第五十八話 『幕引』
ゴールはすでに見つけている。
ならばどれだけ歩みは遅くても、その場所には必ず辿り着く。
「ようやく……だな」
「わう」
まさか街中で行うわけにはいかないため、人のほとんど通らない草原に移動した俺とルノは感慨深げに言葉をこぼす。
七つ目を終わらせ、古代魔法というものを知り、世界を渡る術を手に入れた。
それからは俺がいなくても問題ないように喫茶店に教師、ギルドに夜会、全ての対処を行い、ここに立っている。
そこまでに数ヶ月はかかることになったのだが、確かに今その終わりがここにあった。
俺とルノが振り返れば、そこにいるのは宴会時のメンバー……に、姿が見えないがおそらく一人プラス。
「ヒサメ……」
「ついにこの時が来たんだね」
「アサカとシオンか」
最初に前へと踏み出したのはアサカとシオン……親友と、そう呼べる二人である。
アサカが俺の前に、シオンがルノの前にそれぞれ立ち、口を開く。
「帰ってきたら、またいろいろと話そう?」
「わん!」
シオンがルノと握手をしながら再会の約束を取り付けている。
その横で俺はアサカと向き合って言葉を待つ。
「まあ……なんつーかさ」
「ああ」
「絶対に帰ってこい、俺が言えるのはそれだけだ……口が下手で悪かったな」
「いや、俺とお前ならそんなもので充分だろ」
「……それもそうか」
「ま……こっちから言わせてもらえば……『旅人』を頼んだぞ」
「了解、お前が帰ってくるまで護りますよっと」
どちらともなく拳をぶつけ合い、俺はシオンと、アサカはルノと向き合う。
穏やかな笑みを見せるシオンに俺も同じような笑みを浮かべて言葉を紡ぐ。
「シオンには夜会のほうを任せた」
「任されました……と言っても、さすがにヒサメほど色々はできないけどね」
「それでも、ザインさんのもとで腕を磨いて、俺からも学んでるんだ、そこらの店とは比べ物にならないものは作れるんだからな」
「そう……ですね、謙遜はお二人に失礼ですし……改めて言わせてもらいます、任せてください」
「ああ」
アサカと同じように拳を合わせて、それから二人は他のメンバーのもとに戻っていく。
そして、次にこちらに向かって歩き出したのはレスカさん。
「や」
「ども」
「わう」
まるでいつもと変わらないといった感じでこちらに微笑みかけたレスカさんはそのまま俺とルノの頭に手を載せてくる。
探索を終えてからの準備で一番尽力してもらったのが彼女である。
「ギルドと学園、二つもお姉さんに押し付けるのは働かせすぎだと思うよ」
「レスカさんだからこそだよ、さすがに他の面々じゃこんなの頼まないって」
「ま、褒め言葉として受け入れておくよ」
それより、とレスカさんはそこで少し苦笑した表情を見せ、
「本来こういうのはお姉さんがやるものじゃないとは思うのだけどね、大人組の残りの二人はやりそうにないからお姉さんがさせてもらうよ」
そう言って、レスカさんは今までに見たこともないような表情を見せて俺とルノの頭を撫でてくる。
その表情は親が子に見せるような、兄や姉が弟や妹に見せるような、慈愛に満ちたような、誇らしさを見せるような表情。
「君たちはよく頑張ったよ、そろそろ報われてもいいだろう?」
「あ……」
「わう……」
祝福や、あるいは一緒になって喜んでもらう……そんなことならこれまでにもあった。
だけど、こんな風に労われるのは、久しぶりだった。
ルノには俺がいた、だけど、俺はそれこそじいさんが逝ってしまってからはじめての感覚である。
「ちょっと、反則……」
不覚にも、数滴だけ涙が零れた。
確かにクラウやリアンナではやりそうにないけど、だからってレスカさんがやるとも思えなかったから本当に不意打ちだった。
「全部終わったら、ここに帰ってきたら、少しだけ肩の力を抜くといい、うんと甘やかしてやる」
「はは、それは楽しみ」
「わん!」
