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第三十五話 『歌姫』

 歌姫のステージ、その客席の一角。


俺たちがその場所に着くと、そこでは何やら演説が行われていた。


一人の男を先頭に、三桁にも届きそうな数の人たちが客席を陣取っている。


そこには奇妙な静けさが存在しており、その大勢の人間の方を向いた男の声だけが響き渡っている。


「みんな、俺たちは一体なんだ!?」


「「「「「歌姫の親衛隊です!」」」」」


 男の投げた問いに、その集団は恐ろしいほどに揃って声を上げた。


よく見れば、その集団の多くが学園の生徒たちのようで、見知った顔も多い。


比率はどうやら男子生徒が多いようだが、それでも女子生徒が少ないわけではなく六対四ぐらいだろうか。


それらの軍団を率いて、男は声を張り上げる。


「そうだ、俺たちは彼女の歌を聞き、心の底から彼女の歌に惚れ込んだ!」


「その通りです隊長!」


「彼女の再来を心待ちにし、その傍らで彼女の舞台がある街へ行った同士も多いことだろう、学生という身分によって涙をのんだ者も多いだろう」


 その言葉に、演説を聴く者たちは頷いたり、あるいは悔しそうにうつむく者もいる。


まあ、学生の身分ではなかなかカレンの舞台のある街まで行くことは難しいだろう……それでも、涙まで流さなくてもいいと思うのだが……いや、ファンってのはそういうもんか。


「そして今日、彼女の再来という願いは叶った……そして、彼女が歌うこの場所は、俺たちが手伝い作り上げたものだ、なんとも光栄なことではないか!」


「隊長!」


「親衛隊員、一人も欠けることなくこうして集まれたことを俺は誇りに思う」


 演説を行っている男はそこで言葉を切り、そして万感の思いがこもった言葉を続ける。


ていうかこいつらがこの会場を作り上げた集団の一部なのか……マジですげぇ。


「みんなに聞く、俺たちに出来ることはなんだ!?」


「問われるまでもありません、応援です!」


「そうだ、会場設営、商店街での情宣、今日の人員整理……始まるまでに俺たちに出来ることは全てしてきたと思っている……」


 男がそう言うと、聞き入っていた者たちも感慨深そうな表情をする。


その様子に男は頷き、そして宣言する。


「これからが俺たちの本当の仕事だ、全員、全力で応援し、そして楽しめ!」


「「「はい!」」」


 聞いた親衛隊員たちは揃って返事をする。


その揃い方を見る限り並の軍隊以上の統制が取れているかもしれない。


「さあ、行くぞ、我らが歌姫、カレン!」


「「「カ・レ・ン! カ・レ・ン!」」」


 何故ここまで合わせることができるのか心底謎だが……さすがは親衛隊と名乗っているだけはあるということだろうか。


感心半分呆れ半分でその集団を眺めるのは俺、その他のメンバーはルノまでもが絶句しながらそれをただ見ているのだった。


「わぅ……すごい」


「……えぇと、なんですか、これ?」


「ある意味凄いわね……尊敬できるかといわれれば微妙だけど」


「というより……扇動している人ってもしかして……」


「言うな……わかっているから」


 ようやく呆然とした状態から戻ってきたサナちゃんたちが口々に声を出す。


そして最後に呟くように言ったシトネちゃんの言葉に、俺は肩を落としながら止める。


ただ単に、ファンの集団がいるのなら別にこちらだって気にはしなかった。


正直予想以上に統制の取れている様子に面食らいはしたものの、それだけだった。


そうできなかったのは……その親衛隊を先導している人物が明らかに知っている奴だったから。


ああ、うん、逃避はやめよう……その隊長と呼ばれた男は、紛れもなくアサカだったのだ。


先日、今日の仕事だけは入れないでくれと全力で懇願されていたのだが……日中はそんなことをしていたのか。


まあ……街の手伝いだからそれはいいんだが……お前、隊長ってどうなんだよ隊長って。


俺の呆れた視線を感じたのか、先導をしていたアサカは不意にこちらを向いて……あ、目が合った。


アサカは一瞬凍りついたように止まって、それから親衛隊の中から一人を呼んだ……色々と言い含めているあたり、副隊長とかそういうポジションにいる人だろうか?


