20:侵入者と火柱
「クレア、大丈夫か? 怪我は?」
駆け寄ってきたユーリがクレアの前にしゃがみ込み、顔を覗き込んでくる。
「ユーリ様……、わ、私……」
彼の問いかけに応えようとするも、クレアの声は恐怖で震え、まともに話をすることが出来ない。
言わなければならない事は分かっているのに、それをどう伝えれば良いのか分からないのだ。起こった事を一から話そうとするも、何があったのかを思い出そうとすれば恐怖で体が震え、言葉を発しようにも声が出ない。
頭の中では矢継ぎ早に話すべきことが出てくるのに一つとして発する事が出来ず、それが更なる混乱と焦りを呼ぶ。
ヴィンスが隣に付いて支えてくれているが、それでも立ち上がることが出来ない。体が震えて足に力が入らない。
立ち上がらなくては、怪我はないと知らせなければ、侵入者について話をしなければ……。
だがそのどれもが震えに遮られて言葉になってくれない。無理に喋ろうとすれば息苦しさすら覚え、ただ己の体を押さえるように抱きしめてユーリの名を口にするだけで精一杯だ。
そんなクレアの状態を察したのか、ユーリがそっと手を伸ばしクレアの腕に触れてきた。
彼の手がゆっくりと擦ってくれる。
「無理に話さなくて良い。落ち着いて呼吸をしてくれ」
優しい声でユーリが諭し、次いで彼はヴィンスへと視線をやった。
「ヴィンス、何があった」
「侵入者です。俺が駆け付けた時には一瞬姿が見えただけでしたが……」
「侵入者だって?」
ヴィンスの言葉にユーリが顔を強張らせ、次いでクレアへと視線を向けてきた。
事実かどうかを確認したいのだろう。それを受け、クレアは震える体ながらに頷いて返した。
あの時、暗い部屋の中で腕を掴まれた。
跳ね上がるように体を震わせて顔を上げれば、そこに居たのは黒尽くめの衣服で全身を隠す人物。顔もベールで覆っており、まるで闇が意思を持ちクレアを引きずり込もうとしているかのようだった。
一瞬にして湧き上がる恐怖にクレアは悲鳴を上げ、逃げるために黒尽くめの人物の肩を強く押したのだ。
「そうしたら、その不審な人物は逃げるためか窓を破って外に出て行ったのです……」
「吹っ飛ばされたのでは……。いや、この際それは良いか。クレア王女、大丈夫だったか? 怪我は、どこか痛めたりは」
ユーリに問われ、クレアは震える声ながらに大事はないと返した。
腕を掴んできた人物はクレアが抵抗すると物凄い勢いで窓を破って逃げていったのだ。幸い接触はその一度だけで怪我は無い。
その後、不審者は数度地面を転がり、よろつきながらも立ちあがり逃げようとした。そこに駆け付けたヴィンスが火柱を上げて捕えようとしたのだ。
だが闇夜の中では正確に火柱をあげることが出来ず、不審者を囲いきれず逃がしてしまった。クレアは彼が来てようやく外に出られたが、そこで恐怖に負けて座り込んでしまい今に至る。
それを話せば、無事だと分かってユーリが僅かに安堵の表情を浮かべた。
「ヴィンス、君も無事か?」
「はい。そもそも俺は不審者と対峙すらもしておりません。もっと早く駆け付けていれば……。クレア様、申し訳ありません」
「謝らないで、ヴィンスは直ぐに来てくれたじゃない。それに物音を聞いた時に最初に貴方に伝えに行けば良かったの」
物音をさして疑わず、心もとない明かり一つで屋内を歩き回った。
その結果、侵入者と遭遇してしまったのだ。
もっと危機感を持って行動していれば良かった。そうクレアが後悔すれば、ユーリが再び腕を擦ってきた。
「ヴィンスもクレア王女も何も悪くない。むしろ謝るべきは、鍵の管理は王宮がしているから大丈夫だと考えていた俺だ。すまない。君に怖い思いをさせてしまった……」
「そんな、ユーリ様のせいではありません」
謝罪しだすユーリに、慌ててクレアが彼を宥める。
だが横から「よろしいですか」と声を掛けられた。騎士の一人が真剣な顔付きでこちらを見ている。
クレアが落ち着きを取り戻したと見て、なにがあったのか詳細を聞き出したいのだろう。意図を察してクレアはゆっくりと立ち上がった。
ユーリが腕を支えてくれる。彼に感謝を告げ、差し出される手に己の手を重ねた。
「忍び込んだ人物に思い当たる節は? 男か女か、分かりますか?」
「いえ……、目元すらも隠していたので何も。思い当たる人も誰もおりません。……ですが、男性の声だった気がします」
手首を掴まれた瞬間、クレアは必死に抵抗して相手の肩を力いっぱい押した。
その抵抗が予想外だったのか、もしくは悲鳴をあげられて驚いたのか、相手は窓を破って転がり出るように逃げていった。その際に一度、そしてその後に火柱を見てもう一度声をあげていた。
低く呻くような声と、驚愕の声。どちらも男の声だったように思える。
それを話せば、ヴィンスが続くように侵入者の後ろ姿についてを話し出した。
だが彼が目撃したのはほんの一瞬、分かるのは身長ぐらいだ。それも全身黒い服を纏っていたため体格の判断が付きにくい。これでは特定は難しいだろう。
「敷地内はもちろんですが、周辺にも警備を出して不審な人物を探します。……ところで、火柱というのは何のことでしょうか。先程からクレア様も仰っておりますし、火柱を見たという報告があがっています」
騎士が地面に視線をやる。
足元に茂る草が一部焦げている。火の気のないところでなぜ……と言いたげな騎士の表情に、クレアは「魔法で」と言い掛けた。
