05:王子の苦悩と囚われ王女
クレアとヴィンスを離れに残し、ユーリはフリーデルを連れて己の執務室へと戻った。
王宮にある一室。第七王子といえども王族の執務室だけあり広く、一級の調度品で揃えられている。壁沿いの本棚には分厚い書物が並べられ、かと思えば、壁には美しい絵画が飾られ部屋の重苦しさを緩和させる。
だが今はその絵画も、ましてや毎朝メイドが用意する生花も、部屋の空気を和らげることは出来ずにいた。
「……見間違い、だと思うか?」
そう呻くような声色で呟いたのはユーリ。
己の執務机に着き、両手を組んでそこに額を当て、誰が見ても深刻な空気を纏っている。
仮にこの部屋にメイドでも居ようものなら、彼を案じ、具合が悪いのではと医師を呼びに行ったかもしれない。それほどまでなのだ。
だが今この部屋にいるのは、ユーリと、そして彼と同じくらいに陰鬱とした空気を纏うフリーデルのみ。
彼はソファに腰掛け頭を抱えて俯いている。まさに美少年という顔付きゆえ歪みこそしないが彼なりに渋い表情を浮かべており、「……見間違いであればどれだけ良かったか」という返事は絞り出したかのようだ。
「馬車を持ち上げ、南京錠を壊し……。どう考えても普通とは言い難いです」
「そうだよな。だがクレア王女もヴィンスも、これといって特別な事をしたという風ではなかった。むしろ馬車に関しては子供や祖父母でも持ち上げられて当然と言ってたな」
「まさかとは思いますが、リズベール国では馬車を持ち上げたり南京錠を壊すのが普通の事なのでは」
「……多分そうだろうな」
ユーリの呻くような言葉を機に、陰鬱とした室内の空気がより重苦しさを増す。
「過去数百年以上の歴史において、リズベール国が争いに巻き込まれた事は無い。もちろんリズベール国が自ら戦いを仕掛けた事もない。あの国はどんな時代であっても中立、……というよりは、立地の悪さと小国ゆえに蚊帳の外だった」
長い歴史書をどれだけ遡ろうとも、リズベール国が争った記録は無い。
むしろ争いごとに限らずリズベール国に関する記述が殆ど無いのだ。有っても一行か二行、それも何かのついでに記載された程度。
彼等は戦火の届かぬ森の奥でひっそりと暮らし、時折、戦火で傷ついた者が訪れると受け入れていた。
そうやって今日までリズベール国は生き延びてきた。小国だが、あまりに小国すぎるがゆえに、どの国の歯牙にもかけられず生き延びてきたのだ。
……だが、もしかしたら『生き延びてきた』という考えは間違っていたのかもしれない。
「フリーデル、騎士隊で馬車を持ち上げて南京錠を壊せる奴はいるか?」
「居るわけないでしょう」
「なら騎士に限らず、いや国内外問わず大陸中を探したらどうだ。他の国に居るか?」
「それだって居るわけないでしょう。……リズベール国を除いて」
唸り声のようなフリーデルの返事に、ユーリはゆっくりと頷いて背後にある窓の外を見た。
幾つか建物が並び、その奥には木々が生い茂っているのが見える。窓からは離れまでは見えないが、木々の中にはクレアが今日から暮らす離れが建っているのだ。
彼女は離れの中で何をしているだろうか。持ってきた荷物の整理をしているのか、もしくは一休憩入れているのか。ヴィンスと共にこの扱いに不満を漏らしているかもしれない。
弱小国の王女。
大国の第七王子に嫁がされ、離れに軟禁される哀れな王女。
……馬車を持ち上げ、南京錠を壊す、囚われの王女。
今のところ、囚われている王女。
「二人の姿だけ見れば、儚く繊細な王女と屈強な騎士で絵になるんだがな」
細身で麗しいクレアに対して、近衛騎士のヴィンスは彼女よりも頭一つ背が高く体躯が良い。まさに騎士といった風貌だ。生まれた時から側に居たというのだから、きっと幼少時からクレアを守っていたのだろう。
ヴィンスの年齢は聞いていないが、見たところ二十代半ばぐらいか。「俺より少し年上かな」と呟くように話せば、フリーデルが「多分そうでしょうね」と同意した。
王女と、彼女を守る騎士。
たった二人で何が出来るのか。……と、世間は思うだろう。真実を知らない限り。
そしてきっと当人達も思っているはずだ。
「ひとまずこの事は他言無用にしよう。フリーデル、決して外部に漏らすなよ」
「他言しようにもいったい誰が信じるって言うんですか」
「それと、クレア王女とヴィンスにも絶対に勘付かれるな。彼女達が己の強さに気付いた瞬間、大陸の情勢が全て引っ繰り返される恐れがある」
現状、クレアもヴィンスも、自分達の行いが異常であるとは思っていない。
七時間かけて森を抜けるのも造作ないこと。老若男女誰しもが馬車を持ち上げられるし、南京錠を壊してしまったのは古くて傷んでいたから。自分達はあくまで普通、むしろ立場的に見れば弱い。
そう二人は勘違いしている。そしてこの手合いの勘違いはリズベール国中に広まっているのだろう。
ゆえにリズベール国は今日まで弱小国で居るのだ。
クレアが大人しく婚約の申し出を受け入れたのも、国家間の力量差を前に敵うわけがないと考えてのことだろう。
だが事実はどうだ?
