を合わせた様な生き物が蔓延るようになったのだ。
獣人と呼ばれるようになった彼らは好戦的な性格で繁殖力も高く、排除しようとする人間たちと長く争うことになる。
自分達だけで戦うことに限界を感じた人間は、能力の高い獣人をこちら側に引き入れる事を思いついた。獣人を決まった人間に縛り付ける。それが『契約』といわれる秘儀だ。その効果は絶大で防戦一方の人間を獣人に相対する位置にまで押し上げた。百年程前に停戦協定を結んだ今でも、私達が15歳になれば義務として行われる儀式である。
私とシキも15歳の契約の儀で初めて出会った。
彼は黒豹の獣人だった。彼の艶やかな黒い毛並みと黒い瞳、獣の頭部、そして人間以上に大きな体躯に驚いたが、もっと驚いたのは契約の証がその胸に刻まれていなかったことだ。
獣人はその能力によってランクが分けられ契約時自然と胸に印が浮かぶという。能力の高いものから5爪、4爪、3爪、2爪、1爪と獣らしく鋭い爪を模した紋様が。
しかしシキのビロードのような手触りの良い胸には何の紋様も浮かんでいない。無爪。それがシキに最初に与えられたランク。能力の増減によって紋様の爪の数も変化すると言われたが、旅を続けている今でもシキは無爪のままだ。
別段シキはそのことについて何も思ってはいないようだが、周りは違う。
一般的に契約者のレベルが高ければ使役獣のレベルも高いと言われていることから、私もシキも冒険者としていつまでも認めてもらえない。確かに冒険者としてヒヨっ子な私は侮られても仕方ないけれど、シキは無爪と思えないほど強いのに。
今もシキの胸を見た、ギルドの男からポロッとこぼれた「なんだ無爪か」の一言が我慢できずに飛び出してきたところだ。
「もう少し我慢出来るようにならないといつまでも貧乏なままだよ?」
「わかってるんだけど……」
「俺のことはいいから。サーラ、たまには美味しいもの食べないと大きくなれないじゃないか」
私の肩を抱き寄せ腰をかがめてこめかみにキスしてくるシキ。
出会ってから2年。私は17歳だ。もうそんなに大きくなれないんじゃないの?と疑問の目を向けた私にシキは笑う。
「ココの成長は19歳くらいまでだって。せっかく俺が協力してるんだから後は栄養つけないと」
「っ!シキッ!」
ツンと胸をつつかれ真っ赤な顔で怒る私にシキは動じない。
小さな胸は私の密かな悩みだ。
シキはそのままがいいと言ってくれるけど、女の子にとっては切実でしょ?!
「サーラ可愛いね」
「知らないっ!」
ご機嫌なシキの胸をポカポカと叩く。私の力じゃ全然痛くない様子のシキが面白くない。
だけど朗らかに笑う彼の顔を見てるうち、シキってやっぱり格好良いなんて顔が赤らんでくる自分。
私はポスリと彼の胸の中に飛び込むと、大きな背中にギュッと抱きついた。
「サーラ?」
「シキはすごく強いし格好良いの。私にはシキしかいないしシキじゃなきゃ駄目なんだからね?」
もう口癖になった言葉を今日も彼に告げる。
彼が気にしてなくても、悪意ある人の言葉はやっぱり不快だと思うから。
私は彼が5爪だろうが無爪だろうがシキがシキであるならそれでいい。私の傍にずっといてくれるならそれでいいんだ。そんな気持ちを何度だってあなたに伝えたいから。
馬鹿だなぁって頭の上でフッと笑う気配がした。
「当たり前だろ?サーラの使役獣は俺なんだからね?」
シキはシキでそんな私の心に気づいてるらしく、何度だってこのやり取りに付き合ってくれる。
しがみつく私を抱きしめながら、髪や耳など目に付くところ全てにキスの雨を降らせてくれた。
スキンシップがこんなに好きな人だとは思ってなかったから、始めのころは随分大騒ぎになったよね。そんな思い出も私の宝物だ。
あなたに出会う前まで、人と触れ合うことなんて一度もなかったって言ったらシキは驚くかな?
