第二十七話 『過去』
ただ起こったことをまとめ、語るだけ……それだけの作業ではあったが、その全てを語り終えるまでにはかなりの時間がかかってしまった。
その話の間は誰もが喋ることもなく、引き込まれたように俺の話を聞いていた。
「…………とまあ、そういうわけで地竜ヴァルグラシアの試練を終えて、帰り道で数日過ごしながらこの場所に帰ってきたわけだ……これでひとまず『遺跡』での話は終わりだよ」
その内容を全て話し終えた俺は自分の用意した飲み物に口をつけるが、口には何も入らない。
よく見てみれば既にグラスは空になっており、気づかなかったことに顔をしかめながら新しく注ぎなおす。
そんなことをしながら、全員の様子を窺えば人それぞれな反応をしているように見て取れた。
単純に凄いと感心している者二人、本気で呆れたと言わんばかりの顔をしている者が一人。
俺の話した内容を考察し、質問する内容を考えているものが三人。
誰がとは言わない……ぶっちゃけ予想はつくだろうし。
「竜とかいるんだな、御伽噺のなかの存在だと思ってたぜ」
話された内容からどう言葉にしていいか悩む中、口火を切ったのはアサカだった。
それは純粋な驚き、この世界でさえ架空の存在だと思われている竜の実在に対してである。
「だろうな……だが、その実のところ考え方自体は別に間違ったものじゃないんだぜ」
「ん?」
「竜は……いや、竜に限らず聖なる獣っていうのは基本的におとぎ話の存在だ」
竜は教え導くものとして一部地域であがめられているものではあるが、実際に姿を確認された例は極めて少ない。
一部危険地域の竜の谷と言った場所でなら確認することも可能ではあるが、そこに住むのは知性の少ない魔獣のような竜ばかりで聖獣とまで呼ばれる存在に会うことはまずないだろう。
そして、魔獣のような存在でも竜は竜だ、戦うことになれば生きて帰れる保証もない。
結果、存在は示唆されていても、おとぎ話の存在であり迷信とよく言われているのは確かである。
もっとも、今回の言い方には冗談みたいな別の意味も含まれているのだが……
「あん? おとぎ話って……実際に会ってるんだろ?」
俺の言葉にアサカはわからないと言うように声を上げる。
まあ確かに、今のは言い方が悪いか。
実際にはそのものズバリと言ったところなんだが……とそこで、何かを思いついたようにシトネちゃんが俺に聞いてくる。
「マスター、まさかですが……おとぎ話は実在したんですか?」
言いながらも信じられないと言ったようにシトネちゃんが正解を口にする。
俺が肯定すれば、シトネちゃんはむしろ外れていて欲しかったというような表情をして沈黙する。
そんなやり取りを見て、勘のいいレスカさんやシオンもさすがに驚いたような表情を見せていた。
そして未だに気づいていないアサカやサナちゃんセリカちゃんは首をひねっており、俺はその三人に対して答えを告げる。
「簡単な話だ、現存する聖獣ってのは多くの場合おとぎ話に出演している本人だってこと」
「は……?」
「「え……?」」
俺の答えに呆気にとられている三人に、俺は続けて話す。
それはとある地方に伝わる伝承の一説。
「……昔々、海の近くにあった辺境の村に災厄が降りかかった……海に強大な魔獣が現れ、その村の民の平和を脅かした、村人は海に出ることが出来なくなり、村の活気はなくなっていく……しかし災厄はそれで終わらず、魔獣はその村全てを飲み込まんと津波を引き起こした……民にこれを防ぐ方法はなく、その死を受け入れるしかないと悟った時、奇跡は起こる……砂浜に唐突に山と見まごうほどに巨大な竜の姿が現れ、その身をもって村から津波を護る防波堤となったのだ、そして同時に村人に聞こえてきたのは詠、どこからともなく響いたその詠が終わったとき、光が溢れて海の魔獣を消し去った……村人はその竜に感謝し、竜にこの名を送った……大地の守護竜、ヴァルグラシア……と」
その伝承を騙り終わった時には、俺の言いたいことをおおよそ理解した三人が顔を引きつらせていた。
「……ヒサメ、つかぬ事を聞くが」
「なんだ?」
「お前らが戦った竜の名前ってなんだったっけ?」
「地竜ヴァルグラシアだな」
「あ~……マジ?」
「マジだ」
自分の勘違いではないかと言う最後の望みも否定され、アサカたち三人は完全に言葉を失ってしまう。
そんな三人をさておいて、先んじて驚きから回復したレスカさんが俺に質問をしてくる。
「……マスターは、あの地竜が何歳だと見ているんだい?」
「……少なくとも千以上、ってところでしょうか? 何にせよ、聖獣の中ではまだ若い方だと思います」
「千っ……って、しかも若いんですか!?」
俺の推測にサナちゃんが驚いた表情を見せる。
