第二十六話 『帰還』
およそ三週間……それだけの長い探索期間を終えて、ようやく俺たちは帰るべき場所である『旅人』にたどり着いた。
「ただいま!」
ルノが俺から受け取った鍵を使って扉を開けて、元気よく入っていく。
その光景を見ながら俺とレスカさんは苦笑するように呟く。
「いやはや、子供は元気が有り余っているね」
「そうですね……こっちは疲れで歩くのもやっとなのに」
傷とかの治療は終わっているものの、探索と戦闘の疲労は確実に体に影響している。
特に街中に入ってからの安心による疲労感は凄まじいものがある。
家を見たからなのかは不明だが元気に走るルノの体力には感心するしかない。
「とりあえず……中にどうぞ、コーヒーでも出しますよ」
「それはありがたい、遠慮なくいただこうか」
本当に遠慮なくといった様相を見せるレスカさんに苦笑しながら、中に入って扉を閉める。
その内装は行く前と変わったところはない……そんな当たり前のことに少々の安堵を覚えていた。
「中に入ると、帰ってきたって感じがするな」
「うんうん!」
その安堵のままに呟いた俺の言葉に、ルノが元気いっぱいに肯定する。
そういう感覚が味わえることこそ、ここが自分たちの帰るべき場所であり家であることの証明なのだろう。
「とりあえずルノ、中身を出してきてくれ、仕分けは後でやるから」
「わん!」
迷宮内で取ってきた材料や持ってきていた道具の余り、出せるうちに出しておかないとどうせ後で苦労する。
以前入れたままにしていたら忘れた頃に取り出してしばらく悩む羽目になったことがあるが……あの時は悲惨だった。
ほぼ無制限に入るから全部出した時には予想を超える量の物資が出ることもざらである。
今回は採集が目的ではなかったからその量もある程度マシではあるが、それでも十分なほど採集しているのだ。
「とりあえず……今はこっちが先決か」
久しぶりのエプロンを身に着けながら、俺は準備を始める。
コーヒーと、それなりに空腹ではあるから適当な料理……その動きは既に十分慣れ親しんだもので、目を閉じていても作ることが出来るだろう。
完成する頃には作業を終えたルノも俺の様子を見て期待したような視線を送ってくる。
「心配しなくてもお前の分も作ってるって、座って待ってろ」
「わん!」
相変わらず食い意地が張ってるなぁ……なんて考えながら苦笑して、俺とレスカさん、そしてルノの料理を完成させる。
当然ながら他の客はいないし来る予定もない、久しぶりの完全な無警戒でできる食事である。
「それでは……食べるとしましょうか」
「ああ、そうだな」
「わう、いただきます!」
『大迷宮』の中ではどれだけ安全を確保してももしもの場合がある。
料理を作っているような俺が言っても説得力はないがそれでも常に気を張っている状態ではあったのだ、だからこそ純粋に楽しむことのできる食事では味もまた格別である。
「やはりここは落ち着くね、安心して食事が出来る」
レスカさんも同じことを考えていたのかそう言って笑う。
俺とルノもそれを肯定し、軽い談笑をしながら食事を続けていたのだが、不意にルノが耳を立てて出入り口の方を向いた。
「みんなが来る」
「……どうやら確かなようだね、マスター」
「アイツら……まだ授業中のはずだろ?」
みんなが誰を指すのか、そんなことは一々言うまでもないことである。
ここに帰ってからまだそんなに時間が経っていないっていうのに……情報が早いな。
そんな風に呆れやら感心やらを浮かべて扉を見続けていると、勢いよく扉が開いて予想通りのメンバーが中へと飛び込んで来た。
「ヒサメ、よく帰ってきたな!」
「マスター、おかえり!」
まず口火を切ったのはアサカとサナちゃんの二人であった。
その勢いはそのまま倒れこまんばかりで、あやうく転倒しそうになりながらこちらを見ていた。
そんな二人の後ろから更に三人、シオンとシトネちゃんとセリカちゃんが続く。
「まったく……加減てものを知りなさいよサナ、扉が壊れるわよ」
「マスター、ルノ君、おかえりなさい」
「やあ、おじゃまするね」
俺と同じく勝手知ったると言わんばかりに自分たちがよく座る席へと移動していく。
客のいない今はともかく、特に指定席なんて設けちゃいないのに営業中よくもあれだけ空いてることだ。
まあ……それはともかくとして、
「ただいまみんな」
「ただいま!」
変わらない友人たちの姿を見て、俺とルノは笑顔でそう言った。
「「「「「おかえり」」」」」
そして友人たちもまた、最高の笑顔でそう返してくれる。
その光景に俺とルノは改めて帰って来たんだと言う実感を得るのだった。
しばらくそんな余韻に浸ってはいたかったのだが、俺はそんな笑顔からジトリとした瞳をして五人に聞く。
「んで、お前ら全員、授業は?」
「「「「「………………あはは」」」」」
質問の直後、アサカたちが浮かべていた笑顔が苦笑いに変化して、それぞれ顔を逸らしてきた。
よし、全員サボりで確定だな……一応ではあるが教師の俺の前でいい度胸だ。
「そうなると……アサカやセリカちゃんはともかく、他……特にシオンがここに来たのは驚いたな」
