29:えいっ!!
「ヴィンス、ご苦労様。どうだった?」
「ミルリス国の騎士達には気付かれずに戻って来られました。崖下に潜んで登る者の気配もありません」
「そう、良かった。それに手頃な岩を見つけてきてくれたのね。投げやすいわ」
ヴィンスが担いでいるのは崖下から見繕ってきてくれた岩で、これからクレアがミルリス国へと投げるものだ。
投げやすいものを選んでくれたのだろう、岩ゆえにゴツゴツとはしているものの全体的に丸みがあり、これならば投げる際の調整も効きやすそうだ。
それをヴィンスから受け取ろうとし……、その直前、「クレア!」とユーリに呼び止められた。
振り返れば、彼が不安げな表情で岩と交互に視線を向けてきた。
「ユーリ、どうしたの?」
「ほ、本当にそれを投げられるんだな? というか持てるんだな?」
「えぇ、もちろん」
「……怪我や手を痛めたりはしないな?」
念を押すように尋ねてくるユーリの声は真剣みを帯びており、冗談ではなく本気で案じているのだと分かる。
だからこそクレアは「安心して」とはっきりと彼へと告げた。
「手は汚れちゃうけど、私、ちゃんとハンカチを持ってきたから大丈夫よ」
さっとハンカチを取り出してユーリに見せる。レースのついたハンカチだ。端にはリズベール国の国花が刺繍されている。
確かに岩を持ち上げれば手は汚れるだろう。もしかしたら泥が落ちて服まで汚れるかもしれない。
だが手が汚れたとしてもハンカチで拭えば良いし、服の汚れだって洗えば落ちる。たとえ服の汚れが落ちなくても、フォーレスタ国のために行動をした際についた汚れならば誇りになる。
「ユーリってば、私、手が汚れるのを嫌がって行動できないほど箱入りじゃないわ」
どうやら彼に箱入り娘だと思われていたようで、クレアがコロコロと笑う。
それに対してユーリは一瞬目を丸くさせ、次いでふっと笑みを零した。
「そうだな。よし、クレア、頼んだぞ」
「えぇ、任せて!」
ユーリの言葉にクレアは力強く返した。
そうしてヴィンスから岩を受け取ればズシリと手に岩の重みが伝う。その瞬間ユーリが「あっ」と声をあげたが、クレアがあっさりと持ち上げて見せれば今度は安堵の表情を浮かべた。
もっとも安堵した後には「予想以上に楽々と持つ……」と呟いたのだが、生憎とクレアはそれより先にミルリス国へと向き直ったため聞き逃していた。
「ユーリ、どこら辺に投げればいいかしら」
「届くことを示すなら騎士隊を超えた場所が良いが、全員に見せつけるなら前方か……。だが大きく外すと牽制の意味が半減するかもしれないし……」
「それなら、あそこはどうかしら」
クレアが草原の一か所を指さす。――ちなみに指差すために岩を片手で持ったのだが、ユーリに「分かるから大丈夫だ!」と制止されてしまった――
広大な草原に隊を組む騎士隊。その背後には僅かに間が開いて十人程度が集まっている。そこが司令塔なのかもしれない。
クレアの話を聞いていた者達が揃えて視線をやり、国王の側近が望遠鏡を探しに屋内へと戻ろうとする。
だがそれより先にヴィンスが何かに気付いたように「あれは」と小さく呟いた。
「あそこに居るのはレイヴン様ですね」
草原を睨みつけながら話すヴィンスに、隣に立つフリーデルが彼と草原を交互に見た。
「ヴィンス殿、見えるのか?」
「はい。遠視の魔法を使いました。レイヴン様と彼が連れていた近衛騎士の姿も有ります」
「またそうやってさらっと知らない魔法を使う……!」
ヴィンスの話を聞くフリーデルはどういうわけか不満そうだ。それでも「よくやった」と背中を叩いて働きを認める。
クレアもヴィンスに続くように遠視の魔法を使えば、確かに彼の言う通りレイヴンの姿があった。それと彼が連れていた近衛騎士と、上質の服を纏う者達が十人。彼等が司令塔と見て間違いなさそうだ。
騎士隊と司令塔の間の距離は極僅かだ。だがそこを分断するように岩を投げて火柱をあげれば、騎士達は後ろを取られたと焦り、そして司令塔は眼前に迫られたと感じるだろう。
投石と火柱の正確さも見せつけられる。
そう話せば、ユーリが真剣な面持ちで「そうだな」と頷いた。クレアとヴィンスに感謝を告げ、国王達へと伝えに行く。