とにかくその人に先導を任せて、一人その場所を離れていく。


その際に俺の方にも視線を向けていたため、来いということなのだろう。


移動するアサカの後を追い、たどり着いたのは親衛隊から見えない位置、そこでアサカが振り返って口を開いた。


「お前らなんでいるんだよ!?」


「いや、それはむしろ俺が聞きたいくらいなんだが……」


 割と絶叫に近いアサカの問い。


それに若干冷や汗を流しながらも思わず問い返してしまう。


「ファンなんだよ、悪いか!?」


「いや、悪くは無いって……しかしよくチケット取れたな、それもあんな団体引き連れて」


 正直なところ、自分のチケットを入手することだってなかなか大変なことなのだ。


百に近いか、ともすれば超えるような数を入手することは色々な意味で入手が難しいはずである。


「会場設営手伝って何とかしてもらったんだよ……そっちは?」


「……内部関係者からの手引きで」


「は……はぁ!?」


 汗水を流しながら働いていたであろうアサカたちには申し訳ないと思いながら俺は理由を告げる。


一瞬言われたことが理解できないような表情をした後、本気で驚いたような表情をアサカは浮かべた。


俺を見て、それからルノ、サナちゃんたちと続けてみて、その言葉が本当であることがわかり、崩れ落ちた。


「おい、大丈夫か?」


「……んなつながりあるなら早く言えよ、俺がドンだけ苦労を……まあ、団体で入るから設営の手伝いはやらざるを得なかっただろうけど」


 四つん這いになったまま、しばらく暗い空気を周囲にまき散らしていたものの、立ち直ってこちらを見る。


まあ、今更な話だと割り切ったのだろう。


「大変なんだな、隊長」


「ああ、纏め上げるのにも一苦労だ」


 どういう形であれ、あれだけの人数をまとめ上げることができることには素直に感心する。


そうなってしまった経緯を知りたいところであるけれど……とりあえず聞くべきことは、


「あれはやり過ぎじゃないですか?」


 まったくその通りである。


俺よりも先にそれを口にしたサナちゃんは親衛隊を見ながら苦笑い。


隊長不在にもにもかかわらず副隊長がしっかり統制し、息のあった行動を行っている。


場所が場所なら素晴らしい能力であろうが、明らかにアイドルの歌う応援席の様子ではない。


遠くから見たアサカもその異様さに気づいたのか完全に苦笑する。


「あれは俺のせいじゃないと思うんだが……」


「陣頭指揮とってた身で何を言ってるんだよ……」


「ですよねぇ……やりすぎたか」


 アサカからすればただ出来る範囲でやっていただけだろう。


だが指揮のアサカが良かったのか、元からその人員が良かったのか……その結果として完成したのがあれである。


これを褒めるべきなのか、呆れるべきなのか、正直判断に迷うところであった。


「ま……周りに実害が無いから別にいいか……」


「……だな」


 近隣の席に座る人は少々迷惑だろうが、ある意味こういう場所の醍醐味であるとも言える。


放置していても間違いなく無害だろう……アサカも指揮しているし間違ってもカレンに迷惑をかけることはないだろう。


「むしろ、もっと向こうにある集団のほうが個人的にマズイ気がするわ……」


 そう言ったセリカちゃんの見る先には、アサカの軍団ではなくそれから少し離れた場所に存在する集団だった。


それが一団であるとわかるのは固まっていることもそうであるし、その全員が鉢巻のようなものをつけているからである。


「なんだ、アサカの同類か?」


「あれと一緒にしないでくれ……」


 俺が小さく口にした言葉を、アサカは嫌そうに否定する。


「確かにファンとしては変わらないかもしれないが……俺らは歌に、あいつらは顔に惹かれてこういうことをやってんだよ」


「ああ、なるほど」


 アサカの言葉に俺は若干の理解を深める。


歌はカレンにとって命だ、カレンそのものと言い換えてもいい。


カレンの本質、内面を好む者とカレンの外見を好む者。


外側から見れば二つの集団は変わりないものに見えるかもしれないが、そこには大きな違いがあるようだ。


もちろんアサカの側にもカレンの容姿に惹かれた者も多いだろうが、それでもこちらのほうが好意を持てるのは間違いない。


「なるほど……だからあっちの集団には男の人しかいないわけですね」


 同じように納得したシトネちゃんが、けれど微妙に嫌そうな顔をして呟く。


さすがにシトネちゃんもああいうのは許容できない所があるらしい。


「騒ぎを起こさないといいんですけど……」


 サナちゃんの方は、彼らが起こすかもしれない騒ぎを不安に思うが……さて、どうするか。


クラウが動いている以上、カレンの身の安全に関しては一切の問題がないと思っている。


とはいえ、それをサナちゃんが知っているはずもないし……だとすれば、一番簡単に安心させる方法はやっぱりこれか。


「まあ、問題はないと思うが俺の方が見張ってるから、サナちゃんたちは楽しんでいればいいさ」


「予想通りだけど……マスターも苦労を背負うわねぇ」


 提案した俺に、セリカちゃんが感心と呆れを混ぜ合わせたような口調で返した。


その言葉からして、俺の行動も見当がついていたようだ。


「まあ、友人のためだ、多少の労力くらいは使っても惜しくは無いさ」


 俺は苦笑し、それからあちらの集団にすぐに行動を起こせるような位置に移動を始める。


その後ろをルノがついてくるが、


「ルノは休んでろ、一人で十分だから」


「? いいの?」


「ああ、好きだろ、カレンの歌、ゆっくり聞いておくといい」


「……わう、そうするね」

 

