第十九話 『準備』
喫茶店『旅人』の一日で月末近くのこと、俺はある目的のために今月慌しく動き回っていたのだが……どうやらうまくいったらしい。
そのことに少しの安堵を覚える。
「まったく、今回は大変だったよ……関係各所、時間割の変更は君が思っているより大変なんだよ?」
「すいません、けど実際のところよくあることでしょう?」
「君の場合は期間がおかしいんだよ」
来月の授業を無しにしてもらうために今月と再来月に来月分の授業枠を入れ替えてもらうように頼んだのである。
元々、探索者の街であり教師が探索のために休むことは少ないわけではない……とはいえ、一月丸々空白にするというのはさすがに早々無いことのようだ。
都合をつけてくれたレスカさんには内心感謝でいっぱいである。
「本当にありがとうございました」
「ま、君には最大限力を貸すことを条件に教師をやってもらっているのだからね……このくらいのことはさせてもらうさ」
頭を下げると、微笑を浮かべてキリアさんはそう言った。
言葉を放つだけで出る格好良さは自分には無いものだなぁ、などと変なことを考えながら俺も返すように小さく笑った。
「……それじゃあ今日は残念だが仕事があるからね、すぐに帰らせてもらうよ」
「そうなんですか……お疲れ様です」
「ああ、君たちもな」
キリアさんが飲み終えた紅茶の代金を置いて喫茶店から去っていく。
お疲れ様ですと、心の中でもう一度思いながらそれを見送り、
「……よしっ、ルノ、来月の頭から行くから準備しておけ」
「わおんっ!」
いよいよと差し迫った機会に思わず拳を握り締めるようにして小さくガッツポーズを行う。
自分でもわかるほど珍しい行動にルノが元気よく返事をして、一緒に働いていたアサカとセリカちゃんが驚いた顔を見せる。
キリアさんが去ったことで今は客がいない状態になっている、今のうちに二人にも伝えておくべきか。
「二人とも聞いてくれるか?」
「ああ、どうしたんだよ……お前が声を弾ませるなんて珍しいにもほどがあるぞ」
「ホント、ビックリしたわ」
「はは……悪いな、抑えきれなかった」
アサカとセリカちゃんのツッコミに俺は苦笑を浮かべるしかない。
それから俺は二人に今回の件について話し始める。
「来月の頭から俺とルノで探索に行こうと思ってな……それで店を休業するための調整して、教師の兼ね合いでキリアさんとも時間の都合で助けてもらってたってわけだ」
「わう」
「なるほど……探索ね」
「マスターもそういうことするのねぇ……」
アサカは納得、セリカちゃんは意外だと言う表情で俺の言葉に反応を返す。
どちらも共通しているのは興味深そうにことらを見ていることか。
「それはわかりましたけど……どこに行くんですか?」
「一応一番近い『大迷宮』の『遺跡』を予定しているよ」
「へぇ、『大迷宮』か……けど、キリア教官と相談していた感じを見ると、長いのか?」
「ん……多少長めに期間はもらっているけど、長ければ一月と少しくらいまでか」
俺の言葉にアサカとシトネちゃんが聞き間違えでもしたのではないかと止まる。
その理由がわからずにルノが隣で首をかしげているが……まあ、ルノからすればここに来るまでが旅の連続だったから期間に関してはわかりづらいか。
やがてアサカとセリカちゃんも意味を呑みこんだのだろう、大きく目を見開いて声を上げていた。
「「はあっ!?」」
驚愕の声もそれは当然と言える。
『大迷宮』に一月以上探索することの意味を学生とは言え探索者である二人がわからないはずがない。
ある一つの理由により、『大迷宮』は長期間探索し続けることが出来ないものなのだ。
「聞くがヒサメ……お前どこまで行こうとしている?」
「無論、最深部まで」
「一人でか?」
「まさか、ルノも一緒だよ」
「わう」
俺の返答にルノが誇らしげに胸を張る。
青年一人と子供一人での『大迷宮』の踏破……ああ、正直に言って冗談の類だろう、笑われるかあるいは正気を疑われるかのどちらかしかあり得ない。
俺の知る限り、『大迷宮』の最深部に到達して生還した人物はじいさん以外に知らない……あ、クラウたちは除く。
「無理よ! 三十人を越える探索者のチームがいて誰一人生還しなかったって言う話よ、そんなものに挑戦したってマスターたちが死ぬだけじゃない!」
ああ、そうだろうな……セリカちゃんの言っていることは圧倒的に正しい。
