第十話 『日常』
学校の教師だったり、あるいはファフニールに会いに数日かけて神山を登ったりと最近特に忙しかった今日この頃。
授業を行った二週間ほどは見物みたいな形で魔法科の生徒がやってきていたが今ではそれも収まり、喫茶店を好んでくれる生徒たちで賑わいは増えたものの、ようやくいつもの喫茶店営業に戻って来れた気がする。
「やあ、最近は大盛況だね」
「いらっしゃいレスカさん、少し待ってくださいね」
既に注文された料理を仕上げながらやってきたレスカさんに声をかける。
ルノとアサカもかなり忙しそうに店内を回っている……っておい、そこのバイト。
「君可愛いね、今度一緒に探索行かないか?」
「ありがとうございます、いいですねアサカ先輩」
アサカが高等部の後輩らしき子と楽しげに会話をしていた……内容はぶっちゃけナンパである。
その光景に思わずブチ切れそうになった俺は悪くないだろう。
「アサカ! この時間帯にナンパしてんじゃねえ、働け!」
「アサカアサカ! いくらボクでも怒るよ!」
「うひっ、ばれたか、じゃあまたね!」
「は~い、約束ですよ?」
「任せろ!」
当たり前だがこの忙しい時間帯でそうする余裕は勿論無い。
無論精神的な余裕だとか体力に関してはそこまでの問題はないのだが、いかんせん人数が少なくてフル稼働状態。
基本的にアサカにも間断なく仕事を与えているのだが、調味料の分量を見ているときなどで少し目を離したりすると、今のようにナンパするかサボろうとしている時がある。
客足の落ち着いたときなら苦笑程度で済ませるが、さすがに今の時間帯でそれをされるのはいただけない……珍しいことにルノまでご立腹であるのだ。
「いや、悪い悪い、結構可愛かったもんで」
アサカが謝るが……明らかに反省の色が足りない。
さすがに眼にあまるものがあるため、実際考えている魔法の言葉を使用。
「給料カット」
瞬間、アサカが土下座を敢行した……反応早すぎだろ。
というかそこが通路だってわかってるか?
「ヒサメ様、どうかそればかりは!」
「アサカ、邪魔だよ!」
「ああ、もういいから動け、仕事はどんどん溜まってるぞ!」
「イエスマスター!」
敬礼してアサカもようやく動き出す。
きちんと働けば仕事自体はしっかりとやってくれるから、とりあえずはこれで問題ないだろう。
「はは、相変わらずだね、アサカくんは」
「こっちにはいい迷惑ですよ」
空いていたカウンター席に座り、一連の様子を見ていたレスカさんが笑う。
むしろ客のほとんどが笑っているんだが……逆に怪訝な顔をしている客は見られなかったのだが……むしろその事実に俺は嫌な想像をする。
「まさかとは思うけど……俺たちのやり取りって恒例行事に思われてないか?」
「それ、なにを今更、だね」
「マジッすか……」
その嫌な想像を躊躇いも無く肯定されて思わずため息をつきたくなる。
否定できる要素がないことが一番のため息のつきどころのような気がするが、今はあまりそのことを考えるべきではない。
「ルノッ、できたから持って行って!」
「わおんっ!」
声を上げながらルノが置かれていた料理をカウンターから離れたテーブルに持っていく。
これで向こうの注文は出揃った……次はこれが仕上がったから。
「終わったら次はこっちを頼むぞ、それからアサカはそちらのお会計のほうをお願い」
「よし来た!」
次に持っていく皿を用意して、同時に席を立ったお客に対しての指示をアサカへと飛ばす。
正直軽い気持ちの短期バイトだったのだが、今の時間帯のアサカの比重は実のところ大きかったりする。
魔法科の生徒からその友人までの大量の来客の効果か常連も増えて以前よりも忙しくなってきているのが原因だろう。
まだ俺とルノだけでも回せるレベルであろうが……アサカがいることでかかる労力が結構緩和されているのは確かだ。
だからこそアサカが滞ると予定していないぶんルノと二人の時より手間がかかることもあったりするが……
「ヒサメ、おなか減った!」
「俺も!」
「無茶を言うな、俺だってなんか食いたいっての!」
客の料理だけでコンロなんかは全て使用中である。
まかないの料理を作る余裕はともかくとしても、物理的なスペースに関しては手のうちようがない……その結果今の時間帯は飯抜きが普通である。
叫びながらも手を動かしてレスカさんの注文を仕上げてカウンター席に持って行く、内容はいつもどおりコーヒーとサンドイッチである。
「ありがとう、しかし大変そうだね」
