第二十九話 『料理』
『旅人』が再開して数日……本日は定休日なのだが、『旅人』の中では賑やかな音が響いていた。
「きゃ、ちょ、うわっ!」
「サナ!? 何してるの!? ……って、あ、やっちゃった」
「サナちゃん、もっと落ちつこうね……セリカちゃんもよそ見しないの」
賑やかな音の原因はサナちゃんたち、その様子を俺はアサカとルノを伴って客席側から観察していた。
そんな様子を観察している俺たちの表情は、正直なところ暗いと言っていい。
「ヒサメ、正直不安なんだが」
「言うな……怖いから」
「わうぅ……」
小さいながらも恨みがましい声を出すアサカの視線から目を逸らしながら、俺は首筋から冷や汗を流す。
ルノの腰が引けているあたり本気でやばいものである可能性が高まっていく。
「もうちょっと待っててくださいね、もうすぐできますから」
「……了解」
サナちゃんの明るい声と対照的に俺はどこか暗澹とした声を返す。
一体どういう状態なのだろうと言えば、一言でこう答えることが出来る……今現在サナちゃんたちは料理を作っている。
今までは全て俺が作っていたからこそ必要なかったが、これからは俺がいない時でも開けられるためにこうやって他に料理が出来る人間がいるかを確かめてみたのである。
最初はまあ、それなりに和やかな状態ではいたのだ……しかし、今となっては後悔しか出てこない。
「ヒサメ、急用思い出したんだが、帰っていいか?」
「却下、女の子の手料理が食えると喜んでたのは誰だ?」
「命の危険がない場合に限りだよ!」
「わう、アサカ、それ酷い」
「まったくだ」
「おいヒサメ、ルノ、だったらその言葉を俺の眼を見て言ってみろ」
半眼になったアサカがそう返してくるが……もちろん出来るわけがない。
先ほどから観察している限り、シトネちゃんは予想通りというかいつもの完璧さを出して料理をしており、不安らしい不安は何一つない。
次いでセリカちゃんは技能科であるだけあって器用にこなすことができるようだが、料理に対する注意力が足りないのかミスが若干目立っている。
まあ、こちらにしても笑い話で済む程度のものだろう。
問題は最後の一人であるサナちゃんであった、料理は完全に素人らしく、セリカちゃんのような器用さもない。
たまにシトネちゃんがこちらに向かって非常に申し訳ないといった表情を向けてくる辺り、本気で笑い話にもならないものが完成する危険性がある。
「俺がシトネちゃんのを食べてみるから、二人はセリカちゃんとサナちゃんをお願い」
「待てや、そんなことが許されるとでも思ってるのか?」
「ヒサメ、横暴」
仕方ないだろ、あれだけ不安な光景見せられたら逃げに走りたくなってもおかしくねえよ!
と、叫びたくはあるがさすがに向こうにまで聞こえるので自重する。
冷や汗が流れることを止めることはできないが、とりあえず表面上は平静を保つことができていた。
「まあ、シトネちゃんがいるなら食べられるものにはなってくるだろう……多分だが」
「そりゃあなあ、普通に作れる奴がいるなら十分フォローは出来るもんだ……ある程度は」
「わうぅ、語尾が不安……仕方ないけど」
だったらこちらに向けてくる申し訳ないという表情は何なのだろう……その先を考えることは俺を含めて決してしなかった、ぶっちゃけ一種の思考放棄である。
ちなみにルノとアサカだが、何気なく料理はうまかったりする。
アサカ曰く自炊しねえと所持金がもたないらしい……九割がた賭博のせいだとは思うが。
ルノもさせては来なかったが俺の姿を近くで見ていたのだ、普通に作る程度なら十分出来ていた。
こうなると『大迷宮』挑戦中のメインコックはアサカになるか……うわぁ、急激に心配になってきた……シオンを何とかして引っ張ってこれないだろうか、確かシオンは結構上手だったはずである。
「……なんか凄え不本意な評価をされた気がするんだが?」
「気のせいじゃないか?」
無駄に鋭い……やはり目を逸らしながらの回答になるが、今は料理のことがあるのでそこまで不自然ではない。
