第三十二話 『壊滅』
戦いが始まってどれだけの時間が経っただろうか。
おそらくであるが、始まってからまだほとんど時間が経っていないように思える。
それだけの短い時間ではあるが、やはりというか劣勢に立たされていた。
「ぬん!」
「チッ!」
ヴェルリックの一撃をかわして、距離を取る。
現状、常にある程度の距離を保っていなければどうすることも出来ないと理解する。
ヴェルリックの攻撃を言葉で表すとするならば……それは『暴力』という言葉が最も当てはまっているのではないかと思う。
途轍もない重量があると思われる巨斧と、それを片手で軽々と扱うことで繰り出されるその一撃は圧巻の一言。
ただの一撃、その余波だけでも並の人間であれば意識を奪うことも可能だろう。
だからこそ、その力は厄介の一言である。
それだけの一撃に対してはどうしても恐怖を感じてしまう、どれだけ意識を強く保とうともその攻撃の圧力は生命としての根源的な恐怖に働きかけてほんの一瞬動きが鈍くなってしまう。
攻撃自体は決して速くはない……だけど、その圧によりこちらが遅くなってしまっている。
「……よくかわす、人としては大したものだと誉めてやろう」
「そりゃ……ありがたいな」
ファフニールやヴァルグラシアなど規格外の存在は見てきている。
その自分でも完全に恐怖心を抑えることができていない……普通の人間なら初撃で呑まれて動けなくなっているだろうことは想像に難くない。
壁も床も向こうの攻撃で砕け散り、大穴を開けている……叩きこまれればその時点で終わり、いつものことながら自分の相手にするのは化け物ばかりである。
「だが……護っていてばかりでは道は開けぬぞ」
振り下ろされる巨斧を必死で回避して、ナイフを投擲した。
無論そんなものが効くはずもなく、空いた片手で握りつぶされてしまう。
「……さて、どうするか」
俺の弱点ははっきりしている。
基本的に自分の能力が弱いのだ、それは身体能力や技術などのすべての観点から合わせて言えることである。
人間としてであれば上等、最高峰に位置することも可能であろう……だけどそれでは足りないのだ、自分の立場から言えば身を置かなければならないのは人外の領域。
その場所に足を踏み入れるには現状でもまだ足りていない。
自分が人外の戦闘で役に立つことができるのは古代魔法の一点のみ。
しかし、人外級の身体能力を持たない身では戦闘をしながら歌うことも難しい。
「チッ!」
そのために自分ができることなどそう多くないのが現状である。
この人外の領域ではあまり効果はないものの通常の魔法が使用できないことによる中、遠距離戦での対応力の低さ。
唯一使える強化魔法にしても人外の領域で戦うには心許ない状況。
正直なところ、単独では古代魔法を使う隙を作ることすら困難なのである。
跳び、壁を蹴って巨斧の一撃を回避しながら俺は現状を打破するために必死に頭を働かせていく。
仲間さえいないこの状況……唯一頼れるのは今まで作ってきた魔法具の数々だけである。
それらすらまともには通用しないのであろうけど。
「よっ……と!」
空中で壁を蹴りつつ俺はヴェルリックの背後へと着地する。
それとほぼ同時、ヴェルリックの上を通った際に落としたいくつかのガラス玉のような魔法具……それが落下しながらヴェルリックの顔の近くで爆ぜた。
「ぬ!?」
爆発の威力は『大迷宮』中層クラスの魔物を屠ることができるくらいの強力なもの。
それでも、奴へ少しの傷をつけることもできないだろうことは簡単に予測できる……だけど、この一瞬だけは奴の視界を奪うことに成功した。
爆煙で顔の隠れたヴェルリックに向かって俺は即座に距離を詰めて、
「舐めるな」
背筋を震わせるほどの冷たい感覚を感じて、一度その場所から後ろへと下がる。
その瞬間、今まで俺がいた場所に狙い過たず斧の一撃が通過した。
「視界を潰した? その程度で接近を誤魔化せると、そう思っているのか?」
「っ、このっ!」
振り下ろされた巨斧、それを持つ手に向かい俺は剣を叩きこむ。
だけど、感じた手応えはまるで岩や金属を相手にしたような感覚で……その剣の一撃はヴェルリックの肌には一切刃が通っていなかった。
「ふ……ざ、けんなっ!?」
どうやら認識が甘かったらしい、人型を取っていてもその身体は聖獣のものであるということだ。
