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第六話 『勧誘』

 『旅人』の扉が開くベルの音がした。


その音を聞いて入口を見れば、あまり嬉しくない客がやってきたことを示していた。


「……はぁ、いらっしゃい」


 今日は厄日となりそうだ……と、今からのことを考えながらため息をついた。


「人が来た途端にため息をつくのはやめてくれるかな、人によっては不快感を与えることになる」


「普通の客ならこんなこともないんだが、貴女は別だ」


 俺の様子に苦笑しながらやって来た女性は言い、俺の目の前にあるカウンターの席へと座った。


この人の頼むメニューはいつも決まっているので注文も聞かずにすぐさま準備に取り掛かった。


「さすがだね……こちらの希望をしっかり抑えている」


「このぐらいは当然の範囲ですよ」


 カウンター前から離れてコンロを扱っている俺は適当に言葉を返す。


少し離れた位置で会話をしながら、フライパンで炒めている材料を宙へと飛ばす。


宙に舞った材料は、一つも欠けることなくフライパンへと落下していく。


「上手いものだね」


「コツさえ掴めば、楽ですよ」


 女性はそんな様子を眺め、静観していた。


その間に作っていたものを完成させ、ルノに持っていくように頼む。


「はい、オムライスとアイスティーだよ!」


 この世界の米は一応広範囲に流通してはいるが、全体的にパン類が好まれるため米を使った料理はそれ専門でなければなかなか存在しない。


そのため軽食の類では、珍しさも有り米の料理であるオムライスは比較的人気商品の一角である。


アイスティーは、コーヒーと違って紅茶は強く広まっているので珍しくはない……とはいえ、茶葉は悪いものを使っているのではないため、安定して売れている。


「ありがとうルノ君」


「わぅん!」


 女性はルノへとお礼を言って食べ始める。


撫でられたルノはうれしそうに鳴いて、テーブルの拭き掃除を再開した。


俺はこの人が苦手だが、ルノは別にこの人のことを嫌ってなどいない。


だから追い出しにくいんだよな……この人。


「食ったらさっさと帰ってくださいよ、仕事あるんでしょキリアさん」


 フィオーリア学園中等部教師、キリア・エルステッド。


出会いが少々問題があったため、ことあるごとにやってきては俺をフィオーリア学園で仕事させようとする困った人である。


「なに、君と話し合うために午前で今日の分は終わらせてきた、ゆっくり話をしよう」


「……迷惑な」


 グラスを拭きながらため息をつく。


客としては嬉しいが、話し相手としては一番疲れる人なのだこの人は。


「別に悪い話じゃないと思うんだけどね、教師も調理師も」


「この仕事結構気に入ってるんです、それを辞めてまでっていうのはないですね」


 もともとは成り行きな部分が強い喫茶店経営だけど、今は好んでやっている。


ここを辞めて今から他の仕事をやるのは勘弁してほしい。


「ふむう、残念だ……けどまあ時間はまだ十分ある、説得させてもらうよ」


「迷惑です」


「そう言わないでくれ、こっちも真剣にお願いしているんだ」


「……はぁ、じゃあまあ、とりあえずお話といきますか?」


 ため息をつきながら、俺はキリアさんとのお話に意識を向け始めるのだった。




 そもそもの始まりはここに来てわりとすぐのことだった。


開店から初めての定休日のときにルノと新しく作った魔法具の実験のために街の外に探索に行こうとしていたときだ。


実習の帰りだったのだろうか、平原で生徒を逃がしながら戦うこの先生を見つけてしまったのだ。


中等部の実習は四人から六人くらいまでの生徒一グループに一人実力のある教師がついて行われており、生徒が致命傷を負うなどという危険はほとんどないと言ってもいい。


しかし、何事にも例外と言うものは存在しており、今回この生徒たちのグループはその例外にぶち当たったようだった。


魔獣リオネル、二回り以上大きな黒い獅子のような化け物で凶暴で強く、魔法に対して無効化に近いほどの耐性をもつという非常に面倒な魔獣である。


本来ならば『大迷宮』のかなり深いところか、あるいは人がやって来ることのない場所にいて、このあたりにいるはずもないような存在にキリアさんのいたグループが遭遇してしまった。


