第五十四話 『悪夢』
それは、旅の途中の物語、カレンやリアンナとも旅をして、互いに別々の街へと向かい別れてからしばらく経った時のことである。
ルノと二人旅に戻った俺たちは気の向くままに旅を続けているのであるが、ルノと一緒にいることでどうしてもトラブルに巻き込まれてしまうことがある。
「また団体だな……」
「わう……最悪」
俺とルノはその時十数人の男たちに囲まれていた。
それは獣人を狙う攫い屋の一団、そういった類のものは結構な数がいるため、旅をしていれば自ずとぶつかり合うことというのは少なくない。
特にまだ年若い俺や、若く獣人であるルノは狙われやすい対象の一人と言えるだろう。
「狙いは……どちらかと言えばルノの方か」
「そう……みたい、ごめんねヒサメ」
「気にするなよ」
狙いがルノなのはある意味で当然。
獣人の子供は結構な値段で売ることが可能で、人間は人間以外の種族への関心が薄いため人間に比べると捕まえて売る際のリスクも低いのである。
二十にも満たない青年と小さな獣人の子供……見た目からすれば狙ってくださいと言っているものだろう。
これより以前にも街でマークされており街の外に出たら速攻で襲ってくるといったこともあった。
まあ、今回は完全に遭遇戦という形だろうが……それは奴らが運んでいた檻の中からする気配的にも間違いないだろう、何者かを捕まえて、さらに俺たちを見かけたことで調子をよくして捕まえに来たというところだろう。
「できれば雨が降る前に終わらせたいな……」
「わう……無理だと思う」
空は厚い雲で覆われており、いつ雨が降ってもおかしくないような天気である。
できれば早く雨宿りができるところに行きたいと思っていた矢先に、コイツらである……正直俺たちのテンションは下がり続けていた。
なお、そんなルノとの会話中にも先んじて跳びかかってきていた三人ほどを軽く沈めている。
「くそ……思った以上にやるぞこのガキども」
「囲め! 絶対に逃がすんじゃないぞ!」
向こうもそれでこちらが簡単にはいかないことを理解したのだろう、怒声を響かせながら俺たちへの囲みを厚くしてくる。
囲んでいる人数が十人程度、沈めた奴も加えて全体では十六人か……一人は指示を出していて、檻の警備に二人いるようだ。
「さて……ルノ、衝撃に注意だ」
「わぅ……あれ、耳が痛い」
俺の言葉で何をするのかが分かったのだろう、非常に嫌な顔でルノが文句を言う。
気持ちはわかるけど、これが一番手っ取り早い。
「我慢しろ、じゃあ行くぞ!」
俺とルノは剣を取り出しつつ、さらに衝撃弾の魔法具を投擲。
そんなものを知る由もない男ども間近でその衝撃を喰らって昏倒ないし膝をついて行く。
運よく効果範囲を外れた者も突然のそれに動揺して何も行動をとることができない、その隙に俺たちは動揺しているだけなどダメージの軽い者から斬っていく。
[氷の矢:八本生成:同時射出:凍らせろ]
混乱から立ち直りそうな者もいたものの、それより速くルノの魔法が命中して身体を凍らせながら倒れた。
その時点で残っているのは命令をしていたリーダーと檻の防衛に回っていた二人。
「な……なな……」
ほとんど時間も経たずに優勢なはずだった自分たちが壊滅していることに信じられないとリーダーの男は呆然自失していた。
まあ無理もないだろうと思いながら、同時に危険なことがなかったことに少しの安堵を感じる。
「ま、相手が悪かったってことだな」
リーダーの男に話しかけながらそちらへ一歩踏み出せば、男は腰が抜けたかのように座り込んでしまう。
「さて……後ろの獣人の子どもが入っている檻の鍵を渡せ」
「な……」
「返答は聞いていない、さっさと渡せ」
有無を言わせぬように威圧しながら言葉を口にする。
それが効いたのか男はうなだれながらも俺に鍵を手渡してくる。
とりあえず男を殴って気絶させておき、俺は檻に向かって歩き出す。
