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第五十七話 『弱音』

「ここなら、泣いても大丈夫だよな」


 展望台の柵を背に地面に座り込んだ俺は、静かに涙を流した。


色々と限界だったのだ、思い出されるのは悪夢で見た光景……俺を庇って倒れたあの子のこと。


泣きたかった……だけど、戦いの途中であったしそれは出来なかった。


泣きたかった……だけど、ルノが泣いていたから我慢した。


その後も、俺が泣けばルノも思い出して泣くだろう……それは見たくなかったし、こんな情けない姿をアイツの兄としては見せたくはなかった。


「……めん」


 一度流れた涙は止まらない……ただただ、零れていく後悔の涙。


今だけは、こらえることをせず、ただ涙を流す。


「ごめん……」


 死んだ、救えなかった、俺が殺した。


庇われるなんて予想もしていなかった、いやそれでも、何故俺はそこで呆けた。


もしあの一瞬、呆けていなければあの子を引き寄せることができたんじゃないか……無理だとしても致命傷を負わせないで済むことはできたんじゃないのか。


あまりにも未熟だったのだ、あまりにも馬鹿だったのだ……どうしようもなくそれは圧し掛かり続ける。


「あああああぁぁぁぁぁっ!」


 叫んだ、こうでもしないと負の感情があまりにも溜まり続けるから。


後悔の念は今日全て置いていく……そのために俺は叫び続けた。


「――――ぁぁぁぁぁっ!」


 どれほど叫んだだろうか、もう声がかすれてきている。


それでも涙は止まらない……止める方法を忘れたかのように流れ続ける。


抑えていた分だけその反動は大きく感情は震え続ける。


もう叫ぶことはしないが、それでも感情は沈む……そしてしばらくの時間が過ぎ、ようやく俺は大きく息を吐いた。


「…………はぁぁ」


 ようやく……ようやく感情の波が小さくなっていくのを感じた。


そして、自分の醜態にも意識を向けられ、思わず頭を抱えた。


泣かない……とは思わなかった。


酔っていたから……というのも理由の一つだろう。


それでも、ここまでの酷い有様を見せるとはさすがに考えていなかった。


「情けねぇ……」


 それは感情のたがが外れたせい……押さえ込んでいて気づかなかったこと。


あの時封じられたのは記憶だけじゃなくて感情もまた一緒にあったのだと。


思い出して生まれた感情と、そして当時の感情……抑えをなくしたときその二つは同時に顔を出したのだった。


溢れだした感情の強さは予想をはるかに超えていて、一度出したら止められなかった。


それがこの見るも無残な醜態であり、今の今まで気づかなかったことの醜態でもある。


「……いるんだろ、二人とも?」


 犯人はリアンナか、それともシトネちゃんか……ともかく物影から顔を出したサナちゃんとカレンはバツの悪そうな顔でこっちを見た。


「……マスター」


「なんていうか……ゴメン」


「別にいい……気づかなかったのは俺の過失だし、どうせ知らずに来たんだろ?」


 それが肯定であることは二人の表情が物語っている。