ともかくってどういうことだよ、などと文句を言う二人を無視して残りの三人に目を向ける。
三人とも完璧とは言わないにしても出席率は相当高かったと記憶しているのだが……
「友達の無事の帰還だよ、様子も見たくなるよ」
「それに、授業の一日程度なら問題ないくらいには普段がいいですから」
「私もです!」
「……はは、ありがとうみんな」
迷いなく言ってくれるみんなに思わず笑みがこぼれてしまう。
サボっていることには職務上複雑な感情を抱かなければならないが、それを抜きにすればこれ以上に嬉しいことはない。
「とはいえ、情報早すぎだろ……どうやって知ったんだ?」
「ああ、そりゃ俺だ」
俺のそんな疑問にアサカが答えてくる。
「遅刻してきた知り合いから聞いたんだよ、そいつは俺のバイトを知ってるしここに来たこともあるからな……ついでに、ルノも一緒にいたって聞いたから間違いはないだろうってな」
まあ、レスカさんと一緒と聞いたときは人違いか疑ったけどな、などとアサカは笑いながら言う。
確かに……俺の目的上、誰かと一緒に帰ってくるってのはなかなか考えがたいからな。
「その後はアサカさんが私たちに知らせて回って、その後は一直線でしたね」
「なるほど……おおよそ理解した」
遅刻した奴って誰だろうなぁ……来たことがあるなら顔は知っているはずだし、もう少し周りを確認しておけばよかった。
アサカに聞けばいいかもしれんが相手は高等部だし基本的には俺の管轄外、そこまでする必要はないだろう。
「んで、結局うまくいったのか?」
「ん……ああ、目的とは違ったけど収穫はあったよ」
まあ、俺の目的は元々あればいいのに的なものであることは否定できないし……少なくとも新しい詠を知ることはできたし、分体とはいえ聖獣と戦うなんて言う経験もできた。
収穫と言っても差し支えはないだろう……そう考え、俺は苦笑して答える。
あの場所に記されていたのは水鏡の詠、自分のいる場所と遠く離れた地を像で繋ぐ魔法。
遠く離れた恋人の姿を見たい、声を聴きたい、たとえ本当に会えるわけではないとしても……そんな物語が記され、そして詠が刻まれていた。
十分に使いようのある詠であるし、なにより地竜からもヒントらしい言葉を聞くことが出来た。
過酷な道だと地竜は言った……道と表現していたのなら、それは続いているはずだ。
少なくとも、俺の目的に準じる何かは存在しているのだと……可能性は極小に等しいけれど、ゼロでないのなら歩き続ける意味はある。
「本当に最後まで行ったんだ……」
「呆れるわね」
まあ、そんな俺の思惑はどうあれ、サナちゃんやセリカちゃんからすれば実際に『大迷宮』を踏破してきたことが何よりも驚きであろうけど。
まあ、そこには純粋な驚きと、言葉通り呆れを含ませたものと違いはあるようだけれども。
仕方がないことではあるのだろう……繰り返しだが、『大迷宮』の最深部など前人未到の領域なのだから。
前例がないはずのものが覆された、歴史の変わった瞬間と言ってもいいだろう……実際には、遥か昔に達成させられているにしてもだけど。
「ところで、アサカさんの話の中でもありましたけど……なんでレスカさんがここに?」
「ん……何、『遺跡』の中でたまたま遭遇したのだよ、それでお姉さんも興味があったから同行したと言う訳さ」
今まで会話に参加していなかったレスカさんがシトネちゃんたちに自分のいる理由を告げる。
そしてその理由と、ここにいるのだということを考えれば、当然の疑問がわく。
「行ったんですか? 最深部に……」
「ああ、なかなかいい経験をしたよ」
「あれをいい経験と称しますか……」
「わう……すごい……」
いやまあ、俺もいい経験をしたとは思うけどさ……それでもそこまではっきりとは言いきれないぞ。
個人的にはそう何度もやりたいものではない……目的を達成するためにもやらなければいけないが。
というかじいさん……よくもまあ一人で踏破してきたな、本気で人外もいいところだろ。
「おいおい、一体何があったんだよ?」
「そうね、興味があるわ」
「聞きたいです!」
そんな俺たちの様子から興味を引かれたのだろう、他のメンバーが聞きたそうに詰め寄ってくる。
まあ、無理もないよなぁ……などと思いながら詰め寄ってきたメンバーを落ち着かせる。
「ま、ちょっとばかし長い話にはなるが、ちゃんと話す……聞いてくれ」
俺は一人一人に飲み物を手渡しながら席につかせる。
アサカ、シオン、サナちゃん、セリカちゃん、シトネちゃん、そしてレスカさん……改めてここにいる人たちを見てみれば、俺が真実を伝えておきたいと思った全員が揃っていた。
「話すよ、今回のことだけじゃない……今まで俺が話さなかったこと、みんなが聞きたいこと、全部」
全員から俺が見える位置に座り、そう告げた。
真っ先に反応したのはレスカさん。
「ほう……本当に応えてくれるのかい? 正直、あの場だけ話すと言って、帰ってきたら黙秘を貫くと思っていたのだが」
「レスカさん、俺をどういう目で見ているんですか」
「わう、ヒサメ大切なことでは嘘つかないよ、いつもなら話さないだけ」
ルノ、それはフォローなのか?