 クラウが後ろで動いていることを知っているルノは、さすがに今回のことで動く気はあまりないらしい。


いつもなら首を振るだろう提案を素直に受け入れる。


「んじゃ、アサカ、あっちは俺が受け持つからお前は自分の親衛隊をしっかりと纏めろよ?」


「オーケー、そっちは頼んだ……そろそろ戻るか」


「それじゃサナちゃん、セリカちゃん、シトネちゃん、ルノのことを頼んだ、あとはしっかりと楽しんでいてくれ」


 今回の目的は既に終わっている。


だったら後は楽しんでもらえたらと本気で思っている。


「はい」


「わかったわ」


「ええ、ありがとうございます」


 俺の言葉に、三人とも元気に返事をしてくれた。


それらの声を後にして、俺はその集団の方へと向かって足を進めるのだった。


「さて……当たり前だけど、馬鹿やるような奴はいないか……」


 目的の集団の後方、壁に背を預けて俺は集団を監視する。


とはいえ、常識を持った奴であるならばこんなところで騒ぎを起こすわけは無い。


テンションが上がっての突発的な行動などのためにも一応の保険でいるわけだが……俺が出張るようなことはまず無いだろう。


そう思っていた時……辺りが一気に暗くなったのだった。


「ん……はじまったようだな」


 ステージを照らしていた光源の魔法具の光が落ちたのだ。


それは始まりの合図。


再度その魔法具に光がついた時、そこには彼女が姿を現していた。


姿を現した歌姫に客席の全てから歓声が爆発した。



――歌を歌おう


  私は私がいると世界に響かせよう――



 大歓声の中、彼女の歌が始まる。


ただそれだけで、爆発していた歓声がすぐさま止み、そこにいる者たち全てが彼女の歌に引き込まれる。



――思いを込めて歌えば


  きっと世界に届くと信じているから――



「あいつ……まだ持っていたのか」


 それを見つけた時、俺は思わず苦笑と声が漏れてしまった。


彼女の握っているマイク……正しくは同じ効果を持っている魔法具ではあるが、それは俺が彼女に作り、渡したものだった。


その魔法具には特別な効果があるわけではない、ただひたすらにマイクとしての機能のみである。


少しでも君の声が多くのように聞こえるようにと、それだけを考えて渡したもの。



――見渡す限りの星空を見上げて


  高く高く、どこまでも高く


  限りなく届き響けと


  世界にも心があると信じているから――



 歌は続く。


彼女の歌は、楽器の無い声だけの歌。


それだけなのに、どうしてここまで人を惹きつけるのだろうか。


以前に会ったときよりも更に凄い。


容姿を見に来た集団でさえ、その歌の力に飲み込まれている。


誰一人無駄な音を立てたりしない、そんな静寂の中で響き渡る歌。



――私は世界に言葉を贈りたいんだ


  だから、世界が私を知るまで歌い続ける


  世界よ聞こえている?


  ワタシハココニイル


  世界よ届いている?


