早く処刑されたい悪役令嬢はなぜか王子と聖女に取り合いされています
アマンダは絶望していた。
何にって、それはこの世界の全てにだ。
(どうして私はこの世界の生まれてきてしまったのだろう)
麗しい豊かな金色の巻き毛をかき上げ、アメジストのような美しい瞳を伏せてアマンダは崖の上に立ってた。
ここからは領地の海が良く見える。
アマンダは五歳の頃、この海で海水浴中に溺れたことがあった。海の中でもがいていたそのとき、アマンダはあるはずのない記憶を思い出していた。
アマンダが産まれる前……前世の記憶だ。
前世のアマンダはこことは違う世界に住む地味な中学生だった。勉強もスポーツもできないぼんやりとした冴えない少女は家が貧乏なのもあって学校ではいじめのターゲットにされていた。両親は喧嘩ばかりで家にも居場所はなかった。そんな彼女の唯一の心のよりどころはひとつのゲームだった。幼い頃、唯一父が中古ショップで買ってくれた恋愛シミュレーション『悠久の星に乙女は輝く』を繰り返し何度もプレイした。それしか持っていなかったから、というのもある。
その日も両親が大喧嘩をしているので少女は携帯のゲーム機を持って外に出た。
画面に映っていたのは腕を組んだ意地悪そうな美少女……このゲームのライバルキャラクターであるアマンダ・ドルチェだった。
そのとき、歩道を歩いていたはずが急に周囲が明るくなって耳障りなブレーキ音が聞こえたのを最後に記憶は途切れてしまった。
おそらく交通事故に遭って亡くなってしまったのだろうとアマンダは思っていた。
(……そんな私が転生したのがゲームの中の悪役令嬢アマンダ・ドルチェ。あと一年で処刑される運命の女)
ゲーム『悠久の星に乙女は輝く』の主人公はこの国を守る次代の聖女候補の一人だ。そしてアマンダはそのライバルだったが、最終的には主人公を邪魔し、殺害しようとした罪で処刑されてしまうのだ。
それも婚約者であるアレン王子の命令で。
主人公はゲームの中で何人かの恋人候補がいるのだが、アレン王子もその一人だった。そもそも婚約者ではあるが最初からアレンはアマンダを嫌っているようだった。
それでもアマンダは将来の王妃と聖女の地位を欲しいがままにするためにアレンを束縛し、主人公をいじめ最後には殺害しようとするという役どころなのだ。しかも高飛車で意地が悪いので周囲からは大変嫌われていた。
(前世では貧乏で取り柄が無いうえに学校ではいじめられ交通事故死。生まれ変わってもゲームで一番の嫌われ者で処刑されることが決まってる悪役令嬢だなんて……もうやだ)
アマンダはすでに涙目だった。
五歳の頃、この記憶を思い出してから十年。
現在アマンダは十五歳。明日からは貴族の子女達が通うフィオーレ学院にアマンダも入学しなければならない。
そこでアマンダはゲームの主人公――ルチアに出会うのだ。
(学校生活に希望なんてない……。どうせ私は嫌われてるしな)
崖の上に体育座りをして遠い目で海を眺めながら考える。
そもそもアマンダの家、ドルチェ侯爵家は周辺貴族達にも嫌われていた。祖先は王族にも連なるという高貴な家柄を笠に着て父も母も尊大に振舞っていた。おかげでおそらくアマンダも学院に入学する前から嫌われているのだ。
ちなみに今世でも父母の仲は最悪でダブル不倫しているのを知っているし、使用人達にはパワハラをしているので屋敷の空気は最悪だ。
本当に本当に絶望しかない。
「アマンダお嬢様、またこんなところにいらしたのですか?」
振り返ると侍女が迎えに来ていた。
この崖は屋敷の裏手にあって庭から抜け出すことが出来るのだ。普段は一応貴族の令嬢として不自然にならない程度に振舞っているが時々こうやって抜け出して絶望したくなるのだ。