「そうっすね……とりあえず、もうすこし厨房が広ければ何とかなるんですけど……こればっかりは仕方ないですけどね」
とりあえず、レスカさんの注文が最後で落ち着いたようだ。
アサカに帰った客の食器の片付けと洗浄を頼んで自身は会計のほうへと回る。
金を受け取り、釣銭を返すのもかなり慣れてきたのを感じながら客の応対をしていると、一人見知った顔がいた。
常連になった魔法学の生徒でよく質問などをしてくる一人、名前は確か……ウェナちゃんだったかな。
「あ、先生、お釣りお願い」
「はいはい、少し待ってね……あとここじゃ先生じゃなくてマスターだよ」
大きい硬貨を受け取り、代わりに数枚の小さめの硬貨を渡し、ついでとばかりにウェナちゃんへ軽い訂正を入れておく。
「先生細かい~」
そんな俺の訂正が不満なのか口をとがらせながら文句を言うウェナちゃんに苦笑をしながら俺は言葉を続ける。
「一応こっちが本職……そこは譲れないな」
「でも先生の授業は楽しいし、このまま先生になっちゃえば……ああ、でもそれじゃここのご飯が食べられないし……う~ん、悩みどころ」
「悩まないでくれ……頼むから、俺個人で言えば教えたりするより、こうして喫茶店やっているほうが好きなんだよ」
うんうん唸るウェナちゃんに俺は頭を抱えて呟いた。
「でも先生人気だよ?」
「……勘弁してくれ」
がっくりと肩を落とすと、それを見たウェナちゃんは苦笑して、
「まあまあ、悪い気はしないでしょ? それに、やっぱり先生以外の魔法学はつまらないから……」
「相変わらずか……あの教師たちはどうしようもないな……」
後半ウェナちゃんが言いづらそうにそう口にすると、若干目を細めたレスカさんが会話に入ってきた。
口を挟んできたことを少し意外に思いながらも、俺はレスカさんに聞く。
「知ってるんですか?」
「一応、私もあの学園の卒業者だからな、戦士科だからあまり聞くことは無かったがキリアと一緒に聞いていたときは酷いと思ったものだ……信じられるか? 教えている本人が実戦的な経験もしてない研究職、紙面の内容を口にするだけでその内容がどう使えるかと聞けば思いつかずにまごつくような連中なんだぞ……まあ、在籍年数を考えるともうこの学園にはいないだろうが」
「酷いな……」
キリアさんや学園長から現状は聞いているが、それでもやはりその授業を実体験している者の話にはそれが真実であると理解させられる。
や、まあ、キリアさんも実体験はしているんだろうけど……あくまで教師の視点からしか聞いてなかったためこういった話はあまり聞いていなかった。
「でも、それに比べると先生の授業は違うよね、内容が基本的に自己体験からの話だからためになるし、みんなに実習させてくれるし」
「ああ、キリアから聞いているよ、お姉さんも受けてみたいものだ」
その言葉に俺は一つアイデアを浮かべるが、それは口に出さずに飲み込む。
できるのなら頼みたいところであるが……キリアさんの許可もなくそうするのは少々問題だろう。
これに関しては後日話を振ってみようと考えながら、俺は一歩後ろに下がる。
「すまない、俺は仕事があるから」
「あ、ごめんなさい」
「忙しい時間に悪かったね」
「いえ……では」
ウェナちゃんとレスカさんに一礼をして、それからウェナちゃんの食器をアサカの方へと回し、新しく席を立とうとしているお客さんの方へと向かった。
そこにいる人は一見さんだったので感想を少し聞きながら会計をして食器を引く。
「アサカ、代わるぞ、少し休憩してろ」
「お、いいのか、なら頼むぜ」
アサカと場所を入れ替わり、アサカの方はレスカさんの隣の席に座りに行っていた。
それに苦笑しながら洗い物を手早く水につけておき、優先度の高いものから磨いていく。
しばらくするとまた席を立とうとする客が見えたので、一度中断して客の相手をして、それから新たな洗い物を持って戻ってくる。
そんなことをしばらく続けていると、もっとも忙しい時間帯も過ぎたのか客の数が一気に減り始めていた。
これならもう大丈夫そうだなと自分たちのまかないを作る準備を始める……正直に言って自分も結構腹が減っているのだ。
残り物の処理、と調理する時に残った野菜の切れ端などを使った炒飯を三人分作り始めのだった。
「よっ……と、よし、お前ら、飯が出来たぞ」
「待ってたぜ!」
「わん!」
完成と同時に呼びかければルノとアサカがこちらを向いて歓声があげてきた。