  アナタハヒトリジャナイ


  この世界に孤独なんてありはしない


  全てのヒトを貴方は包んでいるのだから


  だけど包まれている貴方も孤独じゃない


  包まれているのだと、私は知っているのだから――



 孤独を否定する歌。


誰もが護りたい何かがあって、そして誰もが誰かに護られている。


ただ気づかないだけで、振り向けばきっと隣に誰かいるのだから。


そんな想いを込めた歌。


その歌が……終わる。


「お見事」


 終わりと同時に、再び会場内が爆発するような拍手が巻き起こった。


歌の間、全ての者が息を呑んでいた。


それほどの曲を聞かされて、盛り上がらないわけが無い。


だけど……まだまだこのコンサートは始まったばかりなのだ。


ステージの上にいるカレンは目を閉じ、口元にマイクを近づける。


二曲目が始まる……その前兆だけで全ての喧騒が消え、再び辺りは静寂に包まれる。



――それは夢の始まり


  終わりは遠く見えないけれど、私は歩き出す


  終わりなんて最初から無いかもしれない


  だけど私には足があるから、そして歌があるから


  どこまでだって歩いていける――



 歌は続いていく。


観客の思いは一つではないだろうか、いつまでだって聞いていたいと。


だけど、時が止まることはない……二曲目が終わり、三曲目が始まる。


時折集団にも注意を向けるが、特に動きは無い。


これなら安心して曲を聞けると彼女の歌を楽しんで……そんな折にやって来た。


「……ん」


 五曲目にして人の動く気配を感じた。


それは前の集団のことではなかった。


俺に近づき、並ぶように立ち止まるのは一人の少女。


「どうしたんだ?」


「……いくつかの疑問解消に来ました」


 視線はカレンに向けたまま、シトネちゃんが壁に背を預けていた。


放たれた言葉には、カレンの歌を楽しんではいるものの、どこか真剣な様子を見せているもの。


「……ま、なんとなく来ると思ってたけどね」


 今回の行動、不自然に……いや、強引に進めた点がある。


おそらくはあの場にいた時には気づいていたのは間違いないだろう……でもその場では彼女は何も言わなかった。


そんな折、俺が単独で行動をし始めるというちょうど良い機会がめぐって来たのだ……それは俺が半ば意図したことであり、当然シトネちゃんも気づいている。


俺もシトネちゃんも、どちらも機会を望んでいた故にこの状況が生まれた。


「楽しんではもらえてるかな?」


「ええ、それは感謝をしています、本当に」


 まず聞いてみれば、表情を嬉しそうな顔だけにしてそう答えてくれた。


少なくとも、今日こうして連れてこれたことは無駄ではなかったようだ。


「それはなにより……じゃあ、質問を聞こうか?」


 内心安堵をしながら、俺はシトネちゃんの望むように話題を振る。


「正直シトネちゃんにはすごく世話になっているからね、答えられることには答えようと思うよ」


「それはありがとうございます」


「それに……すばらしい歌を聞いて気分がいいからね、ついつい口を滑らしてしまうかもしれないぞ?」


「なら、カレンさんにも感謝しないといけませんね」


 おどけるような口調に、シトネちゃんは小さく笑った。


そして、それからやや真剣な表情をして、俺と向き合う。


「先に言っておくけど……おおよそシトネちゃんの考えている通りだと思うよ?」


「でしたら、確認の意味でも聞かせてもらいますね……なぜ、コンサートの始まる前にあんなことをしたんですか?」


 二人に対して俺は確証のない実験だったと告げた、それはシトネちゃんもその場にいたのだから聞いている。


出会いがしらの共鳴だって俺には予想外のことであったし、仮に失敗していたら色々と大変なことになることはシトネちゃんにも予想がついたのだろう。


それに、成功したにしてもカレンは一時膝をつくほどの疲労に襲われている……悪ければコンサートの中止だって十分すぎるほど考えられた。


確証がないにしても、俺がこんなことを行うこと自体がらしくないだろう……自分ではそう思うし、シトネちゃんもそう思ってくれているのだろう。


だからこそ、シトネちゃんは俺に聞く。


「……コンサートの前と後、体力的にも集中力的にも成功する可能性が高かったのは前だったからだ」


 当然ながら、実験を行うのであれば万全の状態こそ望ましい。


であれば、コンサート後の疲労した状態よりも、前の万全の状態で挑んだ方が成功する確率も高くなる。


「……でしたら、コンサートより目的を優先した……そういうことですか?」


「そうなるな」


 シトネちゃんの問いを俺は肯定する。


それを聞いたシトネちゃんはしばらく口を開かず、暫くして考えを纏めたのか続けて問いかけてきた。


「じゃあ、目的を優先するに至った原因は何ですか?」


 やっぱりシトネちゃんは賢いな、的確にそこをついてきたか。


内心でその洞察力や思考能力に舌を巻きつつ、こちらのことをわかってくれていることに少々嬉しく思う。


まあ、表情にはそういったことは出していないのだけれど。


「よほどのことが無い限り、マスターが自己を優先するようなことは無いと思っています……だからこそ、そこには原因があります」