そこからのキリアさんの行動は迅速だった。


すぐに生徒たちの前に出て、逃げるように指示しながら足止めのために自分はその魔獣と戦い始めたのだ。


その判断自体は間違ったものではないし、限りなく百点に近い正答だっただろう。


ただ一つ、誤算だったのはリオネルに自分の魔法が通じなかったことである。


正直相性が悪かったと言っていい、魔法を得意とする彼女には足止めすらままならない状態であった。


そんな現場に直面した俺たちはさすがに無視をするわけにもいかずにその戦闘に乱入したのだ。


後衛にルノを残し、俺は魔獣に向かって接近する。


そのまま腰の鞘から抜き出すのは今回実験のために持ってきていた銀色に輝く手製の機工剣もどき。


「せやぁぁっ!」


 斬撃一閃。


キリアさんに意識を集中していた魔獣の側面から一気にわき腹を切り裂く、開いた傷口から溢れる魔獣の血液が顔に付着するが気にしている暇はない。


さらに連撃として斬撃を放つが、その時点で魔獣が俺たちから距離をとり殺気を持ってこちらを睨みつけてくる。


「ッチ、思ったより冷静な判断するじゃねえか」


 怯むことも、あるいは至近にいる俺に攻撃することもせずにまずは距離を取って俺を視界に収めてきた。


思うように行動してこなかったことに舌打ちしつつも、とりあえずはこれでキリアさんと魔獣の間に割り込むことに成功した。


「君は!?」


「話は後!」


 乱入者である俺たちに驚いた顔を見せるキリアさんへ俺は魔獣へと視線を向けたまま叱咤した。


どうやら不意打ちに近かった一撃もそこまで効いてはいなさそうだが、魔法の通用しない魔獣にとってはじめてもらった一撃は俺へと意識が集中されるには十分なものだったらしい。


そして、その隙を見逃す俺たちではない。


[火炎の槍:射出せよ]