私達は最後にもう一度小さな口付けを交わすと、今夜の野営地を目指して歩き始めた。
*************
その街を見たときどこかで見たことがあるような気がした。しばし考えてみるが思い出せない。
隣を歩くシキが「どうした?」って言うが私は「なんでもない」と首を振った。考えてもわからない事をいつまでも引き摺っていてはシキが心配する。気持ちを切り替えて今夜の宿を探さなくちゃ。
私はシキの手を握ると、彼を引っ張るようにして道を進んだ。
街の中は活気に溢れ、客を呼び込む露天商の声が飛び交っていた。
人間が4割、獣人が6割だろうか。ひしめく様に通りを埋める人の群れ。若干獣人が多いのは月牙国が近く、交易しているせいだろう。月牙国は獣人地区とも呼ばれ、名の通り獣人だけが住んでいる国である。
狼、狐、狸、牛、豚。いろいろな種族の獣人が通りを人間とともに歩いており見ているだけで楽しい。
屋台の種類も豊富だ。食料だけではなく衣類、装飾品、家具、雑貨。珍しいところで賭け事に興じる屋台もあるようだ。
「あれ可愛い!」やら「欲しいけど高い~!」やら店を覗いて一喜一憂している私にシキは文句も言わず付き合ってくれている。
先日のギルドは仕事を貰う前に出てきてしまったし、今の私達に贅沢するお金はない。
「ここなら仕事にありつけそうだよねっ。お金が入ったら服を買ってもいいかな?」
機嫌の良い私にシキも笑顔で頷いている。
だけど「俺としては下着も……」なんて耳元で囁くものだから思わず私は彼を突き飛ばしてしまった。
人前で!と瞬間的に真っ赤になった頬に手を当て「バカ!」と叫んで走り出す。名前を呼ぶシキを無視して。
でもそれが間違いだった。
私としてはすぐに足を止めたつもりだったのだけど、気づいたときには結構遠くまで来てしまったようだ。小柄な私は問題なく人混みを抜けたのだが、大柄な彼ではそうもいかなかったのだろう。
不安になった私は見慣れたシキの姿を必死で探すが、人ごみの中にもあの艶やかな黒い毛並みは見つからない。
どうしよう!
一度シキの名を叫んでみるが答えはない。
キョロキョロとシキを探しながら来た道を戻ったのだが、むしろ事態は悪化した。どうやら道を間違えたようで薄暗い通りに出てしまう。大馬鹿者!と頭を抱えたくなった。
さっきまでの喧騒とは違う澱んだざわめきが通りのあちこちから聞こえてきた。
人間も、獣人も。ここにいるのは裏がありそうな男達ばかり。向こうから歩いてきた獣人と人間の女たちは露骨に派手な格好でそんな男達にしな垂れかかっていた。
これはまずいかも……。私だって冒険者の端くれだから多少腕に自信はあるがそれはあくまで人間同士の場合だ。基本的な能力が人間より勝る獣人相手だと荷が重い。早くシキと合流しなくちゃ。そう思って踵を返して歩き出した私の前に一軒の店が目に入った。
緋褪色の看板を出した薄汚いのに羽振りのよさそうなあの店。私の記憶に妙に引っかかる。何の店だろう?私ここ知ってるような……どこかで……。
立ち止まってしまったのが悪かった。ハッとした時には目の前に3人の獣人族の男たちがいた。
牛、猪、そして熊。いずれも剛腕の持ち主で私の腕では太刀打ちできない事を悟る。
「どうしたぃ?こんな所で立ち止まってぇ?」
「あの店に何か用かぁー?」
妙に間延びした口調とぎらつく瞳。熊の獣人が懐から煙管を取り出して吸い始めた。この匂い、薬だ。
さっきから頭で警鐘が鳴っている。逃げなければ!
「人を探しているだけです。失礼します」
彼らの横を通り過ぎようとして猪の獣人が私の腕を掴んできた。
「っ!何するんですか?!放して!」
「お前、あの店見てたなぁ?身売りかぃ?」
「身売り?」
「あそこは奴隷を売る店だぁ」
その言葉に私は目を見開いた。奴隷。ではあの既視感は――!