「正解だよ……その原因もわかってるんじゃないのか?」


「予想はしています、ですけど当たりかどうかはわからないので」


 そうは言っているものの、シトネちゃんの予想は十中八九当たっているのだろうと俺は考えている。


こちらを見たまま答えを待っているシトネちゃんに俺は小さくため息をついて、答えとなる情けない俺の事情を告白した。


「焦っちまったんだよ」


「……そうですか」


 端的に言った答えは、シトネちゃんはやはり予想していたのだろう。


俺の最終的な目的は、世界の移動をする術を見つけること。


『大迷宮』に潜る最も大きな理由はそれなのだ。


もし、仮にだ……サナちゃんたちが知識の継承をした場合、あるいはそのような古代魔法を見つけることも可能かもしれない。


しかもサナちゃんとカレン、継詠者が二人もいればその可能性もさらに高まる。


これだけであれば……俺もまたもっと慎重な策を練ろうとしていたかもしれない。


そうしなかったのは、今までの戦いが原因だった。


ヴァルグラシア戦、ヴェルリック戦……そのどちらも彼らは自分が持つ圧倒的な力を振るってきた。


ファフニールと会った時にしてもそうだ、聖獣と対することは一手間違えてしまえば即死を意味すると言っていい。


『大迷宮』の奥を進むのであれば、これからも彼らのような存在と相対することになる。


それは俺が移動するための術を見つけるまで続くし、もしかしたら、『大迷宮』でも見つからないかもしれない。


そんな不安に背中を押されて、焦ったように今回はことを進めていた。


やりようはもっとあったはずなのに、一刻でも早くと言うように、行っていたのだ。


「そこまでした結果が、満足とはとても言えない状態だ……笑える話だろ?」


 最低限、制御を行うためのきっかけにはなった、それは十分な成果と言えるだろう。


だけど、焦ってやってまでの効果があったかと言えば、首をかしげざるを得ない。


改めて冷静に自分の行動を思い返してみれば、とてもではないが正視できたものではない。


「笑いませんよ」


 自虐的に笑っていた俺にシトネちゃんははっきりとそう告げた。


ちょっと驚いたように見る俺にシトネちゃんは小さく笑う。


その笑みに嘲笑の類はなくて、ただただ純粋な笑みをそこには浮かべていた。


「正直なところ、ホッとしてます……マスターもそういうことを考える人間なんだって」


「そりゃ……別に戦闘狂でも死にたがりでもないからな……人並みに恐怖心だってあるし、避けられる可能性があるならそれに飛びついたりもする」


「ええ、誰だってそうですよ……私だって同じ立場ならそうしなかった、なんて言い切れません……焦ったりして失敗するのだって、それが普通の人間ですよ」


「……ありがと、シトネちゃん」


 シトネちゃんのそんな励ましに、自虐的な部分が消えて普通に笑みを返すことができた。


それを見たシトネちゃんも嬉しそうに笑みを浮かべて、話を続けてくる。


「もちろん、サナちゃんにも危険があったことだし、多少褒められないことではあったかもしれません……けれど、マスターが何一つ考えなしで焦って強行したわけではないことも、理解しているつもりです」


 そんなことを言ったシトネちゃんに俺は少しだけ驚いて、続きを促す。


「焦っていたのは確かで……だけど、その状態でもマスターは必要以上の安全は用意していたと思うんです」


 それが私の知ってるマスターという人ですから。


そう言ったシトネちゃんの瞳は揺るぎなく、そう信じているのだということが窺い知れる。


「そこまで言ってくれるのは嬉しいが、買い被りだぞ? あの場で俺は特にあれ以上の何かができたつもりはない」


「そうでしょうか? 私が感じた限りでは、マスターはあの場にいたリアンナさんとクラウさんがいたからこそあの場で行ったように感じました」


 二人の名前が出てきたことに内心では驚きと感心を浮かべる。


確かにクラウとリアンナが止めなかったからこそ、俺は行動をしたし……仮に二人がいなければ、俺は今回のことを見送った可能性もある。


「正確なことはわかりません……けれど、彼ら二人はマスターやルノ君より遥かに格上のように思えました」


「……へぇ、どうしてそう思ったんだ?」


「気づいていないのかもしれないですけど、マスターの二人へ向ける視線は他と違いましたよ……おそらくですけど、信頼と尊敬……いえ、畏敬?」


 シトネちゃんに言われて、俺は思わず自分の頬を触ってしまう。


そんなにわかりやすいんだろうか……俺?


軽く落ち込みながらも、同時にやはりシトネちゃんとの会話は俺には相性が悪いのだと感じてしまう。


「それに……クラウさんの虚空でしたっけ……あれは、人間が使えていい技じゃないですよ」


「あ……」


 続けて呆れたように言われたそれに俺は思わず納得してしまう。


確かにあれはない……わかる奴からすれば想像を絶する技量が必要なことは即座にわかる。


少なくとも、あの域には人間の寿命を全て費やしてもたどり着けることはないのではないだろうか。


「それから……マスターが二人のいる場、アーミアさんも入れて三人がいるのにいろいろ話していたことからも事情を知っていることはわかりますし……それらを加味すれば、自ずと答えは出ましたよ」