「アレン殿下がお越しです」
「……アレン殿下が?」
屋敷に戻ると応接室ではアレン殿下がのんびりと出されたお茶を飲んでいた。
すらりと伸びた背と端正な顔立ちに金髪碧眼のザ・王子様という容姿のゲームでも人気のキャラクターだった彼はこのオベルティ王国の王子だ。そしてアマンダの幼い頃からの婚約者でもある。
ただ、アマンダには不可解なことがひとつあった。
「やあ、アマンダ」
「アレン王子、ご機嫌麗しゅう……。今日はどういったご用件で?」
「明日から君もフィオーレ学院に入学だろう? どうせまた君が絶望していると思ってね」
「それはその通りですが……」
様子を見に来たんだ、とあっけらかんとアレンは言う。
ゲームの中のアレンは幼い頃からアマンダにはまったく興味を示さなかったどころかむしろ嫌っていたはずだ。なのになぜかアレンは幼い頃から積極的にアマンダに関わって来ようとするのだ。
(私の記憶だと誰にでも優しいアレン王子がアマンダにだけはあからさまに嫌悪の感情を示していたはずなのに……。私の記憶が戻ったことで行動が変わったからかな)
まあそれも今日までだろうとアマンダは思っていた。明日にはフィオーレ学院にルチアも入学してくるからだ。
ソファに座ると小さな包みを渡された。開けてみると入っていたのはアメジストの髪飾りと小さな藤色のリボンだった。
「え……これを、私に?」
「君と、サボンに」
「ありがとうございます……」
そのとき部屋の扉が開いてニャオと可愛らしい声を上げた灰色の猫が現れた。
「サボン」
「ひさしぶりだな、元気にしていたか?」
飼い猫のサボンはすりすりとアレンの足にすり寄った。こんなに懐いているのはサボンを拾ったときアレンも一緒だったからだろう。
五年程前、雨の日の庭で親猫に置いていかれた仔猫をアマンダが見つけたのだ。数日前から鳴き声だけは聞こえていたけれどなかなか姿は見つけられずにいた。雨に濡れるのも構わず探していたアマンダを見て、アレンも一緒にずぶ濡れになって仔猫を探すのに協力してくれたのだ。
そうして見つけ出したのがサボンだった。
名前は泥だらけだった仔猫をお風呂にいれて綺麗にしたら石鹸の香りがしたからそう名付けたのだ。
それからアレンはよくドルチェ家にやって来るようになりサボンを可愛がっていた。
(そういえばあのときは王子を雨でずぶ濡れにさせてしまった! きっと処刑ですよねって殿下をたいそう驚かせてしまったんだよね。……あ、そうか。サボンだ)
別にアマンダが目的と言うことではないのだろう。それなのにアマンダのことまで気遣ってプレゼントを用意してくれるなんてさすが王子だ。
なるほど、とアマンダは納得した。
目の前でサボンにメロメロになっているアレンを見つめながら、サボンも彼に会えなくなったら寂しいだろうなと思いながら。
そしてフィオーレ学院に入学してから一ヶ月。
アマンダは予想通り学院に馴染めずにいた。
今日も周囲の生徒達からは遠巻きにされながら一人で歩いている。
そもそも前世の時から学校に馴染めていなかったのだから当然だ。周囲の視線が怖くてコソコソ移動しているので奇異の目で見られているというのもある。
だというのに。
「アマンダ様、おはようございます!」
「る、ルチア様……、ごきげんよう」
栗色の髪に大きな緑の瞳の小動物みたいな美少女、ゲームの主人公ルチアが駆けてきた。ぎょっとして身を引いたアマンダには気づかず嬉しそうに話しかけてくる。
「語学の宿題難しくありませんでした? まだ入学して一ヶ月なのに範囲が広くて」
「そ、そうですわね。一応予習はしてましたから大丈夫でしたけど……」
「さすがアマンダ様。私は全然で」
「それなら、授業前に少し私が見ましょうか?」