「……ではまたな、必ず帰ってくるように」
「「はい!」」
「ああ、そうそう、第三夫人の件も考えておいてくれよ?」
「ぶっ……今ここで言いますかそれ!?」
さらなる不意打ちに今度は思わず吹き出してしまう。
そんな俺の様子を見てレスカさんは肩を崩し、
「柄じゃないことをさせられたんだ、いつも通りには戻さないとな」
「こういう時くらい戻さなくていいっす……」
「わう?」
脱力して突っ込む俺に満足したのかレスカさんが笑いながら戻っていく、相変わらず意味を理解していないルノの困惑が何よりの癒しだった。
それから次にやってきたのはシトネちゃんとセリカちゃん、アサカやシオンと同じくかけがえのない友達である。
「サナちゃんは一緒じゃないのか?」
「サナは特別枠よ」
「特別って……よくわからんが、まあ了解した」
「あいっかわらずマスターは……」
「いつも通りだね」
俺の発言に頭を抱えるセリカちゃんと、意味深な視線を送ってくる。
古代魔法の本質に関してはこの場にいる全員に教えている……だからこそ、シトネちゃんは気づいている、前に俺が語ったことと前提が変わっていることに。
「……今日、今からですか?」
「まあ、そうだ」
「鬼……でも、このタイミングはどうなんだろう……」
「罵声は甘んじて受け入れるよ」
「というか、二人でなんの話をしているのよ?」
「わう、ボクたちにもわかるように話してほしい」
まあ、俺とシトネちゃんの裏を知っていないと今の話はまあよくわからないだろうな。
とりあえず二人をなだめるようにして、それから俺はセリカちゃんに話しかける。
「まあ、セリカちゃんも『旅人』のことを頼むな」
「当然よ、帰ってくるまではしっかり護るわ」
「うん、セリカちゃんは俺たちの中で一番牽引性を持ってるからね、みんなを引っ張っていってほしい」
「ふふ、マスターもわかってるじゃない」
「これでもマスターだからね、見るべきところは見るさ」
笑みを見せあい、セリカちゃんとシトネちゃんは戻っていく。
シトネちゃんは最後までこちらに意味ありげに視線を送ってきたが、俺はただ頷くに留めた。
「次は私たちだろうな」
「うわ、クラウも空気が読めるようになったのね」
「リアンナさん、それを口にするのはどうかと……」
使徒組はなんというか自由だな……ていうか、クラウがいるのにこの空気はどうなんだろう。
というかうん、リアンナの言葉に納得……しっかりとサナちゃんやカレンの方に視線を送りながら出ていた辺り、しっかりと空気が読めている。
「まあ、ほとんどリアンナのせいなのだろうけどね、クラウも本当に少し変わったわ」
そんな俺とルノの苦笑に対して、後ろから聞き覚えのある声が響いた。
思わず背筋が伸びるような感覚に襲われてしまう、どこかにいるとは思っていたがこんなに唐突に近くから声を聴くとは思わなかった。
「エレンシアさん?」
「ええ、可愛い弟子だもの、見送り位はするわ」
「ありがとうございます、けど、姿を見せてくれてもいいんじゃないですか?」
背から聞こえる声は、しかし声の主はそこに存在しない。
しかしその実すぐそばにいるのだという奇妙な確信も抱いていた。
「柄じゃないわよ、そういうのは……これくらい味気ないほうが私たちにはちょうどいいわ」
「それは残念」
「わう……」
「ま、さっきの人間が言ってたけど、帰ってきたら少しくらい甘えることを許してあげるわ」
そんな珍しい優しい言葉に少々驚き、それから他にはわからない程度に口元をゆるめて、
「ありがとう、姉さん」
「ま、功績に対するほんの少しの報酬ってだけよ、それじゃあね」
近くにいたエレンシア姉さんの感覚が消えていく……本当に一度も姿を見せようとしないのがある意味姉さんらしいと思う。
「エレンシアは行ったようだな」
「え、居たんですか?」
「あらあら、アーミアは要修行ね」
「そ、そんな!?」
