07:お礼とお詫び
まだ炎の熱さを残した部屋の中、ヴィンスが何かに気付いてクレアを呼んだ。
彼に促されて窓から外を見ればメイドが一人こちらに歩いてくる。彼女は一同の視線が自分に向けられると気付くと立ち止まり恭しく頭を下げた。
ユーリを呼びに来たのだろう。何かを察してフリーデルが上着の内ポケットから時計を取り出し、それをユーリに見せる。
「ユーリ様、そろそろお戻りになった方が良いかと」
「あぁ、そうか分かった。今行こう」
どうやらこの後の予定が迫っているようで、ユーリが立ち上がった。
「ごちそうさま」と穏やかな声で用意した紅茶のお礼を告げてくる。
「突然来て頼みごとをして申し訳なかった。……魔法も、見られてよかった。……うん、見られて良かったと思う」
「ユーリ様、どうなさいました?」
「いや、いいんだ。少し夢を見過ぎていたが、現実という意味も含めて見せてもらって良かったはずだ。それと不躾で悪いんだが、どうか魔法は他の者には見せないで欲しい」
「魔法を他の方に?」
ユーリの言葉にクレアは首を傾げて尋ねた。
なぜ魔法を他者に見せてはいけないのか。一瞬考えを巡らせ、だがすぐさま合点がいったと言いたげに「そういう事でしたか」と返した。
「魔法は時代遅れの技術。それを第七王子であるユーリ様の婚約者が使っていてはお笑い種ですね」
「そうじゃなくて脅威に……。いや、違う、違わない。そうなんだ。クレア王女の言う通りだ」
「今は火柱など容易にあげられるのでしょう? 南京錠をわざわざ魔法で溶かすなんて、フォーレスタ国の方からしたら二度手間も良い所ですね」
「……そういう事にしよう。それで、突然魔法を見せてくれと頼んでおいて他者には見せるななんて、さすがに不躾だと分かっている。なにかお礼とお詫びをさせてくれ」
何が良い? とユーリに問われ、クレアは困ってしまった。
魔法を見せたお礼と言われても、披露したのは子供の手遊び程度の魔法だ。母国に居た時は当然のように行っていた事。
詫びに至っては、そもそも詫びられる理由もよく分からない。元より他者に不必要に見せて回るつもりはなかった。そもそも不必要に出歩くのは禁じられているのだから他者に見せようもない。
だがユーリは改めて「何が良い?」と尋ねてきた。
ここは辞退すべきだと考え、クレアはそれを言いかけ……、「本を」と告げた。
「本?」
「えぇ、本を。先程ユーリ様は、魔法を『童話や御伽噺に出てくる』と仰っていました。そういった魔法が出てくる、この国に言い伝えられている物語を読んでみたいんです」
「そうか、分かった。ならばその手合いに詳しい者に何冊か用意させよう」
「いえ、詳しい方が選んだ本ではなく、ユーリ様が読んでいたものをお願いします」
ユーリは童話やおとぎ話を読み、そこで魔法への興味を持ち、そして今日クレアに魔法を見せてくれと頼んできた。
その切っ掛けになった話を読んでみたい。他の誰かが選んだものではなく、彼が読んでいた物語を。
クレアがそう告げれば、ユーリは一瞬意外だと言いたげに翡翠色の目を丸くさせた。次いで少し照れ臭そうに笑い、頭を掻く。乱雑な彼の手の動きに合わせて銀の髪が揺れた。
「分かった、俺が読んだ本を何冊か持ってこよう。といっても子供向けの本だから、クレア王女が楽しめるかは分からないけど」
念を押してくるユーリに、それでもクレアは微笑んで頷いて返した。
◆◆◆
「……魔法はもっとキラキラして綺麗なものだと思っていた」
とは、クレアが過ごす家屋から少しばかり離れた場所でのユーリの言葉。
意気消沈した色を隠し切れぬ彼の言葉に、隣を歩いていたフリーデルもまたあどけない顔付きをそれでも強張らせ「凄かったですね」と呻くような声色で返した。
先程クレアが見せてくれた魔法、特注の南京錠を一瞬にして溶かしてしまった。
彼女の手の中で揺れる炎の球はいまだユーリの眼に焼き付いている。思い出せば肌の内側をチリチリと焼かれるような痺れに似た熱まで記憶に蘇ってくる。
思わずユーリが手の甲で己の額を拭えばヌルリと汗の感覚が伝った。これは暑さからの汗か、それとも冷や汗か……。
「国内を探し回っても一瞬にしてあれだけの炎を発する技術は無いし、南京錠を溶かすなんて工房の火力でしか無理だ」
「それをクレア王女は簡単にやってのけてくれましたね」
「しかもそれが『子供の手遊び』だと」
「細部まで思い出させないでください。意識を失いそうになる……」
うぅ、とフリーデルが小さく唸り額を押さえた。
だが事実、目を見張るどころか畏怖さえ覚えかねない炎の魔法を、クレアはさも平然とやってのけ『子供の手遊び』と言っていた。
リズベール国では子供達は魔法で出した火柱の高さを競い、それを出来ぬ者も炎を巧みに操る……。
想像し、ユーリはふるりと体を震わせた。
「もしもリズベール国が我が国に攻め込んで来たら一瞬にして焼野原にされるぞ」
「地獄絵図ですね」
「だが幸いクレア王女は魔法の威力については気付いていないようだ。騙すのは気が引けるが、国のためだ、このまま勘違いを続けてもらおう」
口裏を合わせろ、とユーリが命じれば、フリーデルが恭しく頷いて返した。
そうして王宮へと戻るべく歩き出す。
……その際、ユーリがポツリと呟いた。
「でも、俺と同じ本を読みたいと言ってくれたな……」
という彼の声色と照れくさそうな笑みは満更でもなく、彼の隣を歩くフリーデルはチラと横目で様子を窺い、小さく肩を竦めると気付かないふりをして足を進めた。