見られたことでバツが悪いのはこちらも同じ、困ったように頭をかいて俺は二人の言葉を待つ。


二人は顔を見合わせて、何かを決めたような表情でサナちゃんが問う。


「どうして……泣いていたんですか?」


「これはまた、直接的に来たもんだ」


「ヒサメにはこれぐらいしないと効果ないでしょ?」


「ははっ、そうかもな」


 断定するような口調のカレンに自然と笑いがこみ上げてくる。


話すにしてはこんな格好ではあれだと立ち上がり、土を払い落とす。


「まあ、二人ともわかってると思うけど……こんな醜態曝しているのは試練中のあれのせいだ」


 やはり予想はついていたのだろう、二人とも驚いた様子もなく頷いた。


「悪夢を見せられた……昔忘れたいと願って、そして忘れていた事実を」


 簡単に言ってしまえば人が一人死んだだけ。


この世界ではごく普通の、ありふれた悲劇の一つに過ぎないことだ……それはどれだけ言っても事実でしかない。


だけどそのなかでそれだけは特別だったのだ。


俺は二人に語る、その時のことを……そして二人もまた話を聞いて口を閉じる。


「助けようと手を伸ばしたんだ……そして向こうも手を伸ばしてくれて、なのに……伸ばされた手をつかめなかった……救えなかった」


 助けようとした者に助けられる、それのどれだけ無様なことだろうか。


それでも……それでもそれだけならばまだここまでの醜態をさらさなかったかもしれない。


思いだし、そして泣き叫んで……もうどうしようもない一つの事実があった。


「名前……知らないんだよ、初めて会って、そういったことを話す前に逝ってしまったから」


 目の前で死んだ者は決してあの仔だけではなかった……それでもあの仔以外は名を知っていたり、あるいは名を呼んでくれる誰かがいた。


「埋めた場所を思い出しても……墓を作れない、刻む名前を俺は知る術がないんだ」


 俺が知っているのはあの仔の姿だけ……あの仔の名前を知っている人はいるのだろうか。


もしかしたら友人や親類でさえあの子と同じように捕まり、あるいは命を落としているかもしれない。


それさえも俺にはわからなかった……一番知っておかなければならない俺があの仔のことを何も知らない、知ることができなかった。


それがほかの経験のどんなものより大きな傷となって残ってしまっている……うつむき、表情を隠すように頭を抱える俺に二人は沈黙を続けたままこちらを見続ける。


やがて、カレンのほうから口を開く。


「うまくは言えないけどね……大丈夫とか、気にしないほうがいいとかは言わないわ、あなたがそれを大事に思っている以上はそんな言葉は的外れだと思うから」


「……そうか」


「ただこれだけは言わせて……私はいつものヒサメが好き、だから、早く元気になってほしいわ」


 どこまでも正直に、カレンはそう告げる……感じるのは心配しているという純粋な気持ち、それが無性に嬉しかった。


沈んだ心に小さな光が降り注いだ気がした。


「ああ……わかってる、カレン、ありがと」


 ただ、感謝を表したい……その思いで言葉を紡いだ、そんな俺の表情は笑みを浮かべられているのだろうか?