それまでの間にルノが檻の護衛をしていた二人も倒していてくれたようだ。
「ヒサメ、鍵は?」
「おう、貰ってきたぞ」
ルノがこちらに駆け寄りながら聞いてくるので俺は鍵を見せながら答える。
まあ、所詮木製の檻だからぶっ壊すことも十分可能なんだけど……さすがにそれは中にいる仔を怖がらせるだろうから。
とにかく、早く出してやらないといけないかと思い鍵を開けたのだが……
「ひ……」
ルノと同じくらいの猫系の獣人の男の子に本気で怯えられた目を見せられて心が折れかける。
思わず助けを求めるようにルノを見るのだが……
「ダメ、ボクも行くけどヒサメがいないときっと意味がないと思う」
「……わかったよ」
同じ獣人であるルノだからわかることがあるんだろう、その判断に従って俺は心を奮い立たせる。
だけど、近づくほどにその仔の怯えは強くなる一方で、俺はそれを払うために行動する。
「ルノ……これ頼む」
「わう、わかった」
剣を捨て、着ていた外套を脱ぐ。
外套は色々と必要なものも入っているためルノへと手渡して、俺は両手を広げて男の子へと話しかける。
「怯えるな……なんてことは無理だと思うよ、だけど信じてくれないか、俺は君を傷つけたりなんかしない」
害意を見せず、ただ男の子に向かって笑って見せる。
「大丈夫だよ、この人は絶対に君のことを傷つけないから」
ルノもまた、男の子に向かって呼びかける。
言葉を投げかける間、俺たちはこの子へ近づいていない……あまり時間をかけてはいられないだろうが、だからといって焦っても成功しないだろう。
「本……当に……?」
そして、男の子の方から俺に問いかけられる。
怯えの色は消えないが、それでも少しだけ警戒を解いてくれたようだ。
一歩、俺は男の子へと近づく。
「何があったかは聞かないよ……だけど怖かったよな、人間だって嫌いかもしれない」
もう一歩俺は男の子へと近づく、ゆっくり時間をかけて短い距離を埋めていく。
そしてようやく互いに触れられる距離にまで足を進めることができた。
「もしかしたら君にとっては迷惑かもしれないけど」
そう言いながら俺は腕を男の子へと伸ばす。
大丈夫……怖いかもしれないけれど、君を傷つけないから。
「あ……」
そう意志を持って男の子を抱きしめる。
人間のことが嫌いになっているかもしれない、だけどきっと触れることが大事だと感じたから。
「あ……う、うぅ……」
驚いたような様子を見せていた男の子だったけど、自分の状況を理解して体が震え始める。
言葉の中にも嗚咽が混じり始めていて、
「泣いとけ……ずっと抱きしめてやるから」
俺の言葉で、男の子が声を上げて泣き始める。
そんな男の子を抱きしめたまま俺はルノを見る。
ルノは笑って頷いてくれて、俺の行動はきっと間違っていないのだとそう思う。
後はこの子が泣き止めばここを立ち去る、それで大丈夫だと……そう考えて俺もルノもほんの少しだけ緊張の糸を緩めた。
もちろんここが安全地帯とは遠いことは理解している、警戒を解いていないわけではない。
「てめえら、死にやがれぇぇぇぇっ!」
だから、ルノが倒していた護衛の男の一人が剣を振るいこちらへ向かって襲いかかって来ていることも気づいていた。
俺は現状丸腰で、ルノも剣を鞘の中に入れ俺の外套を持っている状態で武器を取り出すことはできない。
だけど、身体一つでもこの男程度であればどうとでもなる……そう認識していたし、それは純然たる事実であった。
それが狂ってしまったのは……たった一つの優しさだった。
「え……?」
「わ……う……?」
身体を押された……あの男ではなくて、同じく押されたのであろうルノでもない。
じゃあ誰がそんなことをできた?
決まっている、あの男の子以外に存在しない。
獣人だけあって体力や筋力などは結構なものがあったらしい、片手でそれぞれ俺とルノを突き飛ばすことができるくらいにはその仔も持っていたようだ。
だけど……なんで突き飛ばされた?