宿題の出来が心配そうなルチアになんとなく提案してみたら、ぱっと緑の瞳を丸くして見つめてきた。
「うわあ、助かります。ありがとうアマンダ様!」
「ど、どういたしまして」
なぜかゲームの主人公であるルチアにアマンダは好かれているのだ。
入学初日に遅刻してきて教師に叱られている彼女を、可哀そうに思って庇ってから懐かれている……ような気がするのだ。彼女は平民出身だが曾祖母が聖女だという関係で特待生として学園にやってきたのだ。
アマンダはすでに人生に絶望しているので処刑されるならさっさとされたいと淡々と生活していただけなのだけれど。
そんなわけでアマンダは二度目の人生はぼっちの学生生活を回避していた。それに上級生のアレンも時々アマンダに会いに一年生の教室に顔を出しに来るのだ。
(いえ、あれはルチア様に会いに来てるんだわ。まだ会って一ヶ月だけれど二人とも親しくなったみたいだし)
『悠久の星に乙女は輝く』のパッケージではアレンとルチアが見つめあっている。つまりアレンはあのゲームの攻略対象の中で代表キャラクターなのでおそらく二人はこのあと恋に落ちるのだ。
「あ、アレン殿下!」
ルチアの声に顔を上げるとちょうどアレンがこちらに歩いてくるところだった。
「やあ、アマンダ、ルチア。最近いつも一緒にいるなあ」
「はい、仲良しです。ね、アマンダ様」
「え!? え、ええ。そそそ、そう……なのかしら」
ルチアは天真爛漫な性格で高位貴族であるアマンダにも臆することがない。
今まで(前世含めて)友達一人いなかったアマンダは普通に挙動不審になってしまった。そんなこと言われたことがなかったからすごく嬉しい気がするけどこの後の展開を考えると素直に喜べない。
「え、あれ? もしかして私の勘違いでしたか……?」
「い、いえ! そんなことないのよ! ただ私本当にお友達がいなかったので嬉しくて」
「やったあアマンダ様の友達第一号になれました!」
「ええー……なんだか仲良すぎて複雑だよ」
一瞬不安そうな顔をしたルチアに慌ててアマンダが訂正するとはしゃいだ彼女に抱きつかれた。アレンはどういうわけか複雑そうな顔をしているしアマンダにはこの展開がよくわからなかった。
わからないけど、でも少しだけ幸せだった。
それから半年ほど過ぎた頃、正式に悠久の星の聖女候補としてアマンダとルチアの二人が選ばれた。成績や授業態度等、これからの学生生活を通して二人のどちらかが次代の聖女に選ばれる。
ちなみに悠久の星の聖女とは、オベルティ王国に伝わる神話で建国時にこの土地が変わらず永遠に栄え続けるよう祈った娘が始まりだった。それから代々若い娘が聖女として選ばれこの国を災厄から守り豊かであるように祈りを捧げている。
もちろん聖女になるにはただ若い娘であればいいわけではない。聖女としての祈りの力がなければならないのだ。それは生まれつきのもので誰でも持っているわけではなかった。
基本的には生まれた時にその力は祭祀によって持っているか判断される。
アマンダも強くはないが祈りの力を持っていた。
そしてルチアは曾祖母の血を引いたのか強い祈りの力を持っているようだった。
当然周囲は二人をライバル関係だと思っていたが……。
「ねえルチア様。私達一緒にランチをしていていいのかしら」
「どうしてですか? ライバルだからって仲良くしてはいけないなんて決まりはありませんよ」
相変わらず二人は仲良く学院で過ごしていた。
今日も一緒に学院の食堂でランチをしている。卵サンドを頬張っていたルチアはぱちりと瞳を瞬いて首を傾げた。
確かに彼女の言う通り二人はライバルというだけで別に対立しているわけではない。けれど、本来であればいじめ倒していたはずの相手と親友になってしまったのは想定外だったのだ。