ついでに向こうでも賑やかな音が大分減ってきている、どうやら皿に盛り付けているようだが……
「頼む……食えるものであってくれ」
「いいかげん腹くくっとこうぜ、ヒサメ」
「諦めが肝心」
「なんだがとても失礼な会話が聞こえた気がするのは気のせいなのかしら?」
そんなことをやっているうちにセリカちゃんが完成した料理を持ってきたようだ。
微妙にそこには文句のあるような表情をしているが、それもすぐに消えて口を開く。
「ま、心配なのはわかるけど……私は大丈夫……よ?」
安心させようと思って言ってくれているのはわかるが、最後が疑問形になっているおかげで非常に不安になるんだけど。
若干目も泳いでるしあまり上手くできているわけではないのだと自覚しているのだろう……まあ、とりあえず自分たちの前に置かれた料理へと目を移す。
見た目は……思ったよりもいい、包丁さばき等技術の部分においては、やはり優秀なようだ。
「私のほうも出来ましたよ」
その横にシトネちゃんが自分の料理を置いていく。
こちらは安心していた通り、何も問題はなさそうである。
「はい、みんな!」
そして問題はサナちゃんだ……シトネちゃんもセリカちゃんもさりげなく目を逸らしているあたりに不安しか出てこない。
そして同じように料理が並べられ、逃げ出したくなったのは悪くないと思いたい。
明らかに見た目がヤバイ、どう料理すればこうなるのか一切理解が出来ない、あまりにもあれな存在になぜか材料に対して申し訳ない気持ちになってくる。
アサカは完全に引きつってるし、ルノはルノで全力で逃げ出したいと考えているようだ。
何よりも最悪なのは製作者本人が自分の料理に対して何の疑いも持っていないことだろう。
「あれ、どうしたのみんな?」
「……いや、なんでもないよ」
「そっか、じゃあ、早く、あったかいうちに食べてみて!」
本気でうまくできていると思っているのだろうか……?
小さくセリカちゃんの方にアイコンタクトをしてみると、ゆっくり頷かれてしまった。
そのままシトネちゃんの方に顔を向けると、若干引きつったような笑みを浮かべながら、どうしようもなかったと言わんばかりに首を振られた。
どうやら、本気で修正の効かないやばい物だったらしい。
「? マスター?」
「っ、ああ、悪い、少し考え事してた」
「もう、女の子の料理を放置して考え事なんて駄目ですよ!」
「はは……すまなかったな」
少々膨れるサナちゃんに苦笑しながら俺は現実処理しなければならない問題へと目を向ける。
明らかに食べられる気のしない料理、少なくとも見た目の整っている料理、絶対安全と言えるだろう料理。
「……いただきます」
「「いただきます」」
覚悟を決めて俺たちは料理を口にし始める。
とりあえずやや不安のセリカちゃんの料理から食べてみるのだが……
「……なんというか」
「あれだな」
「微妙」
「ちょっと、酷くないですか!?」
その評価にセリカちゃんが異議申し立てをするが……だがすまん、そうとしか言いようがない。
殊更不味いわけではない……ただ、普通よりは確実に落ちる。
確実に調味料系の分量を間違えた部分がある……致命的とまでは言わないが、マイナス点が大きいのは間違いない。
「とりあえず、慣れもしないのに並行して作業をするな、注意力が下がって味付け自分の思うままにしただろ?」
「うぅ……」
何も言い返してこないあたり、どうやら自覚があったようだ。
「つか、技能科には料理実習はあったろ? あれ、どうしたんだよ?」
「あれはサバイバル料理だからわりと大雑把でもいけるのよね、味よりも材料の消費量とかの方が優先されるし」
「いや……たしかにそうなのかもしれんが……」
まあ、探索中なら持って行ける食料は限りがあるし、味わって食べる暇もないかもしれない。
というか迷宮内で普通に料理をしている俺やルノがおかしいのはわかってるけどよ……やっぱりそこは大事にしておきたいんだが。
とりあえず確実に言えることは……
「セリカちゃんに料理人は任せられないな、やりたいなら要練習」