そしてその事実を知ってしまったら、彼等はどうする?
「他国を凌駕する力があると知ったら、リズベール国は大陸支配に出るかもしれない。もしもそうなったら……」
言いかけ、ユーリは言葉を止めた。想像するのも恐ろしい。
フリーデルも同じ未来を想像しているのだろう険しい表情をしている。
「この事は他言不要。もちろん本人達にもだ。申し訳ないが、クレア王女にはこれからも『弱小国の囚われ王女』で居てもらおう」
ユーリは窓の外へと視線をやり、申し訳なさと、そして今後の不安を抱いて目を細めた。
◆◆◆
ユーリとフリーデルが執務室で青ざめているとは微塵も思わず、クレアはヴィンスと共に離れの家屋を整えていた。
といってもここは王宮にある建物。それもたった三日とはいえかつては王子の別荘だったのだ。今もきちんと手入れがされているようで掃除の必要はないに等しい。
生活に必要なものは一通り揃えられており、尚且つどれも新品。それも高価そうな代物ばかりだ。
「見て、ヴィンス。素敵なティーセットだわ。食器もどれもお洒落。クッションもふかふか」
「……そうですね」
「ユーリ様は『必要な物があれば言ってくれ』と仰っていたけれど、むしろ十分過ぎるほどの用意だと思わない?」
「……仰る通りです」
「あえて必要なものを挙げるとすれば、『お喋りに付き合ってくれる人』かしら。今すぐにユーリ様にお願いした方が良いかもしれないわ。それとも、ヴィンスを返品してほかの人を寄越してもらうようリズベール国に手紙を書くために、便箋とペンとインクを用意してもらうべきかもしれないわね」
ふむ、とクレアがわざとらしく悩む素振りを見せれば、聞き捨てならないとヴィンスが眉根を寄せた。
次いで彼は深く溜息を一度吐いた。ただでさえ体躯が良く険しい表情なうえ、この溜息。彼を知らぬ者ならば威圧感を覚えて臆してしまってもおかしくない。
もっとも、クレアはヴィンスがどれだけ険しい表情をしようが溜息を吐こうがどこ吹く風だ。親の顔より、とは言わないが、親の顔と同じぐらいに見た顔である。不機嫌を露わにした険しい顔だって見慣れている。
だが彼の言わんとしていることも分かるので、クレアは仕方ないと溜息を吐いてテーブルセットの一脚に腰掛けた。話をする流れだと汲んだのかヴィンスもまた向かいの椅子に腰かける。
「離れに閉じ込められて軟禁生活なんて、私だって喜んで受け入れているわけじゃないわ。でも仕方ないの。ヴィンス、貴方だって分かっているでしょう?」
「……ですが、クレア様はリズベール国の王女。それが離れでの生活を強いられるなんて、これはリズベール国への侮辱です」
「異論を唱えられる立場じゃないのよ。不平不満を訴えた結果、この婚約が破談になって敵対関係になったらリズベール国は一晩ももたないわ」
リズベール国とフォーレスタ国の力量差は比べる必要もないほど明らか。
森に囲まれてひっそりと歴史を歩んできた弱小国が、今この瞬間にも繁栄の道を突き進んでいる大陸一の国に敵うわけがない。
瞬きの間に凌駕されて終わりだ。碌に戦えず、抗うことも許されず、フォーレスタ国の歴史書に『リズベール国は一日にして潰えた』と一行記されて終わりである。
「フォーレスタ国から手紙が届いた時は肝を冷やしたわ。宣戦布告か、もしくは争う前から降伏条件を提示してきているのかも……、って。封蝋を解いて、便箋を取り出す時の緊張は今でも覚えてる。生きた心地がしないとはあの時の事ね」
「俺も覚えています。両陛下も青ざめていました」
だが実際に便箋に綴られていたのは、第七王子ユーリの名前と、そして彼からの婚約の申し出だった。
これはきっと和平の提案に違いない。争いどころか友好関係を結ぼうと差し出された手だ。そう考え、クレアはこの申し出を喜んで受けたのだ。
「ユーリ様と結婚すれば、リズベール国が危機に見舞われたときはフォーレスタ国が後ろ盾になってくださるはず」
「ですが、そのためにクレア様が結婚というのは……」
「国の為だもの、王女として当然のこと。むしろ誇らしいくらいよ」
結婚という方法で国を守る事が出来る。
そう話すクレアの声色に迷いや躊躇いはない。だがヴィンスはいまだ歯痒そうな表情をしている。
「これでは囚われの身同然ではないですか」
ヴィンスが呻く。
「『囚われの王女』ね。なんだかおとぎ話みたいで素敵だわ。王子様が助けに来てくれそう」
「……捕らえたのは他でもなく王子です」
「そうやってすぐに水を差す……」
冷めきったヴィンスの言葉に、クレアは溜息を吐いて肩を竦めた。