というか記憶を取り戻したアマンダに誰かをいじめるなんてできるわけない。自分がされて嫌だったことを人にする気にはなれなかった。
「……それもそうですわね。ところでこの前の数学の授業で」
「失礼、アマンダ様」
「イザベル様」
食堂の片隅でランチをしていた二人の前に現れたのは赤毛のそばかすの少女とその取り巻き二人だった。イザベルも伯爵家の娘で二人と同じクラスだ。
「何か御用でしょうか」
「アマンダ様、良かったら私達と一緒に過ごしませんか?」
「え? でも……」
「アマンダ様はドルチェ侯爵家のご令嬢。お付き合いされる友人はもう少し選ばれた方がいいかと……」
背後では取り巻き二人の少女がクスクスと笑っている。
前世の不快な感覚が蘇ってくるようだった。つまりイザベルは平民出身のルチアがアマンダと仲良くしていることが気に入らないのだろう。
「それは」
「る、ルチア様は!」
ルチアが何か言う前にアマンダが遮った。心配そうな彼女をちらりと見て安心させるように微笑んだ。
「私の大切なお友達です。ご心配いただきありがとうございます。でも、誰とお付き合いするかは自分で決めますので、大丈夫ですわ」
「アマンダ様……」
少し声が震えていたかもしれないが言い切った。
イザベラは細い眉を片方だけ器用に上げて笑みを消した。
「そうですか。それは余計な口出しをしてしまいもうしわけありませんでした。……行くわよ」
ふんっ、と鼻を鳴らしてツンツンとイザベラが取り巻きを引き連れて帰って行った。
しばらくその背中を見つめていたアマンダは食堂から彼女たちが出て行ったのを見てようやく息を吐いた。
「こ、怖かったぁ~……!」
「アマンダ様! ありがとうございます!!」
「え!?」
急にテーブル越しにルチアに抱きつかれてアマンダは目を白黒させた。
「友達って言ってもらえて嬉しかったです。私もアマンダ様が大好きです」
「ええ!?」
先ほどから驚いてばかりだ。
戸惑っていると少し照れくさそうにルチアが身を離した。
「私のこと平民なのに庇ってくれたのはアマンダ様だけです」
「……だ、だって、そんなのはルチア様にはどうにもできないことじゃないですか。本人ではどうにもならないことで人を差別するのはおかしいですもの」
前世ではアマンダも家が貧乏であることでいじめられていた。あの頃の辛さを覚えているからこそ、性格がきつくて苦手意識があったイザベラ相手でも黙っていられなかったのだ。
「わーん! アマンダ様!!」
「ああ!? ルチアがまたアマンダに引っ付いてるじゃないか!」
「アレン殿下」
聞き覚えのある声に振り向くとランチのトレーを持ったアレンが近づいてくるところだった。
またも不満そうな顔をして口をとがらせている。
「ルチア嬢、アマンダは俺の婚約者なんだぞ」
「そうですけど、でも私達は親友ですし」
「は、はい」
「くっ、女子はいいよなあ……」
何の話だろう? と思いながらアマンダは曖昧に首を傾げた。
その間ルチアはずっとアマンダに抱きついていたし、アレンからは何とも言えない視線を受けていた。
それから数日後、アマンダは風邪をひいて一日学院を休んだ。
事件はその日に起きた。
ルチアが何者かに階段から突き落とされたのだ。
アマンダがそれを知ったのは休み明けに登校してからだった。
(なんだか今日はすごく視線を感じる気がする……)
いつものように正門から馬車を降りて歩いていると周囲の生徒たちがちらちらと遠巻きにこちらを見つめている気がするのだ。アマンダはその手の視線に敏感だった。
皆ざわざわととして落ち着かない雰囲気でいつもとはあきらかに違う。
(一体何が……もしかして!?)