あの伝承もおよそ数百年ほど昔の話であったはず……地竜が実際に成長している期間も考えればそのあたりが妥当ではないかと思われる。
「フム……つまり、あれだけ必死に倒した分体ですら若い方であるなら、他にそれ以上の存在が軽く存在していると考えていいのかな……例えば、地竜があの方と呼んでいたものとかではないかな?」
俺の発言の意味をしっかりと読み取って、レスカさんはさらに質問をする。
まあ、あの場にいたのなら当然と言ってもいい疑問だろう。
「ええ、神山の守護竜ファフニール……それが地竜の言うあの方です」
俺はその質問に対して、至極あっさりと名前を告げる。
別段隠すことでもないし、なによりファフニールは結構有名なおとぎ話の中に出てくるから先ほどの話と合わせて予想することは難しくない。
当然ながらその名前に聞き覚えがあったのだろう、ルノを除くほかの面々は大なり小なり説明のつけがたい表情を見せる。
「また有名所が……無論、マスターは会ったことがあるのだよね?」
「ええ、強さはあの地竜を遥かに越えてますね……まず普通に戦えば秒すらかからず殺されます」
地竜にぶつけたものと同等以上の古代魔法に対して痛いで済むような奴だ。
そもそも今回の地竜戦で気づいたことではあるのだが……以前会ったときの彼は力の低い分体であった可能性を否定できない。
人化できるのは本体だけというのは昔じいさんに聞いたことがあるから、喫茶店で会ったのは本体であることは間違いないだろう。
しかし、改めて思い返してみれば初めて竜の姿で会ったときの彼はやはり地竜同様分体の可能性が高いことが考えられる。
クラウと話したときは色々条件を足せばあるいは倒せると考えたこともあるが……駄目そうだ、分体であのレベルだとすれば、本体は傷すらつかないかもしれない。
大体ぶち当てた分体でさえ詠唱を見逃してもらい、わざと喰らってその程度だったのだ……障壁でも張られればそれだけで防がれるかもしれない。
「はぁ~、竜って本当に凄いんですね」
サナちゃんがしみじみとした口調でそう漏らす。
だがサナちゃん、凄いのは竜だけではないぞ……ファフニールや、ヴァルグラシアと出会い、聖獣は竜のイメージが強いが、他にも多様に存在する。
じいさんの会った存在で言えば、銀の獅子や朱金の翼を持った巨鳥、あるいは人となんら変わりない姿をしたものまでいたという。
「とりあえず……聖獣についてはこんなところでいいか、他に聞きたいことは?」
あまり一つのところで長く話しすぎるのもどうかと考え、次の質問へと移る。
すると、ゆっくりとセリカちゃんから手が上がった。
「この街に来る前は何をしていたの?」
「ん……ここに来る一年ほど前までは世界全体を回ってたな……更に前になると少々辺境の方で、とあるじいさんと一緒に暮らしていたよ」
とりあえず異世界云々は言わずに軽くだけ話す。
俺が『大迷宮』に潜る目的でもあるし、最終的には話すことになるだろうが。
「では、そのじいさんという方が、マスターの知識の原初ですか?」
「へぇ、よくわかったなシトネちゃん」
「旅をしながらあれほどの知識は手に入らないでしょうから」
「なるほど」
とはいえ、旅の途中でも知識を得ることは出来ただろうし、実際得ているものもある。
まあ、ファフニールやクラウという存在に会っているのだからむしろ当然と言えるかもしれない。
「その……マスターのおじいさんは何者なの?」
ここまで話していれば、明らかに普通から離れすぎているじいさんに対して疑問が湧くのも当然のことだろう。
そしてその問いに俺は……
「さあ?」
まともに答えることはできなかった。
「「「「「「は……?」」」」」」
さすがに予想していなかったのだろう、俺のあんまりな回答に全員そろって呆れた顔をする。
「別にはぐらかしているわけでもないぞ……純粋に俺も知らん、むしろ俺が知りたい」
「あの……マスターのおじいさん、なんですよね?」
「じいさん何も語らねえんだよ、自分のこと」
教えてもらったのは名前と、そして知識と技術くらいだ。
『大迷宮』はこんなところだった的な話はしても、自分が訪れた場所で何をしたのか……といったことに関してはついぞじいさんの口から聞くことはなかった。
そんな俺の様子に、シオンが何かに気づいたのか口を開く。
「ねえヒサメ、もしかして君とそのおじいさん、血はつながってない?」
「正解、俺はとある事情でじいさんに拾われ……たのか?」
「ちょっと待て……何でそこでお前が疑問系なんだよ?」
「いや、まあ……うん」
思わず疑問形になったところを突っ込まれたが……正直なところあの状況をなんと言ったらいいかわからん。
拾われた……はやっぱり違うか?