二人の表情からはうまく窺い知れないが、だけど少しだけ空気が弛緩した気がした。


「……はぁ」


 安らぎ、ぬくもり……そんなものに触れたせいか、再び感情の波がやってくるのを感じてゆっくりと座り込んだ。


だけど今回は後悔だけじゃなくて、少しの嬉しさが混ざっていることもなんとなく感じ取れた。


「マスター……どうしたんですか?」


「いや、安心したらまた涙が……」


 手で涙をぬぐい、見上げる形で俺は二人に笑みを浮かべる。


きっとその笑みはさっきよりもぎこちないものだろうけど、それでも自分では笑えているんじゃないかと思う。


「前に進めない痛みや後悔は、全部今夜ここで涙として流すよ……だから今日だけ、無様な姿を許してほしいな」


 おどけるように本心を告げ、俺は笑みを浮かべ続ける。


本当に……今日を過ごすことができたのなら、あとはもう大丈夫だからと俺は言う。


「それで……泣いてる姿は見られたくないんだ、朝にはいつも通りの俺でいるから、二人はもう『旅人』に戻るといい」


 こんな状況でも見栄はある、ルノは当然だがサナちゃんやカレンにだってそんな格好悪いところを見られたくない。


こんな状態を見られてもいいと思えるのはアサカやシオンくらいのものである、あとはクラウやリアンナ、姉さんくらいか。


「そう言われてもねぇ、さすがに今の弱ったマスターは放置できないわよ」


「……格好ぐらいつけさせろ、見られたくないって言ってんだ」


「今更ねぇ……」


「うるせえ」


 全くその通りであるため、強がるようにそう吐き捨てることしかできない。


そんな会話をカレンとしていると、不意にサナちゃんがこちらに向かって一歩踏み出してくる。


「ん……どうしたんだ、サナちゃ……」


 唐突な行動にどうしたことかと思っていると、予想だにしない行動をとってきた。


座り込んだ俺に真正面からサナちゃんが抱き着いてきたのだ、カレンもこの場にいてそこまで大胆なことをしてくるとは思っていなかった。


だから俺は、一切の行動を起こせないままサナちゃんに抱き着かれたのだった。


「ちょ……えぇ……何事!?」


「今のマスターを置いていくことなんてできませんから……それに、この状態なら私から泣いてる姿見られませんし」


 感触とか匂いとかでうろたえる俺にサナちゃんが言う。


すぐ真横から聞こえてくるそんな言葉に、ようやく落ち着いてきた俺はため息をつくように呟く。


「屁理屈だろ」


「たとえ屁理屈だって、今のマスターにはこうしなきゃ駄目な気がするんです……嫌、ですか?」


 抱き着き、こちらを見ないままに聞くサナちゃんに、返答代わりとしてサナちゃんの背中に手を回す。


「あ……」


「ありがとう」


 この娘は、本当に大事なところでは絶対に選択を外さないな……唐突に触れた温もりは手放すには惜しくて、ただそれに甘えるように涙をこぼす。


同時にサナちゃんの頭がある側と反対からゆっくりと重みがかかる。


「それをオーケーするならこれなら文句はないでしょ」


 こちらに背中を向けたまま、体重を預けてくるカレンに俺は拒否することはできない。


「ああ……悪いな」


「わかってたからいいのよ……正直ずるいなあ、なんて思わなくもないけど」


 遠距離は不利だよねぇ、などと愚痴るカレンに俺は何も返答しない。


今はただ、サナちゃんに抱かれながら涙を流し続ける。


「あったかいな……」


「えと……ありがとうございます?」


「無理して言葉を返さなくていいぞ、ただの感想だ」


 二人からは見えないが泣きながらの不器用な笑みを浮かべて俺は言葉を続ける。


「抱きしめられたとき、温もりがすごく嬉しかった……だからもう一回言っておくよ、ありがとう……元気出た」


 とても大切な温もり、絶対に失くしたくなどないもの。


だから……それが起こることを何よりも恐れていた。


「……なあ、もう一つ弱音を言ってもいいか?」


「ええ、どうぞ」


「ま、何が言えるかはわからないけどね」


 抱き着いたまま、背を向けたまま二人は俺の問いに答える。


「別に返答や励ましを期待しているわけじゃないさ……ただ、知っててほしいだけだ」


 俺が今何を一番怖がっているのかを……俺の本質かもしれない部分を……


「あの子が致命傷を負ったとき、俺には確かに選択肢があったんだよ、あの子を救う選択肢が」


 救う方法はあった、少なくとも模索することは可能であった……それをしなかったのは怒りで平常心を失ったため。


つまりそれは自分が護りたいものの生よりもそれを壊すものの死を望むことを優先する人間であると……そう思ってしまった。


だから……そう、だから、


「怖いんだ、ルノやアサカ、お前たちが同じように致命傷を負ったとき、治療よりも原因を潰そうとする自分がいるかもしれないってことが……それを完全に否定できない自分がいるってことが!」