さすがにこのレベルで店に出すわけにはいかない、最低限味はアサカくらいは欲しいところだ。
「む……わかったわよ……」
自分でも良くはないとはどこかで思っていたのだろう、少々拗ねながらもすぐに引き下がる。
それじゃあ、全部食べてたら時間がかかるから次は……批評のために絶対に安全なものを先に食べておこうか、そんなふうに目で合図をするとアサカとルノもすぐさま肯定を返してくれた。
そんなわけで俺たちはシトネちゃんの作ったものに手を伸ばす。
「…………へぇ」
「美味いな……俺よりも」
「すごいよシトネ姉ちゃん!」
「ありがとうございます」
正直良い意味で予想外だった。
自身が認めている通り、アサカの作ったものより上で、ある程度俺の方が上だと感じるが、それでも俺の料理と並べても決して見劣りしないレベルだ。
ルノもべた褒めでシトネちゃんも心なしか嬉しそうに口元を緩めていた。
戦闘能力・センスともに高くて頭も良い、料理も上手ければ容姿もかなり良い。
絵に描いたような完璧少女だな、戦闘時に少々性格が変わるのは欠点……って程でもないか。
「合格、かな」
「わん!」
「問題ないな……てか、ぶっちゃけヒサメ以外は腕の問題で文句言えないだろ」
まあ、文句を言うならそれ以上の腕が必要だから、アサカの言うとおりではあるけど。
「ありがとうございます、やっぱり嬉しいですね、こういうこと」
「それはなにより……まあ、これからはアサカも含めて俺の作業を手伝ってくれるとありがたい」
「はい、勿論です」
よろしくと握手を求めると、しっかりと握り返してくれて、その顔には隠しきれない笑みが溢れていた。
いつもしている笑顔とは違う……シトネちゃんの本当の笑顔、唐突に現れたその表情はとても美しくて、正直、不覚にも見惚れていた。
「む……マスター、私の分も食べてくださいよ」
そんな俺を正気に戻したのはサナちゃんの死刑宣告。
もう確定したからやらなくていいよな……駄目だろうな。
現実逃避をしたいが、そううまくはいかないものだ……見ればどことなくアサカとルノも諦めたような顔をしている。
…………仕方がない、腹をくくろうか。
「とりあえずサナちゃん」
「はい?」
「見た目でアウト」
「へ……えぇっ!?」
食べた後批評する余裕がない可能性があるので、言えることは言っておく。
だがサナちゃん……そんなことを言われるなんて微塵も想像していなかったってのはどうなんだ?
「美味しそうじゃないですか!」
「ごめん……そこは同意しかねるんだが」
「悪い、俺も」
「ごめん、サナ姉ちゃん」
食べる身としてはさすがにそうとは思えない。
あれ……そういえば、いつも俺の作った料理を見て美味しそうとか言ってくれるよね?
サナちゃん的にはコレと同じように美味しそうって思われてるのか……なんていうか複雑だ……
「セリカ、シトネ」
すがるようにサナちゃんが自分の親友二人の方を見るが……見事なまでに二人ともサナちゃんと目を合わせようしなかった。
「うらぎりものぉ!」
「いや、アレは無理よ」
「もっと練習しようね、サナちゃん?」
わりと人間関係に絶望したサナちゃんと苦笑することしか出来ない二人。
とはいえ、いつまでも逃げていることもできない。
「仕方ない……食うか」
「マジか……」
「わう……」
「うう……そこまで嫌そうにしなくても……」
警戒心全開で、恐る恐る手を伸ばす俺たちにサナちゃんはもはや半泣きで俺たちに文句を言う。
でもね……今回ばかりはサナちゃんがなにを言ったとしても、無理。
全員覚悟を決めて、俺たちはサナちゃんの料理を口に放りこんだ。
「「「っ!?」」」
どうやら俺たちに奇跡は舞い降りなかったらしい。
不味いとかいう次元を超えていた、というより味がわからない。
味覚が一斉に、そしてランダムに刺激され、混沌としたものになっている。
加えて食感も異常、柔らかいと思えば硬いような気もするし、時折脆いと言った方がいいような気もする。
既存のものでこの食感が作り出せるとは思えない、一体何を使ってどう料理していたのだろう?