地竜の時と同じで生半可な攻撃では簡単に弾かれてしまう。
そして、予想外故に硬直していた一瞬を向こうは見逃さない。
「ここは狭いな、場所を変えようか」
「な……にっ!?」
奴の言葉と同時に俺は腕を掴まれて、壁に向かって放り投げられた。
壁に激突、さらにそれを突き破って転がった先は建物の外。
「げほっ……げほっ……」
鈍い痛みはあるものの、骨などに異常はなく戦うには何の問題もない。
それを狙ってやったのかはわからないが……まだ戦えることに感謝する、こっちはまだ何も為してはいないのだから。
「さて……ようやく戦いやすくなったな」
今持っている剣では通用しない……新しい剣と持ち替えて、さらに強化魔法を全力で行使する。
だけど……このままでは先ほどまでとなんら変わらないだろう……少々力を水増ししたところで元の格差が大きすぎて焼け石に水である。
ゆっくりとこちらへと近づいてくる男に対して、俺は全力を持って前へと踏み出す。
合わせるように振り下ろされる斧、そこには相変わらずとんでもない圧力で身体が鈍くなってしまうのを感じる。
それでも身体に力を込めて斧をかわして奴の背後に回る、それで易々と攻撃させてはくれないらしく振り下ろしたはずの斧は既に水平に振られこちらへと向かってくる。
その重圧、受け止めるのはとてもではないが無理だと判断してすぐに距離を取る……やはり力が足りない、速度が足りない、魔力が足りない、聖獣を相手にすれば人間の勝るところなどほとんどない。
手加減されているにも関わらずこの体たらくである……理不尽すぎるほどの力の差であろう。
「どうした、もう手はないのか?」
「さあ……どうだろうな!?」
足に重点的に強化をかけ、さらに風の加護を受けた剣を持って疾走。
その疾走はほんの一瞬ではあるが、今までと段違いの速度で距離をつめ、ヴェルリックがほんの少し反応が遅れた隙を突いて斬撃を浴びせようと剣を構える。
しかし、それでもヴェルリックはこちらを目で追って反応している、斧が振られ、それは正確に俺目掛けて放たれる。
「っ!」
次の瞬間、息をのんだのは俺かヴェルリックか。
普段の俺であるならばできるかぎり使わない機能、魔法具から与えられる加護をその魔法具の許容範囲を超えて発動させる。
当然ながらそれは諸刃の剣……使用すればこの剣はまず間違いなく砕け散る。
だけどその代償を受けた俺は……その瞬間、なお速く前へと踏み出した。
残像が残るほどの速さをもってして、斧が当たるよりも前に奴の懐に飛び込んだ。
「おおおおおおおおおっ!」
容赦も何もない、全力を持って殺す気で限界を迎えている剣によって突きを放った。
身体が軋みをあげ、暴走していた刃が粉々に砕けながら、ヴェルリックの巨体を突き飛ばす……その瞬間に感じたのは、人間ではあり得ないであろう硬さと重さ。
次に感じたのは、あの一瞬に力を込めた故に感じる腕の痺れ……じっくりと休めることで治したいところではあるが……それよりも先に俺は新しい剣を取り出した。
正直なところ、あれで倒せたなどとは夢にも思っていないから。
「……見事だ」
それを肯定するように響いた声。
何事もなく起き上がってくる奴の姿に俺は苦い顔をする……それが当たり前だとしても、自分の全力がまるで効果を発揮しないその光景は精神的にきついものがある。
「人間に傷つけられるなど、一体どれほど昔へ遡るだろうな……」
ヴェルリックは感慨深げに自分のつけられた傷を見る。
その傷も、聖獣の高い治癒能力の前に跡形も無く消えていったが。
「貴様が強いことはわかった……だが、まだ上があるだろう?」
「ぐ……」
重圧がさらに強くなる。
これ以上の重圧を過去に感じていなかったら、この重圧だけで俺は意識を保てなかっただろう。
「全力を出してみろ……俺の目は誤魔化せんぞ」
一撃入れたからといって易々と終わるわけにはいかないか……とはいえ、これ以上こちらでできることは少ないのだが。
そのうちの一つである古代魔法はその詠唱をするための時間を稼ぐ必要がある、この男相手にそれは容易ではないだろう。
「生憎だけどな……俺はあんたが言うほど強くないんだよ……だから、道具に頼る」
ならば、他に有効な手段として挙げられるのはやはりファーブニルしかあり得ない。