 後衛として、その場で待機していたルノに魔獣は気づかない。


魔法言語による詠唱が響き、ルノの放った炎の槍がまっすぐに魔獣の横顔に直撃して顔全面を焼くように燃え広がった。


「今の魔法は……あの子か!? あの年であんなに強力……でもダメだ、そいつに魔法は通用しない!」


「そんなことわかってますよ」


 魔獣には痛打にはなっていない……そもそも、ダメージを与えるためのもではないのだから。


魔獣にとって全く問題のない炎は、しかし確実に魔獣の視界を狭めていた。


炎が槍が放たれた時には走り出していた俺はその炎が作り出す魔獣の死角へ潜り込み、その手に持つ剣で魔獣を斬り裂いた。


「……やっぱり、この程度じゃ無駄か」


 斬った端からすでに傷の再生が始まっているのを目で確認しながら、小さく呟いた。


確認してみれば先ほどの不意打ちの傷も既に癒えた後のようだ。


「でかい図体にふさわしいだけの自己治癒能力ってか? ふざけんなよ!」


 斬られたことで当たりをつけたのかそれとも俺の叫びが原因か、俺のいる位置に前足での一撃が振るわれた。


それをかわして魔獣から距離をとる……ここまでのやり取りがおおよそ予定通り。


「面倒だが……これで一安心、かな」


 本音を言えば、ダメージがあればそれに越したことはなかったのだが最初の目的は達したと言っていい。


距離をとった俺に対し、魔獣は俺を追いかけるように飛び出してくる。


それによって、魔獣の視界および意識からキリアさんが外れたことを確認できた。


炎を放ったルノにも特に注意を払っていない……今この場で自分を傷つける可能性があるのは俺だけだと、意外と冷静な思考を持つ向こうが判断したのだろう。


魔法が効かないことが自慢の魔獣なのだ、ならば狙うのは当然武器を持つ前衛となるのは必然であり、狙いを定めた魔獣は速い。


恐ろしいほどの速度で俺との距離を詰めてその前足を振るってきた。


「ッチ、うらぁっ!」


 強化魔法を全身にかけ、その前足を剣で弾く。


その時にかかる衝撃だけでこの魔獣がどれだけ強いのかを理解できる。


畳み掛けるような前足一本での連撃を、かわし、弾き、防ぐが、徐々にこちらが押されていく。


反撃に回る余裕が与えられないし、そもそも反撃したところで効果は薄いと言わざるを得ない。


「ぐ……」


 俺の身体能力や戦闘技術は高くはない。


強化魔法込みの能力であれば人外の域にも届くことは出来るし、作った魔法具を扱えるようになるためにある程度の技能は習得している。


人外の域とはいえ、言ってしまえばそれは人間の域を脱しているだけに過ぎない。


相対している魔獣、あるいは人間よりも身体能力の高い獣人の類ならばあるいは素の状態で出せる可能性のあるレベルだ。


事実、この魔獣は強化魔法をかけている俺と同等かそれ以上の能力を持っている。


基礎身体能力であれば下手をすれば今のルノでも十分上じゃないだろうか。


加えて言えば、ルノには魔法の力ですら負けているのが現状なのである。


俺が人より優れているのはじいさんにより受け継がれた知識の数々であり逆にその知識が同条件であるならば、俺よりも強い人間はごろごろといるだろう。


ルノも着々と俺から知識を吸収している最中だ、やがては俺がルノに勝てる部分などなくなってしまうだろう……そのことがやや悔しいが、それを考えるのは今ではない。


「この……うざったいんだよ!」


 総合力はともかく、瞬間的な力であるならばそれでもまだそれなりの出力は出せる。


その目一杯の力を出すことで魔獣の攻撃を受け止め、押し返すことでバランスを崩した魔獣はたたらを踏みながら後ろへと退く。


その瞬間を、ルノが見逃すはずがない。


[風の盟友:渦巻き:そして在りし敵を:穿ち抜け]


 風の螺旋が飛んだ。


それは魔獣の横腹へと命中し、魔法が効かないはずのその身体を抉り取った。


理由は単純な話で、向こうの耐えられる以上の威力の魔法を放っただけである、それがどれだけ高い威力なのかは言うまでもない。


傷ついた魔獣は咆哮、私見では有るがその咆哮には困惑が混じっているように感じられた。


それもそうだろう、自分の身体を害す魔法なんてその身に喰らったことなどないだろう……それはつまり、未知の痛み。


「とはいえ……終わらないよな」


 この程度で倒せるのなら、人々に恐れられる魔獣となるはずがない。


俺の呟きに呼応するように、魔獣は一際大きい咆哮を放ちその眼光がルノを捉えた。


先ほどの俺の斬撃などよりもよほど大きい傷だ、意識せざるを得ないだろう。


だからこそ、大した傷を負わせられない俺への意識が逸れることになる。


「フッ!」


 その一瞬で気づかれず空へと跳躍し、魔獣の脳天を全力で踏み抜いた。


斬撃の効果があまり現れない、風の螺旋の傷もすぐに修復を始めた、こういう敵には打撃のほうがよほど効いたりする。


強化魔法もかけた全力の蹴りだ、それも脳天からいったそれはたまらず魔獣もうめくような声を漏らす程度にはダメージが入ったようだ。


「お前の相手は俺だ、ルノには手を出させねえよ」


 魔獣と意思疎通が出来るかは知らないが、出来るだけ不敵に、そして挑発するように声をかける。 


いくら強いとは言ってもルノはまだ子供、成長途中の子供を護るのは年上であり兄貴分の役目だろう。


出来る限りこちらへ気を引いて、ルノへの注意を減らしていく。


「さあ、再開だ!」


 前へと踏み出し、魔獣もまた俺を迎撃するように前足を振るった。


「読めてんだよ!」


 俺としてもさっきの向こうの連撃をただ防いでいたわけじゃないのだ、どういう攻撃を繰り出してどういう軌道を描くのか、常に観察は続けていた。


もちろんあれだけの攻撃で完全に見切ることなど出来はしないが、それでもある程度の予測を立てることはできる。


その予測により前足の一撃をかわしながら、地についているもう片方の前足へと接近してその足を蹴り払った。


結果として前足両方が不安定な状態で蹴り払いによる横からの力ものり、横転することになる。


魔獣の巨体が倒れ、そして出来た大きな隙に俺は機工剣もどきを深々と突き刺した。


確実に臓器の一つを大きく傷つけたと感じ、そしてあとはそれを斬撃として引けばいくらなんでもダメージを負うだろう。


そう考えて剣を引こうとした時、正体不明の衝撃が俺を横から打ち抜いた。


「か……は……」


 それは魔獣の長い尾、しかし魔獣の力で放たれるその一撃は岩だって砕くだろう。


その一撃をこの魔獣は自分のダメージを無視してでも俺に振るってきたのだ、わずかな悪寒を感じて咄嗟に腕でガードはしたものの、ガードした腕にはヒビ程度はやったのではないかと感じられる。