「……なんでクラウたちが一番笑いの色が濃いんだろうか……?」
「私まで含めるな……不本意だ」
俺の突っ込みにクラウがおもむろに頭を抱える。
まあ、確かに……主に犯人はリアンナだし。
「湿っぽいのは嫌いなのよ、笑いが大切」
「だからって他人をだしにするのはやめてくださいよ」
「まあまあ、怒らない怒らない」
アーミアを宥めるようにリアンナは笑いかけ、それにと言葉をつづけ、
「ヒサメが失敗するとは思わないからね、帰ってきたら会う、今までと特に変わらないわ」
「……そうですね、私はそんなに付き合いはないですけど、それでもヒサメさんがすごいことは知ってますから」
「わう、ボクは?」
「ルノ君もすごいよ、だからヒサメさんと二人一緒なら何があっても大丈夫です」
「そうだな……心配はしない」
アーミアの言葉を引き継ぐようにクラウが繋いだ。
「ヒサメ、お前の、お前だけの想いで作った詠を見せてもらうぞ」
「わかりました……聞いていてください」
「ああ……そうだな、帰ってきたら二人で飲もう、お前と飲むのは嫌いじゃない」
「ええ、必ず」
「わう、ボクも!」
「お前はもう少し成長してからな……」
「またそんなこと言う!」
「これは譲れない、まあ、あきらめろ」
「わうぅ」
小さな苦笑が沸き起こり、それからクラウたちも離れていく。
これで残ったのは、あと二人。
「マスター、ルノ君」
「ヒサメ、ルノ君」
「サナ姉ちゃん、カレン姉ちゃん」
俺が好きだという二人の女の子。
「や、二人とも、揃うのは宴会の夜の時かな」
「そうですね」
「あの時のヒサメは新鮮だったわ」
「何のこと?」
「ルノがいないときのことだよ」
「わうぅ」
自分の知らないことに口をとがらすルノに小さく笑みを見せて、
「ねぇ、ヒサメ」
「……なんだ?」
「私はあなたが好きよ、愛してる」
その言葉に、思わず息をのんだ。
ここまで即座に、直球で来るとは思っていなかったゆえに沈黙する。
サナちゃんも驚愕を見せて赤い顔やら青い顔を見せ始め混乱して呆然、ルノはルノで純粋に驚いていた。
「……ありがと」
好きになってくれることは本当に嬉しいと思う。
だけど、それでもカレンを受け入れることはできなくて、それはカレンもまた理解できていた。
「だけど、悪い……俺には好きな奴がいるんだよ」
「……まあ、わかってたけどね」
そんなことはわかっていた、それでもそうすることを選んだ。
つぶやくカレンは、そしてさらに言葉を続ける。
「でも、諦めないよ……丁度よく期間も空くわけだしね」
どうやら、カレンも俺のやることに気づいているようで、不敵に笑ってくる。
「ったく、執念深ぇ」
「知らなかった?」
「そんな気はしてたよ」
苦笑、それからサナちゃんのほうを向く。
間近で告白を見たサナちゃんはまだショックから立ち直れないようで呆然としていた。
「サナ姉ちゃーん、眠ってるの?」
「……っ! はえ、えと、ママママママスター!?」
見ていて可愛そうになるくらい混乱しどもりまくるサナちゃんをカレンと二人で笑い、それから落ち着ける。
でもね、サナちゃん……君の今日の受難はまだこれから先に残ってるよ。
「ねぇねぇ、ヒサメ」
「ん、どうしたルノ?」
「カレン姉ちゃんを断ってたけど、ヒサメの好きな人って誰?」
「む……」
問題はないにしても思わぬところから援護射撃が入ってきた。
俺は少し口元をゆがめ、サナちゃんは再度混乱の境地、カレンはルノ君ナイスと親指を突き出す。
たぶんこの会話が聞こえている使徒組もかなり楽しんでいるんじゃないだろうか。
「ふぅ……ルノ、聞きたい?」
息を吐いて、ルノのを見る。
しゃがみ、ルノの視点に合わせればルノもまた応えるように頷いた。
「わう、聞きたい」
「そうだね……」
ああ、さすがに照れるなこれは……心臓の音も聞こえてくる。
だけど、これは絶対に口にしないといけない言葉。
