02:王子の迎えと馬車のアクシデント
「……歩いてきた?」
そう尋ねてきたのは銀の髪の青年。
背は高く四肢は長く、しなやかな体つきはバランスが取れている。目鼻立ちも整っており、凛々しさのある精悍さを感じさせる。
美丈夫とは彼の事を言うのだろう。とりわけ翡翠色の瞳は美しく宝石のようだ。
彼はその瞳を丸くさせてクレア達を見ている。
青年の上着の胸元にフォーレスタ王家の家紋を見つけ、クレアはスカートの裾を摘んで優雅に頭を下げた。きっと彼がユーリ・フォーレスタだ。
「お初にお目にかかります。リズベール国のクレア・リズベールと申します」
「あ、あぁ……。俺はユーリ・フォーレスタだ。……それで、森を歩いてきたのか? 本当に? 馬車は?」
「リズベール国の馬車では森の中は抜けられませんので」
森の中は木々が生い茂り川もある。馬車で進むのは難しい。とりわけリズベール国の馬車は旧型のもので、普段は全く使用していない。川を渡ろうものならすぐに崩壊するだろう。
馬に乗ろうとも思ったが、弱小国のリズベール国において馬は貴重な働き手。嫁入りとはいえ連れて行くのは忍びない。
だから歩いてきたのだとクレアが話せば、ユーリは翡翠色の瞳を三度ほど瞬かせた。
「そ、そうなのか……。それで、森を歩いて……。大変だったろう」
「いえ。日の出と共に城を出て七時間ほど歩いただけですし、散歩と同じようなものです」
「はっ……!?」
クレアの話を聞き、ユーリが言葉を詰まらせる。彼の傍らに立つ護衛の騎士であろう少年もぎょっとした表情を浮かべた。
だが生憎とクレアは彼等の異変には今一つピンとこず、少し様子がおかしいと思えども首を傾げるだけに留めた。
ユーリの顔が青ざめている気がするが、クレアは彼の通常の様子を知らず、常にこの顔色という可能性もある。もし常だとしたら体調が心配になってしまう青ざめ方だ。
もしかしたら体が弱いのかもしれない。それを無理して迎えに来てくれたのだろうか。
クレアがユーリを案じていると、隣に立っていたヴィンスがしばし考えを巡らせ、なにやら思いつくとこそりとクレアに耳打ちしてきた。
「待たせすぎだと仰りたいのかもしれません。出発の際に別れに時間が掛かりましたし、歩き出したばかりの時は何度も振り返りました。途中で二度ほど休憩もしています」
「まぁ、そうだったのね……。申し訳ありません、ユーリ様。ユーリ様をお待たせしているとは思わず、二度も休憩を入れてしまいました」
「に、二度……、二度だけか!?」
「はい。二度も」
休憩を挟まずもっと早く歩いてくれば良かった。なんだったら走っても良かった。そうクレアが悔やむ。
時間に余裕があるからと普段通りに歩き、途中で二度ほど足を止めて休憩を取ってしまった。川を越える際には足場の良い場所をと迂回をし、そのうえ四度も獣に遭遇し追い払っていた。
あの時間もずっとユーリを待たせていたのだ。なるほど不満に思われるのも仕方ない。
それを詫びれば、ユーリはまたも三度ほど瞬きをしたのち「獣……」と呟いた。
心なしか彼の額に汗が浮かんでいる。今日はそれほど暑かっただろうか。それともやはり体調が悪いのか。
「お待たせしてしまったのなら、せめて獣の一匹でも狩って持参すればお詫びにもなったのですが……」
「か、狩る?」
「はい。ですが森で遭遇した獣はどれも子連れ、我が国では子連れの獣は狩らぬと決めているのです」
子連れの獣を狩ってしまえば子が育たなくなりその種は滅びる。
ゆえにリズベール国では繁殖の季節が始まると獣は追い払うのみと決めているのだ。
「獣の子育ての時期が終わりましたら今日のお詫びに狩って参りますので、どうかお許しください」
「い、いや、大丈夫だ……。なにが大丈夫なのかよく分からないが、とりあえずその件は大丈夫と言うことにしよう」
よく分からない言い回しでユーリがこの話を終える。
クレアは彼の何が大丈夫なのかは理解出来ないものの、彼が「大丈夫」と言うのならと頷いて返した。
「お許しくださりありがとうございます。それならフォーレスタ国へ参りましょう」
「その件なんだが、申し訳ないがしばらくここで待ってもらう事になった。馬車の調子が悪くて出発できないんだ」
ユーリがちらと後方の馬車へと視線を向けた。王族の家紋が施された馬車、間近で見るとよりその豪華さがわかる。
馬車を引く馬も毛並みが良く、躾が行き届いているのだろう静かにじっと指示を待っている。
その傍らでは御者が馬車の車輪を覗き込みなにやら話しており、それを聞く警備の騎士達も難しい表情をしている。出発する雰囲気は確かにない。