あれを戯言ではなく本音とわかってくれただけでも大したものだ、そして心配してくれていることには素直に感謝と……若干の申し訳ない気持ちになる。
正直なところ、自分自身成功する可能性がどれだけなのか正確にはわからない……むしろ無事に帰ってこれる方が難しいだろう。
「前にお前の強さの一端は見させてもらったからある程度自信があるのはわかるぜ……けど言わせてもらうぞ、無理だ」
アサカはセリカちゃんより幾分か冷静に俺に忠告してくる。
だけど、その後で小さく苦笑して、
「もっとも……俺に見せてくれたのが全部じゃないのはわかるし、言いだしたからには勝算がゼロってわけでもないんだろうけどな」
少し驚くような事を言ってくれた。
驚きを見せる俺にアサカはどうなんだと、続けるように聞いてくる。
「あ、ああ……まあ、最深部まではどうにかなるさ、問題は最深部なんだが……行ってみないことにはわからんというのが本当のところだ」
「なるほど……普通に最深部まで行ける発言が色々と気になりはするが、だいたい把握した」
いや、そこをツッコむ必要はないと思うぞ。
最深部に到達するだけであれば、実のところ難易度はそう高くはないだろうと予想している。
そりゃ二人で行こうと考えているのは色々間違っていると思わなくもないけど、この街にいる探索者にも行くだけなら単独、チーム問わずそれなりの数がいるぞ。
魔獣は確かに厄介なのも多いが、最悪逃げの一手を打てばまずやられることはない、それくらいの自信はある。
「二人が言っているんだから本当なんだろうけど……信じられないわ、マスターにそんな力があるなんて」
「授業でも言ってるだろ……旅はいくらかしてるんだ、力は嫌でもつくものなんだよ、ルノとか一年程度の期間で並みの探索者を軽く凌駕してるぞ」
「ルノ君が……?」
「わふん」
セリカちゃんが疑わしげに胸を張っているルノを見ているが……まあ、ちっこいルノが強いと言っても信じられないか、俺だって同じ立場であれば疑うだろうからな。
旅と言っても俺とルノのような危険地区への立ち寄りを避けていれば比較的安全に旅をすることは出来る、運悪く盗賊団にでも出遭わない限りは戦闘になることもそうないだろう。
「それに、それが本当でも『大迷宮』の到達には到底足りる気がしないわよ?」
「ま、そりゃそうか」
『大迷宮』の最深なんてものは未踏の地だ。
そこまでの道程だって何とかできるにしても一般の探索者ならおいそれと立ち寄れない程度の難易度はある。
だからこそ、理解のできる強さ程度では納得するには弱すぎる……とはいえ、理解できない強さまでいくと荒唐無稽な話になってしまうんだが。
例えば古代魔法が使えるだとか、師匠が夜の王であるとか、使徒狩りの三勇士であるディナに二人がかりで一応なりとも勝ったとか、正直眉唾な話にも程がある。
「それに……『大迷宮』なんでしょ? 一ヶ月も中にいたら帰れなくなるわ」
セリカちゃんの言う帰れなくなるとは、比喩でもなんでもなく事実を表した言葉であり、これが先ほどの長期的に探索することが出来ない理由にもなっているのだ。
『大迷宮』は周期的に、構造変化という活動を行っている。
これは字の如く、『大迷宮』の構造を全く違うものに変化させる動きのことであり、同時に内部の薬草や鉱石といった資源や宝箱といったものが新たに生成される活動なのである。
どうしてそんなことが出来るのかなどの理由は不明であるが、だからこそ探索者たちにとって『大迷宮』は宝庫とでもいうべき場所であることは疑いようがない。
同時に、中でそんな変化が起こるのだから、その時『大迷宮』の中に取り残されてしまえば巻き込まれてしまう。
変化中の壁に押しつぶされて命を失う事例も少なくはない、そして変化の中で生還したとしても待っているのは全く中の様相を変えた『大迷宮』なのである。
変化前の地図など役には立たない、出口へと向かおうにもどちらが進む道なのか戻る道なのかわからないと言う状態になるのだ。
序層、上層、中層、下層、深層、五つの層で区切られた『大迷宮』は下へ潜るにつれその大きさは広大になっていく、仮に構造変化から生還した場合に序層や上層、あるいは中層であれば運が良ければ帰還することが可能だろう、食料などの関係上現地調達の難しい場所であれば間違いなく果てると考えてよい。
形を変え続ける洞窟、それが『大迷宮』を難攻不落とされる理由とされるのである。
