06:子供の手遊び程度の魔法
「魔法を……、ですか?」
そうクレアが小首を傾げて尋ねたのは、フォーレスタ国に来てから一ヵ月が経った頃。
離れでの生活は華やかとは言い難いが、さりとて苦難も無い。鍵はあれからも三つほど壊してしまったが、そこは「逃げる気はありませんので」と――壊した鍵を手に――話せば理解してくれたようで、今はもう離れの扉には外からの施錠はされていない。
そんな生活の中、フリーデルを連れて離れを訪れていたユーリが「魔法を見せて欲しい」と告げてきたのだ。
「リズベール国の国民は魔法が使えると聞いた。クレア王女、貴女も使えるんだろう?」
「えぇ、もちろんですが……。なぜわざわざ魔法を?」
「クレア王女にとっては魔法は当然使えるものなのかもしれないが、それはリズベール国内だけだ。いまや魔法は歴史上の技術、途絶えて五百年以上とされている。実際にあった技術というよりは童話や御伽噺に出てくるものという印象の方が強いな」
「まぁ、そうだったのですか?」
知らなかった、とクレアは驚きの声をあげた。
次いで隣に座るヴィンスに視線をやれば、彼も意外だと言いたげな表情を浮かべた後、何かを思い出すように「そういえば以前に聞いたことが……」と呟いた。
どうやらユーリの話通りらしい。
日常的に使っていた魔法が、まさか他所の国では途絶えた技術だったなんて。
自分はやはり国外の事を知らなすぎる。そうクレアが己の未熟さを心の中で恥じるも、ユーリが「それで」と話を続けてきた。
「簡単なもので構わないし、もちろん無理にとは言わない。だがもしクレア王女さえ良ければ、魔法がどのようなものか見せてくれないだろうか」
心なしかユーリの声は少し弾んでいるように聞こえる。
普段よりも声は溌剌としており、テーブル越しのクレアに迫るように少しばかり前のめりになっている。翡翠色の瞳がじっとクレアを見つめてくる。はやる気持ちを抑え切れない、と言いたげだ。
ユーリは五歳年上の立派な青年だ。だが今だけは玩具を前にした子供のようにも見える。
本人も自分の態度に気付いたらしく、はたと我に返ると慌てて体勢を戻した。
「す、すまない。驚かせてしまったな」
「いえ、お気になさらず。ですがそれほど魔法に興味があったんですか?」
「実を言うと、童話や御伽噺を読むたびに一度で良いから見てみたいと思っていたんだ。それで……、魔法を見せてもらえるだろうか」
改めて頼んでくるユーリに、クレアは小さく笑みを零し「もちろんです」と返した。
リズベール国に居た時はそうとは知らず魔法を日常的に使っていたのだ。それを見せるぐらいどうと言う事は無い。むしろ改まって見せてくれと頼まれると気恥ずかしくなってしまう。
それに、魔法を楽しみにしているユーリを見ていると胸の内がくすぐったくなる。
そんな内心をコホンと咳払いで律し、クレアは「では、」と改めた。
「どのような魔法をお見せすれば良いのか分かりませんが……、まずは子供の手遊び程度のものでよろしいでしょうか」
「あぁ、もちろんだ。何かこちらで用意をする物があるならなんでも手配しよう」
「そうですね、では、鉄屑か何かがあれば……。そうだわ、壊れてしまった南京錠があったはず。ヴィンス、持ってきてくれる?」
クレアがヴィンスに頼めば、彼は一度コクリと頷いて離れの奥へと向かった。
その際にユーリがポツリと「壊れた、というよりは壊した」と呟いたのだが、あいにくとその言葉はクレアの耳には届かなかった。ヴィンスが去っていった先を眺めながら「棚の二段目の引き出しに入っているはずよ」と声を掛けていたため、掻き消されてしまったのだ。
……フリーデルには届いたようで、彼は青ざめて「国一番の技師が作った南京錠でした」と呟いているが。
そんなクレア達のもとにヴィンスが戻ってきた。
もちろん手にしているのは南京錠。見ただけでズシリと重みの伝わる代物だ。壊れているが。
それを彼から受け取り、クレアは検めるように南京錠を眺めた。
「施錠してもすぐに外れてしまうなんて、元々緩んでいたのか、設計の段階でおかしかったのでしょうか」
試しに、とクレアは南京錠を一度施錠し、そしてぐっと力を入れた。
ガキンッと音がして簡単に――少なくともクレアにとっては簡単に――鍵が外れてしまう。