「ああ、うん、俺も迂闊なところはあったが、よくもまあ推察したもんだ」


 自分の落ち度も含めて、しっかりとそれらの判断材料を集めて結論を出す。


それに俺は内心で絶賛しつつ、シトネちゃんの答えを肯定する。


「そうだな、確かに自信があった……あの二人、いや一人でもいれば絶対に大丈夫だと、他力本願ではあるが信頼していたさ」


「人の姿の人外とすれば……まあ、十中八九使徒でしょうか」


「さあ、どうだろうな?」


「どちらにせよ、マスターが信頼しているのですから特に言うことはないですよ」


「……そうか」


 カレンの歌声が響く中で二人して苦笑いを浮かべる。


使徒と一緒にいることも、それに気づいていながらも黙認していることも普通なら有り得ないこと、そんな状況に思わずそんな苦笑がこぼれ出てしまう。


「ま……それはともかくとして、わかってはいましたけどマスターが最悪の手段を使いそうにはないので安心しました」


「そりゃ、まあ……どうも」


 シトネちゃんの言う最悪の手段はまあ、思いついてはいた。


現状のサナちゃんやカレンでは多くの情報を得ることはできないだろうが、それでも全力でそれを行使すればその限りではないかもしれない。


仮に俺が頼み込めば、二人とも本気でそれに挑戦するだろう不慣れなそれを、最大限負担をかけながら。


ほとんど二人の身体のことを考えず、無理やりにでも情報だけを追い求めることをすれば、もしかしたらそれで必要な情報を手に入れることも可能かもしれない……絶対にそんなことをする気はないが。


完全に見透かされていることに少々複雑な気分になりつつ俺は返事した。


「まったく……シトネちゃんには敵わないな」


「ふふ……マスターが意外とわかりやすいんですよ」


「心外な」


 シトネちゃんの言葉に憮然として言い返せば、シトネちゃんが小さく笑った。


だけどそれは、すぐに消えて真剣な表情に戻る……それはまるでここからが本当の話だと言うように。


「気になったのは、マスターがなぜ安全の保障がないことをなんて言葉をわざわざ口にしたのかです」


「実際にそうなんだ、問題ないだろう?」


「ええ、でも精神状態を考えれば、不安にさせることを言わない方がいい……そうじゃないですか?」


「む……」


「控えていたお二人といった裏事情があったことを少なくともサナちゃんは知らない、わざわざ不安にさせる、非難させるような言い方をする……二人ならそういうことが起きないし精神の状態にも変化がないと信頼して? いえ、そう……むしろ嫌われたりするならそちらの方がいい、そういうつもりで?」


 俺は今表情を隠せているのだろうか?


シトネちゃんがこちらの隠していることを見抜くのには慣れてはきたものの……今のはここまでで最大の驚愕である。


「ですけどそれは……いえ、それならばもう一つの質問に関してもその通りなのかな?」


「……なんだ?」


「マスターって、鈍感な振りをしているだけですよね?」


 驚愕の状態でそんな質問をされて、俺は思わず硬直してしまう。


それはシトネちゃんにとっては肯定と同じようで、やっぱりと小さく呟いていた。


「カレンさんの様子を見ていればわかりますよ……ふざけているような口調で言ってますけど、恋愛感情があることは間違いないです」


「……そうだな」


 でなければ、奇襲をかけてまでキスしてくることはないだろう。


それくらいは俺だってわかっているつもりである。


「そういえば……キスされたときのマスターの顔、真っ赤でしたね」


「うるさいよ、余計なこと言わない」


「あの時のマスターはちょっと可愛かったですよ」


 そんなことを言いつつ、いつもとはちょっと違う、からかいを含んだ笑みを俺に見せる。


それに対して俺は不覚にもあの時のことを思い出してしまい、顔を若干赤くしながら憮然とした表情を見せる。


「……やっぱり、意識してないわけじゃないみたいですね」


「そりゃ……まあ、アイツは可愛いからな、あれだけ好意を寄せられてたら意識しないわけにもいかないだろう」


 なぜにこんな羞恥プレイ染みたことをさせられているのだろうか?