はっとしてある可能性にアマンダは気がついた。
ゲームの中ではいくつかイベントが起こる。そのうちのひとつにアマンダの手の者によって主人公であるルチアが階段から突き落とされるのだ。その日アマンダは風邪をひいて学院を休んでいたことで身の潔白を証明するが結局王子やルチア自身が調べたことによってアマンダの手の者が犯人だったことが判明するのだ。
そしてこの件が引き金となり今までのいじめや嫌がらせ等数々の悪行の件もありアマンダは処刑されることになってしまうのだ。
冷静に考えるとこの行状で処刑はやりすぎな気がするが、それだけ嫌われていたのだろう。
「アマンダ・ドルチェ嬢。少しいいかな」
玄関に到着するとそこでは学院の教師が待っていた。
結局その日アマンダは学院から謹慎を命じられた。
ルチアは軽傷だったようだが、大事を取って学院を休み病院に入院しているという。
なぜ謹慎になったかといえば、学院の中で犯人がアマンダなのでは? という噂でもちきりになったからだった。噂の出どころはわからないが、二人は悠久の星の聖女の座を巡るライバル関係なのは事実だ。そして貴族は基本的に平民を見下している。けれど祈りの力はルチアの方が強いため、侯爵家令嬢であるアマンダが貴族であるプライドでその事実が許せずルチアを攻撃したのでは……という内容だった。
二人が普段親しそうに見えていたのもルチアを油断させるためだったのだ。所詮平民が貴族と対等に友人関係になれるはずがないのだ。そもそもあの評判の悪いドルチェ家の娘が何もしないはずがない。口さがない者達の言葉にアマンダは落ち込んだ。
(ゲームでは確かにアマンダの仕業だったんだろうけど、私は何もしてない。……でも結局こうなってしまうんだ)
謹慎を言い渡されてから一週間。
私室でぼんやりとベッドに座ったままひさしぶりにアマンダは絶望していた。
両親や使用人達は何か話したそうにしていたが今は誰にも会いたくないと人払いもしてある。
ルチアの怪我は酷くない様で少し安心したけれど。彼女はどう感じているのだろうか。それにアレンも。あの噂を信じてしまったら嫌だなと思った。
「……結局処刑される運命なの?」
「ニャオ」
ふと足元に温かい感触があって視線を向けるとサボンがすり寄っていた。
「……サボン、ごめんなさいね。もうすぐあなたともお別れだわ。アレン殿下が引き取ってくださればいいのだけれど」
抱き上げたサボンはつぶらな青い瞳でこちらをじいっと見つめて首を傾げた。近い将来アマンダが処刑された後のサボンの処遇が心配だ。今のうちに遺言でも残しておこうかと思った時だった。
「アマンダ、それは一体どういう意味なんだ?」
「……アレン殿下?」
扉が開いて現れたのはアレン殿下だった。
ぴょんとサボンがアマンダの腕の中から抜け出してアレンにもすり寄ってニャーンと鳴いた。
「すまない、人払いをしていると聞いたんだけれどサボンが入って行くのが見えて……。それで、ルチア嬢の件なんだが」
「わかっております。処刑ですよね」
「はぁ!?」
展開が速いな、と思いながらもアマンダは覚悟を決めて立ち上がった。やるならさっさとやってほしい。これ以上苦しみはいらないのだ。
しかしアレンの反応は予想とは違った。
青いサファイアのような瞳を丸くして困惑している。
さすがに婚約者に処刑とは言い辛いのかもしれない。アマンダは無理に笑顔を作って見せた。
「いいのです。一時とはいえルチア様というお友達もできてアレン様にもよくしていただいて、サボンもいましたし私は幸せでした」
「いやいや、何の話なんだ? ちょっと待ってくれ!」
「え?」
急に肩を掴まれてアマンダは顔を上げた。
はあ、と疲れたようにため息をついたアレンが顔を上げる。
「君は死にたいのか?」
「え……」
