第二話 『学生』
とある日の夕方、客入りが少なく閑古鳥が鳴いているので今のうちにとルノと二人で店の中を清掃中である。
「ルノ、そっちは終わった?」
「もう少し~」
ルノは小さいながら、かなり掃除が得意な方である。
細かいところによく気がつき、汚れを残さずにしっかりとやってくれる。
料理はさせていないので未知数ではあるが、俺の作り方をよく見ているし、たぶんそこまで問題のあるものはできないだろうと思う。
まあ、小さな店であるし手間のかかるものは作らないので俺一人でも今のところは問題はないんだけど。
そのまま少しの時間の後、俺とルノはほぼ同時に担当の掃除を終えた。
「ヒサメ、次は?」
「そろそろ時間だ、接客準備」
この店の中で忙しい時間帯は主に二箇所。
昼食時となる時間帯と、この街にある学園の下校時間と重なる今ぐらいの時間がそうである。
そのため、その時間以外の間に掃除や食器洗いなど、接客や料理以外の仕事をしているのである。
「わんっ!」
持っていた掃除用具をルノに渡せば、ルノは頷いてまとめて掃除道具を片付け始める。
その間に俺は、これから来るであろう客のために飲み物の準備を始める。
徐々に外が賑やかになっていくのを聞きながら、そろそろかと俺は入り口のほうに顔を向ければ、タイミングよく来訪者を告げるベルの音が鳴り響いた。
「いらっしゃいませ!」
「いらっしゃい、サナちゃん」
「こんにちわ、ねえ聞いてよマスター」
外からやってきたのは赤色のショートヘアの女の子で、名前をサナ・クルクスと言い、俺はサナちゃんと呼んでいる。
勢いよく扉を開いたサナちゃんは、そのまま俺の前のカウンター席に駆け込んできた。
「相変わらず賑やかだね……はい、ココア」
来ることは予想できていたのですぐさま用意しておいたココアをサナちゃんに渡してやった。
この世界の一部地域でだけ栽培されている木の実を使ったもので、同時にチョコレートっぽいものも売られていた。
以前、街中でその木の実が売られていた時は喫茶店のこともあって即決で買い集めたのである。
さすがは探索者の街というべきか、これ以外にも珍しい材料なども結構売ってあり、その上一般的ではないからあまり売れることも無いため独占状態で買うことができた。
おかげでコーヒーと一緒で珍しさから頼まれ、それ以降に好評を得る人気商品になるものが多い。
ちなみにコーヒーもそうであるがこの店のメニューの名前は元の世界の名前を使っている。
類似の料理には括弧書きでこの世界での料理名を表記してある。
何か聞かれたときは自分の故郷の呼び名で通している……決して間違いではない。
「ルノ、奥からアレを取ってきてもらえる?」
「わん!」
ココアを渡した後、俺はルノに一つ指示を出す。
掃除用具を片付けたルノは元気よく返事をして、店の奥へと消えていった。
それを見送って、俺はサナちゃんの方へと向き直る。
彼女は、すぐさま自分の飲み物が用意されていたことに少し驚いたような顔をして、それから嬉しそうに目を細めて笑った。
「ありがと、マスター……んぅ、おいし」
サナちゃんはココアを一口、それで幸せそうに口元を緩ませた。
彼女も始めてきた時にもの珍しさで頼んで、完全にはまってしまった一例である。
ちなみにこの子はコーヒーは苦手、向こうの世界と同じく眠気覚ましの効果があるためそういうことが必要な時に頼む程度である。
ともかくサナちゃんが落ち着いたことを見計らって俺は用件を切り出した。
「それで、急いで何を聞かせたかったんだ?」
「あ、そうだった、課題が出たんだよ!」
「課題……ってことは、また?」
俺は聞き返しながらサナちゃんの格好を見る。
白を基調とした可愛らしい服で、袖口やスカートに赤いラインであしらっている。
探索者養成機関、フィオーリア学園中等部の制服である。
習っていることが『探索者』に必要なことであることを除けば、俺のもといた世界と学校の仕組みと大きな変わりない。
もっとも、肉体的な成長の観点から初等部は十歳から三年、そして中等部三年、高等部三年の九年制ではあるが、基本的には一緒だと考えても問題ないと思ってる。
そういうわけだから課題や宿題といったものももちろん出るわけで、
「うん……またなの、学園の中でも一応考えたんだけどぜんぜんわからなくて……お願いマスター、手伝って!」
「はいはい」
必死になるサナちゃんの姿を見て、俺は自分の世界にいた頃、同じように学校の宿題の処理に四苦八苦したものだと思い出す。