ファフニールの鱗で作られた剣であれば奴の皮膚を貫くことも可能であろう。
地竜のように巨体な姿であれば剣での効果が薄いが、今の相手は人型であるため十分な深手を与えることも不可能ではない。
「構わん、見せてみろ……貴様のできること全てが貴様の力だ」
ヴェルリックからの重圧が増し、斧から感じる圧も大きなものになる。
向こうの単純な強さ、そして意に反して鈍くなる身体……この障害を潜り抜けて奴に一撃を与えなければならない。
ファーブニルの存在自体が向こうにとっては想像の埒外であり、それを見せた瞬間であれば小さな隙にはなるだろう。
だけどおそらくそれは極小の隙……単純に見せたのではまずその隙をつくことはできない。
先ほどの疾走にしても、急激な速度の上昇をものともせず反応して見せていた……風の剣をもう一本喪失したところで今度はうまく行かないだろう。
少なくとも、現状でファーブニルを抜くことはできない……絶対に命中させることができるその瞬間まで、こちらはカードを切ることはできない。
どうにか隙を作ることをしなければ……話はそれからである。
「せやぁぁぁぁぁっ!」
ファーブニルの代わりに取り出したのは青い刀身の剣。
無駄だと感じつつも緩急をつけ、虚実をまぜた動きでヴェルリックへと接近する。
当然……その程度のことがこの男に通じるはずもない、精一杯のフェイントをまぜながらもその斧は俺目がけて振り下ろされる。
だけどこちらとしてはその振り下ろしが欲しかったのだ、その一撃をどうにか回避しながら俺は振り下ろされた斧、そしてそれを持つ手に向かって剣を振る。
そこから起こるのは冷気の発生……地面が、斧が、持つ手が一瞬で凍り付いて巨大な氷塊となる。
ダメージ自体はまず有りえない……それでも一時的にでもその手と斧を封じられれば……そんな淡い目論見はすぐさま消えた。
「無駄だ」
氷塊などなかったと言わんばかりに停滞なく手が、そして斧が動き氷を破砕する。
その効果のなさにもはや呆れるほかない……とはいえ、さすがにある程度力は入っていたようで、ほんの数瞬だけ動きに無駄ができていることを察知する。
その数瞬に賭けるとばかりに前へと踏み出したのだが、斧とは逆の手からの拳が俺に向かって放たれている。
「く……」
斧だろうが拳だろうが向こうの攻撃に当たった時点で沈むのは間違いない。
この調子では抜く隙は見つけられないなと仕切りなおすように距離を取る……これの繰り返しを何度続ければいいのだろうか。
しかし下手を打てばその時点で負けが確定するこの状況、慎重すぎるのはいただけないがそうせざるを得ない状態である。
「さあ……どうする?」
逃げ場のないこの状況で俺は自問自答する。
ここまでに行えた抵抗ははっきり言ってあまりにも軽微だろう。
どれだけ頭をひねってもまともに攻撃を通すことすらままならない。
もう何度も前にしている現実……当たり前すぎる光景であったとしても、その度に自分の力のなさを悔しく思ってしまう。
せめてあと少しでも身体能力が高ければ、そうでなくても強化魔法をさらに使いこなすことができれば取れる手段は増えてくる。
今の攻防にしろ、もう少しだけでも踏み込みが強ければ相手の拳を潜り抜けることも可能であったかもしれない。
現状の身体能力が低いからこそ、隙を見せた瞬間に動いても到達するまでの間に隙が消えてしまう。
「あと少しの身体能力……そして強化魔法か」
その言葉を鍵にして、一つ今の現状を変えられるかもしれない方法を思いつく。
そのきっかけとなったのは地竜戦、その際に戦っていたレスカさんの姿。
あの時は戦闘中だったからあまり詳しく観察していたわけではない、それでも自分よりもその技術は上であると感心したことは覚えている。
単純に経験からくる強化魔法の技術の差……そこを気にしても仕方がないが、それとは別に俺とレスカさんの強化魔法で違った点があった。
それは強化の方法。
強化魔法は大別して二つの種類に分けることができる。
一つは魔力を身体の中に浸透させて純粋な身体能力を強化するタイプ。
もう一つは魔力で自分の身体の周囲を覆うことにより外装を纏う形で、外装から攻撃力や防御力を発生させることになる。