 体が震え、最後には慟哭した。


それに反応して、体を強く抱きしめられる、横からの重さが増した……温もりがさらに強く感じられるようになる。


「……そっか」


「それが怖かったんですね、マスター」


 今夜の宴会に集まったメンバー、使徒組は状況が想像できないゆえに特殊例として、そんなシチュエーションで誰かが欠けたとき、たぶん俺は耐えられない。


失うことが、失わない選択肢を選ばないかもしれないことが……たまらなく怖い。


震える体で温もりにしがみつくかのように抱きしめる力を強める。


沈黙に包まれる中で、口を開いたのはやはりというかカレンだった。


「絶対にそんなことない……なんて、本人がそう思っている以上は気休めにしかならないのよね」


 背を向けているため表情はわからないが、口調からは言葉を悩み、困ったような雰囲気を感じられる。


「ねぇ、サナちゃんも何かないかな?」


「え……う、その」


 カレンに話を振られたサナちゃんは慌てふためきながらも何を言おうか悩み始める。


そんな様子がおかしくてカレンと一緒に小さく笑っているうちに……涙は止まっていた。


「笑わないで下さいよ……それで、一度顔を合わさせてもらってもいいですか?」


「え……ああ、わかった」


 離れる温もりが少し惜しいと思いながらも、俺はこちらを見るサナちゃんと向き合う。


「私は……口がうまくないから、まともなことは言えません」


「ああ……」


「だけど、マスターはそんなことになりません」


「あら、どうしてそう言えるの?」


「信じてますから」


 ほんの一瞬、息をのんだ……サナちゃんのほうを向いていたカレンも驚いたように目を見開いている。


根拠なんて微塵もない、サナちゃんだけの勝手な主観の話、あるいは無責任と言い換えてもいいかもしれないほどだ。


だけどそこに迷いはなかった、躊躇いはなかった……一点の混じりもなくそうだと言うからこそ、届く、響く。


「は……はは……」


「ちょっと……サナちゃんソレ」


 先ほどのような微笑ましいという感じの笑みではなく、もうたまらないといったような笑いが思わずこぼれる。


サナちゃん自体はそこに含まれている意味を意図していないだろう……だけどそれは、


「ある意味反則よ」


「え?」


「ははははははははははっ!」


 最高だった、目が覚めた気分である。


あれだけ弱音を吐いたすぐ後に根拠もなくここまで否定できるものだろうか。


迷いも躊躇いもなく、信じていると……たったそれだけで。


「なんで笑ってるんですか!? どういうことですか!?」


「いや、だってなぁ……」


「そうね……でも、わかってないからこそかな、私だったらそこを考えての発言になるから、私よりよっぽど強い枷だわ」


「枷……?」


 ああ、カレンの言うとおりだろうな。


無論カレンのようにその言葉の意味を理解しての発言であったとして、それはそれで効果は間違いなくあっただろう。


だけど、このとき意図しているのかしていないかは大きな差がある。


それは確かな枷であり、俺にとって縋りつけるものである。


「他でもないサナちゃんが信じると言ったんだよ、信頼していると言ったんだよ、それをヒサメが裏切るはずがない、裏切れるはずがない」


「え……あ、違っ、そういう意味で言ったんじゃ!?」


 カレンの言葉にサナちゃんはその含まれた意味に気づいて否定してくるが、だからこそなんだよ。


「打算や策謀、含みがない信頼だからこそそれは強いのよ」


「ああ、こりゃ、何があっても裏切れないよ」


 ここまで信頼してくれているのだ、その信頼には応えたいし、応えなきゃ嘘だ。


「サナちゃんはそのままでいてくれ、そっちのほうが俺は嬉しいよ」


 俺は立ち上がり、涙をぬぐう。


そこまで信じられているのなら、信じられている俺でいるようにしよう、そうあれるようになろう。


それはある意味では間違っているのかもしれないけど、そうしようと決めたのは自分であり、そこに迷いはない。


心の整理をつけるためだったそれは、信頼という鎖を見つけることになった。


「戻ろうか、みんな待ってるだろ」


 まだ後悔や傷が全て埋まったわけではないけど、それでも大丈夫だと感じられた。


『その時』に俺がどう行動するのか、それは結局わからないけど心が軽くなった気はした。


「もう、いいんですか?」


「最大の功労者が何を言ってるのよ」


「そうだな、そうさせたのはサナちゃんだろ?」


「……あれ、いいことなのになんだか納得いかない」


 上がる笑い声と、顔を赤くして上がる文句。


夜の街にしては少々賑やかすぎるけど、今夜ぐらいはいいだろう。


さあ帰ろう、『旅人』へ……






 喫茶店『旅人』、そして時は流れる。

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