召喚されたってのが正しいんだが……正直に話したほうが胡散臭いってのがあれだな……だとすれば、救われたってのが一番正しいのか?
「ヒサメ?」
「わう?」
気がつくとアサカとルノがこちらを覗きこんでいた……どうやら考え過ぎていたらしい。
「あ、悪い……少々込み入ってるんだ、多分後々の質問内容で重なると思うから、それまで置いといてくれ」
「そっか、んじゃ後で聞くことにする……誰か他の質問はないか、なんでもいいから適当に聞いてみろ」
適当って……そりゃ構わないが……お前が言うなよ。
進行役をしてくれるのはいいが、何か違うんじゃないかそれは?
「あ、だったらマスターとルノ君との出会いを教えてください」
サナちゃんが興味津々と言ったように俺とルノを交互に見る。
今までとはまた違った内容の質問にルノは目を丸くして、俺は軽く記憶をさかのぼらせる。
「わう、ヒサメとボクが会った時のこと?」
「ふむ……ほんの一年位なのに随分懐かしく感じるな」
実際のところ、あまりいい話でもないのだが……こんな機会は早々ないし、話してもいいだろう。
ルノと目を合わせて、ルノも同意したところで俺はその時のことを語り始める。
それは……雨の日のこと、一人の捨て犬の物語。
じいさんが俺を残して逝ったあとのことである。
いくらなんでも簡単に気持ちを切り替えることなんてできなくて、数日を沈んで過ごして立ち上がった後に旅立ちの準備を行った。
その家にあるもののほとんどが普通からかけ離れたもの、万一にも見られては大変なことになることも考えられたため、空間拡張の処理を終えた鞄に全て詰め込み外の世界に旅立ったのだ。
始まりの一ヶ月は大変だった……野宿などの知識はあるけれど経験が足りない、何度も失敗を重ねながら一つずつ学んでいった。
道に迷い、満月の夜を外で過ごすことになった時は本当に死ぬかとも思ったが、クラウと再会したことにより九死に一生を得ることができた。
じいさんの死についてクラウは何一つ言及することはなかったが、それでも何かしら思うところはあったのか普段よりもさらに言葉少なであったことが印象に残っている。
満月の夜はクラウによって助けられたものの彼もまたそこまで甘いわけではなく、次の日には去って行ってしまった。
付近にある街にかんしては教えてくれたため、未だ興奮収まらぬ魔物たちと逃走劇を繰り広げながらその街にたどり着いたのだった。
あの時ほど姉さんの虐めのような訓練を受けていてよかったと思った時はないだろう。
満月の日からまだ十日経っておらず、封鎖された街に拝み倒して入れてもらった時は本気で安堵したものである。
とにもかくにもある程度の安全を確保していた俺は休むためにも宿を探し始める、都合が悪いことに少し前から降り始めた雨も強くなってきており早いところ休みたいと言うのが本音である。
そんな時、宿探しに意識を向けていた俺は唐突に軽い衝撃を感じたのだった。
「ん……?」
「ご……ごめんなさい!」
どうやらぶつかってしまったらしい、その相手は小さな子ども。
雨から守るためなのか、頭から外套に包まっているため顔はわからない。
どうやらこの子も俺も注意散漫だったらしい、お互い気づかずに正面からぶつかってしまったようだ。
子どもはあわてたように俺に頭を下げて、急ぎ足で走っていく。
「あ……謝り損ねた……」
ぶつかったのはこちらも同じだったから謝ろうと思ったのだが、思いのほか子どもの行動が早く、さっさと角を曲がってしまったので機を逸してしまった。
わざわざ追いかけるのもどうかと思うし、仕方ないと俺は諦めて宿屋探しに戻ったのだが……
「……………………そういうことか」
十数分後、宿屋を見つけて持ち金との相談をしようとして、腰の辺りにつけていた金を入れていた小袋がなくなっていることにようやく気づいたのだった。
「……あのごめんなさいは何に対して謝っていたんだろうな?」
ため息を一回、それから俺はこの雨の中を走り始める。
金自体は一箇所に集中せず分散して持っていたから、宿屋に入るには十分であることは間違いないだろう。