前者の利点として挙げられるのは身体の中で作用するため魔力の消費が外側に発するよりも少ないこと、欠点は身体能力は上昇しても肉体強度はあまり変化しないこと。
後者の利点としては外装に魔力を送れば送るほどその外装は強化されて肉体強度と身体能力が上昇すること、欠点は身体強化よりもずと消費が大きいこと。
俺が主に使用する方法は前者であり、レスカさんもまた基本的には前者の強化方法を用いている。
この部分において俺とレスカさんには技量の差があるのだが……この部分に関しては気にしても仕方がないし、一番大事なのはそこではない。
レスカさんが強化魔法を本気で行使する際には身体強化と外装強化を同時に使用していたのだ。
外装強化は基本的に外側に纏うものであり『鎧』と形容していいだろう……当然魔力の消費を上げれば上げるほどその鎧は強固になっていくが、考えなしに身体を覆えば外装で身体の動きが阻害され、ぎこちなくなる。
また、掴む、殴るといった行為に対し外側の魔力が作用するため肉体の力は入れていないが魔力のせいで自分の想像外の威力を出すなど力加減が難しい。
とりわけ踏込からの加速は自分の予測と違う場合が多く外装強化は好まれていない。
身軽さが取り柄の奴に重い全身鎧を着せてみた状態をイメージするのが良いだろうか、その上で自分の想像外の速度で動くのだ、使いこなせば強いのだが中々ピーキーな仕様なのである。
この状態で身体強化をかけた場合、全身鎧の例がさらに極端になったのだと考えればいい……身体強化で加速して、肉体の動きとそれに付随する鎧の動きとの齟齬が大きく、下手をすればうまく動けず身体強化を使っていないときの方が良い場合すらある。
それをレスカさんは外装の覆い方を操作して、自分の動きを絶対に阻害せず、力加減などもコントロールできるレベルの精密さで外装を展開し、掌握しているのだ。
ある程度の才能は必要であろうし、自分の動きを完全に把握して、実際にそれができるまで非常に時間のかかる反復訓練を積んでいるのだろうことはうかがえる。
そしてそこまでの努力を重ねることで身体強化と外装強化の力は互いに相乗して、大きな力を発揮することができる。
結局今すぐこちらもどうと言う話ではないのだが、それでもいくらかはやりようが見えてくる。
「っ……はぁぁぁぁっ」
「何かをするつもりか? 面白い、見せてみろ」
全身を外装で覆うことはしない、そんな精緻にコントロールできる気はしないし、正直魔力の無駄だ。
だからこそ、纏うべきは腕一本……手から肩にかけて外装を覆い、剣を持つ手に力を込める。
そこには今まで以上の力が込められているのは理解できるのだが、魔力越しに掴んでいるせいか掴んでいると言う感覚が少ない。
確かにこれは力加減を間違っても仕方がないなと思いながら、ヴェルリックに向けて剣を構える。
どうやらこちらの準備が終わるのを待っていたらしく、向こうは万全の態勢で待ち構えている。
おかげで拙いながらも外装強化を使用することができたが……その返礼としてこちらから向こうに突っ込まなければならない。
「くぅ……」
使用することはできても、一部とはいえ身体強化との併用は予想以上に負荷がかかり、消費も大きい。
額に汗がにじむのを感じながらあまり長く使えないことを理解して、覚悟を決めて一歩を踏み出す。
足にも外装強化は欲しいところではあるが、現状その状態だと直進くらいしかまともに出来る気がしない……その状態でアレに突っ込むなどもはや自殺行為だ。
「行く……ぞぉぉぉぉぉぉっ!」
そして俺は疾走を開始する。
とは言え、右腕の外装に意識を割かれているのか先ほどまでの速度はない。
真っ先に試したかったことは腕に外装強化を施した以上膂力である。
ヴェルリックはといえばそんな状態の俺がそれでも続けるフェイントに引っかかる様子もなく狙い通りに俺へと目がけて斧を振り下ろしてくる。
「うまく……いってくれよぉぉぉぉぉっ!」
「ぬ!?」
斧とかち合った剣を持つ腕が魔力の外装越しにも冗談のような重い衝撃が走った。
それでも……その斧を初めてそらし、受け流すことに成功する。
今までであれば受けることさえ出来なかったその一撃を、右腕に過大な負荷がかかったものの流し、結果的に攻撃を外したヴェルリックに隙ができる。
今ならば当てられる……使うのならばここしかない!