そしてサナちゃんと同じように使えるものなら藁でも使うと言わんばかりに他人から協力という名の丸写しをしたものだ。
ちなみに小学生の時にこの世界に連れてこられた俺だが、じいさんの教育により学ぶべきことはしっかりとマスターしている。
時には絶対こんな知識使わねえよ、と言いたくなるような無駄な知識まで教えられた。
まあ、ごくごくたまに変な時にそういった知識を使う羽目になったりするのだが……それはともかく、
「じゃあ、いつもどおりヒントは出すけど、答えは自分で考えるように、まるまる俺がやったら意味がないからな」
以前、サナちゃんがここへ来たとき課題を広げて困っていたわけなんだが……その時は他の客もおらず、頑張っている学生という姿が微笑ましくて覗き込んだのだが、ちょっと口出ししたのがその始まり。
ルノにも勉強や知識を教えているわけだが、そのせいか教えることに関してはそれなりのものを持っているらしい。
とにもかくにも口出しをして、それが的確だった結果……天の助けとばかりに内容を聞きまくってほとんど俺が解くという課題の意味をなさない状態にしてしまったことがある。
ああ、少々煽てられて調子に乗っていたんだ、否定はしない……というより、宿題丸写しをしていた俺が言えることじゃないんだけど。
その時からサナちゃんは課題が出ると俺に頼るようになったという話である、まあ、以前の失敗をしないよう教えすぎないやり方で手伝っているのである。
まあ、他に仕事がなくて時間の空いている時に限るけど。
「わかってるよ~」
そんな俺の内心をいざ知らず、元気に返事をしたサナちゃんは鞄から課題と思われるものをカウンターに広げ始めたので、俺はそれを手にとって内容を眺めてみた。
「って、魔法言語文の訳かよ……というか古代言語まで混じってるし」
この世界に存在する魔法、それを用いるときに使われる詠唱言語のことを魔法言語と呼んでいる。
この言語を理解していないと、魔法は望んだほどの効果を起こすことができないため、魔法を使う『探索者』にとっては覚えることが必須となる。
特にサナちゃんは学園の中で魔法科という分野の生徒であるため、こういった問題が出題されやすい。
そしてそれとは別に、魔法言語の中に入れ込んで詠唱することで、効果が増す単語がある。
それが古代言語であり、現在ではいくつかの単語を残して、古代言語のほとんどは消滅している。
何故古代言語を魔法言語に混ぜると効果が上がるのか、そもそも古代言語とは何なのかという謎は解明されておらず、それを見つけるため、世界中で残された文献を読み解き、新たな古代言語の解読と発見に力を入れられている……ただし、一般的には、という注意書きが必要にはなるのだが。
「じいさん完全に解き明かしてたからな……」
古代言語とは魔法言語の原典といえる存在だ。
今存在する魔法は過去に存在した古代の魔法の現象の一部を抜き取り、その部分の詠唱を単体で発動できるように単語を改編、簡略化したもので、もともとの言語を歪ませてできたものである。
そんな言語と原典となるものでは同じ意味であれ内包する力に差が出ることは当たり前、一単語でも入れ込めば効果が上がるのは当然のことといえる。
仮に古代言語だけで魔法を詠唱したとすれば、それは当の昔に失われた古代の魔法を再現することができるということである。
そして、その結果として俺がこの世界にいる。
古代魔法の中でもかなり上位に入る魔法であろう召還魔法、仮にその呪文を古代言語の研究員に渡したとすれば、解読までに十数年かかることは間違いないクラスらしい。
……じいさん、本当に何者だったんだあんた。
知識は教えてくれたが、その正体については最後まで教えてくれなかったじいさんに俺は冷や汗を流すのだった。
「ヒサメ、持ってきたよ!」
奥の部屋にいたルノが頼んでいたものを持って戻ってくる。
それを確認して、俺は手に持っていた課題を置き、サナちゃんの方へ声をかける。
「おつかれ、ルノもカウンターに座って……サナちゃん、試作品のケーキ食べてみない?」
「いいんですか!?」
ルノが座る席に置かれたホールのケーキを見てサナちゃんが目を輝かせる。
「いいよ、味の保証はしないけどね」
「マスターのケーキが美味しくないはずがないよ!」
「うん、ヒサメのならなんだって食べられるよ」
「ありがと、二人とも」