いまさら探したところで見つかる可能性は限りなく低いことも十分承知している。
だけど……どうしてか俺はあの時ぶつかった子供を探して街の中を駆けずり回っていた。
「はあっ……はあっ……」
雨は激しさを増し、視界は更に悪くなる……加えて現在の時間は既に夜へと変わっている、視界の状況としては最悪と言ってもいいだろう。
人通り自体はほとんどないが、やはり見つけるのはどう考えても困難、水を弾くようにしてあるマントをしていても、ここまで雨足が強ければ焼け石に水である。
汗と雨でかなり気持ち悪い感触を味わいながら、それでも俺は街中を走り続けた。
正直なところ、ここまであの子どもを探していることが自分でも信じられない。
どうしてここまで執着しているのだろうか、何が俺をひきつけているのだろうか……明確な答えなんて返ってくることなどない。
まとまらない頭を二度三度振って、俺は探し続ける……そんな時、この豪雨の中でどこからか遠吠えが聞こえた気がした。
その遠吠えに俺は足を止めていた。
「……行ってみるか」
正直ただの犬の遠吠えでしかない可能性が高い。
今まで聞こえていなかった分、少々過敏に反応した形であるのは否定できない。
しかし、今の状態も当てもなく探し回っているだけであり、何でもない可能性が高いとはいえこのまま無策で探し続けるよりはマシなようにも思えたから、俺は聞こえた場所に向かって走り始めた。
そして……それは見事なまでに当たりを引いたようであった。
そこに会った光景は、予想していなかった……あるいはそうあって欲しくはないと思っていた光景であった。
倒れている子供、その周りには口汚く子供を罵る大人たちの姿。
何がどうなってこんなことになっているのかはわからない……だが、
「胸糞悪い」
俺はゆっくりとその場所に向かって歩みを進める。
それで大人たちは俺に気がついたのか、不味いものを見られたといった顔をしてこちらに近づいてくる。
「なあ、兄さんよ、兄さんは何も見ていない……そうだろ?」
「そうでないなら……そこに転がっているのと同じようになるかもしれないぞ?」
ニヤついた顔で近づいてくる男性二人は、口止めと脅しをかけてくる……黙っていればなにもしないと。
そんな二人の男に対して、俺の返答は決まっている。
「ぶぴゃ!?」
「お、おい、げぼっ!?」
近づいてきた二人の顔面に一発ずつ拳を叩き込む。
醜い叫びが男たちから聞こえてきたが、それを全て無視してさらに一歩前へと踏み出す。
「てめ、餓鬼!」
「大人しくしてろ馬鹿が!」
その行為で後ろにいた残りの大人たちが一斉に襲い掛かってくる。
とはいえ、所詮素人の集まりだ……自分の経験不足は否定できないが、それでも魔獣や魔物相手に死線をくぐっていないわけではないのだ、それに比べればこの程度の相手に苦戦するはずもない。
大振りの一撃を軽くかわし、反撃に拳を叩き込んでいく……特別なことは何もしない、ただ冷静に一撃ずつ叩きこんでいく。
三人ほど沈めたところである程度力の差を理解したのだろう、残りの大人たちは腰が引け、ともすれば逃げ出しそうな雰囲気さえ見受けられた。
「なんなんだよ、なんなんだよお前、どうしてこんな事しやがる!?」
「どうして? そんなの……ムカついたから以外にねえよ、子どもが傷つけられているような姿を見せられて嬉しいわけがないだろうが」
吐き捨てるようにそう言葉を返して、俺は残った大人たちへと近づく。
「獣人のガキ一匹になにムキになってんだよ!?」
「獣人?」
気にかかる言葉に俺は倒れた子どものほうを見る。
外套で隠されてはいたが、その合間から確かに見えるのは犬の耳。
そこで俺はじいさんから聞かされたこの辺りの地方の特徴を思い出した……曰く人間主義、自分たち人間を至上として他種族の人型を強く嫌う風潮だと。
「くだらないな」
「あ……?」
「俺は外の人間だからな、お前らが言うようなナルシスト主義は一切理解できないんだよ」
そこまで言って俺は強く一歩を踏み出す。
盗みを働いていたこの子が一切悪くないとは言わない……が、この子にこういうことをさせているのはこの地域にいるこんな奴らのせいなのは間違いないだろう。