「ぅ……おおおおぉぉぉぉぉぉぉっ!」
ポーチからファーブニルを抜き放ち、ヴェルリックに向かって斬撃を放つ。
「な……!?」
その剣が何で作られているのかわかるからこそ、ヴェルリックは有り得ないと驚愕し、硬直する。
隙の上に重ねられた隙……俺はそのままファーブニルを振りぬいていた。
確実な手ごたえが生まれる瞬間……聞こえたのは狼の遠吠えのような叫びと、それによって発生した衝撃波の感覚。
「ご……は……」
予期しないそれをまともに喰らった俺は、地面を転がりながらヴェルリックを見る。
後にも先にもこのタイミングしかなかった切り札の切り所、その結果は……
「ぬぅ……」
ヴェルリックの脇腹を斬り裂いたことにより、一時的に膝をついている。
吹き飛ばされたことで浅かったが、それでもある程度の有効打は与えられたらしい。
「その剣……貴様はどういうものであるのか、知っているのか?」
膝をついたままのヴェルリックが俺に向かって問いかける。
何故か立ち上がろうとしないヴェルリックは治療を優先としているのだろうか……とにもかくにも、今向こうを冷静にさせてはいけないのだと、そう判断する。
「ああ、知っているさ……これは報酬なんだよ」
「報酬……だと?」
切り札の一枚を使った……ダメージを与えることはできたものの、これほどのものを持ち出してこの成果では面白くない。
ならば、言葉と共に隙と動揺を作るための材料とさせてもらう。
「この剣の価値、知っているに決まっている……彼の竜の鱗だぞ? そんなもの、どれほどの稀少性であり意味を持っているのか、知っているさ」
「知っているのならなおのことだ、何故それを知っている!?」
ヴェルリックの声が響く、普通なら存在することのないもので作られた剣。
空前、そしておそらく絶後であろうその剣に関してはいかに聖獣であろうとそのままで通すことなどできない。
「だから……報酬なんですよ、彼の竜の鱗を砕いた、ね」
「な……」
ヴェルリックは今度こそ完全に絶句したように動きを止める。
ファフニールの鱗を砕く……なまじその姿を見ているだけに、俺も傍から聞けば絶対に信じないことだ……向こうの硬直も当然のことだろう。
そこに俺はさらに驚きを深めるための爆弾を投げかける。
「改めて自己紹介させてもらう……異界の詠歌い、水森氷雨だ!」
そして俺は名前を告げる、同時に俺は最後の切り札を切った。
――孤高の焔ここに立つ
その手に弓持て一筋の炎条を灯さん――
ファーブニル、異界の詠歌い、そして古代魔法……様々な驚愕を与えられたヴェルリックはその瞬間、確実に自失していた。
それは時間にすれば本当にわずかな時間かもしれなかったけど……短い詠を歌うには十分なだけの時間であった。
右手に生成していた赤い結晶を代価に焔の大矢を作りだし、ヴェルリックに向けて解き放った。
たった二小節の詠、だけどそこには俺の全力を込めた古代魔法である……さすがに少々の脅威は感じてくれるだろう。
予想通り、ヴェルリックはその焔の矢を突き出した手のひらで受け止め、瞬間爆炎がそこに広がった。
これで勝てたとなど、こちらは夢にも思っていない……だからこそ俺は、放つと同時に次の詠を続けていた。
――神鳴る光の雨を降らす者
暗き空を貫く一条の閃光を解き放て――
二小節の攻撃でどれほど向こうが足を止めていてくれるかなどわからない。
だけど、予感がしたのだ……長い小節の詠を歌う時間は与えてくれないと……であるならば、使うべきは同じく二小節の詠。
少なくとも防御をさせることに成功したのだから、当たれば有効だろう……それがどの程度かはわからないが、ある程度のダメージを与えることができれば大きな隙ができるかもしれない。
あるいは、長い詠を使うことも可能かもしれない。
