30:魔法を信じる王子様
クレアの手から放たれた岩が空を突っ切っていく。
青天の空に昇るかのように岩が飛び、そして山を描くと今度は下降していく。草原を目指して描かれた弧はもしも流星であれば美しい軌道を残しただろう。
岩が落下を始めた瞬間、クレアは小さく呪文を唱えた。
背後でユーリ達が小さく声をあげたのが聞こえる。だがそれよりも草原に構えるミルリス国の騎士達の声の方が大きかった。
何も無かったはずの空に突如として岩が現れたのだ。それも自分達めがけて落下してくる。
驚くのも当然。悲鳴じみた声があがり、動揺が遠目でも分かる。
そうしてほんの数秒の後、岩は騎士達の隊列を優雅に越え、その奥にある司令塔の眼前に落下した。地面が抉れ、衝突の音が地響きのように響く。
そして次の瞬間、地面に落下した岩から炎があがり、瞬き一つの速さでうず高く燃え上がると、まるで岩が落ちてきた軌道を辿るように晴天の空に炎の柱が伸びていった。
岩に続き炎に襲われ、ミルリス国の反応はまさに阿鼻叫喚。隊列は既に跡形もない。
炎を消そうとする者、逃げ惑う者、司令塔を守ろうとするも炎に阻まれそれが叶わずにいる者と行動は見事にばらばらだ。
遠視の魔法で窺えば、レイヴンがその場に座り込んでいるのが見えた。彼の近衛騎士も唖然としており、一人は腰を抜かしたようで這いずって逃げようとしている。
フォーレスタ国に対して弓を構える者は一人も残っていない。それどころか一人また一人と逃げの姿勢を見せ、ついには我先にと隊列も何もなく逃げだした。
「やった……、やったわ、ユーリ!」
ミルリス国の騎士達が逃げに転じたのを見て、クレアは目晦ましの魔法を解くや振り返った。
「凄いな、クレア! ミルリス国の騎士達が退いていった! きみの魔法が勝ったんだ!」
ユーリが嬉しそうに告げ、クレアの目の前までくるや手をぎゅっと掴んできた。
瞳が輝いている。眩しいほどの表情で、クレアをじっと見つめると目を細め「ありがとう」と感謝を告げてきた。
「クレア、きみのおかげだ。やっぱり魔法は凄いんだな……!」
「ユーリが魔法を信じてくれたおかげよ」
「俺が魔法を?」
「大陸では既に魔法は廃れた技術。それでもユーリは魔法はあると信じ、そして魔法は凄いと信じてくれていた。だから火柱をあげることを思いついたの」
「信じていたなんて……。俺はただ夢見がちなだけで、今回はクレアが頑張ってくれたからだ」
「それなら、私が『夢見がちな王子様』を信じていたからね」
クレアが笑って話せばユーリも微笑んで返す。
そんな二人のやりとりに、コホン、と咳払いが割って入ってきた。
見つめ合っていたクレアとユーリがはっと我に返って慌ててそちらへと視線をやれば、なんとも言い難い表情の国王が立っている。対して彼を挟む二人の側近はさも無関係を装うように無表情だが、今はその無表情があえて徹底されているのは言うまでもない。
その後ろにはヴィンスとフリーデルが物言いたげな表情をしており、主人達と目が合うとわざとらしく他所を向いて話し合いだした。
「話しているところ邪魔をしてすまない」
「申し訳ありません。私ってば、つい」
「父上、あの、これは……。ご覧ください、ミルリス国の騎士達が撤退し、既に殆どが退いております。このたびの件は解決と見て問題無いかと」
クレアとユーリが慌てて取り繕う。
勝利をおさめた興奮でつい話し込んでしまった。危機は去ったがまだ事態は収まっていないのに。
「クレア王女、貴殿の協力に感謝する」
「そんな、私はやるべき事をやったまでです。それに岩を投げて火柱をあげるなど子供でも出来ることですし」
「……子供でも、か。それについては後ほどユーリと話し合う必要があるだろうな」
国王の視線が一度ユーリへと向けられるが、話し合うとは言いつつも随分と厳しい視線だ。