「俺の好きな人、それはね……」
「わう」
「サナちゃんだよ」
「ぇ……」
驚くような、かすかに漏れた声。
ルノはといえば納得したのか、しきりに首肯を繰り返しサナちゃんと俺を見比べている。
「さて……」
立ち上がり、名前を出された当人を見る。
信じられないものを見たような、大きく目を見開いた状態でこちらを向いているサナちゃんに、今度は完全に対面した状態で想いを伝える。
「サナちゃん……サナ、俺は君が好きだよ」
「へ……あ、嘘……」
「嘘じゃないよ……笑う君が好きだ、真剣に魔法と精霊に向き合っている君が好きだ、震えていた俺を抱きしめてくれた君が好きだ」
「あ……あ……」
サナの瞳から涙があふれ始める。
「わ……わた……わたし、私も、マスターのことが好きです……大好きです!」
精一杯の声量で、それこそ後ろに下がったみんなにも聞こえるくらいに大きく。
それに応えるように、俺はサナの身体を抱きしめた。
自分の心臓の音が伝わるくらいに、サナの心臓の音がわかるくらいに、強く、強く。
「まったく……だからさ、こういうときくらいマスターって呼ぶのはやめてくれよ」
「あ、えと……その、ヒ……サメさん?」
「さんもいらない」
「ヒ……サメ?」
「ああ」
「ヒサメ……嬉しいです」
そう言って、サナは俺の胸で泣き始める。
震えて泣いていたあの時とはまったく逆の状況、そして周りからは祝福と、ついでに冷やかしの声援が飛ばされる。
まあ、それに関しては苦笑して受け止める以外に他にない。
「本当に、見せつけてくれるわね」
「そうなるとわかっていてここで告白してきたんだろ?」
「まぁね」
そう言って、カレンは笑う。
その顔に少しだけ寂しさが混ざっていたことを、俺は忘れてはいけないんだと思う。
サナもカレンを見て、かなり複雑そうな表情を見せる。
「サナちゃん……いえ、サナと呼んだほうがいいのかな」
「その……カレン、さん」
「もう、そんなしょげた顔をしないの」
「うに」
抱きしめた状態を解除して、カレンと向き合ったサナは言いづらそうに口を開いていたが、それをカレンは両のほっぺたをつまんで止めた。
「確かに残念なのよ、でも言ったでしょ、わかっていたことだって」
それに、とカレンは続け、少し憎らしい顔になってサナを見る。
「私は諦めないって、言っているでしょ? 遠慮するくらいなら容赦なくもらうわよ?」
「っ! 駄目!?」
盗られまいとサナは俺の腕をとって抱きしめてくる。
そんな光景を見て、やっぱり胃の痛いことになりそうだなと実際はかなり幸せな悩みに心中でため息をついたのだった。
「あ……でも、カレンさん……私の気持ち、いつから気づいて……」
「そんなのコンサートの日にあった時からに決まってるじゃない」
「嘘!?」
サナは本気で驚いた顔をしているが、本当にあの様子で気づかれてなかったと思っているんだろうか。
見ればカレンも呆れたような表情を見せている。
「あのね……気づいていなかった人なんてたぶんいないわよ? せいぜいルノ君くらいかしら、ヒサメだってその時には気づいていたのは間違いないし」
「あ、こらバカ!?」
「ひぇっ!? ヒサメが!? 嘘……ですよね?」
「……………………すまん、あれは気づかない方がおかしい」
「じゃ……じゃあ、今までのは全部……」
「鈍感な振りよ」
バッサリとカレンがサナに告げた。
俺は頭を抱えるが、事実であるため否定の言葉は出ない。
サナを見れば顔が真っ赤に染まってしまっている、もっとも今回は羞恥以外に怒りも若干混ざっているが。
「ヒサメ……気づいていて、無視したの?」
「そのことに関しては否定できないな」
「どうして?」
「一応、理由はある……自分勝手だがな」
そうして、俺は以前シトネちゃんに語ったときの内容を伝える。