手に持っていた紫に輝く結晶が砕け、代わりに雷の槍が生み出される。
即座にその槍をヴェルリックがいるであろう炎の中へと投擲する……その時には次の結晶を生成しており、詠が紡がれる。
――風に揺れる踊り子たちよ
舞い吹く風は空を十字に斬り裂いた――
真空の刃が二刃、ヴェルリックへと放たれる。
正直なところ、古代魔法の連射などほとんど初めてのことだ……身体にかかる負荷、魔力以外にも持って行かれている何かの感覚。
膝をつきたくなる状態をこらえて、次なる詠を紡ぎだす。
――現に住まぬ虚像の竜
無限に連なる鏡の世より砲炎を呼べ――
再度生み出した赤い結晶より放たれるのは、現実の世界では見ることの出来ないような見事なまでの銀色の炎。
その炎はヴェルリックを包み、輝くように燃え上がった。
その力は、前三つの魔法より、威力だけならば遥かに高い古代魔法であり、事実俺の使える二小節の中では最大級だといえるもの。
「…………はぁ……はぁ……はぁ」
そんな銀炎の猛威を見ながら、俺は膝をついて荒い息を繰り返していた。
代償は大きい……自分の疲労がかなりのものであることは簡単にわかる。
「……まだだ……まだ、終わっていない」
だけど、倒れることはしない。
自分が少し倒れそうな程度の限界で向こうが倒せるはずがない。
仮にあと何十発連射したところで、向こうが倒れることはないのではないだろうか……今までの一連が多少の足止めとなったことを祈りつつ、俺はさらなる詠を紡ぎあげる。
――それは降り積もる雪の如く静寂に
顕現するは花弁舞う世界――
ここから紡ぎだされるのは今までの二小節の魔法ではない。
完成するまで動かないでいてほしい……そんな願いはどうやら届けられなかったようだ。
ゾクリと背筋の凍る気配が俺の元へと届く……それは、予想していた通り最悪の状況であることが証明される。
――それは幼子の如く純粋に
花雪の舞う世界に立つ小さき姫君――
「なるほど……異界の詠歌い、ならば確かに奴の鱗を砕くことも不可能ではなかろう……そして見事、過去の詠歌いに劣らぬその力、認めよう」
銀炎がかき消されるように、あまりにも強大な暴風が吹いた。
それは、斧を水平に薙ぎ払った際に巻き起こった風圧。
明らかに今までとは段階の違う力の発現。
膝をついていた聖獣の姿はもう存在していない。
――それは姫を護る騎士の如く献身に
森林に並び立つ木々の兵――
「だが……終わりだ、その詠が歌われることは無い」
言葉とほぼ同時に、ヴェルリックがこちらへと跳んだ。
その速さはあまりにも速く、宣言どおり歌わせる気は無いようだ。
だが、無論、俺だってその程度は予測している。
止まっていてくれ、そう願いつつもそれが無理であることはわかっていた。
俺はヴェルリックが動こうとしていた瞬間には地面に手をつけていて、それを出現させる。
「む……」
いつもの結晶のサイズとは明らかに違う、壁と言って差し支えない結晶。
詠を止める必要のない無詠唱で使える結晶魔法による防御技。
結晶自体がばれるとマズイ物であるため使いどころなどほとんど無いに等しいものなのだが、今この瞬間においてのみ有効である俺のとっておきだ。
結晶、それも大地の結晶は世界でも有数の硬さを誇る。
いくら聖獣とはいえ、簡単に破壊できるほど、弱いものではない。
「おおおおおおっ!」
あまりの速さ故に、その結晶の壁を避けることはできない。
ヴェルリックもまた、それが容易ではないとわかりながら、その斧を結晶へと振り下ろした。
衝撃……それは周辺の空間を揺らすほどの強大な一撃が叩きこまれた。
その一撃を受けた結晶に細かな亀裂が全体的に生まれ、ともすれば今すぐ砕けそうになりながら……だけど、その壁は聖獣の一撃確かにを受け止めたのだった。