そんな様子に小さく笑みを浮かべながら、俺はレスカさんの隣にいるアサカに一皿、さらに隣の席に座るルノに一皿置く。
俺も隣に座ってゆっくりしたいところだが、客が来ることも考えてすぐに作業が出来るようにカウンター越しに座っている。
「食べる暇も無いくらい忙しいか、なかなか盛況だな」
そんな俺たちを見ながら、レスカさんが話しかけてくる。
「まあ、そうですね、ありがたいことです」
「おかげで大変だぜ……レスカさん、どうぞ俺を慰めてください、できればこう正面から抱きしめる感じで」
「はは……率直なのには感心できるが、さすがにそれは問題だろう、アサカ君?」
ちなみにレスカさんはかなり大きい……いや、何がとは言わないが。
レスカさん、別に見てませんからこっちにへんな視線を送らないでもらえますか。
「いやいや男の子だね」
「意味がわかりませんね」
「……残念、本気で見ていないようだ」
「わう?」
今までの会話を何もわかっていないルノがあらゆる意味で可愛らしかった。
レスカさんも軽く笑い、ルノを撫で上げる。
「わうぅぅ」
ルノもそれを受け入れ気持ちよさそうに目を細めていた。
あ、若干後ろにいた客の一人が鼻血を流していたような……お姉さま方の同類か。
「……まあ、ルノ君は可愛いからな、それも仕方のないことだろう」
それに気づいたレスカさんも若干苦笑しているようだ……やや冷や汗が垂れているようだが。
苦笑をしながら若干声を出しづらい空気になり、それを変える目的を含めて話題を振った。
「レスカさん、それの使い心地、どうですか?」
俺は視線をレスカさんの腰、そこにつけられたウエストポーチに向けて尋ねる。
「それはもう、正直かなりのものだな……これ一つでもどれほどの値がついたものか」
そう言ってレスカさんはポーチに触れる。
それは俺が渡した魔法具の一つであり、探索者にとってはかなり有用性の高いものである。
外見的にはやや大きめのサイズではあるが、動きを制限することも無いどこにでもあるようなものであるが、その実態はじいさんの発明した魔法具で、それをレスカさん用に作ったもの。
中の空間が拡張されており、見た目の体積よりも遥かに大量のものを入れることが可能となっており、その上で重量は見た目どおりのものになっている。
限界量も当然あるが、人間が抱えられる限界よりは遥かに大きい容積を持っているだろう。
「どこで……いや、どうやって作ったのか聞いても?」
「企業秘密ということで……まあ、何か入用があったら言ってください、要望のものを用意しますので」
「そうだな……何かあれば言おう」
「あとは……それを渡したときに言いましたけど、基本的には他言は無用で、信頼できる者の場合はまずは喫茶店の客として連れて来て下さい、こちらで見極めますので」
「ああ、わかっている、これでは無理もない」
先ほどレスカさんが言っていた通り、それ一つでもどれほどの値がつくかわからない一品なのだ。
あまりに大っぴらにし過ぎれば、よからぬことを考える人間も出てくるだろう。
「そうだな……これを渡してくれたということは、お姉さんはマスターに信頼されているととってもいいのかな?」
「それは……わざわざ、口にするまでもありませんよ」
「ふふ、嬉しいことだ、ならば信頼に応える事としよう」
やや口元を緩めてレスカさんは笑う。
それと同時に頭を撫でられた。
「……やめてくれますか、レスカさん」
「まあまあ、こういうことをされる機会なんてもう早々ないんだ、素直に受け入れておくといい」
俺の抗議を無視して撫で続けられる。
確かに今はされるよりもするほうだけどさ……
「うぅ……レスカさんとそんなに歳変わらないじゃないですか」
「たしか5つ……それなら十分だろう、マスターもサナ君相手にやっていたりするじゃないか」
「あ~、それは」
言い返すことも出来ずにそのまましばらくされるがまま、横から純粋に羨ましそうな視線と嫉妬の混じった視線が浴びせられていたが俺にはどうすることも出来なかった。
レスカさんはルノの視線のほうに気づいたのか今度は俺からルノに変えて撫で始める、それでルノはご満悦のようでだいぶ蕩けていた。
………………うん、御代はもういいですのでお大事にしてください、鼻血出してるお姉さん。
そして未だに嫉妬の視線を送っているほうに向き直れば、やや複雑そうな顔をして、それからレスカさんのポーチのほうに視線がいっていた。
「いいな、レスカさん……ヒサメ、俺にもなんかくれよ、激強い武器とか」
「お前……シオンが泣くぞ……」