だがその瞬間にユーリが「これは!」と声をあげた。
「これは、俺が渡しておいた護身用の道具だ! それをヴィンスが不審者捕獲のために作動させたんだ!」
「護身用ですか? それにしても火柱と言うのは……」
「今は夜中だ。それに今夜はとりわけ暗い。少しの明かりでも大きく感じられたんだろう。不審者はそれに驚いて逃げたに違いない」
「そう、でしょうか……」
「そうだ。そうに決まっている。そう以外になにもない。というわけで、どこに不審者が潜んでいるか分からないから警備に励んでくれ。一般市民にも危険が及ぶかもしれないし、出来るだけ多く人員を割いてほしい」
「か、かしこまりました……。緊急時ですから非番の者も稼働させます」
「あぁ、よろしく頼む。何かあれば俺の名前を出してくれ」
捲し立てるような勢いで物事を決めるユーリに、告げられた騎士が気圧されたような表情を見せた。「か、かしこまりました……」という声は上擦っている。
だがユーリに「頼んだぞ」と肩を叩かれるとはっと我に返り、背筋を正すと改めて威勢の良い返答を残して足早に去っていった。
クレアはそんな騎士の背を見届け、次いで深く息を吐いた。
恐怖は少し和らいだ。報告も終えて、すべきことは他には無い。
明日になれば改めて話をする必要があるかもしれないが、今のところは警備を優先し他の者達に任せるべきだろう。
騒動を聞きつけてきたメイドが「暖かいお飲み物を用意します」と提案してくれた。それに感謝を返す。
「ユーリ様、お休みのところ申し訳ありませんでした。どうかお部屋にお戻りください」
もう大丈夫だと暗に伝え、彼の手をそっと放す。
だが指先が離れようとした瞬間、ユーリの手が追うようにクレアの手を掴んできた。
「まだ不安は残るだろう。今夜一晩、俺が一緒に過ごそう」
「ですが、ユーリ様はお休みでしたでしょう……」
「気にしないでくれ。……それに、俺もそばに居たい。どうかそばに居させてくれないだろうか」
翡翠色の瞳でじっと見つめ、真っすぐに告げてくる。
彼の真摯な言葉はクレアの胸の内まで溶け込み、残っていた恐怖を緩やかに消し去っていく。代わりに胸に湧くのは、安堵と、そして彼がここまで自分を案じてくれている事への嬉しさ。
だが次の瞬間、何かに気付いたユーリが「あっ!」と声をあげた。クレアもつられたように目を丸くさせる。
「も、もちろん俺だけじゃないからな! ヴィンスも同席してもらうし、フリーデルもだ! けして夜に二人きりになろうなんて疚しいことは考えていないから!」
慌てた様子で告げてくるユーリに、クレアはきょとんと目を丸くさせたまま彼を見つめ……、そして思わずふっと笑い出してしまった。
――ちなみに少し離れた場所ではフリーデルが「俺、眠いんですけど」と文句を言っているが、彼の隣ではヴィンスがメイドに四人分の飲み物の手配を頼んでいた――
「ご安心ください。ユーリ様が疚しいことを考えているなんて思っておりません」
「そうか、よかった。それならゆっくりとお茶でもしながら夜明けを待とう。もしも途中で眠くなったなら、クレア王女は寝室で眠ると良い。俺達が見張っているから」
「ユーリ様がそばに居てくださるなら安心です。……それと、どうか先程のように『クレア』とお呼びください」
「あ、あれは咄嗟に……。だが君が良いというなら。……クレア」
穏やかな声に名を呼ばれ、クレアはその声が胸を優しく灯すのを感じながら「はい」と答えた。
恐怖心を上書きした安堵が今度は喜びに変わっていく。
だが次の瞬間にパチと目を瞬かせたのは、ユーリが「それなら俺も」と言い出したからだ。
「俺のことも『ユーリ』と呼んでくれ。敬語もいらない」
「そんな、フォーレスタ国の王子であるユーリ様を呼び捨てになんて出来ません」
互いの立場が違う。
自分は弱小国の王女で、ユーリは大陸一を誇る大国の王子。たとえ婚約関係にあったとしても立場の違いがあり、呼び捨てになど出来るわけがない。周囲からどんな風に思われるか……。
そうクレアが訴えるも、ユーリがそれでもと食い下がってきた。
「クレアが誤解されないよう周りには俺からきちんと話をする。それに、親し気に呼び合った方が疑いを晴らせるかもしれないし、もしレイヴンのように自分がと考える者がいたとしても阻止できるかもしれない」
「ですが……」
「なにより……、クレアが俺に親しく呼ばれたいと思ったように、俺もクレアに親しみを込めて呼んで欲しいんだ」
だから、と。告げてくるユーリの翡翠色の瞳は、その涼やかな色合いに反して熱を持っているように見える。
その瞳に絆され、クレアは自分の胸の内がより熱くなっていくのを感じながら「はい」と小さく返事をした。
「……ユーリ」
慣れぬ呼び方のため声は小さく、上擦ってしまう。
だがそれでも彼は嬉しいようで、クレアに名前を呼ばれるとパッと音がしそうなほどに表情を明るくさせた。
次いで「行こう、クレア」と再び手を差し出してくる。
クレアはそれに応えるように自分の手をそっと重ね、彼と共に歩き出した。
二人並んで歩く後ろ姿を周囲に居た者達が微笑ましそうに見送る。
残されたヴィンスとフリーデルは顔を見合わせ、ユーリに「行くぞ」と声を掛けられると、どちらともなく肩を竦めて二人を追った。