しかし、その間俺はその一切を気にせず、歌い続けていた、
――それは破れぬ牢獄の如く堅牢に
兵らはその身を持って侵略するものを封じ込む
幾億の木々に護られるその姫君の名は――
結晶の壁が砕け、その欠片が宙を舞う。
その先にはヴェルリックの姿……それが輝く結晶の欠片たちによって照らし出される。
「これは……」
砕いた結晶の壁、それ自体が今回の触媒として用いた結晶なのだ。
その結晶の極至近距離にいるヴェルリック……絶対必中の位置取りである。
俺は小さく笑みを浮かべ、最後の言葉を解き放つ。
「――ドリアァァァァァァァド!――」
変化は一瞬。
結晶……そして至近のヴェルリックの足元から唐突にいくつもの木が現れ、ヴェルリックの身体へと巻きつく。
「ぬ……ぐ……」
抵抗さえも許さず、木々は互いに絡まりあい、そしてヴェルリックを取り込むように成長と増殖を繰り返していく。
止まることの無い木々の繁殖は、一本の冗談のように大きな樹を作り出し、ヴェルリックを中に封じ込めることでその動きを止めたのだった。
「………………はぁ、もう駄目だ」
俺はそこまでを見届けて、仰向けにぶっ倒れた。
自分の限界を出し尽くしたと言って良いだろう、もはやこれ以上はどうやっても戦えそうにはない。
「ヒサメ、やったね!」
「はぁ……凄いですね、これは」
途中から、アジトの方から戦闘の気配が無くなり、終わっていたのは気づいていた。
だからこそ、俺は手を出さないようにと二人……正確にはルノに、そしてルノからアーミアに目で意思を送っていた。
目的は終わっていたのだ……ならば後は純粋に、自分がどこまでやれるのかを試しておきたかった。
これから先にも、このような相手がいる可能性は極めて高かったから。
向こうが命をとらないと明言している以上、試金石として確かめておきたかったのだ。
そしてその結果は……
「わう?」
「今……変な音が」
ほんの少しの異音、人よりも聴覚の高いルノとアーミアが音のしたほうへと顔を向ける。
「……やっぱ無理か」
異音の原因は大樹。
軋み、悲鳴をあげるように大樹が音を鳴らしていた。
それはまるで……中から何かが食い破っているように……
「わう……嘘でしょ?」
「どこまで……デタラメなんですか」
一際大きな音が鳴り、大樹がひび割れるように亀裂が走っていく。
そして、折れ、弾けるように大樹が中から真っ二つに叩き割られた。
その役目を失った大樹は倒れ、消えていく。
残ったのは……ほとんどダメージを負った様子の無いヴェルリックの姿だった。
「は……ははは……笑えて来るな、ここまで圧倒的だと」
ドリアードは封じることが主目的であり、攻撃力で言えば他の古代魔法よりは低い部類に入るだろう。
だがあの時、仮にイフリートやシヴァといった攻撃をしたところで、この男にダメージを与えられたのか非常に怪しいものだった。
「正直……感嘆を禁じえない」
ヴェルリックはそう言って、倒れた俺のほうを見る。
「古代魔法の連続詠唱、そして、俺が近づいても詠唱を止めない胆力、俺の一撃を受け止めるほど純度の高い結晶の生成……そのどれもが、賞賛に値する」
「その割には……ほとんど効いていらっしゃらない様子で」
「力が足りん、俺を封じるつもりなら、最低でも十倍は力を搾り出せ」
「はは…………そうかよ」
ぶっ倒れるまで力を行使してなお、少なくとも十倍の力が必要だという……正直途方もなさ過ぎてどれほどのものか実感できない。
以前ファフニールの本体には傷すらつけられないかもしれないと考えたことはあったが……事実そうなる気がしてならなかった。
「だが……見込みはある、これからも努力しろ」
「そうかよ……んで、まだやる気か?」
俺がそう問いかけると、倒れた俺を護るようにルノとアーミアが武器を構える。