さすがに専属の魔法具士からすれば、他人の魔法具を持たれていてはいい顔はしないだろう。
それも自分の力を入れている分野でそんなことをされれば……少なくとも俺はキレる。
「う……すいません……なんでもないです」
「ま、シオンと共同でお前用の装備作ってる途中なんだけどな」
「はい!?」
予想していなかったのだろう、アサカは本気で驚いたような声を出した。
まあ、それなりの親交があったのは知っているだろうが、さすがに共同開発を行うレベルだとは思っていなかっただろう。
シオンとは色々と魔法具を製作している際に煮詰まり、『旅人』に来店してきた際に煮詰まったと少々の愚痴を聞いて、一つ問題点を指摘したことからアサカを抜いた個人的な親交をするようになっている。
そんな話をしているうちに、ルノを含めた三人でアサカの装備に関して色々と知恵を出している最中なのである。
「そういうわけで、結構なものが出来ると思うぞ」
「心の友よ!」
「そのセリフはなんかアレだが……まあいいや、代わりって言ったらあれだけど、頼みたいことがあるんだ」
「は……お前が俺に?」
俺がそれを切り出すと、アサカは本気で意外だという表情を見せる。
まあ、お前が俺に頼みごとをすることは多いが逆は早々ないからな。
「ま、いいや、なんだ? 俺に出来ることならするけど?」
「ありがと」
普段から世話してもらってるからな、と笑うアサカに俺も少しだけ笑みを浮かべて礼を言う。
それから俺はその言葉を口に出した。
「アサカ、正式にここで働いてみないか?」
「へぇ?」
想像の外だったのだろうか、アサカは俺の言葉に若干驚いた顔を見せる。
「そりゃ……そうしてくれるなら否は無いけど、何でだ? これを言うと俺の立場が無いが、別に俺がいなくても回せると感じてるんだが……」
自分で認めてどうする……まあ、確かに今のところならルノと二人で回すことも可能であるのは間違いない。
「ああ……うん、そうだな」
若干俺は言いよどむ。
理由はもちろんあるわけで……しかし、言うのは少し気恥ずかしい。
わりと羞恥心とか薄いほうだけど、本音を言うのはやはり若干の照れが入るのを止められない。
「……しかったんだよ」
思わずそっぽを向いて言った言葉は小さく、アサカも困ったように口にする。
「すまん、聞き取れんかった……」
「ぐぅ……」
もう一回言わないといけないのかよ、と呻きながら今度はアサカに聞こえるようにはっきりと言葉を放つ。
「楽しかったんだって! お前と一緒に仕事してて、だから、いて欲しいんだ!」
叫んだ俺、唖然とするアサカはそれから数瞬経ってから理解したようで、意味を呑みこんだアサカは思わずといったように笑い出した。
同じように止まっていたレスカさんも笑う。
「は……はは、まさかお前からそんな言葉が聞けるなんて思わなかったぜ」
「ああ、お姉さんも驚いた、やはりマスターも可愛いものだな」
アサカは俺の首に腕を回して引き寄せるようにし、笑う。
「そんな頼まれ方されたら、受けるしかないじゃないか、もともと断る理由もないしな」
「そりゃどうも……つか痛え、離せ!」
カウンター挟んでるから体勢マジでキツイんだよ!
無理やり引き剥がして、改めてアサカに右手を差し出す。
「んじゃ、これからよろしく頼む」
「あいよ、精一杯働かせてもらうさ」
力強い握手を交わし、二人で笑いあう。
「あ、ずるい、ボクも!」
そこに握手した手をルノが両手で包むように重ねてくる。
その様子をアサカと共に笑みの種類を微笑ましいものにして、ルノを見る。
ルノも嬉しそうに笑顔を見せて、全員ゆっくりと手を放すのだった。
「仲が良くて何よりだよ」
その様子を見ていたレスカさんはそう呟いて、残っていたのだろうコーヒーを飲み干すようにカップを傾けていたのだった。
なお、これはこの後のことの話になるのだが……
「ていうか、お前、店の備品壊しすぎだろ……」
「う……」
「正雇用云々の前に、まずは弁償のために働かないといけないわけだ……お前」
「わう……連鎖で破壊してるのがあるからそれなりの値段」
「……ぐふっ」
「あ、崩れ落ちた」
少々気恥ずかしい思いをしたのだからこれくらいの反撃をするのは許して欲しい。
というか意外と無視できない額なため、言わないわけにはいかなかったという裏もあるのだが……なんとも締まらないことだ。
……まあ、このくらいが俺たちにはちょうどいいのかもしれないな。
喫茶店『旅人』、従業員三人にて奮闘中です。