10:夢見がちな王子様
そんなやりとりから数分後、クレアは首を傾げていた。
腕の中には猫の銅像、隣に立つのはヴィンス。そして少し離れたところに居るのはユーリとフリーデル。
先程の会話の後、ユーリはフリーデルを揺すり起こすと「ちょっと失礼……」と告げて彼を引っ張って離れていき、微妙に距離を取った場所で何やら話し出してしまったのだ。
「どうなさったのかしら?」
「随分と深刻な表情をしているようですが、いったい何を話してるんでしょうか……」
「もしかして、猫はお嫌いだったのかも。犬にした方が良かったのかもしれないわね」
腕の中の猫へと視線を落とし、眉尻を下げてクレアが溜息を吐いた。
自分では上手く作れたと自負している猫の銅像。実際、銅像自体の出来は良いはずだ。現に遠目で見たユーリ達が本物の猫かと見間違えていたではないか。
スラリとした佇まい、足に添う長い長い尻尾、丸い瞳、ピンと立った耳。撫でれば目を閉じて喉を鳴らしそうなほど精巧だ。作ったばかりの猫だが既に愛着が湧いている
そんな猫に対して、ユーリもフリーデルも青ざめていた。
なぜだろうか……。
クレアが疑問を抱いて猫の銅像を見つめていると、険しい顔で考えを巡らせていたヴィンスが「もしかして……」と口を開いた。
「この国では、猫は縁起が悪い生き物なのかもしれません」
「縁起が悪い……、確かにその可能性はあるわね。もしかしてユーリ様に失礼な事をしてしまったのかも」
仮にヴィンスの言う通りにこの国において猫が縁起の悪い生き物だとすれば、それをわざわざ銅像にし、そのうえ窓辺に飾って見せつけるなど不敬極まりない事だ。
それどころか仮に猫が戦いや抵抗の象徴だった場合、クレアが離れでの生活に不満を訴え戦意を抱いている事になりかねない。
勘違いをされては大変……! とクレアは慌ててユーリ達の元へと駆け寄った。
「ユーリ様、誤解です。この猫には何の意味もございません!」
「意味は無い? 突然どうしたんだ、クレア王女」
「これはただ私が猫が好きで、生活の彩にと考えて作りあげただけです。他意は何もありません」
「そうなのか……。たとえば、『お前を溶かした銅に埋め込んで銅像にしてやる』とか、そういう意味は無いんだな?」
ちらと銅像に視線をやりながらユーリが尋ねてくる。
彼の問いに、クレアは一瞬きょとんと目を丸くさせ、次いでクスと小さく笑みを零した。
「嫌だわ、ユーリ様ってばご冗談を」
「そ、そうだよな。うん。すまない、どうやら少し誤解をしていたようだ」
「もし猫がお嫌でしたら犬に作り直します。ちょっと熱いかもしれませんが、この子なら我慢できるはずです」
「いや! 猫のままで良い! 猫のままが一番だ!」
クレアが再び猫の銅像を溶かそうとするも、ユーリが慌てて制止してきた。
次いで彼の手がそっと伸ばされ、クレアの腕の中の猫の銅像を撫でる。今度は恐る恐るではなく、まるで実際の猫を愛でるように。心なしか彼の表情は安堵しているようにも見える。
「本物の猫みたいだ。クレア王女は器用なんだな。それで、見せたいものというのはこの猫のことだったのか?」
「いえ、そうではなく……。少しお待ちくださいませ」
本題を思い出し、クレアは猫の銅像をヴィンスへと手渡した。
改めてユーリへと向き直り「ご覧ください」と彼の手を取り、自分の両手で包み込む。
「ク、クレア王女……!?」
ユーリが驚いて声をあげる。
だがクレアはそれに対して「少しお待ちを」とだけ返し、囁くように呪文を唱えた。
そうしてゆっくりと手を放せば、彼の手の中に残されたのは……、
七色に光る、小さな光の花。
「これは……」
その輝きを瞳に映しながらユーリが呟く。
手の中の輝きは小さい。だがユーリの声には見惚れるような色があり、クレアは穏やかに微笑むと「魔法です」と答えた。
「魔法? これも魔法なのか……?」