それを二度、三度、と試していると、ユーリが「そろそろ……」と制止してきた。
「そうですね、ではこれを使って魔法をお見せします」
「あぁ、頼む。だがそれを魔法でどうするんだ? 直すとか、もしくは他の形に変えるとか?」
「溶かします、炎の魔法で」
「子供の手遊びって言ってたよな?」
「これは『業火』という魔法で、子供はまず最初にこの魔法を習うんです」
「ファーストステップが業火はどうかと思う」
「ではご覧ください」
壊れた南京錠を両手で持ち、クレアが意識を集中させる。その集中を声に乗せて小さく呪文を唱えた。
それに呼応するようにクレアの手の中に一瞬さぁと風が渦巻き……、
ドロリ、と、南京錠が溶けた。
「ひっ……」と声をあげたのはユーリと彼の背後に立つフリーデルである。さすが乳兄弟だけあり、悲鳴を上げるタイミングが揃っている。更にフリーデルに至ってはふらと頭を揺らし、ついにはユーリに寄りかかった。気を失ったのだ。
だがクレアはそんな彼等の反応に気付かず、自分の手の中に視線をやると「あら」と声をあげた。
「申し訳ありません、炎を出さずに溶かしてしまいました」
「そ、そういうことも可能なのか……」
「えぇ、むしろ炎を出さずに物体そのものを熱する方が主流なのです。ですが、少々お待ちを」
次いで、再びクレアが南京錠に視線を落とした。――その間にユーリは手早くフリーデルの意識を戻させた。手慣れたものである――
クレアの手の平でドロリと溶けた南京錠が細かに振動し始め、その周りを囲むように赤い火がぽつぽつと浮かび上がる。
火は繋がり大きくなり、次第に炎に変わり、クレアの両手の中に納まるほどの炎の玉へと変わっていった。
更に一回り、二回り、大きくなり、大人の頭程の大きさへと変わる。炎が渦巻く音がクレアの手の中から溢れだし、室内の空気が一気に熱を持つ。
「これが……、ま、魔法なのか……」
「はい。では次は外に火柱をあげますのでご覧ください」
「火柱!? いや、いい! 大丈夫だ、十分に見せて貰った! もう大丈夫だ、暑いくらいだ!」
慌ててユーリが制止する。真っ赤な炎に反して彼の顔は真っ青だ。
そんな彼の制止を聞き、クレアはそれならと両手の中の炎をふっと吹き消した。まるで誕生日ケーキに飾られた蝋燭の火を消すかのように。それだけで手の中の炎は一瞬にして消え去ってしまう。
だが手の中にはいまだどろどろに溶けた南京錠がある。熱せられて真っ赤になっているが、それも二度ほどふぅふぅと息を吹きかけて冷ました。
もちろんこれも魔法である。傍らで眺めていたヴィンスが閃いたように「溶かして何かに加工しましょう」とクレアの手から南京錠を……、元南京錠である溶けて固められたナニカをひょいと手に取った。
「火柱はご覧にならないのですか?」
「……あぁ、大丈夫だ。火柱っていうのはきっと特別な魔法なんだろう? 強く魔力を使うとか、疲労するとか、代償がいるとか、きっとそういう大変なものだろうし。無理をさせるのは駄目だな」
「いえ、火柱程度でしたら子供が遊びであげるものです」
「……そう、なのか」
「リズベール国では、よく幼い子供が競うように火柱をあげております」
懐かしい、とクレアが母国を思い出す。
リズベール国の国民は少なく、ゆえに誰もが家族のように接していた。子供達はどこの家の子であっても兄弟のように仲が良く、大人達は全員を我が子のように見守り育てる。そして子供達は誰しもがクレアの事を慕ってくれていた。
幼い子供は火柱の高さで競い合い、屋根を越える高さの火柱をあげられるようになると決まってクレアに伝えにきてくれるのだ。誇らしげに、褒めてくれと言わんばかりに、頬を赤らめて嬉しそうに火柱の高さを報告する幼子のなんと可愛い事か。
「み、みんなそうなのか……。いや、でも炎をあげられない子供もいるだろう?」
「えぇ、もちろんです。得手不得手は誰しもありますから」
「そうだよな……。良かった、みんながみんな炎を放つわけじゃないんだな」
「炎を真っすぐにあげるのが苦手な子は、よく炎を浮かしていました。魔法で森を越えるのは禁止とされていたので、木々の高さギリギリに炎を浮かし、それを操るのです」
「そうかぁ……。き、きっと綺麗なんだろうな、はは……」
思い出に耽るクレアを他所に、ユーリが乾いた笑みを浮かべた。