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【完結】囚われ王女のあずかり知らぬ最強な日々  作者: さき


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09:離れの猫

 

「暇を頂きたく思います」


 そう訴えたのはフリーデル。

 彼が懐から取り出して机に置いたのは『退職届』と書かれた封筒。白い上質の封筒に達筆な字がよく映えている。

 執務机に着いていたユーリはそれを手に取ると真剣な顔で中身を一読し……、そして勢いよく真っ二つに破いた。

 静かな執務室の中、紙が破ける豪快な音が響いた。


「はいそうですかで辞めさせるわけがないだろう。フリーデル、お前と俺は兄弟同然に育ってきた。いわば一蓮托生、運命共同体、死なば諸共、道連れだ」

「どんどん嫌な表現に変わっていきますね」

「で、なにかあったのか? 随分とボロボロだな」

「……なにがって、あの化け物ですよ。ヴィンス! 今日も訓練に参加したいと言い出して、精鋭部隊で相手をしたのに軒並み一撃! 冗談じゃない!」


 話している最中に熱が増していったのか、散々だったとフリーデルが荒い口調で訴え、次いで勢い冷めぬと執務室のソファにドカと腰を下ろした。

 仮にもここは第七王子の執務室、それも主人であるユーリの目の前。ソファに座る態度といい口調といい、叱咤どころか罰せられても文句を言えない無礼さである。

 だがそこは乳兄弟。ユーリも咎めることはせず、それどころか彼の心労が感染したように溜息を吐いた。


 室内に重苦しい空気が漂い、ユーリは組んだ手に額を押し当て、フリーデルは疲労もあってか俯き、しばし沈黙が続く。

 それを破ったのはフリーデルの呻くような声だった。


「……ヴィンスは恐ろしいことを言ってました」

「恐ろしいこと?」


 いったい何だ、とユーリが尋ねて返す。

 ただでさえ現状が恐ろしいことの連発なのに、これ以上なにがあるというのか。

 だがこれ以上の何かがあるのだろう、俯いていたフリーデルが顔を上げ……はせず、顔だけをぎちぎちと横に向けてユーリを見てきた。

 どうやら顔を上げる気力すら無いらしい。相変わらず幼さと麗しさを押し出した美少年めいた顔付きだが、そこはかとない疲労感が纏わりついている。


「……訓練後、立ち上がる事もできず地面に突っ伏していたんですが、そこにヴィンスが来てしばらく話をしていたんです」

「お前は突っ伏したままか」

「はい。あいつは俺の横に座ってました」

「それは割とおもしろ……いや、なんでもない、話を続けろ」


 割と面白い光景だな、という出かけた言葉をなんとかギリギリで飲み込み、ユーリが続きを促す。

 これを言ったらフリーデルは本当に退職届を突きつけて旅に出かねない。もちろん逃がす気は無いが。


「嫌な予感がして魔法と剣技について聞いたんです。二つの技術を合わせて戦うことはあるのか? と。……そうしたら」

「そうしたら?」

「剣に炎を纏わせて戦う、と言い切りました。時には氷や、剣の一撃にあわせて雷撃を放つことも出来る。そう淡々と言いのけてくれやがりました」

「ちょっとした天変地異だな」

「あと地面に剣を突き立てて魔法で地盤を揺らしたり、豪雨を招くことも出来るとも」

「訂正しよう。ちょっとした、じゃない、立派な天変地異だ」

「そのあと俺の意識は三十秒ほど途絶えました」

「絶望で気絶したのか……」

「気付いたらあいつの上着が俺に掛かってました」

「優しい……」


 話し終え、フリーデルがガクリと肩を落とした。彼から漂う絶望の濃さと言ったら無い。

 これにはユーリも眉間に皺を寄せ、窓の外へと、その先にある木々に隠れた離れを見つめるように視線をやった。


 そんな会話のすぐあと、二人のもとにヴィンスが現れた。

 曰く、クレアが呼んでいるとのこと。話を聞いている最中にフリーデルが呻きながら脇腹を押さえていたのは、きっと訓練の最中に脇腹に一撃貰ったのだろう。


 だが呼ばれたのなら断る理由もなく、ユーリはクレアの元を訪ねる事にした。

 若干おっかなびっくりといった様子なのは、先日の炎がまだ脳裏にこびりついているからだ。それに先程のフリーデルから聞いた話もある。

 ちなみに傍らにはフリーデルも居るが、彼は彼で、前を歩くヴィンスに対して見て分かる程に渋い表情をしている。

 といってもフリーデルはまさに美少年といった風貌のため睨んでも迫力はなく、そのうえ睨んでいる相手が厳つく体躯の良いヴィンスなのだ。傍目には大型犬に吠えかからんとする小型犬にしか見えない。


「ところで、いったいクレア王女は何の用件なんだ?」

「……それは俺の口からは言えません」


 ユーリが尋ねるも先導して前を歩くヴィンスは答えない。

 だが無視をするわけでもなく、ちらとこちらを見ると「クレア様にお会いすれば分かります」と濁してしまう。

 このやりとりは、彼がユーリの執務室を訪れ、離れに来て欲しいと告げてから何度も繰り返している。それでも一度として答えることなく、ヒントになりそうな事も言わないのだ。