戦えないわけではない、前衛をするには文字通り骨が折れそうだ。


[大地の柱:突き抜けろ]


 この後どうやって戦おうかと考えていたその時、俺ともルノとも違う詠唱が響いて俺と相対していた魔獣が横から突き出された石の柱に吹き飛ばされた。


明らかに魔法だと思われる一撃で魔獣を吹き飛ばしたことに少々の感心を覚えながらそれを行った人物を見る。


「時間を稼いでくれて感謝する、おかげで奴に有効そうな攻撃を模索できた」


 この場において俺でもルノでもない……ならば残るのはキリアさんに他ならない。


柱と地面の接地していた場所からこちらへと近づいてくる彼女が自分の考えを俺に告げてくる。


 そう言ったのはキリアさん、柱と地面が設置している位置の近くに立っていた彼女はこちらへと近づいてくる。


「いくら魔法耐性があっても、今のような物理に近い攻撃であればまだ問題なさそうだね」


「ええ、そうですね」


 魔法に対して抵抗があるというのは、魔法という現象を実際に起こしている精霊の力を減衰させることが出来るということ。


現象を起こす力が減衰するのだから、当然魔法という現象も消滅する……それが抵抗力というものの実態である。


そのため、抵抗力の高い相手に対して魔法で攻撃を通す方法は基本的に三つ。


一つ目はルノのやったような抵抗力以上の力をぶつけること。


それだけの力があることが前提であれば一番シンプルな方法であり、逆になければ絶対に選べない方法でもある。


二つ目は抵抗力の隙、あるいは弱点をつくこと。


完全無欠の抵抗力というものはそう簡単に身に付くものではない、火に弱い、冷気に弱い、雷に弱い、あるいは体の一部のみ抵抗力が弱いといった何かしら高い抵抗力に対してデメリットとなるものが存在している。


無論例外はあるにせよ、それは簡単に起こるものではなく、基本的にはそういった弱点が存在しているものである。


そして三つ目は今キリアさんがやったような物理的に近い攻撃。


岩石や氷塊といったそれ単体を作る現象の魔法は精霊の力を込めた物質であり、炎や風のような放出し続ける魔法よりも精霊の力の結びつきが密になっている。


それ故に精霊の力を減衰しての魔法の消滅に若干の時間差が生じることになり、その時間差を利用することで岩石を落としたり、今のように柱を生成してぶつけるといった物理的な攻撃が可能になるのである。