言葉を続けながらも前へと突き進んでいた俺、そしてそこから放たれた拳はそれは今までよりもずっと早く一人の顔面へと突き刺さった。
それに驚いたのだろう、残り二人の大人たちは俺に背を向けて逃げ去っていく。
逃げた奴らを追いかけてもいいのだが、それよりもしなければいけないことがある。
そう思い逃げ出した男たちに興味をなくした俺は、子どもの方を見る。
暴行が止んで少しは回復したのだろう、倒れた状態から体を起こして地面に座った状態で驚いたような表情でこちらを見ていた。
そして……その子の目を見た時に、俺はどうしてここまでしてこの子供を捜していたのかを理解した。
「無事か?」
「わぅ……」
泣き声のように小さく声を出し頷いた。
聞いてアレだが、嘘つけ痛いだろうになどと俺は思いながら、子供の口を無理やり開けさせて薬を一つ飲ませる。
「げほっ……げほっ……なに?」
口の中に苦い味が広がったのだろう、むせながら俺に問う。
「痛み止め兼治療薬だ、まあ、マズイのは我慢しろ、アレだ、俺の財布を盗んだ罰とでも思え」
「わう……ごめんなさい」
自分が俺に何をしたのか思い出したのだろう、萎れて小さくなる。
「別に怒っちゃいねえよ……とりあえず、ここじゃあれだ、移動するぞ」
「わ……わう!?」
俺は一方的にそう言うと、返答を待たずにそ子を背負う。
驚いた声が聞こえるがそれは無視して数人の男が転がったこの場所からとっとと立ち去るのだった。
それから宿屋へと行って宿泊できるように手続き、背負っていた子供が獣人なのに気がついて露骨に嫌な顔をされたが、商売だと割り切ってもらえたようで言葉では何も言われなかった。
部屋に着いたら濡れた物を全部脱がせ、布で身体を拭いてやる。
そこまでの間、子どもはいきなりの展開に目を白黒したままされるがままになっていた。
拭き終わったところで俺の持っていた服を着せてベッドに座らせてやった。
かなりぶかぶかな様子ではあったが、とりあえずはいいとしておこう。
「さて、ようやく落ち着いたかな」
俺もマントなどを脱いで楽な服装になってから、置いてあった椅子に座って子供に問いかける。
「わう……ごめんなさい、ありがとうございます」
迷惑をかけて、と、こんなことまでしてくれて、と入るのだろうそれを俺は軽く首を振った。
「気にするな……まあ、礼は受け取っておくよ」
言いながらも俺は鞄からリンゴを二つ取り出して、一つを子供へと放り投げる。
「わ、わ、わう」
危うい手つきでリンゴをお手玉し、しっかりと持ってから不思議がるように俺を見る。
「腹減ってるだろ? 食っとけ」
俺から金を盗ったとしても、この街では獣人ってだけで買い物ができないといったことが起こり得るらしい。
加えて雨だ……まともにものが食えたとは思っていない。
しばらく俺とリンゴに視線を行き来した後、子供は大きく口を開けてリンゴにかぶりついた。
それを見ながら、俺もリンゴを少しずつかじっていく。
「そういや、金はどうしたんだ?」
「わぅ……あいつらに盗られた」
食べていて揺れるように動いていた耳と尻尾がしょぼくれたように垂れ下がる。
「む……」
この子ならともかく、あの男どもに金を使われるのは癪に障るな。
とりあえず元気づけるように頭の上に手を乗せてやる。
ついでにもう一つリンゴを渡してやると、食べてもいいと理解したのか遠慮なく食べ始める。
全て食べ終わり、子どもは俺の方をじっと見つめてくる。
「なんで?」
こんなことをしてくれるのか、言葉少なくそう問いかけてくる。
「それは……お前も大体わかるんじゃないか?」
俺がこの子の瞳を見てわかったように、この子もまた、俺の瞳を見て理解したはずだ。
「独り?」
「ああ、おまえもなんだろ?」
つまりはそういうことだ。
俺がこの子にここまで関わったのは、はじめは漠然とした予感、そしてこの子の瞳を見た時、俺と同じものを持っていると確信したからだ。
孤独を、親のいない独りというものを……だからこそ、この子の事を放ってはおけなかった。