ケーキを切り分けながら、褒めてくれる二人にお礼を言う。
勿論三人で食べるには大き過ぎるので、後から来た客のために残しておく。
「ま、食べながらでいいから、さっそく課題を始めようか」
「うぅ……食べてからで良くないですか?」
「別に俺は構わないけど、他の客が来たらあんまりサナちゃんにばかり時間を取れないよ?」
「……はぁい」
力なくうなだれたサナちゃんは、それでも課題を広げ始める。
基本的にはまじめでいい子なのだ。
ついでに教えたことはしっかりと覚えるので教える側のこちらとしても結構楽しかったりする。
「それじゃ、やるよ?」
「ボクも手伝うから頑張って、サナ姉ちゃん!」
ルノは俺がじいさんに習った要領で勉強を教えているため、頭はいい。
初等部一回生か二回生くらいの年の子供に勉強を教わることに現中等部三回生のサナちゃんがやたら複雑な顔をしていたが、既に以前教えたときにサナちゃんよりも学力があることを見せているため何も言えない。
まあ、そのときはかなりへこんでいたが……
「ここの問題だけどな、単語の意味自体はわかるよな? だったら後は連想すればなんとなくわかると思う」
「こっちはね、通常の文に古代言語が混じってるから、言語の優先度順から古代言語が優先されてるの」
「え、え、え? 二人とも、同時に言われても私わかんないよ!?」
焦るサナちゃんに俺とルノは見合わせ、理解できないといった顔で言う。
「何を言っているんだサナちゃん、学習において同時思考演算は必須スキルだろ?」
「わう、これくらい当たり前」
二つ以上のことを処理できるのだったらその作業効率は単純に二倍以上になる。
この世界の言語を覚えてから真っ先にじいさんに教えられたのがこの技術だった。
最近ではもっぱら客の注文記憶に活用している。
「二人とも意味わかんないよ!?」
サナちゃんの叫びに俺とルノは雷に打たれたかのように驚愕する。
「一般技術じゃなかったのかこれ……」
「わう……通りで習得が難しいと思った……」
何よりもまず教え込まれたから、この世界では当たり前の能力だと思ってた。
俺が教えたルノもまた同上である。
そういえば前の時は客がいたから、俺かルノのどっちかからしか教わってなかったからな……初めて気づいた。
そんなことをしているうちに来客を知らせるベルの音が鳴り響く。
「いらっしゃいませ! ……仕方ない、それができなかったら二人で教えても無駄にしかならないし……ルノ、頼んだ」
「わん!」
「な……なにかわからないけどごめんなさぁい……」
若干落ち込むサナちゃんだが、ルノに肩を叩かれて課題のほうへ注意を向けていく。
その間に俺は新たにやってきたお客さんの方へと向かう。
サナちゃんと同じくフィオーリア学園中等部の制服を着た女の子二人組み。
しかし、袖口などのラインは赤でなくて緑、二回生であることがうかがえた。
「こんにちは……ここははじめてみたいだね」
「あ、はい」
「ここって美味しいものありますか?」
一人は遠慮しがちに返事をしてくれ、もう一人は興味津々にこちらへ聞いてくる。
「はっきり聞いてくるね……そうだ、試作品のケーキの残りがあるけど食べてみる? お代はいらないよ」
「あは、マスターさん話わかる!」
「ちょ、ちょっとファナン」
俺の提案に嬉しそうに喜ぶファナンと呼ばれた子と、図々しさに見かねたのか咎めるようにもう一人を見る子。
そんな二人を後ろに、さっきの残りのケーキから二切れ切り出し、新しく用意した二枚の皿にそれぞれのせる。
「はい、美味しかったらこれからもご贔屓にね?」
「了解でーす」
「あの、ありがとうございます」
「構わないさ、悪いと思うなら飲み物なり次来たときにでも注文してくれればいい」
「うわ、本当に美味しい……」
「もう食べてるの!?」
「ユンも食べなよ、美味しいって」
賑やかにケーキを食べる二人に苦笑しながら、俺はカウンター内へと戻る。
「どうだ、ルノ?」
「大丈夫、簡単だよ!」
「それはルノ君だけだよぉ」
笑顔のルノと、涙目のサナちゃん……どうやらもう少しこちらはかかりそうだった。
それを気にしながら、
「いらっしゃいませ! 試作品のケーキの味見をしませんか?」
新しく入ってくる学生のお客さんに向かって俺は試作品のケーキの残りを持ちながら声をかけるのだった。
なお、課題自体は無事に終わったことを報告しておこうと思う。
喫茶店『旅人』、新作ケーキ始めました。