ああ、勝手で都合の良い判断だけど言わせてくれ……あの仔は俺たちを助けようとしてくれている。
「待てよ……」
「待って……」
ああ、それは喜ばしいことだ。
だけど、俺とルノは馬鹿みたいに視線を彷徨わせてしまう。
この状況、既にその結末は見えてしまっている……だけどその結果を俺たちは認めたくなかった。
助けてくれたことは本当に嬉しいと思う……だけど、それはつまり本来俺たちが対処するはずだった斬撃をこの仔が対処しなければいけないということ。
当然……俺たちを助けることに必死のあの仔にその斬撃の対処なんてできるはずがない、泣き顔のまま必死に助けてくれたあの仔に向かって斬撃が迫る。
ああ止めろ、ほんの一瞬でもいい時間よ止まってくれ……あの仔を救うための時間を俺に下さい。
声にならない慟哭は届くことはなくて、その結末は……
「――――」
雨が降ってきた。
「おおおおおおおおおあああああああああぁぁぁぁぁっ!」
強化も何もないただ怒りだけを乗せた全力の拳、それが斬撃を放った男の顔面に突き刺さった。
「ルノォォォォォォォォォォォォッ!」
「おぉぉぉぉぉんっ!」
同じく怒りのままに、ルノが自分の近くの檻の格子を力任せに破壊した。
そして、深手を負った男の子を抱えて遠く離れていく。
叫び声だけで、お互いがやるべきことを把握した、ルノはとにかく安全地域まで男の子を運んで治療を行う。
そして俺は……
「うらぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
全力でこいつらを殲滅させる。
先ほどとは違い意識ははっきりしていたが、あえて強化は使わないでもう一度殴り飛ばした。
地面に転がり痙攣している男、それから意識こそあるもののまだ動くことのできないもう一人を引きずり、歩き出す。
向かう先は、リーダーを含めた残りの男たちが倒れている場所……全員先ほど相応のダメージを与えていたものの、幸運にも全員生きていて、意識もあるようだった。
「良かったぁ……生きてるじゃないか」
その時俺が浮かべていたのはおそらくだが、とてもとても邪悪な笑み。
こいつらが生きていたからこんなことになった……殺さなかったのは経験はしているとはいえ殺すことにまだわずかなりとも躊躇いがあったから。
それに、あの子を抱きしめる時に強い血の匂いをさせたくなかったから、外套を脱いだのは武器がないことを示すこともだが、外套に多少なりとも血がついていたからである。
けれどそれは今はどうでもいい、ただこいつらを殺せれば……だけど、ただ殺すだけではこの激情は治まりようもなくて……
「絶望を見せてやる」
救えたはずなのに、逆に救われてしまった。
その一つの絶望、これは俺とルノだけの絶望であるが……同じように貴様らにも貴様らの絶望を知ってもらう。
――戦場に佇む一人の影
首なき骸の山を越え
赤き川を引き摺るように歩を進む
終わりなき戦場に声を枯らし
救えぬ者たちに涙を枯らす
故に男の心は砕け
手に持つ剣も折れ逝くのみ
ただ心が堕ち逝く様は
全てを呑み込み顕現する
さあ、地獄を見ろ――
口から出てきたのは、自分の知るはずのない詠。
それも当然、今ここで初めて創造された詠なのだから。
無意識に紡がれる言葉は、しかし間違いなく発動するのだと確信する。
心の中はただただ奴らに絶望を味合わせたいのだと強く強く秘めながら。
「――アザゼル――」
絶望を告げる言葉を紡ぎ上げた。
いつの間にか手に持っていた無色の結晶が発光し、砕ける。
倒れていた男たちは目が虚ろになり……やがて……
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
「嫌だ嫌だ嫌だ、助けてくれ!」
「止めてくれ……止めてくれ」
「あははははははははははははははははっ!」
虚ろな瞳のまま叫びを上げる者、虚空に向かって許しを願う者、ぼそぼそと呪詛を唱える者、狂笑を始める者。
人によりその行動は多様だが、それぞれが悪夢を見ていることは間違いがない。
彼らが思う絶望の形を、見せられ続けている……そして行き着く先は、
「死ねよ、お前ら」
自分の喉を絞めて、あるいは持っていた剣で自分を貫いて……絶望に耐え切れずに自害していく。
それを俺は凍えた瞳で見つづける……憎しみだけを視線に乗せて、
「さて……」
全ての男が死に絶えたのを見下ろして、俺はその場所を後にする。
そして向かった先で、どうしようもない現実と対面することになる。
「……ルノ」
ルノが泣いていた。
強い雨に打たれて、まったく動く気配のない男の子を抱いたまま……
「そう……か」
その状況を理解して、がくんと身体から力が抜ける、膝をつき、濡れた地面に座り込んでしまう。
ああ、理解はできているはずなのに認識することができない、直視することができない。
この仔を……助けることができなかった。
絶望の光景……それを見せられていた俺の視界が暗転した。
「ああ、思い出した……」
黒い視界の中で俺は呟いた。
古代魔法の本質に関してもあの詠を歌った瞬間にそれを理解させられた。
つまりは願いなのだ、古代魔法というものは。