「はい。炎の魔法と同じ子供の手遊びの一つで、器用な子ほど細かな光を宿せるんです。雪が積もって外で遊べない冬は、家の中で魔法の花や星を光らせて遊んで過ごします」
こうやって、とクレアもまた自らの手の中に光の花を宿し、それをそっと空に浮かばせた。
さながら風船を放るように。ゆっくりと、優しく。
それを受けて光の花はクレアの手を離れ、ふわりふわりと空を漂うと、最後に一度パチンと弾けて七色の細かな光を散らして消えた。
花火よりも柔らかく、ガラスや宝石の輝きよりも優しい光。
見ていたユーリがクレアを真似るようにゆっくりと片手を動かした。先程の花を追うように彼の手から光が浮かびあがり、優雅に宙を揺蕩うと弾けるように瞬いた。後に残るのは細かな光の粒で、それも緩やかに消えていった。
「凄いな、綺麗だ……」
誰に話しかけるというわけでもなく、感情が声になって漏れ出たというようなユーリの口調と声色。
吐息交じりの彼の言葉に、クレアは穏やかに微笑んで返した。
「お持ち頂いた本に魔法は華やかで輝かしいものと書かれていました。なので、こういった魔法をお見せしたら喜んでいただけるかと思いまして。どうでしたでしょうか?」
ご満足いただけましたか? とクレアが窺う。
それを聞いたユーリがぐいとクレアに身を寄せ、そのうえ手を取ってきた。
じっと見つめてくる翡翠色の瞳は先程の光の魔法に負けず劣らず輝いている。
「素晴らしかった! あれほど綺麗なものは見たことがない!」
「そうですか。喜んで頂けて嬉しいです」
「あれこそ俺が思い描いていた魔法だ! 凄いな、童話の中の魔法は実際にあったんだ! ……っと、すまない」
勢いよく話していたユーリがはたと我に返り、慌ててクレアの手を放した。それだけでは足りないと僅かに後ずさりして距離を取る。
先程まで光の魔法に見惚れて身を寄せ瞳を輝かせて語っていたのに、我に返るや途端に顔を背けてしまう。二転三転するユーリの態度に着いていけず、それでもクレアは彼を呼んだ。
「ユーリ様?」
「取り乱してすまない。……ちょっと感動しすぎたようだ」
「感動? 魔法を見てですか?」
「あぁ、そうだ。実は昔から魔法とかそういう話が好きで……、恥ずかしい話なんだが、今もそういった手合いの本を好んで読んでるんだ……。あまり、ひとには言えないことだが……」
顔を背けながら話すユーリは随分と気まずそうだ。
そんな彼に、クレアは恥ずかしがる理由が分からず、それでも話の先を促すように優しい声色で彼の名を呼んだ。
離れの庭には木製の長椅子が置かれている。そこに腰掛け、クレアはユーリと共に眼前の景色を眺めていた。
花が咲き誇る美しい庭だ。以前は王宮お抱えの庭師が手入れをしていたが、今はクレアが引き継いで管理をしている。
自分がやると言い出した時は怪訝な顔をされたが、リズベール国に居た時は王族でも庭弄りをしていたと話せば驚くと同時に納得してくれた。
そんな庭を眺めていると吹き抜けた風が花を揺らした。金の髪がそれに誘われようになびくので片手でそれを押さえる。
「昔から童話や御伽噺のような物語が好きだったんだ。幼い子どもが眠る前に母親に読み聞かせてもらうような話。……といっても、母上から眠る前に話をして貰った事なんて一度としてないけどな」
「一度も無いんですか?」
「母上も忙しい方だ。それに七番目の子供ともなれば扱いもぞんさいで、眠るまでベッドの横で話を……なんて時間を割いてもいられないだろう」
あっさりと言い切るユーリに対して、クレアは胸が詰まるような思いで彼を見つめた。
何でもない事だと言いたげな彼の口調。そこには寂しさを訴える様子は無く、ただ事実を語っているだけだ。国の規模や立場を考えれば仕方のない話なのかもしれない。
だけど……と考えるクレアの脳裏に、幼い頃の思い出が蘇った。
就寝時間になると母は枕元に椅子を寄せて座り、クレアが眠りにつくまで見守ってくれていた。