あのころはいつ命を落とすかわからなかったこと、それにこの世界を一度は去り、結果帰れなくなってしまう可能性を考えていたこと。
だからこそ、世界を渡り、帰ってくるまではそういったことには触れないようにしようとしていたこと。
「だから、本来はこんなところで告白する気なんてなかったんだ」
「だったら、なんで……告白したんですか? いえ、嬉しかったのは間違いないんですけど」
「前提条件が変わったからさ」
「前提条件?」
「古代魔法だよ」
古代言語は想いの結晶、強い想いが形になったものだ。
それはつまり思いが強いほどに古代魔法の力は上がり、どんなものでも可能とできる。
だから、強い想いが、理由が必要だった。
何があっても、この世界に戻ってくるのだという、強い想いが、強い理由が。
それが……それこそがサナへの想い、君の傍に帰ってくるという気持ち。
「この想いを利用してまで、俺はサナのもとへ戻りたい……だから今日ここで君に伝えたんだ」
今、この胸に占める想いを少しも風化させないために、この日に、この場で告げたのだ。
サナは黙って聞いていた、自分なりにどういう気持ちであるか理解しようとしているのだろう。
「うぅ、利用という意味では怒るべきなのか、鍵にされたことを喜ぶべきなのか……」
「まま、そういうことを悩むのはあとでいいじゃないの、とりあえず、やるべきことやっときなさい」
「きゃ」
「おっと」
サナがカレンに押されて俺の方へよろめいてきたので受け止める。
それで、俺とサナの顔がとても近くに来ていて、おいカレン、やるべきことってこれかよ!?
一瞬、ほんの一瞬だけ意識をそらした……その瞬間、驚くほど自然にサナの顔が近づいてきていて……
「っ!?」
「ん……」
唇が触れ、力が抜ける……いつの間にか目も閉じるようにして。
ただ、触れている感覚だけに意識が集中していく。
時間間隔さえ曖昧になり、どれほどの時間触れていたのかわからない唇が離れる。
「サナ……」
「あは、しちゃいました」
俺はわりと奪われるばかりなのはなんでなんだろう……そんなバカなことが頭をよぎる。
ついでにニヤニヤとこちらを見るカレンのなんと恨めしいことか。
「……そうだな、帰ってきたら、今度は俺からしよう」
いろいろ言いたいことをのみこみ、それだけサナに告げてゆっくりと、サナの身体から離れる。
「あ……」
名残惜しそうなサナの表情を無視して、放置されて拗ねていたルノをこちらに引き寄せる。
「できる限り、早く帰ってきてください」
「そうね、早いに越したことはないわ」
「ああ、善処するよ」
「またね、サナ姉ちゃん、カレン姉ちゃん、みんな!」
ルノが後ろにも見えるように大きく手を振り、俺もその手に結晶を作り出す。
「望む詠をここに」
――この広い世界の果てから果て
一つの命が廻り行く
それは流れる川を路とし
大樹の世界を止まり木とする
道を閉ざした門の前に立ち
今ここに扉の鍵を差し込む
開いた先へ旅人が足を踏み入れた
知らない風が頬を撫ぜ
知らない音が耳朶を打ち
知らない光が瞳に映り
知らない命にその手は触れる
未知を前に旅人は進む
それは前に進むために
冒険の旅へと向かうために
そしてあるべき場所へと帰るために
旅人を待つ者がいるから
帰り道を照らす光へと踏み出す
さあ、全てを見てそして帰ろう
大切な笑顔がそこにあるから
譲れないぬくもりがそこにあるから――
「――フォーレクラービス――」
最後の言葉とともに、変化は起こった。
「わう……光が」
俺とルノの身体からぼんやりと光が纏わり、そして身体が薄くなってきている。
ここから消え去るのがわかる。
「ヒサメ!」
そんな俺に声をかけてくるのは、無論サナ。
「サナ……」
「待ってます、待ってますから!」
「ああ、絶対に帰ってくるよ」
何があろうと、絶対に。
俺の帰る場所はここなのだから。
そう言い残して……俺とルノはこの世界から消えるのだった。