絶望を見せたいと願ったから、この魔法ができた。
遠く離れた恋人と僅かにも逢いたいと願ったから、水鏡の詠ができた。
知識を繋いでいきたいと願ったから、継詠者の詠ができた。
神の理に抗いたいと願ったから、戦歌ができた。
この世界を救って欲しいと願ったから、神の理が効かない者を呼び出す詠ができた。
神を殺したいと願った者たちが、イフリートやシヴァといった攻撃魔法を生み出した。
心の底からの強い願い……それを鍵に新たな詠を生み出すのだ。
古代言語を読み解くこと自体は学問であっても、心の願いで出来上がる古代魔法はそうではない。
ベクトルはどうあれ純粋な願いで作られた詠だからこそ、アイネルたちは評価するのだ。
心のままに歌っているからこそ、カレンの詠を俺は自分の詠よりも上の存在なのだと思ったのだ。
だからこそ、先に言語を修めて既存の詠を元に新たな詠を作ろうとする俺やじいさんには詠が作れなかったのだ。
研究者の性質、なまじ詠の全てが理解ができる故に強い願いという有って無い理由を理屈や理論で解明しようとする……それがじいさんの嵌った罠。
その教えを受けた俺もまたその影響で罠へと嵌った……これがガゼーリアの言った意味。
様々な謎が氷解していく……だけど、そんなことはどうでもよかった。
「が……」
後ろから、何かに貫かれた……それは剣の形をした後悔。
何故、奴らを殺すことに躊躇などしてしまったんだろう。
何故、少しでも緊張を緩めてしまったのだろう。
何故、怯えられても離れたところで落ち着かせようと考えなかったのだろう。
何本もの剣が俺の身体を貫いていく。
言い訳ならばいくらでも出てくる、血の匂いもそうであるし、起き上がってきても倒せる自信もあった、一刻も早く安心させてあげたかった。
だけどいくら並べたところで、自分を誤魔化せなければ意味がない。
結局今この自分の身を貫いている剣は、自分が許せないゆえの自傷に近いのである。
ここは現実ではない、いくら刺したところで肉体に意味はないが……心は死んでいく。
そして、今までの剣よりも巨大な剣が俺の身体を貫いた。
「ご……ふ……」
一番の後悔、一番目を逸らしたい事実。
何故……何故、俺は絶望の詠を作ってしまったのだろう。
何故……あの子を救う詠を、願いを持たなかったのだろう。
何故……あの時唯一救えたかもしれない可能性を捨ててしまったのだろう。
だって救えた……新しく作らなかったにしても、じいさんの教えの中に治療も再生も詠があった。
だけどその場で、俺は怒りに飲まれた、冷静に救うことだけを考えればよかったのに、そうしなかった。
この後悔だけは消えることはない。
身体を貫かれたまま……あの子に謝り続ける。
「ごめん……ごめん……」
そして、今度は自分の脳裏に、あの子が斬られるシーンと、ルノが動かないあの子を抱きしめて泣いているシーンが交互に映り続ける。
「やめて……くれ」
何度も見せられる光景に、心がひび割れていく。
悪夢の終わりを願っていくうちに声が響いた。
「だったら終わらせろ」
「え……」
焦点の合わない目で声のした先を見据える。
誰かはわからない……そこにいる人物は俺に言う。
「その握っている剣で、自分の首を刎ねろ」
気がつけば、自分の手には剣が握られていた。
「それでこの悪夢を見ないですむ……永遠にな」
「あ……あ……」
その言葉が、とても魅力的に聞こえた。
剣に視線を向け、じっと見続ける。
やがて、その剣が自分の首に当てられて……そこで止まった。
「どうした……首を刎ねないのか?」
がたがたと震える手、首元まで持ってきた剣はそこから躊躇うように動かない。
悪夢を見ないですむ……だけど、それでいいのかと……それだけはしてはいけないんじゃないかと。
そう思ったとき……新たな光景が俺の視界に映り始める。
雨に打たれたまま、精神的に追いやられたルノは眠ってしまっていた。
そして俺は、古代魔法のことを理解して、ある試みに出ようとしていたときの姿。
そうだ・・・…古代魔法のことを理解したんだ、その試みは当然やるであろうこと。
結晶を生み出した俺は、願いに集中して……
「やめておけ」
その瞬間までいなかったであろう声に制止をかけられた。
苛立つように俺は声をかけられたほうを見れば、
「それは完全に理を超越しようとしている」
「ク……ラウ?」
黒で統一された服を着た剣士……気高き夜の王、『夜剣皇帝』クラウ。
満月でも、影月でもない、そんな日に唐突に現れた彼に困惑する。
「お前が完全に古代魔法に目覚めるのを感じてな、様子見に来れば……無茶をしようとしているので止めた」
「ほっといてくれ」
俺はクラウの言を無視して、詠を紡ごうとする。
「聞け、再生や治療とは違う……既に失った命を戻すのなら結晶じゃ足りない……よしんば成功したとしてお前の命を失うぞ」
「構わない……この仔が助かるなら……」
「その月犬の仔を置いてか?」
クラウの言葉に俺は返事をすることはできなかった。
ルノを置いて行くことなど出来はしない……同時に冷静になった頭で、仮に蘇生したとして、ルノとこの子の二人で何ができるだろうか?