ここで一つの情報を出すのであれば、それは構造変化が起こる周期はほとんどの『大迷宮』において一ヶ月以内であると言うことだろう。
それは同時に俺の予定ではまず間違いなく構造変化に巻き込まれることになるのである。
「色々言いたいことはあるかもしれないけど、少なくとも構造変化に関しては問題はないはずだよ」
「……信じられないわ」
「情報を開示していないんだからそれが当然ではあるけどな」
けれど、情報を開示するには結構な事情を話さなければならない……その上で事実もまた受け入れがたいものであり納得させることは難しいだろう。
それに俺自身、話すのか話さないままでいるのか、まだ答えを出せていなかった。
俺の迷いを知ってか知らずか、アサカは話を先へと進めてくる。
「んで、そんな下まで行くんだったら、単純な探索ってわけでもないんだろ?」
「ああ、目的はあるよ」
「一番下にヒサメの目的があるの、ボクの目的はヒサメについて行くこと」
ルノの迷いもないその発言に嬉しくなるが……まあ、表情には出さない。
俺にとって達成したい目的というものは実のところ複数ある。
常に継続する目標としては、じいさんから受け取った知識、そしてそこから作られる魔法具を使ってもらうこと。
また、俺からルノへと渡るようにその知識を絶やさないこと、同時に無限循環のように受け取った知識の中で未完成のままの理論を完成させることも目的として挙げられるだろう。
これらの目的はそれを受け取ったことで発生する義務と言ってもいいものだろう。
そして、真実俺個人の目的があり、それが『大迷宮』に存在している可能性があるのだ。
「可能性でしかないってことがなによりも難点なんだがな……」
最深部へと到達して、しかしそれが違うものであればその徒労はかなりのものである。
まあ、それならそれでそこにあるものに興味はあるからいいんけど。
「しかしアサカ、無理と断言した割には止めないんだな」
「そりゃお前、言って止まるような奴ならいくらでも止めるけどよ……止まんないだろ、お前」
「ああ……まあ、なあ……」
「わう、ヒサメは割と頑固」
「んで、さっきも言ったように勝算がゼロなわけではないんだろう? なら、お前の意思を尊重するし、その勝算にも賭けてみたいって思ったんだよ」
誰も攻略したことのない『大迷宮』の突破ってやつにな、とアサカは笑って言う。
ともかく、アサカの方は問題はなさそうである……となれば今の時点で残った問題は……
「むぅ……」
こちらを可愛く睨んでくるセリカちゃんだけか……純粋に心配で反対されている以上、無下にするのは少し躊躇われるんだけどな。
とはいえ、今回ばかりは止めるつもりなどない。
「悪いな……止められないし、止める気もない……行くと決めているんだ」
「お前がそこまで言うんだからよっぽどみたいだな……お前の目的ってやつは」
頑なに譲らないと断言する俺に、少しの呆れと……そして純粋な驚きを含ませてアサカは言う。
まあ、確かにここまでの姿は見せたことがなかったからな。
「とりあえず、俺はお前らが帰ってくる勝算に賭けたんだからな、俺を破産させるんじゃねえぞ」
「了解、俺だって負ける気も死ぬ気もないっての」
「ボクも!」
アサカと俺とルノで拳を突き合わせつつ、軽口を告げる。
まあ、アサカとなら無駄な言葉をかわすよりもこれくらいが一番か。
「ちょっと……男の子同士で納得しないでよ、私はまだ認めてないわよ」
私不満です、といった様子でセリカちゃんがこちらを見続ける。
さて……どうやって説得したものか。
仮にセリカちゃんに許可をもらったとしてサナちゃんとシトネちゃんが残っているからな……なかなか大変な作業になりそうだ。
どうしたものかと考えていると、アサカのほうが笑みを浮かべて俺に近づいてくる。
「お困りのようだな、ヒサメ」
「そりゃ……な」
「俺からいい案があるんだが……聞くか?」
「……よし、聞こう」
「じゃ、耳かせ」
耳打ちしてくるアサカの提案に、俺は思わず苦い顔をする……ルノも横で聞いていてげんなりした様子を見せていた。
訝しげにこちらを見ているセリカちゃんはと言えば、そんな俺たちの表情を不思議に思っているようである。
「……ってわけだ、できるか?」
「…………まあ、やってやれないことはないだろうな」