昔話をし、本を読み、歌を歌い、明日なにをして遊ぼうかと話し……。そんな母親の声を聞いている内に幼いクレアは夢の中へと潜り込むのだ。
時には父がその役目を担う時もあった。父は声が大きく、寝かしつけのはずが「お父様、煩くて眠れないわ」と文句をよく言われたと今でも笑いながら話をしてくる。
そんな穏やかな時間がユーリには無かった。
思わずクレアの胸に寂しさが伝い「ユーリ様……」と彼を呼んだ。
彼がこちらを見てぎょっとしたような顔をしたのは、きっとクレアの胸の内が表情に出ていたからだろう。
「別に寂しかったとかではないから大丈夫だ。むしろ扱いはぞんさいだったが、そのぶん自由に出来た。愛されていなかったというわけでもないし、幼少時から勉学や外交を強いられていた兄達よりも自由で良かったと思ってる」
慌てた様子でユーリがフォローを入れてくる。
次いで彼は困ったと言いたげに頭を掻くと、「本当に寂しくはなかったんだ」と念を押してきた。
「寝る前に話をして貰わなかったとはいえ、幼い頃から子供部屋に放っておかれていたわけじゃない。ベテランの乳母がいつも着いていて、瞬く間に寝かしつけられていたんだ。あの寝かしつけの技術は凄かった」
「まぁ、それほどに?」
「なにせ王族御用達の乳母だ。それに兄達の世話も見てる。七人目となればお手の物だ。彼女に促されて布団に入ると次の瞬間には夢の中だ。あれももしかしたら魔法かもしれないな。寝かしつけの魔法だ」
おどけてユーリが話す。それを聞き、クレアも思わず笑みを零した。
これではどちらが悲しみどちらが慰めているのか分からなくなってしまう。クレアは心の中で「私が悲しんでどうするの」と己を叱咤した。深く息を吐いて己を宥め、改めてユーリに向き直る。
「お気を遣わせてしまい申し訳ありません」
「いや、良いんだ。……俺のことを思って悲しんでくれるなんて、クレア王女は優しいんだな。ありがとう」
感謝を告げてくるユーリの表情は穏やかだ。どことなく嬉しそうにも見える。
次いで彼は照れ臭そうに頭を掻くと「それで」と話を続けた。
「それで、えぇっと……。そう、自由に生活できた分、本を読む時間も多く取れた。もちろん相応の本も読んだが、どうにも好きに選ぶとなると夢物語みたいな本に手を出していたんだ。お姫様と王子様、それに魔法使いや妖精が出てくる、子供が好む話だ」
自分で言っていて恥ずかしいのか、ユーリが苦笑を漏らした。
「フリーデルには『戦記やドラゴンが出てくる話の方が面白い』とも言われたな」
「ドラゴンですか」
「あぁ、そういう話も多いんだ。フリーデルは本よりも剣の訓練を好んでいたが、珍しく俺に付き合って本を読む時はそういう話を読んでいたな。俺はどうにも作り話であっても荒事は好きじゃなくて、戦争やドラゴン退治なんて話はあまり読む気にならなかったんだ」
肩を竦めて話すユーリに、クレアは「そうだったのですね」と返した。――ちなみに、この話をクレアから聞いたヴィンスが後日フリーデルに炎のドラゴンを見せて彼を気絶させるのだが、それはまた別の話……――
「今でもそれは変わらない。執務室の本棚には堅苦しい本を並べているが、私室の本棚には子供向けの本や童話が多いんだ。そういうところもあってか『夢見がちな王子様』なんて言われてるよ」
苦笑を浮かべてユーリが話す。
自分の渾名が恥ずかしいのだろうか。
「平和な物語を好むのは素敵なことじゃありませんか」
「そう言って貰えると嬉しいよ」
「私も争い事は嫌いです。たとえそれが本の中の物語であったとしても、誰も傷つかず幸せに過ごせるのが一番ですもの。リズベール国にも暖かく素敵な物語があるんです。本は持ってきていませんが全て覚えています。お時間がある時に聞いて頂けますか?」
穏やかに微笑んでクレアが尋ねれば、ユーリもまた柔らかな笑みを浮かべ「楽しみだ」と頷いて返してくれた。