食った後の驚きからすぐさま俺たちは手元のグラスの中の水を流し込んだ。
「「「……………………はぁ」」」
長い間をおいて、俺たちは重いため息をつく。
少し離れたところで、セリカちゃんとシトネちゃんが哀れみの視線でこちらを見ているのが腹立たしい。
被害にあわないように距離をとっているあたりがちゃっかりしている。
まあ、そんなリアクションをとって、黙ってはいられなかったのだろう。
「なに!? その異常に深いため息は!?」
若干悲鳴のようにサナちゃんが俺たちにツッコんだ。
だが、ため息もつきたくもなるってこれは……これは人が食べるものじゃない、はっきり言って無理すぎる。
正直、どんな調理法をすればこんなことになるのか本気で知りたくなるが、こんなものを再臨させるわけにはいかないので思うだけにとどめておく。
「サナちゃん」
俺は真剣な顔になってサナちゃんの方を見つめる。
「な……なに?」
こちらのリアクションからして、おおよそ察しているだろう……涙目のままサナちゃんはこちらを見返す。
「没」
「はうっ!?」
予想していてもショックはあったのだろう、へなへなとサナちゃんが床に膝をついた。
「そんなに……駄目……でしたか?」
「すまん、フォローできん」
「わう……もう食べたくない……」
「うぅ……」
がっくりと肩を落とすサナちゃん……まあ、今後の糧にしてもらおう。
そして残るのは、俺たちが一口ずつ食べた三人の料理。
それらを前にして俺たちは無言で見つめあう。
「あ……あの……無理して食べないでいい……ですよ?」
沈黙の原因が自分にあることがわかっているのだろう……暗い声で言うサナちゃんは未だ半泣きであった。
それを見た俺とアサカは互いに目を合わせ……
「…………はぁ」
俺は深い、本当に深いため息を吐いた。
そしてサナちゃんの頭に手を伸ばして、
「せっかくサナちゃんが作ってくれたんだ……そんなこと、出来るわけないだろ?」
「え……?」
サナちゃんが驚いた顔をして……そして俺はアサカのほうへ目を向ける。
後は任せたぞ、というアイコンタクトに対して見事なまでにアサカが頷いてくれたのを見て、俺は覚悟を持ってサナちゃんの料理をかきこみ始めた。
とりあえずゆっくりは食えない、こんな謎風味と食感、楽しむような気には到底なれない。
可能な限りすばやく、俺は皿の中身を流し込んでいく。
その様子にアサカやルノ、果てはセリカちゃんやシトネちゃんまで驚きと、そして尊敬のまなざしを送ってくる。
「マ……マスター、無理しなくていいですからぁっ!」
サナちゃんが焦り、戸惑ったように俺に言うが、俺はそれに応えない。
応えるために食べるのが止まれば、絶対にもう口をつけられないのが目に見えているから。
正直、さっきから頭の中で警鐘が鳴り響きまくっている、冷や汗が流れ続けて止まっていない。
だが、食物を粗末にはできないし、女の子を泣かせた責任は取らなくてはいけないだろう。
時間にして一分も経っていない……しかし、地獄のような長い時間が経過したように感じながら、俺はどうにかサナちゃんの料理を完食した。
「………………ごちそうさま」
最後にそう言って、俺は意識を失っていく。
その際に見えたのは、半泣きのまま驚いた表情を見せていて……食べてもらえたことに若干嬉しそうなサナちゃんの姿だった。
目が覚めたのはそれから三時間後くらいで、起きたすぐにサナちゃんには全力で謝られた。
それに俺は苦笑しながら、しかし再度こんなことが起きないよう、少なくとも一人で料理をすることを絶対に禁じさせたのだった。
食っている最中に死を意識したあたり、本気でヤバイ……仮に料理に出したら客が寄り付かなくなってしまうこと請け合いである。
余談だが、アサカはセリカちゃんの分をしっかり消化したらしい。
そうなるようにしたとはいえ、結果的にシトネちゃんの料理の担当のルノが一番勝ち組の気がしてならない。
まあ、とにかくこれで全員分の料理を食べて、料理人としてアサカとシトネちゃんがシフトに入ることになったのだが……二人とも学生であるから、当然時間に制限が出てしまう。
このままでは例え俺とルノが『大迷宮』の探索中に開店していたとしても、酷い状態になっていること間違いなしだ。
はぁ……新しい人間雇うしかないのかなぁ……だけど、知らない奴に事情は説明できないし……本当にどうするかね?
そんなふうに俺はこれからのことを考え、そして考えが纏まらずに結局ため息をつくのだった。
喫茶店『旅人』、新人の料理、ご賞味ください。