それならば確かにサナちゃんやシトネちゃんの説得まで一緒に出来そうだが……大変であることは間違いないだろう。
「……提案してなんだが、そう言われるとカチンと来るな」
「どう答えろって言うんだよ……」
気持ちはよくわかるがそれ以外の答えを出すわけにも行かないため、うんざりした口調でアサカに返す。
アサカも苦笑した後で、おいてけぼりをくっていたセリカちゃんに向かって笑いかける。
「悪い悪い、ていうことでセリカちゃん、一つ俺の提案した条件を達成できるかでヒサメの探索を認めてやってくれよ」
「…………なんですか?」
認められないとは言っても、このままでは平行線だということも理解しているのだろう、特に嫌がる様子もなくセリカちゃんはアサカの提案を聞く。
アサカがその内容を話し、それから俺のやってやれないことはないという言葉を思い出して別の意味でセリカちゃんは感情を見せる。
「………………いいわ、やってみなさいよ! その条件で出来るのならもう何も言わないわよ!」
「あはは……ま、怒るよな」
「当たり前じゃないの、馬鹿にして……絶対後悔させてやるんだから!」
「わう……セリカ姉ちゃんが燃えてる……ついでにボクは蚊帳の外」
「ま……ルノは審判を頼んだよ」
「わぅ……わかった」
俺一人対アサカ、サナ、シトネ、セリカの四人での勝負。
自分にそれほどの力があると信じてもらえないのなら信じてもらえるだけの実力を示せばいい……そういうアサカの意見によりこの勝負が決まった……まあ、サナちゃんとシトネちゃんに拒否されればまた別の案を出さないといけないんだけど。
ただし、単純に勝っても説得力が薄いからと一つの条件……無傷で勝つことによる圧倒的な強さというものを求められてしまった……まあ、それでも俺ができると言ってしまったからセリカちゃんは燃えているわけである。
「じゃ……この話は一端終わりにしようや、仕事が残ってるしな」
「そうだな」
「……わかりました」
客はいなくてもやるべきことは山ほどある。
アサカもセリカちゃんもそれはわかってるのか素直に指示に従ってくれた……と、そこでアサカが思い出したように聞いてくる。
「そういえば、一ヶ月探索してくるってことは、ここは?」
「当然……休みになるな」
「あらら……まあ、ヒサメがいないんじゃここは話にならないからな」
「残念がる人多いわよ?」
「……仕方ないだろ」
確かに常連もついている中でいきなり長期に休むというのは少々問題はある……が、今さら引き伸ばすこともできない。
「ま、説明して我慢してもらうしかないか」
「ここで、既に探索に行ける事を前提に考えているのがそこはかとなくムカつくわね」
「だからそれならどう言ったらいいんだよ……」
言葉一つにも考えないといけないこの状況はなかなかにつらいものがある。
「しっかし、仮にヒサメが探索に行ったとしたら喫茶店でのバイトでスケジュールしてたから急に言われたのは痛いな」
「あ、それは確かに……マスター、せめて次からはこういう大事なことを今さら言うのやめましょうね!?」
「う……了解」
確かに、メンバーにも何も言わずに話を進めていたのは正直不味かった、このことに関しては俺も謝るほかに選択肢はない。
俺は二人に向かってゆっくりと頭を下げる。
「そうだな……言わなかったことに関しては正直悪かったと思ってる、すまなかった」
アサカとセリカちゃんは二人で顔を見合わせて、それからため息をついて苦笑する。
「ま、これで一日前に言われた、とかならさすがに怒るが……まあ、まだ時間はあるからな」
「そうね、言ってくれなかったことは残念ですけど、今謝ってくれましたし」
「……すまないな」
「ですけど! 行くのは条件のほうを達成してからですよ、わかってますね!?」
「ああ、わかってるよ」
念を押すセリカちゃんに苦笑しながら頷き、そのすぐ後に入ってきた客に俺たちは応対するのであった。
後に来た客には全員に『旅人』の休業の可能性を話していく……なお、さすがに目的地を言うのははばかられたため単純に期間と探索としか伝えてはいない。
場所に関しては言っていないため心配されるようなことはそうなかったが、皆一様に休業に関して残念だという表情をするため、こちらとしては嬉しいやら申し訳ないやらで困った表情を見せるしかないのであった。
喫茶店『旅人』、来月頭より長期休業がある『かも』しれませんのでご注意ください。