少し怒ったような顔でそう問われてアマンダは答えに詰まってしまった。
海で溺れて記憶を取り戻した直後は確かに早く死んでしまいたかった。この先いいことなんてないと思っていたからだ。
けれど、今はどうだろう。
目の前にはまっすぐにアマンダを見つめて真剣に心配してくれるアレンがいる。
足元ではサボンが二人にすり寄ってこちらを見上げていた。
それに……。
「わ、私……」
「死ぬなんて言わないでアマンダ様!」
「へ?」
ばたーん! と派手な音と共に再び扉が開いたかと思うとなんとルチアが飛び込んできた。 ぎょっとしているアマンダにルチアはがばっと抱き着いた。
「誰もアマンダ様が犯人だなんて思っていません! そんな悲しいこと言わないでください!!」
「え? え、どうしてルチア様がここに?」
「こらルチア嬢! 今は俺がアマンダと話してるんだぞ。離れろ!」
「嫌です~!!」
「駄目だ! アマンダは俺のだ!!」
「え」
どういうわけかアマンダの取り合いを始めた二人だったがアレンが渾身の力でルチアを引き剥がした。アマンダはわけもわからずアレンに抱きしめられていた。
フーッと猫が毛を逆立てるようにしてルチアと睨み合いを続けるアレンを見てアマンダは唖然としていた。
「あ、あの。これは一体どういうことでしょうか?」
「あ、すみません! 急に部屋に入ったりして……」
「本当だよ」
我に返ったのかルチアが身を小さくして謝った。自分のことは棚に上げてアレンが口をとがらせているが、アマンダはやんわりとアレンの腕を解いて距離を取った。ずっと抱きしめられているというのは冷静になってみるとかなり恥ずかしいからだ。
サボンは人間達の騒ぎなど我関せずなようでベッドの上で毛づくろいしていた。
「ルチアを襲った犯人が見つかったんだ。先に言っておくけど妙な噂を聞いたとは思うがあんなのはほとんどの人間が信じてなかったからな」
「えっ……。あ、そうだわ。ルチア様、怪我は」
「大丈夫ですよ、ほら見ての通りです!」
ルチアは足に包帯を巻いてはいるが軽くつま先をトントンとついて見せた。そもそも先ほどの元気さなのだから大丈夫なのだろう。
「良かった……」
「アマンダ様こそ、あんなひどい噂を流されるなんて……。辛かったですよね。もっと早く会いに来られれば良かったんですけど」
「とにかくアマンダの潔白を証明しなければということになってな。学院中を走り回っていたんだよ」
アレンとルチアは協力してフィオーレ学院の生徒達に聞き込みを行った結果、一人の生徒が浮上した。
「それが、イザベラ・ミローネ伯爵令嬢?」
「ああ、聖女候補が二人に絞られる前、イザベラも候補に入っていたことは知っているだろう?」
「ええ、それはもちろん」
悠久の星の聖女は一人だけだが、人数は段階的に絞られていく。イザベラもそのうちの一人だった。
「彼女はアマンダかルチア嬢のどちらかが候補から外れればまだチャンスはあると思っていたみたいだ。手下の生徒を雇ってルチア嬢を襲撃させ、その犯人が君だと噂を流せば二人を仲違いさせられて一石二鳥とでも思ったんだろう」
「アマンダ様が風邪で学院を休まれたあの日、私は机の中にメモがあって誰かに裏庭に呼び出されたんです」
ルチアの説明によると、放課後に指定された裏庭に向かう途中の階段で背後から誰かに突き飛ばされたのだという。裏庭は近くに教室も無いしほとんど生徒は利用しない。そこへ行くためのルートも限られている。ルチアが襲われた日の同時刻、その場所で目撃されていた生徒がいた。それがイザベラの取り巻きの一人だったという。
そこからすぐに主犯はイザベラだとわかった。彼女は元々アマンダやルチアを目の敵にしていたし、どうやら彼女は実家からなんとしても聖女になれというプレッシャーをかけられていたようなのだ。