ようやく頭が冷えてきたようで……俺は結晶を消滅させてクラウへ訊く。
「……もう、どうしようもないのか?」
「ああ、死者は生き返らない……」
雨に打たれたまま、俺たちは無言で立ち尽くす。
「なあ……少し手伝ってくれないか?」
「何をする気だ?」
「こいつ、埋めてやりたいんだ」
「……ああ、いいだろう」
力の入らない身体を必死に動かして、冷たくなったこの子を抱え上げる。
その短い間にクラウが地面をどうやってか操作し、この子を埋められるほどの穴が完成していた。
この子をその穴の中へと入れ、埋めていく。
埋めている間、ずっと庇われているシーンが頭に残り、力が失われていく。
全て終わって、俺は思わず眠りについてしまったルノを抱きしめる……強く、強く。
「なあ……頼みがある」
「聞こう」
「俺と……ルノの記憶を封じてくれ……一時的でいいから」
自分の両親、じいさん、失うことは初めてじゃなかった。
だけど、自分の過失で零れ落ちた命の感覚は、俺の心を蝕んでいた。
それでも……俺はまだ傷が浅い、耐えられる……だけどルノはその命が消えていく瞬間を直に見てしまっている。
たぶん……今のルノじゃ耐えられない。
そして、忘れたルノと一緒にいては俺もまた色々と抑えることができそうになかったから……だから、今だけ、共に忘れようと思う。
「……いいだろう、だが、目覚めた古代魔法も失うぞ?」
「構わない……今の俺じゃあ……使うことも出来ないだろうし」
純粋な願いで発現するだろう魔法……だけど、今は後悔しか出てこない。
それではきっと自分の願いを発現させることは出来ない。
「受け入れられるようになるまで……封じていたい」
「ああ、わかった……ならばそうだな、確かお前は養父が向かわなかった『大迷宮』を目指す予定だったな」
「そのつもり……まあ、今古代魔法の事実を知ったから行く理由の半分以上はなくなったけど」
「であれば、それら全ての試練を受けたときに封印を戻すことにしよう……もしくは、お前が再度目覚めた時だ」
それなら、死なない限りは達成できるだろう。
目覚めればそれでいいし、でなければ『大迷宮』は行くつもりではあるしな。
「それで頼む……」
「了解だ……次この事実を知ったとき……お前が潰れないことを祈るよ」
クラウの掌が俺の顔に伸びて……そして俺は意識を失った。
「……?」
確かに失った、だからこれ以降の光景は知るはずがないのに、俺が倒れた姿とそれを見下ろすクラウの姿が見えた。
そして、おもむろにクラウがこちらを見た。
「おそらくだが……今お前はアイネルと戦っているのだろう」
その言葉でなんとなく理解する。
わざわざ試練でアイネルを起用したのは、クラウがこの時点で構想していたのだと。
「この映像を見ているのなら、おそらく踏みとどまれたのだろうが……改めて言わせてもらう」
そう言ってクラウはこちらを見据え、
「逃げるな」
「っ!」
強い言葉だった、思わず息を呑む。
「猶予期間は終わりだ、受け入れろ……そのために、お前はこの日選択をしたのだろう?」
尋ねるクラウの言葉に、ひび割れていた心が戻っていく。
「大体だ……」
言葉を選ぶようにクラウは沈黙した後、
「私の友が、そんなことすら出来ないわけがないだろう?」
そう言って……見えていた光景が、クラウの姿が消えていく。
その様子に、俺は小さく笑みがこぼれた。
「言い逃げかよ……まったく、やってくれる」
首を刎ねることも、下ろすこともできなかった腕が下がる、うまく動かなかった身体が動くようになる。
身体を貫いていた剣は抜くのではなく、身体の中に溶け込むように消えていく。
「俺の友達は、厳しいな」
ああ、後悔はしよう、馬鹿だったことも認めよう。
だけど……逃げはしない。
「だったら……さっさとここから出ないとな」
ここを出るためにはどうすればいいのかと思ったとき、声が聞こえた。
「……………………ター」
「……………………メ」
「……今のは」
響いた声は上から。
見上げた先から、光が差し込んでくる。
「…………スター!」
「…………サメ!」
声がさっきよりもはっきり聞こえるようになる。
その声は、二人の女の子の声。
「マスター!」
「ヒサメ!」
光の先から二人分の小さな手が伸ばされる。
俺は小さく笑い、その手を掴むのだった。
大迷宮『王城』、試練再開。