そう思いながらも、俺はシトネちゃんに答えていた。


「けど、まあ……恋愛感情じゃないな」


 友人としてならばいつまでも一緒にいたいとは思うが……恋人としてカレンが隣にいるイメージがどうも湧かない。


そんな俺の様子にさしものシトネちゃんも顔を引きつらせて俺に言う。


「……言っちゃ駄目ですよ、本人にそんなこと」


「言わねえよ!」


 地雷にも程があるだろうが……さすがにそんなところを踏み抜く気にはなれない。


そんな特殊な嗜好は生憎ながら持っていない。


「今まではマスターのこと鈍感かなと思っていたんですけど……マスターの新鮮な反応、今日はいいものが見れました」


「ああそうですか」


 もうどうでもいいと完全に投げやりな口調でそう言い捨てる。


その様子にシトネちゃんはクスクスと笑う……だけど、やはりまた真剣な表情に戻って、先ほどの続きとなる言葉を放つ。


「ええ、大体わかりました……仮にマスターのそれが恋愛感情だとしても……決してそれを表には出さないつもりですね」


 おそらくは気づかれていたと思ってはいた。


先の質問が、その補強材料だったと言うことも理解しているつもりである……けれども、


「シトネちゃん……ちょっとばかり踏み込み過ぎじゃないか?」


「そう……ですね、私もそう思います……けれど、こういう時でなければ、マスターの胸の内を聞くことなんてできませんから……だから今日は、語ってもらえるだけ語ってもらいます」


 告げるシトネちゃんの瞳は真剣なもの、好奇心などで聞いているということはまずないことはわかっている。


事実、シトネちゃんの身体は少し震えている……俺の隠している内側のラインに踏み込んで……もしかすればこれで関係が変わるかもしれないリスクを理解して、それでも覚悟を決めて俺に問いかけた。


だからこそ……こちらもまた、曖昧に濁したりすることなどできるはずもない。


「…………はぁ、そうだよ、恋人作る気なんて無い、俺の目的が達成されるまでは」


 俺の目的とはすなわち、元の世界へ戻りそれからこちらへ帰ってくること。


それでようやく俺は俺個人の目的を全て終わらせられる。


それまでに潜るであろう死線はどれほどあるかわからない……生きて達成される確率は正直かなり低いと思っていい。


それに……全ての死線を潜り抜け、世界を渡る術を見つけたとしても、なにか手違いでこの世界に帰って来れない可能性も大いに考えられるのだ。


戻ってこない可能性の高いとわかっているんだ、なら、悲しみの度合いは小さいほうがいいに決まっている。


それこそ、嫌うものがいるならそちらの方がいい、と思うほどには。


「……止まることは、ないんですね」


「ああ、これは俺がこの世界で生きるために必要なことだと思ってるから、止まれない……止まるわけにはいかない」


 それきり、歌の響くこの会場で、俺とシトネちゃんは互いに言葉を止める。


次で八曲目、そろそろ終わりも近づいてくる頃だろうか。


「とりあえず……聞けてよかったです」


「そうか」


 シトネちゃんとしても、話したいことは終わったのだろう。


「とりあえず……今日の話は他に話すのは厳禁な」


「わかってますよ、さすがに言いふらす趣味はありません」


 正直、一部非常に恥ずかしい事実を含めて本音や隠し事を話し過ぎている。


こんなこと、他にまで耳に入れられたら俺もさすがにへこんでしまう。


聞いてきたのがシトネちゃんでよかった……こちらの言いたいことを少ない言葉で読み取ってくれるのでこちらとしても楽だった。


シトネちゃん以外ではシオンくらいか?


他のメンバーだったらさらに恥ずかしい言葉を散々重ねていた可能性もある。


いや、逆にシトネちゃんだったからこそここまで吐かされたような気もするけど。


「ああ、くそ」


「マスター?」


 頭をガシガシとかきながら、今溜まっている余計な考えをたたき出す。


その様子にシトネちゃんも驚いたらしい、少し眼を見開いてこっちを見ていた。


「なんでもない……せっかく来てるんだ、歌を聴こうぜ」


「ええ、そうですね」


 本来話をするのも無粋なほど荘厳な歌がここには響いているのだ、話が終わったのならこちらを真剣に聴くべきなのである。


そうでなければ……最高の歌を歌うと言ったカレンに失礼というものだろう。


問答の終了を告げるように俺は壁に背を預けてカレンの歌に聴き入る。


シトネちゃんもまた、隣で触れ合うほど近くに背を預けてくる。


戻らないのか?