何故だか俺は非常に泣きたくなるんだけど……
「ん、まあ、それは後にしてくれ……でヒサメ、一体どういう心境の変化なんだ?」
そんな俺の心境はアサカに切り捨てられ、そのまま問いを投げられた。
俺は一度小さく頷いて、その答えを返す。
「少々レスカさんに説教されてな……少し考え方を変えたんだ」
これから先、同じように俺は『大迷宮』へと潜るだろう……そうなれば必然、また『旅人』を休むことになる。
だけど今回、こんな『旅人』を気に入ってくれる人たちがたくさんいることを教えられた。
その事に俺は気づかず、好き勝手にしていたことも思い知らされた。
同時に、俺がこの場所が好きなんだという事も強く認識できた。
だから……自分の目的を果たしながらも、この場所のことをもっと考えなければならない。
そしてそれは出来るはずなのだ、何故なら頼りになる奴らがここにいるのだから。
「これからはもっと、たくさんのことを本気でやらなくちゃいけない……そのために力を貸して欲しいから……そしてそんな俺に力を貸してくれるのなら、俺は応えないといけないと思ったから……こうやって話そうと思ったんだ」
それが俺の今の本心。
仲間だと思っているから、全てを話せる。
既に知っているルノを除いた六人、この街で俺が話してもいいと考えられる全員。
それを聞いたアサカは少し驚いた顔をして、それから笑みを浮かべる。
「いいじゃねえか、見違えたぜ、親友」
「は、そりゃ、ありがとさん」
どちらとともなく拳を突きあわせる。
コイツは本当にいい奴だよ……口に出すと調子に乗るだろうから心に秘めたままにするけど。
「そこまで信頼してくれていること……本当に嬉しく思うよ」
そう言ったのはシオン。
馬鹿やって笑いあうアサカとのような関係とは違う、それでも同じくらい大切な友人だ。
ある意味では趣味が合う分アサカよりも友人らしいのかもしれない。
「マスターの隠し事……かぁ」
「興味あるわね、何を聞こうかしら……」
「ふふ、楽しみですね」
サナちゃんたち三人娘も信頼されてるのがわかって嬉しそうにしているのはいいんだが……なんだろうか、なぜか嫌な予感がする。
聞かれたら答えるつもりではあるが、あんまり変な質問はしないでくれよ……
「いい傾向だ……そうやって指摘された点を改善しようとする姿勢には好感が持てるよ」
「ありがとうございます、レスカさん」
そんなアサカたちの様子を見ながら優雅にコーヒーを飲み続けるレスカさんの姿は妙に様になっている。
レスカさんのためにもう一杯コーヒーを用意し、俺は隣のルノの頭を軽く撫でる。
それにルノは不思議そうな顔をしていたが、すぐに目を閉じて気持ちよさそうな顔をする。
………………よし、落ち着いた。
俺はみんなの方へ向き直り、口を開く。
「さて、じゃあ、何から話すとするかな……」
「まずは、今回の探索のことを話したらどうだい? お姉さんが聞きたいのは探索中に気になったことだ、だから、皆にわかるようその話を最初にした方がいい」
「む……確かにそうですね、みんなもやっぱりその話が一番気になるみたいだし」
探索の内容、古代言語魔法、物語の保管庫という『大迷宮』の役割、深層に住む聖獣……そして聖獣が俺を呼ぶ時に使った『異界の詠歌い』と言う言葉、それに、俺の目的。
この探索だけでも、これだけ話さなければならないことがある。
どれだけのことを隠していたのか、どれだけのことを黙っていたのか、そのことは今は全て後回しにしよう。
今はまず話す……そして、投げかけられる問いに答えよう。
これから先も長く付き合うことになるであろうみんな、彼らとこれからも一緒にいるために。
「じゃあ、話を始めようか……質問は後で受け付ける、だから聞いてくれ、『大迷宮』の一つ、『遺跡』を旅した俺たちの物語を……」
みんなは静まり、俺は口を開く。
そしてこの三週間、『大迷宮』にて体験した全てを俺は語り始めた……
喫茶店『旅人』、内輪での大暴露大会を始めました。