次いでその視線をクレアへと戻すと再び話し始めた。
「だが子供でも出来ることであろうと、クレア王女が我が国に助力したことは事実だ。貴殿がこの場に居てくれて良かった」
「有難きお言葉。こちらこそお力になれて光栄に思います」
「こたびのクレア王女の活躍はフォーレスタ国とリズベール国との揺るがぬ絆になるだろう。この縁が末永いものとなることを願おう」
国王の口調は変わらず淡々としており、感謝の言葉も堅苦しい。だがそれでもクレアを認めたという事だ。それはつまりユーリの嫁として歓迎ということでもある。
クレアは喜びのあまり「はい!」と弾んだ声を出し、はっと我に返ると慌てて背筋を正して深く頭を下げて返した。
「お恥ずかしい真似を」と己の落ち着きの無さを恥じれば、国王が「構わん」と簡素に返してくる。相変わらず素っ気ないが、素っ気ないからこそ気にしていないのが分かる。
「部下達への説明と指示を出しに行く。ミルリス国の騎士達は去ったが、あの場も念のため安全の確認をせねばならない。クレア王女、今はひとまず失礼させてもらおう。ユーリ、お前はここに残ってミルリス国の騎士達が完全に撤退するまで監視を頼む」
「かしこまりました」
国王が手早く命じて二人の側近を連れてテラスを去っていく。後ろ姿にさえも威厳を漂わせており、彼が居なくなるだけで場の空気が一瞬にして軽くなった。
ほっとクレアが息を吐く。それはユーリも同じだったようで、父親が去っていった先をしばらく見つめ、その姿が見えなくなると大袈裟に息を吐いた。クレアと目が合うと肩を竦めて苦笑を浮かべる。ようやく息が出来ると言いたげな表情だ。
「父上から命令ではなく『頼む』なんて言われたのは初めてかもしれないな」
「そうなの?」
「ああいう人だから、俺は息子であると同時に部下の一人なんだ。まぁでも、同行しろなんて言われなくて良かったよ。もしそうだったらさすがに息苦しくて限界だった」
「まぁ、ユーリってば」
おどけて見せるユーリにクレアは小さく笑って返し、二人並んでテラスの先へと視線をやった。
つい先程までミルリス国の騎士達が隊列を組んでいたが既に殆どが撤退し、今は殿を命じられた者達が点々と残っているだけだ。遠くに逃げる騎士隊の背が見えるが、それもしばらく眺めていれば消えるだろう。
広大な草原が取り戻され、そしてその先に森が見える。
「本当にリズベール国の森が見えるのね」
「あぁ。しかしこんな形でクレアにこの景色を見せることになるとはな。本当はちゃんとこの神殿にきみを連れてきてあげたかったんだが……。もちろん、馬車で坂道を登って」
「それなら、また今度連れてきて。これからずっと一緒なんだから、一度だけじゃなく何回も」
「そうだな。何回もここに来よう。二人で、子供が生まれたら子供も一緒に。昼に来たら草原を眺め、夕方には日が落ちていくのを見届け、夜なら星を見上げるんだ」
「その時には星に負けないくらいの光の魔法を見せてあげるわね」
「楽しみだ」
ユーリが嬉しそうに微笑み、次いでそっとクレアの肩に触れてきた。優しく撫で、そして今度は頬に触れる。
擽ったさと、そして彼が何を望んでいるかを察し、クレアは返事の代わりにゆっくりと目を瞑った。胸が高鳴る。
緊張しているのを気付かれまいと、胸元で組んだ手に力を入れた。
「クレア……、きみのことが好きだ。だからどうか俺と結婚してくれ」
目を瞑り暗くなった視界。ユーリの囁く声がすぐ近くで聞こえてくる。
返事をするべきか一瞬迷ったが、目を瞑っている事こそが返事だと考え、クレアはユーリからの口付けを待った。
そうして、二人の唇が触れる……。
直前、
「あ、」
「えっ!?」
と、二人分の声がその場の空気を壊した。