そう聞こうとしたが、既にカレンの創った世界に飲み込まれている。


聞くのは愚問だな……そう思い、何も聞かずに俺もまたカレンの創る世界に身を預けるのだった。


聞こえてくるのはアップテンポの曲調の歌。


歌姫としては余りあっていないと思われる曲ではあるが、カレンとして聴くとピッタリといえる曲。



――青空に向かって僕らは駆け抜けていく


  楽園のような幻想の時間は今こそ終わりを告げるんだ


  その先に待っている絶望も希望も全て受け入れていこう


  止まらずに進もう遥かなる未来へ――



 歌が終わり、何度目かの拍手が鳴り響く。


ステージ中央にいるカレンは、その割れるような歓声の中、笑顔で手を振っていく。


「今日はみんな聞いてくれてありがとう!」


 カレンの呼びかけに、好意的な歓声が返答として沸きあがる。


「次が最後の曲です……聴いてください」


 そのとき……ほんの少しだけど確かにカレンと目があった。


たまたまなのか、ずっと探していたのかはわからない、だけど確実に俺を見ていた、そう感じた。


……そして、歌が始まる。



――はじまりはいったいいつだったのだろうか?


  君と出会ったとき?


  私が生まれたとき?


  それとも、生まれるよりもずっと昔?


  私にはきっとわからない


  だけど確かなこともあるんだよ


  それは私が君を好きだっていうこと


  初めての出会いは森の中


  歌う私に重ねて君は歌を歌っていたね


  そして君が笑い私が笑った


  広がり重なる旋律の中


  世界は広いってことを君は教えてくれたね


  だから君は旅立ち私も旅に出た


  君と私の旅路は重ならなかったけど


  君は歩き続けた


  私は歌い続けた


  きっと、この旅路はまた交錯するから


  そのとき私は君に告げたいよ


  君といたい、今度は共に歩こうって


  だけど、きっと君は言うだろうね


  一緒には行けないのだと


  君には君の物語があるから


  君が叶えたいと願うものがあるから


  君は私を連れて行かないだろうね


  だけど認めないから


  私を置いていくのならついていくから


  君は私に鍵を渡したね


  だったら私は扉を開いて君を追うよ


  どれだけかかってもいい


  一歩一歩距離を埋めていくんだ


  遠い遠い地平線の向こうに歩いている君へ


  私は絶対に君を捕まえるのだと


  そして私は言うよ


  大好きですと――



 この歌を聴いた時俺の顔が面白いように変化したことは許して欲しい。


おまけにカレンのやつ歌い終わった瞬間にもう一度こちらに目を合わせて微笑んできやがった。


「……マスター」


「あー、あー、聞こえないな」


「まるで、さっきの話を聞いていたかのようですね……」


 シトネちゃんの言葉に、灰色の髪をした女性の笑い声が聞こえてきた気がした。


思わずその光景を想像したのだが、それがあまりにも簡単なことに頭を抱えるしかない。


そしてあの曲は話を聞いて即興で作ったのだろう……それだけの才がカレンにはあるし、サポートになる楽器も何もないからこそ出来る荒業である。


「それで、マスター……完全に告白されましたけど」


「……いや、なんのことだ? 告白? ただの歌だろう?」


「今更鈍感な振りをするのはどうかと思います」


 そりゃ向こうに知られてるもんな……今さらしても無駄さそりゃ。


つか、恋愛感情じゃない云々も全て筒抜けなわけで……ああ、穴があったら入りたいってこんな気分なわけか。


「あと……カレンさんとマスターの両方を知っていると、丸分かりですよね」


 追い打ちをかけるようなシトネちゃんの言葉に、ゆっくりと俺はそちらの方向を見る。


何故かはわからない……何故かはわからないががサナちゃんとセリカちゃんが俺とカレンを交互に見るように顔を振っていた。


「本当に何でこっちを見るんだろうね、シトネちゃん?」


「だから鈍感な振りは……そうでした、サナちゃんとセリカちゃんには通じるんでしたね……それで通す気ですか」


 当然である。


先ほども伝えたが俺にわざわざ地雷原を踏み歩くような特殊な性癖なんてしていないのだ。


回避できるものなら回避する。


「できるんですか?」


「……さあ?」


 正直自信はない。


こっちの予測が外れまくっているからな……そんな情けないことを思いながら心中でため息をつく。


そこでフッとステージは暗くなり、こちらに特大の爆弾を叩き落していったカレンはステージを退場していった。


「前言どおり俺にその気はないよ……それでもっていうなら、勝手にしやがれ」


 どうせリアンナが伝えるだろう。


そう思い、去っていく姿にそうとだけ言い残した。


「素直じゃないですね」


「うるさいよ」


 見張る役目は終わった。


少し面白そうにこっちを見るシトネちゃんと共に、ルノたちの方へと歩いていく。


強い視線を感じるが……さて、どうやってこの場を乗り切ろうか?


この後にはクラウと姉さんの相手も待っている。


どうしてこうも胃が痛いことが連続して起きるんだろうな……最後に一度だけ大きなため息をついて、ルノたちに声をかけるのだった。






 喫茶店『旅人』、この日から数日間、マスターは精神的にやつれていたそうな。

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