イザベラと取り巻きの少女は退学させられることになったという。おそらく彼女の実家も今回の件で相当信用を失うだろう。
「……そうだったのですね。それを二人で調べたんですか?」
「いや、他にも何人か協力者はいたよ」
そこでアレンが上げた名前は『悠久の星に乙女は輝く』に登場するキャラクター達だった。アマンダ自身はあまり接点が無いので忘れていたがちゃんと存在するらしい。
ちなみにアマンダが謹慎することになったのは、今度は彼女が標的にならないかとアレンが危惧したからだった。
「私が犯人と疑われていたわけではないのですか?」
「そんなことあるわけないじゃないですか! もうアマンダ様ったら変に卑屈なんだから……」
「そうだよ、むしろ先生達も生徒達も君のことを心配していたよ」
「え……私てっきり皆からは嫌われているものだとばかり思っていました」
アマンダの言葉に一瞬ぽかんとした二人は顔を見合わせてそれから同時に肩を落として脱力した。
「君、自分が何か嫌われるようなことをした自覚があるのか?」
「え? そう言われてみると……あまり」
考えてみればゲームのアマンダのように周囲を見下したり意地悪や嫌がらせのようなことはしていない。そもそも学院での生活自体にあまり馴染めてなかったので会話すらほとんどないような……。
「あれ……?」
「むしろアマンダ様はとても親切ですよ。平民の私のことも助けてくれたし、皆が嫌がる掃除も率先してやっていたし、授業が難しくてついていけない子にはノートを貸してあげてたし……皆が気がつかない雑用もアマンダ様がやっていることが多くて。それにこのお屋敷の方々もアマンダ様がお父上に抗議されてから待遇が大分良くなったと言ってました」
そんなこともあっただろうか……とアマンダは首を傾げた。アマンダとしては特に意識せずにやっていたことだった。前世時代から雑用はよく押し付けられていたし。
この屋敷内のことに関しては見るに見かねて抗議したのだ。それで考えを改めたのか愛想はないものの両親は使用人達を不条理に叱ることは無くなった。
「授業態度も悪くなかったし少々挙動不審な点を除けばあれがドルチェ侯爵の娘かと先生達も驚いていたぞ」
やはりドルチェ家の評判自体はあまり良くないがアマンダ自身はそうでもないようだった。
「でも私、いつも皆さんに遠巻きにされていたような……」
「それはアマンダ様があまりに素敵で緊張しているんですよ」
そんなことあるのだろうか?
困惑するアマンダの手をルチアが取った。
「アマンダ様、自信を持ってください。誰に対しても恥じることなどしていないんですから」
「ルチア様……」
自信など今まで持ったことなかった。
ずっと己の不幸を嘆いて逃げ出すことばかり考えていたのに、ルチアは明るい笑顔でアマンダに自信を持てと言う。
まだ本当に自信を持てるのかどうかはわからない。ただルチアの手は小さいけれど温かいなとアマンダは思った。
「アマンダ、もう一度聞く」
「アレン殿下」
静かなアレンの声に顔を上げる。真剣な彼の様子にアマンダも姿勢を正した。
「君は、死にたいのか?」
「……いいえ、死にたくなんてありません」
だってもう知ってしまったのだ。
アレンのこともルチアのことも、サボンのことも。この世界が悪いことばかりじゃないことも。
涙目で微笑んだ彼女のことをアレンがほっとしたように抱きしめた。ついでにルチアも彼女に抱きついたのだけれど、今日だけはとアレンは許してくれたようだった。
それから約二年ほど経ち、アマンダとルチアはフィオーレ学院を卒業することになった。
「明日からは正式にルチア様が悠久の星の聖女なのね」
「はい、アマンダ様もお妃教育がんばってくださいね!」
卒業式が終わり講堂を出て歩きながらアマンダとルチアは清々しい思いで歩いていた。