圧倒的な力を目にして、なお二人は必要ならば戦うという選択肢を選んでいた。
その様子にヴェルリックはほんの少しだけ満足気な笑みを浮かべ、
「いや、決着はついた……この場に留まる理由もない、もう十分だ」
そう言って、手に持つ斧を消し去った。
それを見て、ルノとアーミアも武器を下ろして、崩れ落ちた。
「びっくりしたぁ」
「心臓に悪いですよ……もう」
「獣人に使徒、貴様たちも見事だ……名は何と言う」
「わう、ルノ・ミンステアです」
「アーミア、アーミア・エルハートです」
さらに言えばルノは詠歌いの後継であり、また月犬の末裔。
アーミアも夜剣皇帝の直系と、異界の詠歌いにも負けないほどのビッグネームである。
その三人で勝てない相手など普通はいない……もっとも、その普通から外れた存在が目の前に一人、数時間前に三人ほどいるというとんでもなく異常な事態ではあるのだが。
「あと少しで夜も明ける、今宵はこれで終焉としようか」
ヴェルリックが後ろへと振り返り、歩き出す。
「また会える日を楽しみにしているぞ……三人とも」
歩き、ゆっくりと、ヴェルリックの姿が見えなくなっていく。
その姿が完全に見えなくなったところで、俺たちはそろって大きなため息をつくのだった。
「ったく、なんてところになんて奴がいるんだよ……なんか疫病神でもついてるのか、俺?」
「わう……否定できない」
「うぅ……寿命が縮まった気がします」
「いや、使徒に寿命はないだろ」
基本的に不老不死なんだし……いや、まあ、言いたいことはわかるけど。
ツッコミだけは入れたものの、それ以上を言葉にするほどの元気もなかったけれど。
「とりあえず……終わったのか、そっちは?」
「ああ、はい、そちらの方はつつがなく終わりましたよ」
「わう……血でベトベト、早く洗いたい」
「そうですね、水浴びしたいです」
「気楽な回答ありがとう……っと」
ようやく回復してきた身体に鞭を打ち、立ち上がる。
多少ふらつきながらも、アーミアに支えられてなんとか安定させた。
「悪い」
「いえ、無理もありませんよ、あんな規格外相手にしていたんですから」
アーミアはそう言いながら、俺に抵抗させる暇も無く俺を背負いだす。
「ちょ……アーミア?」
「今のヒサメさんじゃあ、帰り着くまでに時間がかかりすぎますからね、コンサートに遅れるなんて嫌ですよ」
確かにそうだ……今の俺が行きと同じように復路を走れるかといえば、正直怪しい。
かと言って、自分よりも身長の低い女の子に背負われるっていうのはさすがに恥ずかしいんだが。
「だったら、お姫様抱っこのほうにします?」
「背負ってください、お願いします」
アーミアの冗談めいた言葉に即答。
正直笑えないにも程がある、なんだその羞恥プレイは?
「あはは、じゃあ、帰るとしましょうか、クラウたちも帰ってきているでしょうし」
「ああ、そうだな」
「わん!」
そして、俺たちは集まった時と同じ丘のふもとへと向かって走り出す。
同時に起こった四箇所の襲撃、それを持ってカレンを狙う組織は事実上壊滅することとなった。
仮に生き残っていたとしても、もう手は出せないだろう。
それぞれがあまりにも凄惨なほどに、壊滅しているのだから……手を出せばどうなるのか、嫌というほど理解しただろう。
それでも手を出すような命知らずは軒並みリアンナに潰され、最悪またこのような出動が起こる可能性もある。
その時またこのような遭遇戦があったらと思うと、俺は心の中でため息が出るのが止められなかった。
なお、この状態で帰ってきたら、姉さんとリアンナに笑顔でからかわれたのは言うまでも無かったりする。
そして事情を聞いて全員が呆れるのもまた、言うまでも無いことである。
喫茶店『旅人』、依頼達成、ただしマスターは完敗。