「ヴィンス、よく気付いてくれたわね。私も頑張らないと」
フォーレスタ国のために働くことで、婚約の意思と、そして裏が無いことを示すのだ。
「クレア、準備は整った。投石場所も父上に報告したところそこで問題無いと言われたし、さっき話した通りにやってくれ」
「分かったわ。『えいっ!』と頑張るから任せて」
気合いを入れると共に笑顔で返せば、ユーリもまた微笑んだ。「『んー』の目測は無くて良いのか?」という冗談めいた彼の言葉にクレアの笑みが更に強まる。
「では、さっそく……」
「あ、待ってくれ。出来れば目晦ましの魔法を使って欲しい」
「目晦ましの魔法を? なぜ?」
「ほら、クレアが岩を投げたと知ったらミルリス国が矛先をリズベール国に向けるかもしれないだろ。あくまで我が国の牽制として石を投げてほしいんだ」
「なるほど、確かにそうね。それならさっそく……」
小さく呪文を唱えれば、次の瞬間、クレアの姿がその場からパッと消えた。
ほんの一瞬、まるでシャボン玉が弾けるかのように。手にしている岩も一緒に消えたので、これには見ていた国王達が驚愕を露わにする。
それどころか目晦ましの魔法を言い出したユーリまでもが驚いた様子で目を丸くさせ、窺うような声色で「クレア?」と名前を呼んできた。
「そこには居るんだよな」
「えぇ、ここに居るわ」
「凄いな。姿は見えないのに声は聞こえる。……不思議だ」
クレアを見つめているつもりなのだろうが、残念ながらユーリの視線は少しばかりずれている。
それが面白く、クレアは小さく笑うと彼の視線に合わせて一歩ずれた。これで見つめ合うことができる。……もっとも、ユーリには依然としてクレアの姿は見えていないのだが。
「岩も消えてるし服も靴も消えてる。触れているもの全てが消えるのか?」
「全てというわけじゃないけど、姿を隠すために必要なものはある程度なら。そうでないと、目晦ましの魔法を使うたびに裸にならないといけないでしょ」
クスクスと笑いながら冗談めかしてクレアが話せば、ユーリが「裸に……」と呟いた後、慌てて「すまない!」と謝罪をしてきた。頬が少し赤くなっている。
「変なことを質問してしまった。そうだよな、考えれば分かる事だ。どうにも魔法に関しては思った事をすぐに口にしてしまうようだ」
「それほど喜んでもらえるなら魔法を使うかいがあるわ。それに、ユーリはリズベール国の子供に見せるよりも瞳を輝かせてくれるから、私まで嬉しくなってくるの」
「子供よりもか。それはなんだか恥ずかしいな。でも魔法は昔から憧れていて、それにこの目晦ましの魔法はまるで童話に出てくる妖精みたいだ」
「妖精?」
「あぁ、童話には妖精もよく出てくるんだ。彼等の姿は見えないが声は聞こえてくるから、人間は混乱させられる。それを見て妖精達は面白がり、そして時には悪戯に姿を見せて揶揄う。……っと、すまない、また熱くなってしまった」
話しすぎた、とユーリが口元を押さえる。先程一瞬赤くなった頬がまたも染まっている。
そんな彼の分かりやすさにクレアは笑みを強めた。気配で察したのか、ユーリが見えないというのに「笑っているだろう」と尋ねてくる。
「その話、今回の件が落ち着いたらちゃんと聞かせて」
「もちろんだ。だから今は頼む」
「任せて」
ユーリには見えないと分かっていてもクレアは頷いて返し、テラスの柵の手前まで歩み寄った。
「まずは投石を……」
意気込みつつも、力み過ぎないようにと己を落ち着かせるために一度目を瞑って深く息を吸った。
大丈夫。きっとリズベール国の女神様が力を貸してくださる。
そう心の中で自分に言い聞かせる。
次いでクレアはゆっくりと目を開けた。チラと背後を見ればユーリが立っている。
彼はクレアの姿が見えていない。現に、じっと見つめている場所は今クレアが立っている場所からずれてしまっている。
だけど分かる。
彼は自分見つめてくれている。
信じてくれているのだ。魔法を、そしてクレアの事を。
その瞳に後押しされるように、クレアは手にしていた岩をゆっくりと掲げ……、
「んー……、えいっ!!」
と、狙いを定めて放り投げた。