「さて、色々やってくれたツケ、払ってもおうか」


 キリアさんはそう言って岩石の生成と、魔獣に向けての射出を繰り返す。


弾丸のようなそれらは次々に魔獣へと命中していくが、思ったよりもダメージは小さい。


斬撃よりはマシとはいえ、やはり高い再生力がコイツを難敵へと仕立てあげているのだと言うことがよくわかる。


「……さて、どうしたものか」


「負ける心配はなさそうだけどね……」


 それを見物しながら、俺は常備している薬の一つを飲み干す。


正直言って苦くてクソ不味い薬ではあるが効果は覿面なのだ。


ヒビが入っていただろう腕が、数秒程度で一切の違和感を感じなくなるほどに修復されていく。


「……よし、動くな」


 握り、開き、違和感なく動くようになった腕を見て、俺は呟いた。


となれば残る問題は目の前で岩の弾丸の雨に曝されている魔獣のことである。


今でこそ細かいダメージを与えているが、あれだけでは決定打にはなれないだろう。


正直な話、ルノの言葉通り負ける心配はない……が、このままでは倒す手に欠けるのである。


「……チッ、まずいか?」


 今回の目的は現在魔獣に突き刺さっている機工剣もどきのテスト、少しやってすぐに帰る予定であったからあの剣と今の最低限の薬程度しか持っていない。


こんなことなら魔法具入れた鞄持ってくるべきだったな……おかげで少々手詰まりに近い状態である。


正確には手ならばある……それは人目が無いという条件が達成できるならばの話だが。


「ルノ、率直に感じたことを答えてくれ……あの人が退くと思うか?」


「わう……無理だと思う、少なくともボクたちが残ってる限りは……」


「だよな……」


 ルノの勘がそう告げるのならまず間違いないだろう……自分の見立てにも一致する。


となれば切り札の類を使わずに戦うしかないということで、かなり厳しいことになるのは否めない。


抵抗力に対する攻略法の一つ目と三つ目が有効であるのはここまでにはっきりした……ならば探すべきは二つ目。


つまり弱点となる属性か、あるいは弱所ともいえる場所……その他抵抗力の隙。


「わう……どうするの?」


 ルノも困ったように俺へと問う。


おそらくだが属性的な弱点はないと俺は見立てている……ならばどこかに弱所があるのではないかと考える。


とはいえ、このまま向こうの足を止め続けるのは難しいだろうからあまり考える時間もない……ならばと一番現実的なのはルノの魔法だろう。


魔力的な意味で規格外の威力をたたき出すことになるが、それでも切り札の類よりはまだマシな範囲だ。


そう思いルノに指示をしようとしたところで……轟音が鳴った。


「「「!?」」」


 魔獣の咆哮。


とうとう浴びせられる石弾に我慢が効かなくなったのか魔獣が今までとは明らかに違う威力を伴った音の暴力が放たれた。


射出されたはずの石弾が力を失い粉々に砕かれ、さらに俺たちのいる場所にまでその衝撃は到達する。


「ぐ……」


「わ……う……」


「これは……」


 腕で顔を守るように衝撃に耐え、その衝撃が身体にぶつけられる。


仮に近距離でこれを喰らえば、吹き飛ばされていたことは想像に難くない。


衝撃が止み、その先にはこちらを睨みつける魔獣……俺たちは即座に動けるように迎撃態勢を取ったのだが……


「……へ?」


「……なに?」


「……わう?」


 魔獣は突然向きを変え、俺たちから離れるように走り出した。


こちらに興味をなくしたのか、それとも敵わないと思ったのか、詳細は不明だが明らかな逃走の様子。


今までの戦闘から、今あげた案はそのどちらもがあり得ないと断定できる……しかし実際にはあっさりとした逃げを行われた。


本来であれば危険生物である魔獣を逃がすわけにはいかないのだが……唐突な行動に思わず呆けてしまっていた。


「…………!?」


「ヒサメ?」


 だけど……そこで気づいた。


ちょっと待てと……魔獣が逃げた方向には何があるかを思い出せと。


「ルノ、追うぞ!」


 それに気づいた時には叫び、飛び出した。


唐突な命令に、しかし微塵の逡巡も見せずにルノは追随してきた。


戦闘が始まってから失念していたが、魔獣の逃げた方角は先に生徒が逃げた方角であり、街のある方角なのだ。


魔獣にしてもここで戦うより、先に逃げた生徒を追う方が良いと考えたのだろう……ああ、確かにその考えは正解だろう。


遅れてキリアさんも気が付いたようだが、それに構っている暇はなくなった。


すぐに追わなかった故に、魔獣との距離はかなり開いている。


戦闘に入ってどれだけの時をかけた?


生徒はもう安全圏に入っているのか?


答えはわからないし、どちらにせよその先にあるのは街だ。


魔獣自体は倒せるだろうが……魔法耐性のこともあり被害が出る可能性が高いのは明らかだろう。


「そんなこと……させるかよ!」


 ルノへと目配せ、ルノもまた俺の意図を一瞬で理解して、即座に詠唱を開始する。


[風の盟友:風の船を持ちて:矢のように駆ける:一陣の風となれ]