「泥濘に嵌って後輪が外れたんだ。幸いスピードは出ていなかったから誰も怪我はしていないが、直すのに時間が掛かる」
「そうだったのですね。ですが、外れてしまっただけならすぐに直せるのではありませんか?」
「馬車を持ち上げないと嵌め直せないらしい。今日の為に用意したんだが、乗り慣れたものを用意した方が良かったかもしれないな」
「見せていただいてもよろしいでしょうか」
「馬車を? 構わないが……」
許可を得て、クレアはヴィンスを連れて馬車へと近付いた。間近に見ればより豪華さが分かる。しっかりとした造り、細部にも彫り込みや飾りが施されており、見る者の目を奪う美しさ。
停まっているところを間近で見るのも良いが、きっと颯爽と走ればまた違った美しさを纏うのだろう。移動の手段でありながら同時に芸術品としての威厳も感じさせる。
リズベール国の馬車とは比べ物にならない。というより比べるのも恥ずかしくなってしまう。今目の前にしているものが『馬車』だとすれば、クレアが今まで馬車と呼んでいたものは『馬が引く車輪の付いた箱』である。
「こんなに立派な馬車、はじめて見たわ」
クレアが馬車を覗き込みながら褒めれば、ヴィンスも頷いて返した。
背後ではユーリと側仕えの騎士が「技師の習いでもあるのか」「女性にしては珍しいですね」と話している。
それを聞きつつヴィンスにチラと視線をやれば、言わんとしていることを察し彼がコクリと一度頷いて返してきた。
「車輪を嵌める際に泥が跳ねるかもしれません。クレア様、コーチをお願いします」
「えぇ、分かったわ。車輪をお願いね」
互いに役割を確認し合い、クレアはコーチの一角に手を添え……、
よいしょ、と持ち上げた。
その隙にヴィンスが車輪を嵌めこむ。
ガゴンッと音がしてクレアの持つコーチが揺れた。車輪に着いていた泥が跳ねてヴィンスの上着の袖に飛んだのが見える。やはり車輪は彼に任せて正解だった。
「嵌め直しました。クレア様、コーチを降ろしてください」
「ありがとう、ヴィンス。ユーリ様、これで馬車が直りました。出発できますよ」
コーチを地面にずしんと置き、クレアが優雅に微笑んでパッと背後を振り返る。
そこでは、ユーリはおろか側仕えの騎士や他の者達すらも青ざめた顔をしていた。
「ユーリ様?」とクレアが首を傾げながら尋ねる。
車輪を嵌め込んだのに彼等に出発する様子はなく、それどころか固まってしまったかのように立ち尽くしている。「乗らないんですか?」と尋ねれば、それを聞いてようやくユーリがはっと息を呑んだ。
いまだ青ざめた表情、額に汗が伝っている。そのうえ彼の隣に立っている護衛騎士らしき少年に至ってはなぜかユーリに寄りかかりだした。
気を失っているのだろうか。主従ともども体が弱いのだとしたら猶のこと心配だ。
「あの、どうなさいました? お隣の方は大丈夫でしょうか?」
「い、いや、気にしないでくれ。こいつも特に問題は無い。だけど、そ、そうだな、出発しよう。……馬車を直してくれてありがとう、クレア王女。いや、本当に……まさか直すなんて……持ち上げるなんて……」
「どうなさいました、ユーリ様?」
「……と、とりあえず乗ろうか。フリーデル、お前も早く意識を戻してこっちに乗れ」
ユーリが自分に寄りかかっていた少年を揺すって起こす。
フリーデルと呼ばれた彼は騎士らしい制服を纏ってはいるものの幼い外見をしている。十五歳かそこいらだろうか。細身で愛らしい顔付きをしたまさに美少年といえる外見だ。
凛々しく精悍な顔付きの王子と、その横に並ぶ愛らしい少年騎士。どちらも引けを取らぬ見目の良さで絵になる二人である。
そんなフリーデルはユーリに命じられると眉間に皺を寄せた。「えぇ?」という声には拒否の色がたっぷりと込められているが、ユーリはそれを「さっさと準備をしろ」と容赦なく一刀両断してしまう。絵画のような二人だがやりとりは意外と俗っぽい。
仕方ないと言いたげにフリーデルがクレアから荷物を受け取り、馬車のコーチに運び入れ始めた。
「あいつはフリーデル。俺の乳兄弟であり側仕えの騎士だ。俺に何かあった時はフリーデルを頼ってくれ」
「乳兄弟で側仕えの騎士ですか。ヴィンス、貴方と同じね。こちらはヴィンス、彼の母が私の乳母で家族同然に過ごしてきたんです。今は側仕えの護衛騎士を務めております。ヴィンス、ご挨拶を」
クレアが促せば、ヴィンスがユーリに対して深く頭を下げた。
相変わらず愛想は無いが。