 口が堅い、とユーリは前を歩くヴィンスの背を見つめた。


 忠誠心ゆえか。

 もしくは、自分達を警戒しているのか。


 もし後者であれば、やはりクレアとヴィンスにリズベール国の強さを自覚させるのは危険だ。

 自分達が他国を凌駕出来ると知れば、離れに住む第七王子の婚約者なんて身分に甘んじているわけがない。

 さっさと母国に帰り国民達に全てを伝えるだろう。そして事実を知ったリズベール国が動けば一夜にして大陸の情勢が引っ繰り返される。

 それを想像し、ユーリは思わず生唾を飲んだ。背筋に怖気が走る。


 ……だが次の瞬間、最悪な想像も怖気も全て吹き飛んだのは、離れの玄関口の前にクレアが居たからだ。

 彼女は周囲に置かれている花壇を愛おしそうに眺め、次いでこちらに気付くとぱっと振り返って穏やかに笑った。


「ユーリ様、ようこそいらっしゃいました」


 嬉しそうに駆け寄ってくる。

 ふわりと揺れる金の髪、穏やかに細められる藍色の瞳……。

 ユーリは己の視界がキラキラと輝くのを感じ、


「魔法?」


 と呟いた。

 次いではたと我に返り、慌てて咳払いをして自分の発言を誤魔化す。

 あれはクレアの金の髪が太陽の光を受けて輝いて見えただけだ。そうに違いない。

 そんな動揺を押し隠すユーリを他所に、クレアは彼に近付くと、恭しく頭を下げて出迎えの言葉を告げた。


「ユーリ様、突然お呼びして申し訳ありませんでした」

「いや、別に良いんだ……。それで、何か俺に見せたいものがあると聞いたが。なにか不備でも……ん?」


 話の途中でふと離れへと視線をやったユーリが、窓越しにこちらを見る猫に気付いて言葉を止めた。

「猫?」と疑問をそのままに口にする。

 それを聞いたクレアが更に表情を明るくさせ、「今連れてまいります」と返すと小走り目に離れへと向かっていった。ここまで案内していたヴィンスも彼女を追っていく。

 その後ろ姿を眺めていると、フリーデルが「猫ですか」と呟いた。彼も窓辺の猫をじっと見つめている。いつの間に、と言いたげな表情だ。


「森の中に居たのを家に招き入れたのかもしれないな。猫を飼うことで満足して離れでの生活を続けてくれるならありがたいじゃないか」

「そうですね。魔法でドラゴンを出して飼いたいなんて言い出したら、俺は本当に暇を頂いて海を渡りますからね」

「はは、大袈裟だなフリーデル。……お前だけは逃がさないからな」


 最後だけ本気を感じさせる低い声で話し、ユーリはクレアが戻ってくるとすぐさま彼女へと向き直った。

 フリーデルが頬を引きつらせて見つめてくるがそれは無視し、彼女の手元にいる猫へと視線をやる。だが次の瞬間にぱちと目を瞬かせたのは、クレアの腕の中にいる猫が実際の動物ではなく銅像だからだ。


「なんだ、置物なのか?」

「はい。本日造りました」

「てっきり本物の猫かと……。造った? クレア王女が?」


 これを? とユーリがクレアの腕の中の猫と彼女を交互に見る。

 猫の銅像は精巧な造りをしており、どう見ても素人が作れるものではない。そもそも造りの精巧さに関わらず、銅像など相応の施設が無ければ造ることは出来ない。

 となれば、クレアがデザインを担い、それを技術者が造り上げたということか。

 だが離れでの生活を強いられている彼女が技術者への依頼など出来るわけがなく、ヴィンスも訓練のために外には出るがそこまでの自由は許されていない。


 どうやって技術者に依頼をしたのか。

 それを問うも、クレアはふるふると首を横に振るだけだ。


「技術者ではなく私が作りました」

「クレア王女が? でもどうやって」

「どうやって、とは……。ただ、溶かして捏ねて作っただけです」


 クレアの言い方はまるで粘土細工でもしたかのようだ。

 それを聞き、ユーリはそっと彼女の腕の中の猫へと手を伸ばした。「もしかして粘土か?」と疑問を口にしながら触れてみるも、指先に伝わる感覚は間違いなく銅製のものだ。爪の先で触れればカツと音もした。

 ならば作ったとはどういうことか……。

 そうユーリが疑問を抱いていると、傍らに立っていたフリーデルが「ひっ……!」と悲鳴じみた声をあげた。彼の顔が一瞬にして青くなる。


「ユ、ユーリ様、こ、これっ……、なんっ、南京錠……!」

「何を言ってるんだ。これのどこが南京錠なんだ。あ、また気を失ったな」


 どさりと音を立ててその場に力なく頽れるフリーデルに、ユーリがいったい何をと言いたげに視線をやる。

 とりあえず地面に転がしておくのも邪魔なので回収をヴィンスに頼めば、今度はクレアが「ユーリ様」と声を掛けてきた。腕の中の猫に一度視線を落とし、そして顔を上げてユーリを見つめてくる。


「フリーデルの言う通り、この猫は南京錠です。先日炎で溶かした南京錠を猫の形に作り直してみました」


 さらりとクレアが告げ、腕の中の猫を一度撫でる。

 その言葉を最後に、しばし周囲は静まり返り、木々の合間から飛び立つ鳥の羽音だけがやけに響いた。




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