「違います!放してください!」
「お前よく見れば悪くない顔だなぁ。おいぃ。いい小遣いになりそうだぞぃ」
「ほおぉー。確かにぃー」
会話に入ってきた牛獣人がニタリと笑う。振り払おうにもしっかり掴まれた腕は放れない。2人は何事もないように熊獣人を仰ぎ見た。
「付いてる獣人もいないようだしぃ、どうするぅ?」という問いかけに熊獣人は煙管をカコンと壁に叩きながら「連れてけ」と嗤った。
「絶対嫌よ!」と猪獣人の胸を蹴り上げるが、相手はよろけただけでニヤニヤしている。もう一度振り上げた足を今度は牛獣人が握ってしまった。無事な左手でナイフを抜くが熊獣人の煙管を持った手で叩き落されてしまう。
絶対絶命だ。私は奴らの手で抱え上げられた。嫌だっ!助けて、助けてシキっ!もがく私を奴等がせせら笑いながら店に向かって歩き出した時だった。
「で、お前は俺も呼ばずにそんな奴らといつまで遊ぶつもりだ?」
全身の力が抜ける。のん気なのに殺気を含む声は上の方から。
見下ろす黒い瞳と目が合って私は思わず安堵の涙をこぼした。
「シキィ~……!あうぅ!」
民家の屋根から飛び降りてきたシキは音も立てずに地に降り立つ。
熊獣人に渡された私は苦しいほどの力で小脇に抱えられ、残りの2人がシキの前に立ちふさがった。
呻く私に目を向けたシキはもうちょっとだけ我慢しろと短く言う。
「さて、そいつは俺のモノなんだがいつまで勝手に触ってる?」
怒りに燃え光る黒目が奴らを見据えた。ピシャリと地を打つ尾も膨らんでいる。
「豹、か。この娘のかぁ?情けねぇな、人間に使われてよぅ」
「おまけに見ろよぉー。こいつ無爪だぁー」
「豹の癖にかぁ?!ギャハハハアァ!」
「プハハァ!爪のない飼い猫かぁ?初めて見たなぁー!」
「うるさいっ!シキはあんたたちみたいな下種とはっ、かはっ!」
好き勝手を言う奴らに怒鳴ると「黙れ」と熊獣人に体をきつく絞められた。
こちらを見たシキが目を細める。
「サーラ、いいから大人しくしとけ。言いたい奴には言わせとけって言っただろう?」
だけどせっかくのその言葉も私は耳に入らなかった。絞められる力が強すぎて息が……できな……。
「時間切れだ。お前達は俺をイラつかせすぎたな」
朦朧としながら聞いたのは今まで聞いた事のない冷たいシキの声。それを最後に私は意識を飛ばした。
*************
「ん……む……ぅ」
口の中にミントの清涼さが広がり、生暖かい水が流れ込んでくる。
コクンと飲み込むと、唇の温かさが遠ざかり頬と瞼にザラザラとした温かい舌を感じる。ちょっと痛い。
「むぅ、いやぁ……シ、キ……」
体に感じる体温に擦り寄りながら手で払うと、笑いながら抱き寄せてくれる。
鼻をくすぐる大好きなこの香りはシキのものだ。
私は重い瞼をゆっくり開けると、手触りの良い毛並みを楽しみながら彼の顔を見上げた。
「大丈夫?痛いところない?」と鼻の頭にシワを寄せるシキ。
「――シキ、だぁ……」
本物のシキがいる、と寝ぼけながらもフニャリと私は笑った。
「おはよ、シキ……」
スリリと彼の首に頭を埋めると、彼の香りがますます強くなった。ああ、幸せ。
彼が無言なのも気にせず私はまた眠りの世界に引き込まれそうになっていた。なのに。
「……あくっ、うむうぅぅーー!!」
グイッと顎を持ち上げられ強く唇を奪われた。
強引に開かされ、舌を絡め取られる。息っ、息できません!パシパシとシキの胸板を何度も叩き、意識を失う寸前でようやく解放される。
そのまま死ぬかと思った……!激しく息切れする私をシキはガッチリ抱きこんで放さない。
彼の黒い尾がパタパタ振られていたから彼はご満悦なのだろう。本当にもうっ!
