08:物語の中の魔法
魔法を見せて本を頼んだ翌日、さっそくユーリは数冊持ってきてくれた。
クレアが望んだとおり魔法が出てくる本。どれも子供向けの夢と希望に溢れた話ばかりだ。
更にクレアが読書が好きだと分かると、彼は翌日翌々日と追加で持ってきてくれた。おかげでクレアの一日には長閑な読書タイムが設けられるようになった。
その日もクレアは離れの一室で本を読んでいた。
テーブルの上には暖かな湯気を纏うティーセットと午前中に焼いたクッキー。
それと中央には可愛らしい猫のオブジェ。長い尻尾をくるりと足元に添わせてちょこんと座っている。
このオブジェは元南京錠だ。クッキーの焼き上がりを待つ間にテーブルの上に置くオブジェとして加工した。もちろん手作業で。
可愛らしく出来たのでユーリが離れに来てくれた際に見せるつもりである。
そんな一室で静かに読書を楽しむ。
窓からは緩やかに風が入り込み、レースのカーテンがふわりと揺れる。時折聞こえてくるのは可愛らしい鳥の鳴き声。疲れた目を癒すように窓の外を見れば、鳥が優雅に空を飛ぶのが見えた。
雲間から覗く太陽の眩しさに目を細めながら鳥を視線で追いかける。そうして鳥が見えなくなると再び本へと視線を戻した。
なんて穏やかな時間だろうか。
囚われの身同然の婚約だったが、こうやって静かに過ごせるのは恵まれている。
そんな事をクレアが考えていると扉がノックされた。一声返すとゆっくりと扉が開き、屈強な騎士が入ってきた。
体躯の良さ、そして厳つい顔付き。知らぬ者ならばぎょっとして身構えかねないが、クレアは穏やかに「おかえりなさい」と彼を迎え入れた。
「ただいま戻りました」
「ご苦労様、ヴィンス。今日の訓練はどうだった?」
手合わせから戻ってきたヴィンスをクレアが迎えれば、訓練用の剣を手にした彼はクレアの労いに頭を下げて返してきた。
だが顔を上げた彼の表情は随分と渋い。元より厳つい顔付きに更に眉間に皺を寄せており、分かりやすく不満を漂わせている。
「クレア様をお守りするためには日々の訓練を欠かすわけにはいきません。……そう思い訓練への参加を願い出たのですが、どうにも自分では彼等の相手にならないようです」
己の不甲斐なさを嘆くように、ヴィンスが溜息交じりに首を小さく横に振った。
曰く、今日の訓練も騎士隊ではなく、フリーデルをはじめとする数人だけを相手にさせられたという。
それも訓練場とは離れた場所で。おまけに彼等は訓練後で疲労していたようで、開始するやいなや直ぐにヴィンスに負けてしまった。
否、即座に負けるふりをした。訓練に参加してからずっとこの調子である。
「きっとフォーレスタ国の剣技を俺に見せまいとしているのでしょう。訓練とは名ばかり、碌に剣も交わさず全員が一撃で倒れてしまいました」
「そうなのね……。きっとヴィンスのことを気にかけてくれているのよ」
相手にされないと気落ちするヴィンスを気遣い、クレアが宥める。
宥めついでにテーブルの上の猫を彼に差し出した。ひとまず訓練を忘れさせるために剣を置いて猫を撫でろということだ。この気遣いを察したのか、ヴィンスが剣を壁に掛け、代わりに猫を撫でる。
元々彼は南京錠を猫のオブジェにすることは知っていたが、訓練の時間があるため完成までは見届けていなかった。「本物の猫のようですね」という言葉は幾分晴れており、クレアはほっと安堵すると同時に彼の分のお茶を用意した。
そうしてお茶を飲んで一息ついたヴィンスに、クレアは読んでいた本を差し出した。
「ねぇヴィンス、これを読んでみて」
◆◆◆
「なるほど、これがこの国での『魔法』ですか」
短編集に纏められている数話を読み終えたヴィンスがパタと本を閉じた。
納得と驚きを綯交ぜにしたような彼の表情にクレアも気持ちは分かると頷いて返す。
「花火を打ち上げたり、綺麗なドレスを作ったり。なんだか私達の使う魔法とは別物みたいじゃない?」
「そうですね。こういった魔法の使い方も出来なくはありませんが、考えもしませんでした」
「きっとユーリ様はこういった煌びやかな魔法を期待していたのね。それなのに私ってば時代遅れの炎の魔法を見せてしまって、ガッカリさせてしまったわ」
申し訳ないとクレアがここには居ない婚約者に罪悪感を抱く。
次いで手元の本の表紙を軽く撫でた。ユーリが持ってきてくれた本はどれも夢溢れる物語だった。心根の純粋な少年少女のもとへと魔法使いが現れ、彼等を煌びやかな魔法で幸せにする……、そんな物語だ。どの物語も夢と希望に満ち溢れており、それを手伝い煌びやかにするのが魔法だ。
彼はそんな魔法を期待していたのだろう。
考えてみれば当然ではないか。
フォーレスタ国には南京錠を一瞬で溶かす技術があるのだから、今更魔法とはいえ手作業でその工程を見せられて何を面白がれというのか。火柱なんて目の前で見せられても鼻で笑うような代物に違いない。
彼が望んでいたのは、最新技術を誇る大国には無い旧式の魔法の、それゆえの煌びやかさだ。
いわば演出とも言えるだろう。キラキラと鈴のような音をたて、眩い光を散らす、さながら手元であげる花火のような景色。
「ユーリ様も期待外れだと落胆したはずだわ。なのにそれを隠して、お礼まで用意してくださったのね」
優しい方、とクレアが小さく呟き、膝に乗せた本をそっと撫でた。
お礼に何が欲しいと問われ、彼が読んでいた本が欲しいと答えた。それを聞いた時ユーリは照れ臭そうに笑っていた。
あの時の彼の表情を思い出すとクレアの胸の内も温まる。
「ヴィンス、ユーリ様に近く離れに来ていただけるようにお伝えして。今度こそきちんと、ユーリ様に喜んでいただけるような魔法をお見せしなきゃ」
きっと喜んでくれる、そうクレアが微笑んで告げれば、ヴィンスがこの命令に恭しく頭を下げて返した。