31:森を突き抜ける親心
キスをするのだと思っていたが邪魔が入り、クレアはパチリと目を開けた。視点の合わない距離にユーリの顔がある。近すぎて彼の顔というよりは翡翠色の瞳しか見えない。
彼もまた目を丸くさせており、次いで揃えたように声のする方へと視線をやった。
そこに居るのは「あ、」と声を出したまま口を半開きで立っているヴィンスと、怪訝な表情をしているフリーデル。
彼等はじっとクレアとユーリを見つめている。
「……お前達、こういう時は気を利かせて見ない振りをするもんだろ」
盛大な溜息と共にユーリが愚痴り、そんな彼の隣でクレアはと言えば、ヴィンスやフリーデルが見ているところでキスなんて……と、今更ながらに頬を染めていた。
恋に浮かれて周りに人がいるのを忘れていた。穴があったら入りたい。いや、いっそ目晦ましの魔法で姿だけでも消してしまおうか。
そんな事をクレアが考え、ゆっくりと気付かれない程度に徐々に姿を薄くさせていると、ユーリに愚痴られたフリーデルが「それが……」と話しだした。信じられないものを見たと言いたげな表情だ。
「顔を背けようとしたんですが、その直前に、森から何かが跳ね上がるように出て来たんです。何かこう、小さなものが飛ぶように……、真っすぐ上にです」
自分が見た物をどう説明して良いのか分からないのか、フリーデルの説明はあやふやだ。
だがそんな説明に対し、隣で聞いていたヴィンスが「俺も見ました」と肯定した。
「ヴィンス殿も見たのか。あれは鳥の飛び方ではなかったよな?」
「はい。あれは鳥ではなくリズベール国の陛下です」
「なんだ、リズベール国の陛下か」
ヴィンスの答えに、フリーデルが納得し……、
「「陛下!?」」
と、彼とユーリが驚愕の声をあげるや乗り出さんばかりの勢いで柵の外を見た。
相変わらず広大な草原が広がっている。既にミルリス国の騎士は一人としておらず、まるで何も無かったかのように風を受けて草が揺れているだけだ。
そしてその先にある森、生い茂る木々を眺めていると……、ひょいっと何かが現れ、そしてすぐさま森の中へと落ちていった。
たとえるならばボールを頭上高くに放った時のようだ。先程クレアが岩を投げたような弧を描く軌道ではなく、真上に投げ、そして真下に落ちる軌道。
ほんの一瞬のこと。注視していなければ見逃してしまうだろう。
「まぁ、今度はお母様だわ。二人とも覗いていたのね」
「ク、クレア、今のは……。本当に君のご両親なのか……?」
「間違いなくお母様だったわ。その前にはお父様が覗きなんて、二人とも森を超える魔法は禁止と決まっているのに」
「きっ……きっと、クレアの事が心配だったんだろう。うん。随分とダイナミックな覗き方ではあるが、子を想う親の気持ちが森を突き抜けさせたんだろうな……」
「ユーリ、私、一度リズベール国に戻るわ。お父様とお母様に説明して国民を安心させなくちゃ」
「そうだな。国民総出で森を突き抜けられても困るし……。それにフォーレスタ国に戻るにしても準備もあるだろう」
ミルリス国の侵略を知り、すぐさま国を出てきてしまった。当然だが何も持っていない。ハンカチぐらいでまさに身一つである。
まず事の顛末を説明しフォーレスタ国に戻る準備をして、両親や国民達に改めて別れの挨拶を……、と考えると数日は掛かるかもしれない。
それまで待っていてとクレアはユーリに告げ「それじゃぁ」と柵に手を掛けた。
「……飛び降りるのか」
「えぇ、だってここから降りた方が早く行けるし。もちろん下にズボンを履いているとはいえスカートは押さえておくから安心して」
「何一つ安心要素がない……。いや、なんでもない。出来れば目晦ましの魔法を使ってくれ」
「目晦ましの魔法ね、分かったわ」
「それと……、クレア」
さっそくと目晦ましの魔法を使おうとした瞬間、クレアはユーリに呼び止められた。
「戻る準備が出来たら手紙をくれないか。また迎えに行くよ」
「私を迎えに?」
「あぁ、きみと初めて会った時のように待ってるから。もちろん今度は馬車が壊れないようにきちんと整備しておく」
馬車の車輪が外れてしまった事を思い出して笑うユーリに、クレアも穏やかに微笑んだ。
そうしてチラと他所へと視線を向ける。どうやら既にヴィンスは目晦ましの魔法を使って崖下に飛び降りてしまったようだ。フリーデルが柵に身を乗り出して崖下を眺め、ひらひらと手を振っている。
テラスに残っている他の騎士も同様、崖下を見下ろしたり、中には「まだ誰か出てくるかも」と遠目に見える森を眺めている。
こちらを見ている者は居ない……、とクレアは確認し、小声でユーリを呼んだ。
「ユーリ、私、ちゃんと貴方の隣に戻ってくるから迎えに来てね」
そう告げて目晦ましの魔法を使えば、パッと弾けるようにクレアの姿が消えた。
もっとも、クレアの姿が消えてもクレアの視界に変化はない。目晦ましの魔法は他人に対して使うもので自身には効かない。自分の目には自分の手足は変わらず映っているのだ。
そして景色も変わりようがなく、目の前には変わらずユーリが立っている。
彼はクレアが消えた事に一瞬目を丸くさせ、次いで「やっぱり魔法は凄いな」と目を細めて笑った。魔法を見た時の嬉しそうな表情。翡翠色の瞳が輝いている。
穏やかな彼の笑みにクレアもまた自然を笑みを零し……、
そして、柵に掛けていた手をそっと放し、身を寄せてユーリの唇にキスをした。
唇をそっと放すと、すぐさま柵に手を掛けた。
「クレア、今……!!」とユーリの声が聞こえてきたが、クレアには返事をする余裕も、ましてや彼を見る余裕もなく、逃げるように崖下へと飛び降りた。