意識がハッキリしてくるにつれ、ここが見知らぬ部屋の中なのがわかった。
「シキ、ここは?」
「宿だよ。サーラが気絶したからここまで運んだんだ」
「そう。――あの人達は?」
「倒した」
「――うん、ありがとう」
そうだと確信していた。
シキは強い。私の知る限りどんな相手であろうと彼が負けるところは見たことがない。
すでにこの世界は人間よりも獣人の数の方が多い。数が逆転したせいか世の中は弱肉強食の風潮が強くなった。どんな手段であろうと勝つことが重要なのだ。負けた者は例え相手に殺されても文句は言えない。だからあの獣人達の末路を私は気に病んだりしない。キレイごとだけじゃ旅は出来ないってシキが教えてくれた事を私はしっかり覚えていた。
危機が去った今、脳裏に浮かぶのは緋褪色の看板だ。この街だったのか。全てを失ったあの日を思い出して泣きたくなるのを何とか堪えた。あれは過去だ。私は今幸せなのだから、と。私を包んでくれる温もりに意識を集中する。
いつか――シキにも話せるかな?思い出すのは辛いけど、シキならきっと受けとめてくれるはずだから。
「そういえばどうして私の居るところがわかったの?」
「あ、そうだった。サーラ、手を出して?」
思い出したように言うシキに手を預けると枕の下から「はい!」と取り出した小さな箱を手の平に乗せられた。
「何?」と問う私に「開けてみて?」とシキは笑う。
丁寧に蓋を開けると、中から出てきたのは私が高くて買えないと言っていた首飾りだ。
どうしてこれが?
驚く私にシキが頭を掻きながら説明してくれた。
「どうしてもサーラにあげたくてね。お前の居場所はこの街の中なら追える自信があったから、な。賭け事屋で勝負して作った金でこれ買ったんだよ。急いで済ませたんだけど、まさかあんな裏通りに迷い込んでるとは思わなかったんだ。すぐに追いかけなくて悪かった。危険な目にあわせてごめん」
私の背中を撫でながら、ほんとに目が離せないとブツブツ言う彼に私は思い切り抱きついた。
今月だったね、私の誕生日。シキ、覚えていてくれたんだ……。
泣きたいくらい嬉しさが込み上げてくる。この人が私は本当に好きだ。
「ありがと、これ大事にする!大好きっ!」
「感謝の気持ちは体で返してもいいんだぞ?」
嘯くあなたも。
「賭け、よく勝てたね?」
「獣人腕相撲だよ。楽勝だった」
少年みたいなあなたも。
「どうやって追って来たの?」
「お前の匂い。特にお前は俺のマーキングもしてるし」
「マーキング?!」
「俺の匂いたっぷり付いてるだろ?」
……ニヤリと笑う意地悪なあなたもっ!
全部好きすぎてどうにかなりそう。
だけど私だって意地悪されっぱなしじゃ嫌なのよ?
私はもう一度彼の首筋に頭を埋めると、そのままペロリと舌を這わす。
驚くシキを押し倒して、あちこち舐めると最後に口を一舐めした。
目を見開いて私を凝視するシキが見れて満足する。仕上げとばかりに彼の耳元に唇を寄せ「マーキング」と囁いた。
顔を戻しシキの顔をじっと見る。
あ、駄目だ。フヨフヨとそよぐ彼のヒゲを見ているうちに笑いが込み上げてきた。シキも同じ。
私達はどちらともなく噴出するとコツンと額をあわせて笑いあった。
とてもとても幸せで満たされた時間だった。
そして。
お互いの手をしっかり握り締めながら、私達は今日も一緒に旅をする。
当てのない旅だが2人でいればどこに行こうと幸せだ。
私の首には彼から貰った宝物が、明るい日差しを浴びて煌いていた。
fin.