昔、俺がじいさんに救われたように、この子を孤独から引きずりあげてやりたかったから。
何より、俺もまた、独りでいるのが嫌だったから。
「俺は氷雨……水森氷雨だ、君の名前は?」
「ルノ……ルノ・ミンステア」
だから俺は、自分勝手に、自己満足のためにこの子を、ルノを救い上げる。
「よし、ルノ……旅をしないか?」
「わう?」
「この場所から離れて、二人で、楽しく……さ?」
温もりの消える寂しさを知っている、誰の支えもなく立つことのつらさを知っている。
表面上では平静で、内面では泣き叫ぶ心を知っている。
「俺のしたいこと、ルノのしたいこと、一緒に見つけて、叶えていこう」
俺はルノに向かって手を差し伸べる。
残りはルノ次第だ……こっちがどれだけ手を伸ばしても、向こうが掴んでくれなくては引きずり上げられないから。
だから……どうかお願い、この手を掴んで欲しい。
「……外は、魔獣がたくさんだよ」
「俺が護るさ」
無論、そんな自信はない。
自分の身を護ることすらできない可能性だってある……それでも、断言する。
「いっぱい迷惑かけると思うよ?」
「構わないさ、それに、俺だってお前に迷惑かけると思うぞ?」
「断言しちゃうんだ……」
「誰にも迷惑かけない奴なんていないよ、そんなことで気に病むことはない」
ぽつりぽつりと続けられる言葉を、俺は一つ一つ強く、あるいはおどけて受け入れていく。
やがて、ルノの視線は差し伸べ続ける俺の手と俺の顔を交互に向けられて……おずおずと、俺の手に、ルノの小さな掌がのせられた。
俺は小さく笑って、
「これからよろしくな、ルノ」
「ヒサメも……わう!?」
ルノを正面から抱きしめた。
もう言葉は要らない、俺が呼ばれた日、じいさんがしてくれたように俺もまた痛いほどに強く抱きしめる。
それは失ってしまい、そうしてくれる者のいなかった……もう手に入らないと思っていた温もり。
その温もりに抵抗することもできず……ルノの我慢は崩壊した。
俺がそうだったように、子どもが耐えるにはそれは重すぎるのだ。
堰を切ったように泣き出すルノを、俺は自分がそうされたように、泣き止むまで抱きしめ続けたのだった……
そして次の日、俺は共に歩く仲間のために必要な荷物を購入して、この居心地の悪い街をさっさと発つ準備をしていた。
「ねえ、ヒサメ」
「ん?」
「これからどこに行くの?」
「さあな……まあ、とりあえずここじゃないどこか……ルノの安らげる場所から探しに行こうか」
「適当……」
「ま、周辺の地図は頭に入ってるからそこまで心配しなくて大丈夫、気楽に行こうぜ」
一度迷ったことで死にかける目にあったことがあるため、地図の確認だけは欠かしていないのだ。
もっとも、地図に描かれた道を歩くことなどこの一ヶ月だけを見ても、かなり少ない。
今回にしてもそうだ、当てなんてものを作る必要はなく、気の向くままに好きなように歩いていく。
独りではなく、二人で、一緒に……ここからの一歩こそ、俺とルノ、二人の物語の始まりであった。
「……ってな感じだ」
「うんうん、そんな感じだった」
語り終わったところで一息入れると、全員神妙な顔で沈黙していた。
「あ、どうした?」
「いや……なんつーか、なあ?」
「軽く言ってた割に……内容は案外重いって言う、妙な感覚が……」
アサカとシオンが少々困ったように苦笑いをして答える。
聞いた本人であるサナちゃんは地雷を踏んだといった顔をして肩を落としていた。
「まあ重いって言えばそうかもしれんが……この程度ならべつにどういうものでもないだろ」
今更気にするほどでもない。
それに旅先ではもっと酷い奴もいた……手を伸ばして、掴んでくれなかった子もいた。
あるいは、自分のいるべき場所を見つけて、別れた子もいた……護れなくて殺された子もいた。
たくさんの出会いがあって、一つ一つ語ることなどできはしないが……俺やルノみたいな例だって、決して珍しくはなかった。
「ま、とりあえず、俺とルノの話はこれでおしまいだな、他の質問に移ろうか」
沈みそうになった頭を振って追い出し、俺は新たな質問を待つのだった。
喫茶店『旅人』、大暴露大会まだ続きます。