 詠唱の終了と同時に俺たちの前に透明なボードが現れる……一瞬の遅滞もなくそれへと乗り、俺たちは常識外の加速を始める。


「……わふっ!」


「これなら、追いつけるだろ」


 直進専用の超加速する風の魔法。


制動さえまともに出来ない欠陥品の魔法で、基本的に使う者などいない魔法だ……だけど平原を追いかけるのなら現存の魔法において間違いなく最速の一手。


その力を示すように俺たちを乗せた風の魔法は、それなりにあったはずの魔獣との距離を一気に詰め寄り、追い抜いた。


その勢いのまま俺たちは魔法を解除して、魔獣の前へと降り立った。


「覚悟は……いいな?」


「倒す」


 ここまでに見つからなかった以上、生徒は逃げ出せているのだろう。


それは素直に喜ぶべきことだが、時間をかけるわけにはいかない……既にここはかなり街に近い位置にある、幸いまだ人の気配はないようだが誰か来る可能性は捨てきれない。


「これで決めてやる」


 キリアさんは置いてきた、近くに人目や気配は感じられない。


そうであるならば遠慮をすることはないと、俺は詠を口にした。



――孤高の焔そこに立つ


  我が身の焔は母を焼き


  我が身の焔は父を焼く――



 追いつかれた魔獣も、無論ただそこにいるだけではない。


追いつかれてしまったのならと当然ながらこちらへと攻撃しようとするが、それを許さない存在がいる。


「ヒサメの邪魔はさせない」


[風牙の盟友:渦巻け:暴嵐の盾となり:近づくものを斬り刻め]


 風が巻き起こった。


先ほどルノの放った風の螺旋とは違う……言うなれば風の円環。


円形に風は渦巻き続け、俺たちの前に円形の盾となって現れる。


その力は先の風の螺旋と同等以上……耐性を持つこの魔獣でも、突破することは容易ではない。


風と魔獣の攻防が続く中、俺の詠は続いていく。



――腕の一振りにて友を焼き


  残り立つのは己一人


  焼けた荒野に立つ者の名は――



 身を削りながらも、魔獣は風の円環を突き破ってきた。


だけどそんなことよりも俺は魔獣に突き刺さる俺の剣が未だそこにあることにのみ意識を向ける。


ああ……まだそこにあるな……それを確認して、俺は最後の言葉を口にした。


「――イフリート――」


 極炎。


言葉が響き、魔獣の腹に刺さる機工剣を起点に解放された炎が一瞬で魔獣を包んで抵抗を一切許さずその巨体を焼き尽くす。


生きているものを許さないとばかりに燃え盛るその炎は、魔獣の抵抗力を意に介さず唸りをあげる。


辺りに響くのは魔獣の断末魔、そして炎の燃える音……それらが流れた数秒、たったそれだけの時間であれだけの巨体を誇った魔獣が存在していなかったように灰も残さず消え去っていた。


これが古代魔法……古代言語によって綴られた詠唱により発動する現存の魔法と次元を隔てた魔法。


この威力でまだ本来の力とはほど遠い……街に近いため、人目を気にしてある程度抑えて放ったのだ。


仮に誰かが見ていたとしても、かなり強い魔法使いで済む程度で。


「今のは……一体どういうことだ?」


 だけどそれは、当然ながら魔法耐性の異常に高い魔獣だということを知らないものから見ればの話である。


それを知っている者から見れば、今の炎がどれだけ異常なものであるかを理解できる。


そして、その発動の鍵となった言葉がわかる者にとっても……その両方を持った者が、俺とルノの後ろにいた。


「いつの間に……」


 誤算……いや、この場合は失念していたと答えるべきか。


引き離していたとはいえ、俺とルノが使った移動法と同じかそれに匹敵するものがあれば、追いつくことは不可能ではない。


あれは使われないと言っても通常の魔法、彼女が使えたとしてもそれは何の不思議でもない。


速攻で倒すことに念を置き、集中した状態でイフリート、あるいは風の円環を使用していたこと……また、最も可能性の高い街からへの目撃者に注意するあまり、通りがけに誰も見当たらなかった自分たちの来た方向へは注意が散漫であったことも今回の原因であろう。