結局、悠久の星の聖女に選ばれたのはルチアだった。彼女の祈りの力は強く、きっとこれからも国を守り豊かにしてくれるだろう。
「うう、でも嬉しいです! 聖女になればアマンダ様が王妃になっても普通に会えますものね」
「そうね。またアレン殿下が焼きもちをやきそうだけど」
「いいんですよ。普段はアマンダ様を独占できるんですから」
アレンの名前を出した途端、ルチアが不貞腐れた子供のような顔をする。二人はなぜかアマンダをめぐってのライバル関係のようになっていた。最初は困惑したものの本当に仲が悪いわけではないようなのでそのままにしている。
アマンダ達より一つ上の学年だったアレンは現在は国王の補佐として働いている。
二人は来年結婚することが決まっていた。
――アレンはずっとアマンダを好きでいてくれたのだ。
それはルチアが襲われた事件からしばらく経った頃のこと。
屋敷を訪ねてきたアレンとサボンを連れていつもの崖まで海を見に行った日のことだった。
「昔、海で溺れたことがあったんです。そのとき……夢を見まして。私が将来悪行を繰り返して処刑されてしまう夢だったんです……」
「それで君はよく絶望していたのか?」
「まあ、そんな感じです……」
前世のことはさすがにうまく説明できない気がして、夢だと言うことにした。全然君と似ても似つかないな、と笑うアレンにアマンダも苦笑いした。もし記憶が戻っていなかったらそんな悪女になっていたのだろうか。
「そんなことには俺が絶対させない。君は俺の妻になるんだからな」
ふと笑みを消したアレンが真剣な顔で言う。その瞳に思わずどきりとしてアマンダは穏やかな海に視線を移した。
「……殿下はどうして、私を選んでくださったんですか? こんな絶望ばかりしている暗い女なんか」
さすがにもう親が選んだ相手だから、なんてことは言わない。ちゃんとアレンがアマンダを愛してくれていることはわかっている。だからこそ不可解だった。
「最初は変な子だとは思った。だけどあの雨の日……君は自分が濡れるのもかまわず仔猫を探して、そして汚れていた仔猫を綺麗に洗って笑ったんだよ。この子は石鹸の香りがするから名前はサボンにしますって」
「……そうでしたっけ」
「そうだよ。俺はその君の笑顔を見て、大好きになってしまった」
「え……」
少し照れくさそうにちらりとアレンがアマンダを見る。アマンダはぎゅっとサボンを抱いていた腕に力を込めた。
「……というか、君の方こそどうなんだ? その髪飾りをずっと着けてくれているから、嫌ではないのかと思っていたんだけど。君は絶望ばっかりしていたし……」
アマンダの髪にはいつも学院の入学前にアレンから送られたアメジストの髪飾りが輝いていた。もちろんサボンの首には藤色のリボンが可愛く結ばれている。
「うう、確かに以前は将来を嘆いて絶望ばかりしていました。すみません……。でも、そのこの髪飾りは本当に嬉しくて着けていたんです」
「じゃあ」
「はい、アレン殿下が好きです」
「……良かった」
なんだかとても不思議な気分だ。
ゲームの中のアマンダはアレンにも周囲にも嫌われていた。きっと自分もそうなるのだと思っていたのに、今は周囲のたくさんの人々に愛されているなんて。
ほっとしたように笑うアレンに寄り添ってアマンダはじっと海を眺めていた。空は真っ青でどこまでも続いているようで美しかった。
「……絶望の先には光があったのかもしれませんね」
「どういうことだ?」
ふと思いついたことをぽつりと呟いた。
真っ暗な海の中でアマンダは絶望を知った。けれどその海から出ればこんなにも美しい空が広がっている。
アマンダはアレンとサボンを見つめて微笑んだ。
「今、私は幸せだということです」
初めて書いた転生ものです。楽しんでいただけたら嬉しいです。よろしければ評価もお願い致します。