「聞かせてもらえるかな、何故、ああも完璧な古代言語が使えたのか」


 おそらく、詠唱途中で到着したのだろう……しっかりとその言葉を聞かれていたようだ。


古代言語は解析の進められていながら、遅々として進まない学問だ……完璧な古代言語の詠など、この世界にまず存在していない。


そのためある程度古代言語の学問の知識のある者から見れば俺の詠は異常でしかないのだ。


誤魔化しは効かない……とはいえ、正直に話すことは出来ず、この場をどうにかして切り抜けなければならない。


「こちらが話すことは何もない」


 弱みを見せる訳にはいかない、あえて強い口調でキリアさんを突き放す。


だけどキリアさんにしてもこちらに対して退く気はないようである。


「そうはいかないな」


「……貴女はどうにかあの魔獣を倒した、しかし、疲労でここまで歩いて倒れてしまった……そういうシナリオになりますが、文句がありますか?」


「……やる気かい?」


 俺の言葉、そして放たれた威圧にキリアさんが身構えた。


正直、一般なら腰を抜かすほどの威圧を今放っている……その中でそうできるというのは感心に値するが、それを今口にすることはしない。


「やめた方がいい、わかっているはずだ、どう足掻こうとこっちには勝てないと」


「っ!」


 二対一、そのどちらもが相当な使い手であることはわかっており、そして異常な力を持っていることも……現状キリアさんに勝てる見込みはない。


「こちらの望みはそちらが見たことを口外しないこと、あの魔獣を倒したのはそちらだと言うこと、それだけだ」


「……それだけかい? てっきり、詮索するな、とでも言われると思ったけど」


「調べても何も出てこないし、話す気もない、有ろうが無かろうが関係がないし、それが真実であるかを答える必要もない」


 こっちは異世界の人間で呼ばれてからもずっと辺境に住んでいたのだ、一年の旅である程度の足取りはあるが、それさえ見つけるのは至難の業だろう。


そしてこちらから話すとおり、喋るつもりも無いしそもそもそれが正解しているなどと教えることもない。


同時に、もしかしたら何かがわかるかもしれないという希望を抱かせ他の二つを守らせることに重点を置くために、あえて条件から外している。


「……わかった、その条件をのもうか」


「商談成立だ、その契約、破れば報復もまたあることを覚えていろ」


 先ほど以上の威圧。


一般なら腰を抜かすどころか意識を失うであろうほどのソレに、キリアさんも冷や汗を流す。


「……こっちも命は惜しいからね、約束は守るよ」


「そうか」


 言葉を残し、ルノと一緒にその場を去る。


正直なところギリギリであった……人の来る気配をルノが感じていたから、異常な力によるゴリ押しとなってしまった。


一緒のところを見られれば、条件の前提が破られるため仕方がなかったとはいえマイナスである。


恐怖による合意を得るのは有効とはいえ、逆に、興味を引き寄せることにも他ならない……この街を去るわけにもいかないため、どこかで出会う可能性は決して低くは無いのだ。


それでもできれば、『旅人』では出会いたくないと思うのだった……まあ、それも叶わなかったわけだが……




 その後の話となる。


数日後、レスカさんが友人を連れてきたと言って現れたのがキリアさん。


当然ながら、俺とキリアさんの間で少々剣呑な雰囲気を形成してしまったが、レスカさんとルノが間に入ることで、どうにか通常通りの口調で会話をする程度にまではなった。


詮索するなという条件を入れていないため、会話の中に詳しいことを聞こうとするキリアさんをこちらも受け流し、レスカさんの分と合わせてオムライス二つとコーヒーにアイスティーを出したのだが……ここから話が妙なことになってくる。


キリアさんが俺の料理を絶賛して学園の調理師にならないかと言われたのにはレスカさんと俺、ルノまでもが思わず耳を疑ってしまった。


また、ルノもあの戦場にいたのだからその異常性もまた発覚している、明らかにあの年の子供が出せる威力を越えていたからな……突っ込まれないほうがおかしい。


そこで発覚するのはルノの知識であり、俺から引き継いだものである……ルノはまだ子供であり、俺から注意しても、ボロを出すことはある。


さすがに最大秘匿のものに関しては一切口にしなかったが、それでも零れ出た知識の中には通常とは群を抜いたものであったり、あるいは考え方から違うものもあったりする。


それを聞き、わりと本気な表情で教師にならないかと言われたのが今の状況であるのだ。


「しかしだね、君の才能はここで使われるにはもったいないと思うのだよ」


「それは調理師でも同じだろうに……」


「ほう……教師は否定しないのだね」


 キリアさんの目が自然と鋭くなるが、俺はため息をつきながら続ける。


「まあ、仮に俺に才能があるのならの話ですけどね……」


「ルノ君の様子から才能はあると思うのだがね」


「一対一ならある程度の効果は出すでしょうね、でも複数人を相手にするのは訳が違います」


「……手ごわいね」


「こっちのセリフです……」


 キリアさんと話しながら、俺は気が滅入るようにもう一度深いため息をついたのだった。







 喫茶店『旅人』、現在嵐到来中。

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